歴史的寒波到来で、2018年は寒い冬になっています。
ポジティブに考えるなら、関西のスキー場でも雪質が良いということ。
ということで奥神鍋スキー場へ行って来ました。約20年振りでしょうか。
大阪から2時間程で到着。
高速が伸び、随分近くなりました。
昨年まではスノーボード一辺倒だった長男ですが、今年はどちらかと言えばスキー寄り。
スキーならキャリア45年です。
この機会にできる限りのことを教えておきたいところ。
雪予報だったのが、昼過ぎまでずっと青空。
気温は低いままなので雪は適度に硬く、最高のコンディションでした。
娘はスピードをだす楽しみを知り、こちらは気が気ではありません。
緩斜面は常にクラウチング姿勢です。
この日は、ゲレンデにあるジャンプ台を見つけ、兄妹で遊びはじめました。
私が「ターンっていうのは……」と話そうとすると、ビューンと滑っていってしまうのです。
娘は特に気に入ったらしく、 朝の8時半から、夕方の4時半まで、昼以外はずっと滑っていました。
親は寒すぎて、途中休憩しています。
2人で延々とジャンプ。
滑空感はスキーの醍醐味のひとつです。
飛距離は妻に一日の長ありです。
奥神鍋スキー場は、大阪府スキー選手権の会場でした。
長らく出場していませんが、現在もここが会場なのでしょうか。
大学から始めたアルペンスキーですが、30歳くらいまでは国体出場を目標に、毎週のように信州まで出掛けていました。
大阪から出場するには、ジャイアントスラロームの国体予選で1位か2位、悪くても3位には入らなければなりません。
私のベストリザルトは4位だったと思います。結局、国体へは行けずでした。
「大阪でアルペンスキー」というかなり限られた世界ですが、どんなカテゴリーでも、1番になるのはなかなか難しいものです。
小さな自慢ですが、1度だけ草大会で優勝したことがあります。
たった1つだけの金メダルなので家の冷蔵庫の上に置いてあるのです。
見ると、2004年、氷ノ山国際スキー場となっていました。33歳の時です。
旗門で制限されたコースを滑り、タイムを競うアルペンスキーでは、試合前に一度下見ができます。
インスペクションと言いますが、ゆっくり横滑りをしながら、どんなコース取りをするかのイメージを作ります。
当時、一緒に試合に出ていたスキー仲間が、「このセット、守谷君向きやな」と言いました。
コースは終盤に急斜面があり、1箇所深いターンがあるものの、かなり直線的なセットでした。
深いターンは、私が苦手としている左谷足ターン。
しかし、急斜面の入口にあるため、ポジティブに考えればそこからでも十分挽回できるとも言えます。
反対に、緩斜面は一度失速すると挽回が難しいのです。
小さい頃から、急斜面をぶっ飛ばすのが大好きだったので、急斜面は得意中の得意。
1番になれるというイメージはなかったと思いますが、結果は彼の言葉通りになりました。
彼の一言がなければ、たった1回も無かったかもしれません。
誰かが認めてくれたことで、落ち着いて自分の試合イメージを作ることができ、実践できたのだと思います。
野球でも、スキーでも結局1番にはなれませんでした。
しかし、多くの失敗経験と、小さな成功体験を与えてくれました。
考えに考え、時間も使い、トレーニングもし、しかし、誰かに称賛される訳でもない。それでも続けたのは、そのスポーツが好きだったからです。
また、スポーツを通して得た友人は同じ根を持っており、互いのリスペクトもあり、より深い付き合いができたと思います。
私に関していえば、初めの3作品は全てアルペンスキーの関係からで、スキーをしていなければ25歳で独立することは無かったかもしれません。
子供達には、何でも良いので、一生の友となるスポーツを持って欲しいと思うのです。
もしスキーが好きなら、せめてパラレルターンくらいまでは出来るようにしてあげたいと思うのが親心。
私が声を掛けようとしても、子供達はビュンビュン飛ばして行ってしまいます。
子供の頃、「ちびっこ暴走族」こそが最高の褒め言葉だと思っていました。
考えてみれば、それこそがスキーの醍醐味だったのです。