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第二の故郷、天王寺でブラモリタニ‐1886‐

月曜日は、「大阪が大大阪になりえた理由」をレポートしました。

日曜日に大阪歴史博物館で勉強してきたのですが、谷町四丁目の設計事務所で私の仕事人生はスタートしました。

そして就職の3年後、天王寺でアトリエmを創業します。

久し振りに天王寺で買い物でもとやってきたのです。

JR天王寺駅の北側、緑の看板右に見えるマンションを意識して貰えると、地理が分かりやすいかもしれません。

初めてのアトリエは、この裏あたりにある4畳のワンルームマンションでした。

本当に懐かしいのですが、周辺は戦前からの街並みが残る、なかなかにディープな場所でもあるのです。

空撮が分かりやすいでしょうか。

天王寺・あべのエリアは東西のあびこ筋と、南北に走る谷町筋、あべの筋の交点となる「近鉄前」が中心です。

JR天王寺駅は、その北東角にあります。

4つのエリアは「あべの」の「a」をかたどった歩道橋で繋がれています。

北西エリアは、てんしば、天王寺動物園、そして通天閣と続きます。

南東エリアには近鉄百貨店が入る、シーザー・ペリ設計のあべのハルカス。

そして南西エリアにはキューズモールがあります。

このあたりは、最後の色街といわれる飛田新地もある山王エリアまで、細い路地が迷路のように入りくみ、繋がっていました。


これは2009年5月の写真です。

こうなる前にもっと写真を撮っておくべきだったと悔いが残ります。

蛍光灯なのに味わいのある居酒屋「明治亭」。

牛だったか、羊だったかの脳みそのソテーを安価で食べさせたグリル「マルヨシ」。

餃子の「珉珉」脇から入り、こんなところにあるの?というくらい路地の奥にあったのですが、とにかく安くて美味しかった。

そのグリル「マルヨシ」の耐火煉瓦が、大阪歴史博物館の展示の中にありました。

現在は、あべのキューズモールの中で出店しているそうですが、いまだに足が向かず……

思い出のままでもいいのかなと思っています。

2枚目の写真あたり、JR天王寺駅の北エリアまで歩いてきました。

天下一品横から、阪和商店街とあるアーケード内に入ってみます。

はじめに書いた、ディープ大阪エリアです。

こんな景色も最近めっきり少なくなりました。

閉まっている店もありますが、営業している店もそこそこあります。

立ち飲み屋が、これほど似合う街もなかなかないはず。

公衆便所の看板は、間違いなく昭和20年代の風情。

扉巾は45cmでした。

妻が「使うのはちょっと」と言っていましたが、これは見て楽しむものなのです。


この居酒屋「新力」は全皿350円。

若い頃、本当によく行きました。

コロナ下の社会では考えられないくらい、隣席と密着して飲んでいたのですが。

アーケードを抜けると、新しい店もできていました。


このあたりを裏天王寺と言うのでしょうか。

この店の向かいにあった「別人倶楽部」はパティオのある、なかなかに洒落たイタリアンでした。

残念ながら閉店し、駐輪場に変わっています。

生レタスがのった、ミラノ風の生地が薄いパリパリピザを知ったのもこの店でした。

普段使いの「新力」。よそ行きの「別人倶楽部」があれば、20代の私には十分だったのです。

老舗料亭の後ろに建つのが、2枚目で紹介したマンションです。

そのすぐ近くに私がアトリエにしていた(住んでいた)マンションがあります。

ハルカスがすぐそばに見えるのですから、25年という時間は、あっと言うまであり、膨大だとも感じます。

ちょっと裏路地をのぞいたとき。

「ダメモトで勝負してみる?」

これは、昭和世代だけの楽しみなのかもしれません。

折角食べるならと、口コミをみて精度を上げるのもよいですが、失敗もネタ的にはありです。

影の部分があってこそ、明るい部分はよりくっきりと、映えてくるのですから。

第二の故郷、天王寺でブラモリタニ。楽しんで貰えたでしょうか。

我ながら、「やっぱり街歩きが好きなんだな」と、つくづく思うのです。

■■■ 『ESSE-online』にコラム連載開始■■■

2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■ 8月17日『建築家・守谷昌紀TV』を開設しました ■■

■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞■

■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

大阪通史と、大大阪になりえた理由‐1885‐

昨日は久し振りの休日で、大阪歴史博物館へ行ってきました。

NHK大阪放送会館と一体となったこの建物。

あべのハルカスなどもデザインしたシーザー・ペリが設計に参加しています。

ペリは2019年の7月に亡くなりましたが、日本にも多くの作品を残しました。

この建物にも何度か訪れましたが、背が高いうえに水平、垂直、曲線が入り乱れ、撮影がとても難しいのです。

意外にこんなアングルの方が形状が良くわかるのかもしれません。

最上部まで連続するガラス部の先端は、こうなっていました。

館内も訪れた気でいましたが、実際の展示を見たのは初めてでした。

建物の軸線が、まっすぐに大阪城を向いていることは、ここから眺めないと分かりませんでしたから。

実は1年前、地元でこの貼り紙をみかけ、すぐに一度訪れました。

まさか1年前から告知しているとは思わず、『2022年』を見落としていたのです。

よって今回はリベンジ再訪です。

ですが、喜連村史展のみ撮影禁止とのこと。成果としてはこの写真くらいになってしまいました。

しかしこの博物館、期待を遙かに上回る充実度でした。

いきなり横長の大開口に圧倒されます。

https://youtube.com/watch?v=TLKukynNWpU%3Frel%3D0

外観写真で、太陽があるあたり。

10階の開口部ですが、眺望も演出も素晴らしかったのです。

10階から6階へと下りながら観覧していきますが、冒頭の3分くらいの映像を見るだけでも600円の価値があります。

紀元前3000年の大阪平野。

7世紀に、奈良から大阪に都が移ってきました。

その場所は、大阪歴史博物館のすぐ隣です。

戦国時代を終わらせたのは秀吉でしたが、大坂の陣で徳川の世へと移り変わります。

江戸時代、天下の台所として、商人の町大阪はひとつの頂点を極めます。

しかし明治維新のあと、近代国家を目指す混乱期にはインフラ整備の遅れもあり、大阪の経済は落ち込んでいきました。

そこから脱出し、日本最大、世界でも第6位の人口を誇る、「大大阪時代」を迎えるのです。

その理由は後ほど。

第二次世界大戦で焼け野原に。

そして復興。
高度経済成長期の沸点として、1970年の大阪万博を迎えました。

映像だけでなく、展示物も素晴らしかった。

ここなら4時間くらいは軽く楽しめそうです。

「大大阪時代」を迎えるに至った理由についての映像もありました。

紡績業の成功も大きかったのですが、アジア最大規模と言われた「大阪砲兵工廠」と「造幣局」ができたことが大きな要因になったそうです。

重工業から化学産業に至るまで、多くの分野で産業が発展したからです。

江戸幕府が大阪に銅座をおいたこと、住友家の銅精練所が中央区島之内にあったことも、「造幣局」が大阪にできた理由のようでした。

商人の町、民の力もあったのですが、こういった背景があったことも分かりました。

少し寂しい気もしますが、民と官は敵対すべきものではないことに納得したのです。

おまけですが、1階にあるレストランはお勧め。

デミグラスハンバーグ&海老フライが1000円。この立地を考えればなかなかリーズナブルです。


谷町四丁目駅のすぐ近くにある中学校。

門扉越しに紅白の梅が見えました。
時間があれば、大阪城の梅林を見にいこうと思っていました。

昨日は時間切れで諦めましたが、とても得をした気分になりました。

なかなか出歩きにくい時代です。

しかし、直接目にしないと分からない事や、思いがけない発見こそが、街歩きの醍醐味です。良い休日になりました。

実はまだまだ書きたいことがあるので、次回ももう少し大阪について書いてみようと思います。


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寅+寅+寅で、何かいいことありそう‐1884‐

3月に入り、日中の気温は随分と高くなってきました。

日の出が早くなってきたので、朝が起きやすいのも嬉しいところです。

 扶桑社の『ESSE-online』 でコラムを書き始めて3ヵ月になりますが、TOPページには「今日の人気記事」というランキングがでています。

昨日ちらと見に行くと、4位に 「キッチン・パントリー」 の記事が入っていました。

「キッチン・パントリー」は初回だったので、勝手が分からずに結構苦労しました。

扶桑社の住宅誌『Sumaiの設計』の時からお世話になる編集の方に、励まされながら書いたというのが実情です。少しは役に立てたのかなと喜んでいました。

私は『ESSE-online』内の『Sumaiの設計』のWeb版とも言える『日刊Sumai』の著者として書いています。

『日刊Sumai』でも、1ヵ月のランキングが送られてくるのですが、1月で2番目に読まれたのが 「土間収納」 の記事だったとメールがありました。


「どうしてこうも比べたがる?」とマッキーは歌いますが、「比べたがり、比べられたがる」のも現実なのです。

「土間収納」の記事で、2例目に取り上げたのが「おいでよ House」です。

非常に協力的なご家族で、撮影の際もお子さんがピアノの演奏をしてくれました。

この写真も追加で撮らせて貰ったのですが、そんな写真がコラムでは価値がでてくるのです。

先日は、誕生日会の写真を送って頂きました。

こういった風景を見ると、仕事のやりがいをひしひしと感じます。

ハイサイドの前にあるのは、ご夫妻とも寅年なので信貴山の福寅

福寅は向かいの壁に影をおとし。

そしてテレビに写り込んで、寅+寅+寅。

3寅に寅年なので×365日で、ご利益はおよそ1000倍。

何かいいことありそうです。

桜が活けられた写真もありました。

今日は桃の節句です。

世の中が停滞している感じもありますが、桜が開花するころ、そのムードを吹き飛ばしてくれるそうな予感もするのです。

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ぶん殴って貰えばいいのに‐1883‐


昨年の12月から始めた 『ESSEonline』のコラムですが、27日(日)に第5弾が公開されました。

2月は3本公開されたので、ちょっと大変でした。

これまではエリアに絞って書いてきたのですが、今回は機能についてです。

「照明計画」 は家づくりの仕上げだと思っているので、良ければ読んでみて下さい。

先週、天王寺の法務局に用事があり、近鉄上本町から西に向かって歩き始めました。

難波から引っ越してきた新歌舞伎座が、ここにあることも初めて知りました。

幟には紀香さまの名前が。何かの舞台の出演しているのでしょうか。

西へ進むと、生玉神社にぶつかります。

振り返ると生玉表門商店会の文字が。

ここから見返すと東へ下っているのが分かります。

商店街というには少し広いですが、鮮魚店などもあり、なかなか良い感じです。

こちらは寿司屋さん。

何だか美味しそうな雰囲気が醸し出されています。

さすがに昼から寿司は食べませんが、一応メニューを見てみます。

にぎりのセットが660円から!

思わず入ってしまいそうになりました。コロナ対策なのか、いつもこの値段なのか。

是非一度食べてみたいものです。できれば夜が希望ですが。

谷町筋にぶつかり、南に下ると「パインアメ」の看板が見えてきます。

ここが本社のはず。創業71年といいますから凄いものです。

谷町筋から西も海側へ向かって下っているのが分かります。

このあたり、上町台地の丁度尾根に位置するのです。

難波までも地下鉄で2駅と、非常に便利のよいところです。

天王寺で創業して5年後、2001年に地元の平野に移転しました。

そろそろ、もう少し大阪の中心で仕事をしたいなと思い、場所を探しているのですが、希望にあった物件はなかなか無く……

そこは、いつもクライアントに伝えている通り、響く物件がでてくるまで探してみようと思います。

ついに近しい関係者にコロナの陽性者がでたので、初めて簡易検査を受けました。

受けたと言いましたが、自分で鼻に長い綿棒のようなものを突っ込んで、自分で検査するタイプです。

結構痛いので、うまく検体が取れたのかは微妙ですが、くっきりと陰性ラインがでていました。

多分大丈夫なのでしょう。自覚症状は勿論ありませんし。

コロナ下の社会に入り、丸2年が過ぎようとしています。

先の寿司屋さんがそうかは分かりませんが、みな大変な努力と工夫を強いられているはずです。

また、医療従事者の負担を減らすよう、PCR検査ができる場所も増えてきました。

なのに、このタイミングで戦争をしようという国家元首がいるのです。

今日のニュースで、初めて停戦の文字がでていました。また、プロボクシング元3団体統一ライト級王者のロマチェンコがウクライナの軍隊に入隊というニュースもありました。

本当に、ぶん殴って貰えばいいのにと皆思っているはずです。

娘も「なんでもいいから早く終わって欲しい」とボソッと漏らしていました。

戦後生まれの私達からすれば、戦争は遠いものでした。しかし、90年代の湾岸戦争で、初めてリアルタイムに戦争が起ることを認識させられます。

その後911のテロも目の当たりにすることになりました。

生きる為、暮らしのために世界中が皆大変なのに、なぜ愚かな指導者が、尊い人の命や、膨大な血税を使う権利があるのか。

ある訳もないのは、子どもでも知っています。

国同士が本気で戦えば、地球は破滅することはだれでもが分かっています。

聞く耳を持っていない裸の王様に、どうかロマチェンコフのボディブローが当たりますように。


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チャンネル登録者数、祝100人!‐1881‐

昨日も車で打合せに出ていました。

花を育てる畑でしょうか。光の強さも増してきました。

日の出が早くなると、目覚めも快適。自然にジョギングにでる回数も増えていきます。
なんだか縁起の良さそうな雲をみつけました。

事故をよく見る日はあるものです。

昨日は3件も。

中国道の吹田~宝塚の工事閉鎖が影響しているのかもしれません。当事者は本当に大変です。舌打ちしなくて良いように、早めの出発を心掛けたいものです。

昨夏に開設したYouTubeチャンネル、『建築家・守谷昌紀TV』ですが、ようやくチャンネル登録者数が100人を越えました。

100人を越えると任意URLを設定できるので、ひとつの目標にしていたのです。

新URLはhttps://www.youtube.com/c/moritanitvです。

「しっかりUPし続けていれば、100人くらいはすぐ」と解説しているサイトが多かったので、「そんなものかな」と思いスタートしました。

ずぶの素人が始める訳です。実際はそんなにたやすいはずもなく……

Ohanaの石井さんには、開設10日後から参加をお願いしました。

なかなか登録者数が増えないなか、牽引してくれたのが「8.8坪の家」の動画だと思います。

1ヵ月で再生回数が3000回を越えました。

「8.8坪の家」ピンタレストでもかなり人気で、私にとっては孝行息子のような存在です。



「H型プランの平屋」も1200回を超え、この2本が登録者数をジワジワと増やしてくれたような気がします。

日本一レベルなら1千万人ですから、足下にも及びませんがこれは100と言う数字ではありません。100人という数の人が実際に行動してくれたのですから。

ちょっと無理を言って登録をお願いしたクライアント。快くその場で登録してくれた現場の職人さん等。心から感謝しています。


通信教育の老舗、Z会に入会していたことがあります。その代名詞ともいえるのが「継続は力なり」というフレーズ。

出自は謎とされてきたようですが、そのことに触れた新聞記事を見つけました。

2018年11月18日の西日本新聞によると、大分県出身で 童謡「夕焼け小焼け」の作詞者としても知られる童話作家、久留島武彦(1874~1960年) によるというものでした。

1911年のアメリカ旅行で知った「考えは力なり」という言葉をもとに、「継続は力なり」を考え、座右の銘として使い始めたそうです。

Z会は御多分に漏れず1年を待たずに退会。NHKラジオの基礎英語も続かずでした。

続けるには仕事とするのが一番です。簡単に辞めたりすれば信用して貰えませんから。

私の仕事は建築設計ですが、ゲツモク日記も、 建築家・守谷昌紀TVも仕事だと思っています。 YouTubeチャンネルも力となるまで継続したいと思います。

次の目標は1000人。1年くらいで達成できればなと思っているのです。

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勝者の言葉を聞きたい理由‐1880‐


今朝は快晴でしたが、本当に寒い朝でした。

常緑樹は風にそよぐ姿こそ楽しめませんが、鮮やかな緑は目にありがたいもの。

落葉樹は葉が残っていても、緑とはいきません。

アボカド、アボガト、アボガド。

スペルは avocado で、正確にはアボカドのようです。

スーパーでこんな陳列されたら、つい手がでてしまいます。

赤と緑は補色の関係ですが、それを踏まえてのレイアウトでしょうか。

夕食に、薄切りのバケットとアボカドがあれば、それだけで幸せなのです。

先日は娘の誕生日で、イチゴのケーキでお祝いしました。

この春からは中学3年生です。

ついこの間、保育園でリレーを走っていたと思ったら、本当にあっという間です。

美味しそうな色、そして実際に温かなロウソクの炎と、この小さな空間には全てが詰まっているのかもしれません。

この間オープンデスクに参加した学生は、「ちょっとイメージと違う」と初日で辞めていきました。

そのことでも書こうかなと思っていたのですが、女子スケート1000mで高木美帆さん金メダル獲得のニュースが飛び込んできました。

そんなネガティブな話題に触れている場合ではありません。

中短距離から団体追い抜きまで5種目に出場。金メダル1つに、銀メダル3つ。北京オリンピックは彼女のものだったと言ってもよさそうです。

年始に引退した体操の内村航平選手もそうでしたが、専門化、分業化が進む世の中でオールラウンダーとしての活躍には、感じ入るものがあります。

引退の理由は「世界一の練習が積めなくなった」でした。その言葉が、全てを物語っています。

生まれた時から世界記録保持者が居れば別ですが、人の立ち位置は基本弱者です。その弱者が成長するためには、自分で成功のイメージを作っていくしかありません。

成功した人の話しを見聞きする。あるいは、数少ない成功体験を記憶から引っ張り出してきて、その時の状況、雰囲気、時間軸などを思い出して、それに寄せていく。

それがイメージをつくるということだと思います。

勝者の言葉を聞きたいのも、それが理由なのかもしれません。

今週末から企画提案が続きます。「世界一の練習」=「世界一の準備」と置き換えることができます。

世界一はちょっとおこがましいので、大阪一の準備をしてのぞみたいと思います。

終わった後は、アボカドとワインでお祝いするところまでイメージを作っておきます。

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チャレンジ&アジャスト‐1879‐

先程、 『ESSE-online』 のコラム第4弾、「屋根裏部屋」が公開されました。

Yahoo!ニュースにもUPされています。

これまで設計してきた、屋根裏部屋を5件とりあげています。

まずは「阿倍野の長屋」

次は「碧の家」

そして「神戸の高台の家」

ここまでは3件はリノベーションです。


「千葉の家」

そして「おいでよ House」は新築です。

「おいでよ House」のこの写真は、奥さんに追加で撮影してもらいました。本当に有り難いかぎりです。

よく書けたかな?と思っているので、よければ一度読んでみて下さい。

日曜日は遠方の方との初期相談で、リモートで打合せでした。距離がある場合は特に助かります。

画像や資料は画面共有できるので、内容によってはリモートの方が合っている場合もあると思います。ただ画面は1つなので、基本的に見て貰えるものも1つになります。

リアルの面談なら、テーブルの上にいくつか資料を広げることもできますが、このあたりが力量を問われるところでしょうか。

何をどんな順番に見て貰うかで、密度が全く違ってきます。どんな話の展開になるかを、想像しておく必要もありますし、流れによって、いくつかのバリエーションを準備しておくことも大事です。

仕事は準備と想像力なのだなと最近つくづく思います。

北京オリンピックも中盤を過ぎました。環境に左右されやすいウィンタースポーツはその対応力が結果を大きく左右します。

それが空中でのこととなれば、素人にはもはや想像がつきません。小林陵侑選手に続き、平野歩夢選手も史上初への挑戦と見事な対応力で金メダルを獲得。

多くの国民が「さあ頑張るぞ」と思ったに違いありません。

コロナ下の社会になり、仕事のスタイルもどんどん変化していきます。「これまでこうだったから」は通用しないのです。


変化を柔軟に受け入れ、進歩していかなければならないと感じます。

寒い寒いと言っていたら、近所の梅はもう満開でした。

ある日、ウグイス色をしたメジロ(ウグイスではなく)が梅の花をついばんでいました。

今日はバレンタインデー。妻と娘から貰う(予定の)チョコレートをついばんで、ちょっとワインをいただく予定です。

チャレンジ&アジャスト

私も本気で金メダルをめざします。

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成功も、順調もまた試練‐1659‐

あっという間に松の内を過ぎました。

今朝は、久し振りにキリッと冷え込みました。

雪不足が深刻と聞こえてきますが、大学時代はウィンタースポーツに打ち込んでいた身としては寂しい限りです。

徐々に夜明けも早くなってきました。

「日の出の勢い」という言葉の通り、ポジティブな景色を見るのはとても気分が良いものです。

ジョギングコースの公園で、猫が足早に駆けて行きました。そして、植込みの中にスポッと入ったのです。

もう完全に我が家です。

「ニャにをのぞいているんだ」と言わんばかりに睨まれてしまいました。

明日で、1995年の阪神・淡路大震災から25年が経ちます。

私は社会人1年目の24歳でしたが、大阪の実家で寝ていました。

東京で働く友人から「大丈夫か?阪神高速、倒れてるぞ」とすぐに電話があったのです。

しかし、地下鉄が止まっていると知り、「今日は仕事を休めるかも」と思ったことを覚えています。

このあたりは著書にも書いたのですが、全く仕事のできないスタッフだった私は、正直疲弊しきっていました。

で、震災の2週間後にクビを宣告されます。

しかし、そのクビのお陰で失業保険が支給されました。

震災4ヵ月後に、初めての海外フランスを訪れます。

沢木耕太郎の深夜特急よろしく、バックパックでの旅がこれ程刺激的なものかと知りました。

そして、ル・コルビュジエの代表作、ロンシャンの礼拝堂を見て「やっぱり建築家だ」と思ったのです。

帰国後、拾って貰った2件目の設計事務所では、所長と意見が合わずに退所。

1996年の6月にアトリエmを設立しました。

私の想像ですが、あの震災がなければ、初めの所長も3月までは見てやろうと思っていたのではないかと思います。

また、給料の安い設計事務所務めで、貯金をする習慣も無い私が、まとまったお金を手にすることも無かった気がします。

2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震など、天災は多くの人生に何かしらの影響を与えるのでしょう。

 災い転じて福となす

災難はあったが、何とかそれをも利用して幸せになれるよう頑張りなさい、ということわざですが、大きな変化がなければ、人が変わることは難しいかもしれません。

都市計画では、天災で大きなダメージを受けた都市のほうが、10年後は発展しているという話もあります。

苦難は試練ですが、成功も、順調もまた試練なのです。

しかし、6,434名の命が奪われたことは事実です。罪もなく命を落とした人の分まで、精一杯生きなければそれこそ罰があたります。

1995年1月から、何故か私の人生も急速に動き始めました。震災から25年、独立から24年。思い返せばほんの一瞬の出来事のようです。

今から25年後は74歳。4、5人の孫がいて、そのうちの1人くらいは一緒に仕事をしてくれるでしょうか。

会社が30年存続する確率は0.25%だそうです。この四半世紀が悔いのないよう、精一杯生きなければと決意を新たにするのです。

■■■ 『Houzzユーザーが選んだ人気写真:スタイル別』2019年12月31日で「「中庭のある無垢な珪藻土の家」」が2位に選出

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【News】
『Houzzユーザーが選んだ人気写真:キッチン編』2019年12月3日で「「中庭のある無垢な珪藻土の家」」が5位に選出
『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』2019年9月30日発売に「回遊できる家」掲載
『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

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絶対に混まない抜け道‐1135‐

前回の記事で、錦織圭選手のことを書きました。

コーチとなったマイケル・チャンのとった作戦が、いかにシンプルで勇気があったかを書きたかったのです。

その作戦は、コートの後ろに下がらないというもの。

リーチは短いが、俊敏な彼の特徴を活かす、このシンプルな作戦が全米オープンの躍進を生みました。

そして開幕した全豪オープン。

錦織選手は初戦に勝利。その作戦は、ベースラインより後ろで、打ち合うというもの。ようするに、書いたこととの反対です。

ずっこけたくなりますが、現実とはそういうものです。

書く側は、単純化し、より劇的に書きたのですが、現実はもう少し複雑です。それでも物事をカテゴライスし、評価することは大切だと思っているので、懲りずに色々と書いて行くのですが。

知った風な話ついでに、今日は絶対に混まない抜け道をUPします。

【信州から大阪に帰る】

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<中央道>から<名神>に乗り換えるのルートが一般的。しかし<名神>竜王あたりは渋滞が頻発します。

<名神>に乗り換えた後、小牧ICでの<名古屋高速>に乗り換えます。そのまま南に下り、「名二環」という名古屋の環状線に乗り換え。

名古屋の北側を反時計回り。<東名阪>に乗り換えます。

その先は、亀山JCTで<新名神>に乗り換えるもよし。それも混んでいたら<名阪国道>へいくという選択肢もあります。

小牧JCTが混んでいれば、一旦<東名>を春日井ICまで戻り、<名古屋高速>の勝川ICまで戻る、のルートもあります。

【中国地方から大阪に帰る】

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<中国道>は宝塚トンネルで混み、もっと手前の<山陽道>と交わる、神戸JCTでも混むことがあります。

<山陽道>の三木JCTで明石大橋方向へ南下。布施畑JCTで<阪神高速>の北神戸線へ乗り換えます。東の蓑谷方面へ。

少し行くと白川JCTがあるので、〈阪神高速〉山手線へ乗り換え。白川南ICで降ります。ここまでがのルート。

の一般道を2km程東へ走って、の<山麓バイパス>へ。

新神戸からの一般道を南下。三宮を越え、の<ハーバーウェイ>へ。

最後は<阪神高速>湾岸線へ。

後者は一度UPしました。どちらのルートも、観光シーズンのピーク時にも混んだ事はありません。

遊びつかれた帰りの渋滞が、好きな人は居ません。渋滞につかまらないよう、出来るだけ早く帰れるよう、頭を捻るのですが、ゲーム感覚で楽しんでいます。

しかし、家族は大概夢の中。早く帰れたとしても、褒めてくれる人など居らず……

乗り換えは結構ありますが、退屈もしません。山麓バイパスからの眺めもなかなかです。

「西宮北ICから35kmの渋滞」などと言うときは、是非試してください。