3月6日(水)の早朝と言えばよいのか、5日(火)の深夜と言えばよいのか、「磯崎新、プリツカー賞を受賞」のニュースが飛び込んできました。
プリツカー賞は建築界のノーベル賞と言われ、1979年に設立されました。
以来の40年の間に、日本人建築家は8名が受賞。
丹下健三、槙文彦、安藤忠雄、妹島和世、西沢立衛 (SANAA)、伊東豊雄、坂茂、そして磯崎新ですが、後半5名はこの10年内の受賞です。
磯崎は私の世代なら特にスターアーキテクトです。
現在87歳となり、その実績を見ると正直遅すぎた感もあります。
2015年の9月に「なら100年会館」へ行った際にもそのような事を書いていました。
紹介記事では「第一線で活躍し続ける国際的建築家、そして理論家でもある」というものが大半でした。
代表著書「空間へ」が、初めに勤めた設計事務所に置いてありました。
24歳の時初めて手にとったのですが、私にとってはかなり難解でした。
それに相反するように、建築は極めて明快です。
そのような磯崎建築へのリスペクトは何度か書きました。
出世作と言われる「北九州市立美術館」を訪れたのは2014年の8月。
この日は生憎の雨模様。
モヤの中から突然2本の筒が表れた景色に感激したのです。
長男は相変わらずおちょけて、それを見て娘が爆笑するという構図です。
さらに遡ること8年。
岡山の山間部にある、「奈義町現代美術館」を訪れたのは、雪も見える2006年の1月でした。
水盤に浮かぶ作品は、確か磯崎夫人の作品だったと思います。
黄色いヴォールトの中はまるで万華鏡。
荒川修作+マドリン・ギンズの養老天命反転地へと繋がっていくコラボレーション作品です。
新しい才能の発掘にも尽力した、磯崎らしい仕事と言えるでしょう。
2005年の3月に長男が生まれ、久し振りに温泉でもと訪れたのが奥津温泉。
ひなびた風景に好感を持ちましたが、そのついでに寄ったのが先の奈義現代美術館です。
「モノ」としての建築より「場」としての空間の重要性を、磯崎は繰り返して説いています。
建築の創造は私の仕事です。
よって、建築は常に興味の対象のかなり上位にありますが、記憶は「モノ」としてではなく「場」「空間」として残るものです。
「景色」と言った方が、一般的かもしれません。
「せんとくんと」だったり、「アイーンを笑う」だったり、「川のせせらぎが聞こえる和室」だったりです。
東大丹下研究室のエースであり、プリツカー賞までたどり着いた、日本最高レベルの英知の向こうを張るつもりはありません。
しかし、市井で懸命に生き抜くクライアトへ、できるだけ分かりやすく、平易に建築、空間の役割を伝えてきたつもりではあります。
風景として、景色として、場としての建築というものを理解しなければ、建築自体が主役であると勘違いをしてしまいます。
この本質を指して、本田宗一郎は「どんなに機械が進歩しても、人間の上に君臨させてはいけない」と言ったのです。
こういったニュースを聞くと、ピリッと気合が入ります。
日本人建築家の躍進を冒頭に上げました。私も現役でいる限り、目指すのは常に頂点です。
日本の英知がたどり着くまでに、87年の月日が掛かったことに呆然ともしますが、まだ39年あるとも言えます。
建築という背景に、一生を捧げると決めました。
それは、磯崎も私も全く同じはずです。
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