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ちびっこ暴走族‐1454‐

 歴史的寒波到来で、2018年は寒い冬になっています。

 ポジティブに考えるなら、関西のスキー場でも雪質が良いということ。

 ということで奥神鍋スキー場へ行って来ました。約20年振りでしょうか。

 大阪から2時間程で到着。

 高速が伸び、随分近くなりました。

 昨年まではスノーボード一辺倒だった長男ですが、今年はどちらかと言えばスキー寄り。

 スキーならキャリア45年です。

 この機会にできる限りのことを教えておきたいところ。

 雪予報だったのが、昼過ぎまでずっと青空。

 気温は低いままなので雪は適度に硬く、最高のコンディションでした。

 娘はスピードをだす楽しみを知り、こちらは気が気ではありません。

 緩斜面は常にクラウチング姿勢です。

 この日は、ゲレンデにあるジャンプ台を見つけ、兄妹で遊びはじめました。

 私が「ターンっていうのは……」と話そうとすると、ビューンと滑っていってしまうのです。

 娘は特に気に入ったらしく、 朝の8時半から、夕方の4時半まで、昼以外はずっと滑っていました。

 親は寒すぎて、途中休憩しています。

 2人で延々とジャンプ。

 滑空感はスキーの醍醐味のひとつです。

 飛距離は妻に一日の長ありです。

 奥神鍋スキー場は、大阪府スキー選手権の会場でした。

 長らく出場していませんが、現在もここが会場なのでしょうか。

 大学から始めたアルペンスキーですが、30歳くらいまでは国体出場を目標に、毎週のように信州まで出掛けていました。

 大阪から出場するには、ジャイアントスラロームの国体予選で1位か2位、悪くても3位には入らなければなりません。

 私のベストリザルトは4位だったと思います。結局、国体へは行けずでした。

 「大阪でアルペンスキー」というかなり限られた世界ですが、どんなカテゴリーでも、1番になるのはなかなか難しいものです。

 小さな自慢ですが、1度だけ草大会で優勝したことがあります。

 たった1つだけの金メダルなので家の冷蔵庫の上に置いてあるのです。

 見ると、2004年、氷ノ山国際スキー場となっていました。33歳の時です。

 旗門で制限されたコースを滑り、タイムを競うアルペンスキーでは、試合前に一度下見ができます。

 インスペクションと言いますが、ゆっくり横滑りをしながら、どんなコース取りをするかのイメージを作ります。

 当時、一緒に試合に出ていたスキー仲間が、「このセット、守谷君向きやな」と言いました。

 コースは終盤に急斜面があり、1箇所深いターンがあるものの、かなり直線的なセットでした。

 深いターンは、私が苦手としている左谷足ターン。

 しかし、急斜面の入口にあるため、ポジティブに考えればそこからでも十分挽回できるとも言えます。

 反対に、緩斜面は一度失速すると挽回が難しいのです。

 小さい頃から、急斜面をぶっ飛ばすのが大好きだったので、急斜面は得意中の得意。

 1番になれるというイメージはなかったと思いますが、結果は彼の言葉通りになりました。

 彼の一言がなければ、たった1回も無かったかもしれません。

 誰かが認めてくれたことで、落ち着いて自分の試合イメージを作ることができ、実践できたのだと思います。

 野球でも、スキーでも結局1番にはなれませんでした。

 しかし、多くの失敗経験と、小さな成功体験を与えてくれました。

 考えに考え、時間も使い、トレーニングもし、しかし、誰かに称賛される訳でもない。それでも続けたのは、そのスポーツが好きだったからです。

 また、スポーツを通して得た友人は同じ根を持っており、互いのリスペクトもあり、より深い付き合いができたと思います。

 私に関していえば、初めの3作品は全てアルペンスキーの関係からで、スキーをしていなければ25歳で独立することは無かったかもしれません。

 子供達には、何でも良いので、一生の友となるスポーツを持って欲しいと思うのです。

 もしスキーが好きなら、せめてパラレルターンくらいまでは出来るようにしてあげたいと思うのが親心。

 私が声を掛けようとしても、子供達はビュンビュン飛ばして行ってしまいます。

 子供の頃、「ちびっこ暴走族」こそが最高の褒め言葉だと思っていました。

 考えてみれば、それこそがスキーの醍醐味だったのです。