カテゴリー別アーカイブ: 11 日常

1983年3月6日中学入試‐2288‐

昨日は同級生と一緒に高槻へ行ってきました。

京都と大阪の真ん中にあり、大学の誘致にも成功しているとあって、阪急、JRともに駅前は活気があります。

母校へも足を伸ばしてみました。

私達が通っていた頃とは、すっかり様変わりしています。

立て看板を見ると入学試験の当日のよう。

流石に入るのは遠慮しておきました。

「高校は別日程なんだろうね」と同級生に言うと「今は誰も出ていかないので、高校で補充はしていないよ」と。

私達が受験した1980年代は、関西の私学の中で、唯一試験日程がずれており、受検を失敗した学生の受け皿となっていました。

どこかを不合格になって入学しているので、第1志望にしていた学生は皆無。それで、高校に上がる時点で、1割くらいの生徒が、高校受験に挑んでいました。

灘や洛南などに再度挑戦し、合格した同級生が結構いたのです。

現在は、もっと人気校になっていると聞き、卒業生としては嬉しい限りです。

かなり減った年賀状ですが、11月・12月には、喪中はがきが5通ほど届きました。

そのうちの1枚が、毎回同窓会に参加して下さった、理科のT先生の奥さまでした。

「昨年お亡くなりになった」と、この日記で報告すると「中学高校で3回も担任をして貰ったので、ご自宅へお参りに行こうと思う」と、同窓会の世話役をしている同級生から連絡がありました。

それならと同行してきたのです。

ご丁寧にも、奥さまと、ご子息まで出迎えて下さいました。

71歳という若さで、夫を亡くした奥さまの気持ちはいかばかりかと思います。一方、しっかりした、品のあるご子息家族が近くに住んでおられ、心強いだろうなと感じたのです。

すぐにお暇しようと思っていたのですが「英語のA先生、数学のY先生とは仲が良く、よく飲みにいっていた」という話や、某情報番組の「ほろ酔いさんインタビュー」的なコーナーにA先生と2人で出たことがあるという、とびきりの逸話までお話し下さったのです。

2024年末の同総会の少し前まで入院しておられ、「何とか行けそう」と世話役に連絡があり、参加下さいました。

お亡くなりになる5カ月前なので、大変だったと思うのですが例年通りスピーチもして下さいました。

同級生がその動画を奥さま、ご子息にお見せすると、お2人で熱心に見ておられたのです。

1983年の3月のカレンダーを見ると、6日が日曜日でした。3月7日が試験日だった気もしますが、この日が試験日だったのでしょう。

試験は1日で、算数・国語・理科・社会で、配点は100・100・50・50だったと思います。

理科社会は配点が半分ですが、この2教科があったから、高槻に滑り込めたのは間違いありません。

入学後の不勉強は、何度もネタに書いてきました。

一浪後も、国公立、MARCH、関関同立の建築・土木学科は全て不合格。

近大の岡山だったか、広島だったかの3次募集的な試験で、かろうじて大学生となりました。

その理由も、おそらく物理が満点だったのが理由だと思います。英語、数学は全くできませんでしたから。

そう考えると、いわゆる理系に身を置いていますが、いつも理科社会がピンチを救ってくれたのです。

T先生の「学生時代、どうにもならなかった彼(守谷です)でも何とかなったんだから、ここに入学してくる君たちは絶対大丈夫」というメッセージを胸に、しっかり頑張りたいと思います。

1983年3月6日(日) 大阪
最高気温: 13.5℃
最低気温: 4.3℃
曇り一時晴

丁度今日の気温と同じくらいです。

当日、12歳の私は何を思っていたのでしょう。その時の私が、今の私を見たらどんな事を思うのでしょうか。

「ここまで行けたんだ!」と思って貰えるような自分を目指したいと思います。

そして、中高では迷惑ばかり掛けた先生方には我慢して頂き(退学とせずに頂き)、本当にありがとうございます。心から感謝したいと思うのです。

レベル低っ!

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

ありがとう、クールでスイタイリッシュなガラケー‐2285‐

難波あたりまで35分くらいなので、時々歩いて出掛けます。

昨年の夏に営業を終了した「ユニバース」。

またひとつ大阪の昭和が消えて行きます。

難波駅方向の西へ歩くと、「なんば千日前通」のアーケードが見えてきました。

このあたりも、キタにはないディープな雰囲気があります。

すこし先の、昔からある居酒屋「たよし」を左に曲がると、なんばグランド花月の筋に出ました。

たこ焼きを求める長蛇の列ですが、このあたりはいつもごった返しています。

笑いの殿堂「なんばグランド花月」。

年始特別興行は、すでに立ち見のみとアナウンスされていました。

「よしもと≒大阪」のイメージはいまだに根強いものがあるでしょう。

いくつも劇場を持つ吉本興業ですが、関西若手芸人の才能発信を目的としているのが「森ノ宮よしもと漫才劇場」です。

大阪城公園のクールジャパンパーク大阪にあり、こちらも歩いて20分くらい。

幟を見ると、昨年末にM-1グランプリで優勝した「たくろう」がいました。

リングアナのネタ、ビバリーヒルズに住む練習をするネタ。

どちらもスタイルと切り口が斬新で、かつ品もあり、思いきり笑わせて貰いました。

ナイツの茶目っ気、ミルクボーイの安定感、なだぎ武のくだらなさを併せ持つ、期待の新星といったところでしょうか。

毎年、1組はスターが出てくるのですが、長らく笑わせてくれそうな本格派で、これからが楽しみです。

通話前に「FOMA」と「iモード」のサービスが、今年の3月末で終了するというアナウンスが流れだしたが、昨年の9月頃だったと思います。

個人用はiPhoneを使っていますが、会社用携帯としては「ドコモ ケータイ SH-07F」を使っていました。

SHとある通りシャープの機種で、2014年の発売となっています。

すでに所々の液晶画面は表示できなくなっています。

今でこそ極小画面ですが、液晶テレビ・アクオス全盛の時代で、確か「画面が大きくなった」というのが売りだったと思います。

この機種を10年以上、前の機種もSHだったはずなので、合わせて20年くらい、このガラケーを使ってきました。

充電器は2台くらい買い足したと思いますが、iPhoneに比べるとバッテリーの持ちが雲泥の差。

「何!そのガラケー!!」と言われながらも、しつこく使ってきたのです。

当時はもちろんガラケーなどと言う言葉はありませんでしたが。

この2つ折りでコンパクトになるのが最高に便利でした。

かつ、ちょっと格好いいと思っていたのです……

携帯電話が一般的に普及したのは1990年前後。私が持ち始めたのは社会人1年生の1994年だったと思います。

「iモード」のサービス開始が1999年で、インターネット時代の幕が開き、当社がWebサイトを作ったのは2001年。世の中が劇的に変わっていった時期でした。

2001年の第1回M-1の王者は中川家。

島田伸介と松本人志がいない審査員席の一番右に、中川家礼二が座っているのを見ると、隔世の感があります。

モノも人も移ろうのが常ですが、1994年から一緒に戦ってくれたガラケー。

ついに最期の時がやってきました。

正面はアルミパネルで、じっくり見るとなかなかクールでスイタイリッシュなデザインです。

所々へこんでいるのも愛おしい戦友に、「ありがとう」と「さよなら」を贈りたいと思います。

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なぜか投函、ネコジャラシ‐2265‐

この時期、8時頃になると屋上に日が差してきます。

ジョギングから戻ると、屋上で軽くストレッチして、少し瞑想します。

街中なので空は小さいですが、それでも南がある程度開けているのは気持ちが良いものです。

長堀通は車道が19m、歩道が4mあります。

歩道沿いには、ほぼ街路樹が植わっています。

アトリエの斜め前にもありますが、トウネズミモチでしょうか。

街路樹は毎年ばっさり剪定されるので、愛想のある樹形ではありませんが、それでも緑が見えると嬉しいものです。

恥ずかしいことに、まだ1階部分が完成しておらず……

普段はシャッターを下ろしていることが大半です。

小さなシャッターポストが付いているので、このような感じで投函されるのです。

1階に降りたついでに郵便物の確認に行くと、葉っぱのようなものが落ちています。

近付いてみると、いわゆるネコジャラシでした。正確な名前はエノコログサ。
アワの原種ともされる、イネ科の植物です。

私には必要のないものですし、投函してもらうべきものではありません。

しかし、腹も立ちませんし、嫌な気持に全くならなかったのです。

思い描いたストーリーはこうです。

夕方、仕事を終えた若いお母さんが、谷町6丁目の駅で降りて、保育園に子供を迎えに行きます。

2人で自宅マンションに向って歩いて帰る途中、3歳になる男の子が街路樹の足元に生えているネコジャラシを引き抜きました。

お母さんは「〇〇君、それはお家までもって帰れないね」と。

「うん、分かった」といった〇〇君は、丁度目のまえにあった、小さなシャッターポストを見付け、そこに捨てたのです。

お母さんは若干慌てましたが、わざわざインターホンを押すほどでもないと思い、「そこは人の家なので、捨てるところではないのよ」と彼に言い、苦笑いしながら家路を急いだのです。

全くの想像ですが、何となくそのようなストーリーが浮かんできました。

ただ、物事の解釈は、こちらの考え方次第なのだなとも思ったのです。

もし、タバコの吸い殻が捨てられていたらそうは思えなかったかもしれません。

しかし、反対に言えば、どんな事があったとしても、やたらと神経をすり減らすことはないかなとも考えたのです。

「現代人が1日に受け取る情報量は、平安時代の人の一生分」と聞いたことがあります。

真偽の程は分かりませんが、もしそうだとしたら、受け取る側も何か工夫する必要がありそうです。

大谷翔平選手をはじめ、多くの一流アスリートは「自分の出来ることに集中する」と繰り返します。

ネコジャラシの件で、その一端を自分なりに感じることが出来たような気がしたのです。

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■■■8月1日(金)患者さんでなくても立ち寄ってほしい「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」JIA(日本建築家協会)のトップページに掲載されました■■■

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チンドン屋が奏でる哀愁の「秋桜」が似合う空堀商店街‐2260‐

普段買い物をするのが「空堀商店街」です。

谷町筋を挟んで、東の「空堀ど~り商店街」は、上町筋まで続きます。

西の「空堀商店街」とあわせると、東西800mにおよぶ商店街です。

今日はスポーツの日で3連休ですが、基本仕事で缶詰状態でした。

気分転換に妻の買い物についていくことに。

「空堀商店街」の西端は松屋町通とぶつかります。

正確には「まつやまち」ですが、アーケードの看板も「まっちゃまち」です。

この辺りが、丁度上町台地の西端にあたります。

上町筋まで緩やかな上り坂が続く、ちょっと珍しい商店街ですが、なかなかに活気があるのです。

インバウンド客も多いですが、このお茶屋さんが人気で、よく並んでいるそう。

妻情報です。

遠くから、クラリネットが奏でる「秋桜」のメロディが聞こえてきました。

チンドン屋が、イベントを宣伝しながらねり歩いてきたのです。

曲のセレクトが昭和で、レトロな感じがたまりません。

物悲しい音色に、もう胸熱です。

こちらは普段買い物にくるという鳥肉屋さん。

鳥のむね肉がグラム108円でした。

こちらは昔ながらの豆腐屋さん。

厚揚げ盛りが一皿200円でした。

妻が「これ貰えますか」と指をさすと、「お金は貰うことになりますが(笑)」と。

「ハイ、おつり800万円」は出ませんでしたが、そんなやりとりも商店街ならでは。

庶民の財布にも、人も優しい、イカした商店街でした。

シャッター商店街化するところもありますが、天神橋筋商店街や駒川商店街など、活気のあるところもあります。

その差は、やはりお得感と人だと思います。

普段使いの店だけでなく、飲食店もかなり充実しています。

次回はそちらを書いてみたいと思います。

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施政者に望む、細やかな幸せ‐2236‐

関東甲信越・北陸・東北南部も、先週金曜日にようやく梅雨明け宣言がでました。

大阪は6月中に梅雨明けし、夏本番を迎えていましたが、最近の積乱雲は怖いくらいの大きさまで成長します。

入道雲と言うよりは、竜の巣といったほうが良いくらいでしょうか。

もちろん「天空の城ラピュタ」に登場する「竜の巣」に見立ててです。

昨日は選挙でしたが、投票となると億劫になってしまうのが正直なところです。

政党、候補者、政策などは、新聞の別冊版をさっと目を通しただけ。それで判断するのは、正直気が重い。

それなら普段から、目を配っておけばよいのですが、そこまで時間を割いてまでとは思えず……

ただ、投票会場が 大阪府立中央聴覚支援学校だったので、それは楽しみにしていました。

大阪市立聾学校の表札もありますが、それは過去の名称のようです。

すぐ近所にありますが、広い学校だなと思っていました。

都心部の学校だけに、風景もそれらしいものです。

タワーマンションに囲まれる風景も独特。

少し調べてみると、こちらの校舎の設計は梓設計のようです。

1990年頃の竣工なら、ポストモダン様式のデザインも納得できます。

「手話とともに未来へ」

校舎に横断幕が掛かっていました。

手話ができなければ、 聴覚に障害がある人とコミュニケーションを取ることは困難です。

秋篠宮家の佳子さまが、手話で会話している姿をよく見ますが、本当に立派だなと思っていました。

しかし考えてみれば、英語を勉強するのと同じように、授業として手話があってもよい気がします。

本当に目を配るべきところは、こんなところのような気がします。

昨日は、仕事半日、雑用半日を済ませると、キッチンから枝豆を湯がく、良い匂いが漂ってきました。

旬の枝豆は、値段もリーズナブルな上に、味も最高です。

ヘレカツとで晩酌をすれば、それより幸せなことなどありません。

大阪選挙区には19人が立候補し4人の議員が誕生しました。

変化は大歓迎、まずは御手並み拝見です。

しかし、国民が彼らに望むことは、大それた無理難題ではありません。

真面目に働けば、家族と共にささやかな幸せが得られる。その程度だと思うのです。

なので、俺が俺がというスタンドプレーだけは勘弁してもらいたいと思います。

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■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

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ブルーインパルス狂騒曲‐2234‐

昨日の日曜日は、14時半に上町のアトリエから徒歩6分の難波宮跡公園へ。

ご近所さんも続々と自転車で駆けつけています。

週末から、Web上でもブルーインパルスの記事がかなり上がっていましたが、上町界隈もご多分にもれずです。

普段のジョギングコースでもありますが、ここは大化の改新の部隊にもなった難波宮があった場所です。

それで、何もないだだっ広い野原なのです。

ブルーインパルスが万博会場へ向うルートになっているので、観覧ポイントにもなっていました。

関西万博開幕の 4月13日(日)の際は、関空を飛び立ったものの、天候が悪化してやむなく帰還。

小雨の中、周辺からため息がもれていました。

しかし、そのお陰で大阪城とブルーインパルスが見えるはずの場所はリサーチ済みです。

前回のこともあってか、今回は13日(土)と14日(日)の2回チャンスがありました。

土曜日は予定があったので来れなかったのですが、前日も難波宮跡公園で見ておられたベテランさんが、「通天閣がある、あっちの方向から飛んでくるから」と話しているのが聞こえてきました。

それで、2つのマンションの間から飛んでくるのだなと準備していました。

すると、高いほうのタワーマンションの影から、轟音とともに、いきなり視界に飛び込んできたのです。

慌てて録画ボタンを押したので、ぼけた場面もありましたが、よく撮れたほうかなと自我自賛です。

タワーマンション横のビルの屋上にも人の姿が見えています。

完全にお祭り騒ぎでした。

大阪城で西へ旋回し、一旦見えなくなりましたが、太陽の塔、枚方パークを回ったあと、再び大阪城の上を通過して南西にある万博会場へ。

2度目も真下から見ることができましたが、通過と共に歓声と拍手が起こっていました。

周辺では「iPhoneが熱くなりすぎて、肝心な時に録画できひんわ~」と言っているおじさんが居ました。

ちょっと可愛そうでしたが、そのお陰でギリギリまで影の下にiPhoneをキープしておいたのです。

防衛省・自衛隊は 「大阪の空を見上げよう」のハッシュタグをつけての投稿を呼びかけました。

空を見上げるって、とってもいい気分です。

ブルーインパルスは初体験でしたが、いい日曜日の午後になりました。

青い衝撃は突然に。

ブルーインパルス狂騒曲でした。

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自転車の天敵とできる人‐2233‐

上町に越してきたら、すぐに自転車を修理したいと思っていました。

近所に専門店があるなと思っていたのです。

2013年に買ったカゴ付き自転車はかなり気に入っていますが、ディスクブレーキを直してくれるところがなかなかなく……

散々探し回った結果、意外にもイオンサイクル喜連瓜破店だけが引き受けてくれたのです。

ただ、チェーンのがたつきは「ギアから全部交換になるので、ウチではできないんです」と言われていました。

少し時間に余裕ができたので「パークサイドバイシクルズ」へ相談にいくと、店主が「ああいいですよ~、3万までは掛からないと思います」と。

即答でした。

心の中で「この人できる!」と。

1週間ほどすると部品が入ってきたので、再度預けにいきました。

ギアもブレーキもピカピカになって帰ってきたのです。

そうなると、自転車で出掛けたくなります。

上町周辺は坂が多いですが、私の愛車は5段変速なので1速にすれば、前の坂も何とか立ちこぎしなくても大丈夫です。

近所にある、大阪女学院正面の坂はかなりの勾配。

このくらいになってくると、自転車は下りて押さないと厳しくなります。

しかし、この坂を毎日登っていれば、生徒さんはかなり鍛えられそう。

天満橋の八軒家浜に出るあたりの坂はこの勾配です。

妻と娘は電動自転車に乗っているのですが、ちょっと遠出するなら私も欲しいなと思っていました。

実際、このあたりの電動自転車率は、かなり高いものがあります。

先の大阪女学院ですが、西の通りはこのくらいの坂なので、自転車でも何とか登れます。

よくよくルートをリサーチすれば、何とかなることが分かってきました。

それで先日、グランフロントまで行ってみたのです。

坂はなんとかなりましたが、梅田のど真ん中を横切るのは、人の多さでなかなか大変でした。

帰りは、北側に大回りして、中崎町あたりを通ってみましたが、その問題は解決できそうです。

自転車置場も、150円くらい出せば結構あるのですが、グランフロントには2時間無料の駐輪場もありました。

北館は170台分ありますが、2割くらいは空いていたでしょうか。

うめ北広場には530台分があるようですが、こちらは思ったより小さいなという印象でした。

パリ、ローマ、シアトルなど、自転車にやさしい街は沢山あります。

日本でも、自転車レーンが急速に増えていますが、これはどんどん進めばよいなと思います。

本気のサイクリストは別にして、自転車の天敵は急な坂です。

Googleマップでルート検索をすると、高低差まで見れるのは本当に助かりますし、見ていて楽しい。

先の 「パークサイドバイシクルズ」 ですが、こちらも坂の横にありました。

店主に「パークサイドのパークは、大阪城公園のことですか」と聞くと、「引っ越ししてくる前の店が、同座公園の横だったんです」とのこと。

それを聞いて納得できました。

車にしても自転車にしても、こういったメンテナンスをしてくれる店があってこそ安心して乗れるというものです。

今までお願いしてきた自動車工場が遠くなったので、車のほうもリサーチ中です。

ちょっと期待している店があって、楽しみもあり、やや不安もあり。

多分できる人だと思っているのですが。

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信仰の自由‐2222‐

6月に入りましたが、梅雨はもう少し先でしょうか。

気持ちのよい日が続きます。

先月のはじめ、ローマ・カトリック教会の新教皇が誕生したというニュースがありました。

ロバート・フランシス・プレボスト枢機卿が、第267代ローマ教皇に選ばれましたが、アメリカ出身は初めてということも話題になりました。

約14億人の信者がいるとされるローマ・カトリックの教会がすぐ近所にあります。

大阪カテドラル聖マリア大聖堂は、「ローマ教皇が直接任命し教区を統治する司教が、公式に座る椅子がある聖堂」と説明がありました。

大聖堂に隣接した高い鐘楼は、阪神淡路大震災のときに被災し、撤去されたともありました。

鐘楼も一度は見てみたかったです。

日曜日になると、色々な人種の方が教会に入っていくのを見て、Webサイトで調べてみると、日曜日は5度のミサがあり、日本語に加えて、英語、ベトナム語、韓国語のミサも開かれていました。

信者でなくても自由に参加下さいとあります。

立派な空間で、後日参加してみようとこの日は一旦帰ったのです。

入口の左には、キリシタン大名で知られる、高山右近の像があります。

高槻城の城主となった右近は、織田信長、豊臣秀吉に仕えますが、1587年突如、秀吉が伴天連(ばてれん)追放令で大名の地位を失いました。

金沢の前田利家に客将として迎えられるも、家康の禁教令でマニラへ追放。

その地で1614年に病死しました。

細川ガラシャは、明智光秀の三女、玉子として生を受けました。

1582年に信長の媒酌で細川忠興と結婚します。

しかし、1582年、光秀の本能寺の変により、細川家は玉子を離縁、丹後国に幽閉します。

同じく、1587年の伴天連追放令で、忠興から外出を禁じられますが、自宅で洗礼を受け、キリスト教徒となります。

ガラシャ(恩恵の意)はその洗礼名でした。

1600年、忠興が家康の東北の上杉氏討伐に加わった際、石田三成は忠興を味方につけるため、妻ガラシャを人質として大坂城へ連れていこうとします。

それに応じなかったため、ガラシャの屋敷に三成側が火をかけます。

キリシタンの教えでは自害が禁じられているため、家臣に胸を突かせて37歳の人生を終えたのです。

教会を少し西にいったあたりに、「越中井」が残っています。

忠興の邸内にあったものといわれ、ガラシャ最期の地とされているのです。

平日は、朝の7時からミサが行われていると知り、ジョギング帰りに初めて参加してみました。

洗礼を受けていない人は聖体拝領は受けられません。

しかし、聖書も持っていない私が参加するのは、少し場違いかなと感じました。

ただ、早朝の大聖堂の空気は清らかで、時々立ち寄らせてもらっています。

命を掛けて信仰を貫いた人が居たことは知っていましたが、より身近に感じるようになったのは事実です。

高山右近は、伝来間もない時にキリスト教に改宗、ユスト(儀の人の意)洗礼名を受けました。

全く予備知識の無い中で、改宗したその行動力にも驚かされます。

信仰の自由とは……

最近、ちょっと考えているのです。

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通称・森ノ宮、仮名(けみょう)・太郎‐2219‐

JR森ノ宮駅の西向かいにある、鵲森宮(かささぎもりのみや)。

通称、森ノ宮神社とあります。

鳥居をくぐると、すぐに解説がありました。

聖徳太子によって創設され、日本書紀にも登場する由緒ある神社です。

現在は、聖徳太子とその両親である用明天皇、穴穂部間人皇后を祀る日本で唯一の神社とありました。

聖徳太子の命による使者が、新羅への使者が、鵲(かささぎ)2羽を持ち帰ってこちらで飼ったことから、鵲森宮(かささぎもりのみや)となったのです。

かささぎの わたせる橋におく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける

境内には、百人一首にも選ばれた大伴家持の歌碑もありました。かささぎ繋がりなのでしょう。

通称の方が広まり、このあたりを「森ノ宮」と呼ぶようになったのです。

日本では、通称のほうが一般的だったり、地名と神社が、同じ音にもかかわらず、他の漢字があてられていることが結構あります。

「お初天神」などもそのひとつですが、以前から何故なのだろうと思っていました。

ここからは私の仮説ですが、「諱(いみな)」という習慣が関わっているのかもしれません。

「諱」は 生前の実名を指し、普段使われる名まえを「字(あざ)」と呼び、区別していたようです。

また、普段「諱」を使うことを避けるため、江戸時代以前には、仮名(けみょう)を使うことが一般的だったようです。

生まれた順番に、太郎、次郎~九郎などと呼ぶ習慣です。

官職にちなんだ「〜兵衛」「〜左衛門」「〜右衛門」なども、同じような理由によるものでした。

調べてみると色々な説がでてきましたが、「諱」(=本当の名前)で呼ぶことは失礼にあたるというのが、何とも日本らしいなと感じたのです。

ただ、その感覚は少し分かるような気もします。目上の人を苗字で呼ばず、役職で呼びがちなのも似たようなものかもしれません。

敬意を示すがゆえに、その名前を呼ばない。

ここまで奥ゆかしいと、呆れるのを通り越して様式美さえ感じます。

あくまで仮説ですが、席は自由で社長ではなく〇〇さんと呼んで欲しい会社とはマッチしないでしょう。

さてどちらが良いのか。当社におけるその結論は、もう少し悩ませてください。

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ガンガンの現場にて、移転開業‐2191‐

2月12日(水)の朝、お引越しライナーのトラックがアトリエの前にやってきました。

妻が色々な会社に見積りを取りましたが、この会社が一番協力的でした。

特にユニック代が安かったのがポイントです。

冷蔵庫は階段から運べると言った会社もありましたが、食器棚はユニックが必須だったのです。

スタッフも全体的に若く、とても良い感じ。

しかし、現場に引越しすることになるとは……

一日明けて13日(木)、今日の朝から新アトリエで始動です。

しかし、鍛冶屋チームの発電機が運び込まれているように、まだ正面の外壁が出来上がっていないのです。

不要な鉄骨をまず撤去。

バーナーで焼き切っていきます。

そして、新たな下地を構成していきます。

現場の中に無理やり引越した感じなので、どの職種もガンガン工事中です。

そんな中になぜ引越しできたかと言うと、2部屋だけを先に仕上げてもらいました。

3階奥の洋室は荷物でパンパンです。

そして、4階奥の寝室を仮アトリエとしました。

4畳くらいの部屋に最低限の荷物だけを運びこみました。

エアコンはまだなく、デロンギで急場をしのぎます。

先ほど、ようやく扉が付きました。

電話、fax、インターネットは何とか開通。

今どきは、これらが無いと仕事になりません。

旧アトリエはすでにこれらが撤去済みなので、どうしても移転する必要がありました。

笑ってしまうくらいドタバタですが、2年前に移転を決断し、ようやくここまでやってきました。

これほど近くで現場を見ることも滅多にないので、つぶさに伝えて行ければと思っています。

次回の【ゲンバ日記チャンネル】をお待ちください。

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