東京駅と浅草、辰野金吾と隈研吾

 日曜日の昼ころ岩国から戻り、月曜日は千葉へ。

 途中、復元工事を終えたばかりの東京駅を見て来ました。

 丸の内駅舎は1914年の完成。設計は近代建築の基礎を築いた辰野金吾です。

 戦争によって消失していた部分も、今回復元されました。

 辰野金吾と言えば、関西でも大阪市中央公会堂、日本銀行大阪支店、奈良ホテルなどの作品があります。

 復元されたホールは、日本の玄関に相応しい格を備えていると言って良いのでは。

 学生の頃、奈良ホテルのティーラウンジへ行きました。

 見学を兼ねてでしたが、皇族も泊まるというその品格に緊張したことを思い出します。コーヒーの値段にも驚きましたが。

 全景も撮ってみました。

 今度は晴れ空で撮りたいものですが、何とか雨は免れました。

 千葉への移動だったので、浅草にも寄って来ました。

 前回浅草に来たのは、2011年の3月7日

 その時には、雷門の向いにこんな建物が出現するとは想像もしていませんでした。

 浅草文化観光センターは今年の春のオープン。設計は隈研吾です。

 彼は「負ける建築」という言葉に象徴されるよう、土地と対話し、環境に従属するような建築を、というコンセプトを打ち出しているのです。

 この建物は、木造切妻屋根の平屋を積層させるというデザイン。

 そのヴォリュームにして、この場に在っておかしくない建築を実現しています。その力量が遺憾なく発揮されていると言えるでしょう。

 隈研吾は日本を代表する建築家です。しかしデビュー作は厳しい評価でした。

 マツダのショールームとして計画されたM2ビルは1991年の作品で、学生時代に雑誌で見ました。
 
 ギリシャ神殿の柱をモチーフとし、その対比として退廃を表したデザインが物議をかもしたのです。 

 その後、ある仕事を通して、これらのコンセプトを掲げ、現在のステージにまで上り詰めて来たのです。

 これ程作風が変わった建築家も稀だと思います。

 辰野金吾との共通点は東大建築学科卒。

 辰野は、指導者として来日したイギリス人建築家ジョサイア・コンドルに師事しました。隈は留学を経ていますが、活躍の舞台を世界へと広げています。共にエリート中のエリートですが、これも時代の移り変わりと言えるでしょう。

 一昨年から今年にかけて、関東圏で2つの仕事をさせて貰いました。来年にかけても、千葉で仕事が出来そうです。色々な土地で仕事が出来る。それは仕事人としての純粋な喜びです。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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