コンチキ号漂流記

 2週間前、和歌浦の地名の由来を書きました。

 紀伊半島には、ポリネシア語に由来する地名が多くあると教えて貰ったのです。

 更にポリネシアとインカ文明の繋がりの話し、「コンチキ号漂流記」のことにも触れました。

 早速子供にと、この本を頼んだのですが、古本しか見つけられなかったようです。

 小学校高学年用とあり、長男が読むのは少し先になりそうです。

 それならと、私が読んでみました。初版は1976年、1997年12月の34刷となっていました。

 これは1947年、戦後すぐの話し。ノルウェーの学者ハイエルダールが唱えた学説はこうです。

 ポリネシアの住民は東南アジアから移住してきたという学説は、潮流、風向きからすると航海が難しい。反対に、南アメリカからは順風、順流となり航海しやすい。

 ただし8000km弱あるこの大海原をどうやって渡ったのか。当時有ったとされる、バルサの筏でたどり着けることを証明出来れば、と考えたのです。
 
 インカ文明とポリネシア文明には似ている点が多くあります。サツマイモの呼び方が似ていたり、巨大建築物と巨大石造のモチーフが似ていたり。

 また、ポリネシアにある言い伝えでは「初めにこの島に住んでいたのは赤毛の白人で、分らない言葉を話していた。彼らを島に連れて来たのは太陽の子=チキだった」というものあります。

 更に、インカ帝国の伝説には「赤毛の白人の王は戦いに破れ、太平洋を西に去って行った。この王の名は太陽王ビラチャコと呼ばれた」というものがあります。ビラチャコの元の名がコンチキ(太陽チキ)だったというい事が分ったのです。

 これがハイエルダールを冒険に向かわせる、最終の動機になったのです。
 
 彼は5人の仲間とともに、太陽王の名をとった筏でペルーを出発しました。102日掛かってポリネシアの島にたどり着き、その可能性を証明したのです。その過程は刺激的で、楽しく活き活きとした彼の筆で描かれています。

 しかし現在の学説では、DNA鑑定の結果、やはり東南アジアが起源とされているようです。DNA鑑定などなければ良いのにと思うのは私だけでしょうか。

 本当に面白いノンフィクション作品だったな、などと思いながら眺めていると、カバーが少しはがれており、中身が見えました。

 この水玉デザインは!

 間違いなく、私の家の本棚にあったものです。

 それが何故、カバーが無くなっていたのかは分かりませんが全く同じ本だったのです。

 同じ本は読まない主義です。

 30年以上開いているとはいえ、名作は再読に耐えうる事を実感したのです。

 特筆すべきはこのデザイン。登場人物のジンベイザメをモチーフにしたものでしょうか。

 決して美しいとは言えませんが、読んでも気付かなかったのが、見た瞬間に記憶が蘇ってきました。

 水玉は一瞬で30年を超えたのです。

「コンチキ号漂流記」への2件のフィードバック

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    分かる分かるDNA鑑定なんてロマンがないねぇ。いつまでも確定できないから、色々想像して楽しい事もあるのにね!私は図書館で借りたからカバーが取れないんだけど、覗きこんだら水玉だった!ただ、絵までは見られない。残念。ところで、どうして同じ本は読まない主義なの?

  2. SECRET: 0
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    >おーひ さん すぐ読んだったってFBにUPされてたの見たよ。全く同じ本だったね。再読してこそ分ることも沢山あるはずだし、また読んでみたいという本もあるんだけど、新しいページをめくる刺激には勝てないっていうのが本音かな。なので出来るだけ一期一会っていうイメージで読んでます。
    この間のクローズアップ現代の件有難う。何とか後半は録れました。今日か明日には観ようと思っています。

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