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なんばパークスに、懐かしの大阪球場を思う‐2061‐

大阪の2大繁華街はキタとミナミ。

市内南部の平野区に住むので、距離的に近いのはミナミです。

電車なら谷町線1本なので、キタへ出掛ける方が多いでしょうか。

健康診断で久しぶりにミナミに来ました。

高島屋とマルイの間が、歩行者天国になるのは11月23日。もう来週です。

村野藤吾の名作、大阪新歌舞伎が隈研吾の設計で生まれ変わったのは2017年。

御堂筋の向こうに、ホテルロイヤルクラシック大阪が見えています。

変わらないのは高島屋くらいです。

高島屋西の御堂筋を南に下ると、2018年開業のなんばスカイオが見えてきます。

健康診断後は何が食べたいか妻に聞くと象印食堂に行ってみたいと。

ヘルシーラボなる6階に到着すると、かなりの待ち客。飲食店はポツンと1店舗だけでしたが、かなり人気のよう。

早々に退散してきました。

そのまま、すぐ南のなんばパークスで店を探すことにしました。

南海ホークスのホームグラウンドだった、大阪球場の跡地に完成したのが2003年。2007年に2期工事も完成しています。

完成して20年経っていますが、なんばパークスに入ったのはまだ2回目くらいだと思います。

多くの飲食店があったので、少し待って韓国料理の昼食にありつけました。

健康診断の日は空腹MAX。3倍美味しく感じるものです。

お腹が落ち着くと、なんばパークス内から見る景色はなかなかのものでした。

店内から外を見ながらうろうろしていると、ヤマダデンキが見えてきました。

南端まで歩いて来たようです。

外に出てみると、かなり刺激的な空間です。

歩くとどんどん景色も変化して行くのです。

設計は、アメリカ人建築家のジョン・ジャーディ。

六本木ヒルズやキャナルシティ博多等も設計しています。

キャナルシティ博多は、2014年に福岡を巡った際に立ち寄りました。

見上げるとこの景色。

都会に居ながら、渓谷の底にいるような景色で、クレバス感というか、渓谷感というか滅多にない景色。彼の作品の中でも傑作と言ってよいと思います。

これほどの傑作が、こんな身近にあったとは……

実は1988年の10月、18歳の私は大阪球場のラストゲームをこの地に観に来ています。

特別南海ファンということは無かったのですが、当時主砲だった門田博光は不惑を迎えていました。

ずんぐりとした小柄な体でフルスイングを貫き、ホームラン44本を放ち、打点王との2冠王になった年です。

その門田も、今年の1月に74歳で鬼籍に入りました。

あまり足が向かなかったのは、野球少年だった頃の思い出と共に、どことなく、昔の方が良かったと思っていたかったのかもしれません。

そう言えば、強烈に傾斜のきつい大阪球場の内野スタンドから見上げた景色も、 渓谷感に近いものがありました。

そんなミナミも大きく様変わりしました。

やはりキタにはない魅力があるのは間違いありません。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

ぶん殴って貰えばいいのに‐1883‐


昨年の12月から始めた 『ESSEonline』のコラムですが、27日(日)に第5弾が公開されました。

2月は3本公開されたので、ちょっと大変でした。

これまではエリアに絞って書いてきたのですが、今回は機能についてです。

「照明計画」 は家づくりの仕上げだと思っているので、良ければ読んでみて下さい。

先週、天王寺の法務局に用事があり、近鉄上本町から西に向かって歩き始めました。

難波から引っ越してきた新歌舞伎座が、ここにあることも初めて知りました。

幟には紀香さまの名前が。何かの舞台の出演しているのでしょうか。

西へ進むと、生玉神社にぶつかります。

振り返ると生玉表門商店会の文字が。

ここから見返すと東へ下っているのが分かります。

商店街というには少し広いですが、鮮魚店などもあり、なかなか良い感じです。

こちらは寿司屋さん。

何だか美味しそうな雰囲気が醸し出されています。

さすがに昼から寿司は食べませんが、一応メニューを見てみます。

にぎりのセットが660円から!

思わず入ってしまいそうになりました。コロナ対策なのか、いつもこの値段なのか。

是非一度食べてみたいものです。できれば夜が希望ですが。

谷町筋にぶつかり、南に下ると「パインアメ」の看板が見えてきます。

ここが本社のはず。創業71年といいますから凄いものです。

谷町筋から西も海側へ向かって下っているのが分かります。

このあたり、上町台地の丁度尾根に位置するのです。

難波までも地下鉄で2駅と、非常に便利のよいところです。

天王寺で創業して5年後、2001年に地元の平野に移転しました。

そろそろ、もう少し大阪の中心で仕事をしたいなと思い、場所を探しているのですが、希望にあった物件はなかなか無く……

そこは、いつもクライアントに伝えている通り、響く物件がでてくるまで探してみようと思います。

ついに近しい関係者にコロナの陽性者がでたので、初めて簡易検査を受けました。

受けたと言いましたが、自分で鼻に長い綿棒のようなものを突っ込んで、自分で検査するタイプです。

結構痛いので、うまく検体が取れたのかは微妙ですが、くっきりと陰性ラインがでていました。

多分大丈夫なのでしょう。自覚症状は勿論ありませんし。

コロナ下の社会に入り、丸2年が過ぎようとしています。

先の寿司屋さんがそうかは分かりませんが、みな大変な努力と工夫を強いられているはずです。

また、医療従事者の負担を減らすよう、PCR検査ができる場所も増えてきました。

なのに、このタイミングで戦争をしようという国家元首がいるのです。

今日のニュースで、初めて停戦の文字がでていました。また、プロボクシング元3団体統一ライト級王者のロマチェンコがウクライナの軍隊に入隊というニュースもありました。

本当に、ぶん殴って貰えばいいのにと皆思っているはずです。

娘も「なんでもいいから早く終わって欲しい」とボソッと漏らしていました。

戦後生まれの私達からすれば、戦争は遠いものでした。しかし、90年代の湾岸戦争で、初めてリアルタイムに戦争が起ることを認識させられます。

その後911のテロも目の当たりにすることになりました。

生きる為、暮らしのために世界中が皆大変なのに、なぜ愚かな指導者が、尊い人の命や、膨大な血税を使う権利があるのか。

ある訳もないのは、子どもでも知っています。

国同士が本気で戦えば、地球は破滅することはだれでもが分かっています。

聞く耳を持っていない裸の王様に、どうかロマチェンコフのボディブローが当たりますように。


■■■ 『ESSEonline』にコラム連載開始■■■

2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■ 8月17日『建築家・守谷昌紀TV』を開設しました ■■

■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞■

■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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