宮崎と司馬 ‐993‐ 

 先ほど台風が愛知に上陸。大阪はようやく風が弱まり始めました。

 関東はこれからなお注意が必要です。大変な敬老の日になりました。それに合わせてと言えば少々不機嫌になるかもしれませんが、先週土曜日に引退を発表した宮崎駿について。

 「描くことに集中できる時間が減っている。僕の長編アニメの時代は終わった」

 引退の理由は、年齢によるものでした。ようやく「風立ちぬ」を見に行ってきました。

 評価はどちらも聞こえていました。

 最後の作品という事で、期待はかなりのものがありました。正直に言えば、私にとってそれを上回るものではありませんでした。

 しかし、期待を裏切られたということでもありません。今まで有難うございました、というのが素直な気持ちでしょうか。そして、彼の引退の会見が、十分に納得できました。
 ここでも、何度も彼の言葉を引用させて貰いました。

 「私はマルチを信じない」
 「自我を満足させるために映画をつくってはならない。観客の為につくらなければ」
 「半径3m以内に大切なものはぜんぶある」
 

 そして

 「大事なことはたいてい面倒くさい」

 メルヘン、ファンタジーの作家とは思えない言葉が並びます。心情で表現するなら「不機嫌」が最も適当でしょうか。

 彼の事を考えると、よく司馬遼太郎のことを思い浮かべます。同じく白髪で、風貌は好々爺にも見えます。しかし中身は、信念の塊。

 7年前になりますが、司馬遼太郎記念館へ行きました

 その時にまとめた、彼が作家を目指すまでの話です。

 彼の本名は福田定一。

 青年期には第二次世界大戦が勃発。18歳で学徒動員され、終戦を栃木県の地で迎えます。この戦争での経験が作家としての人生を決定付けるのです。

 召集を受け、一旦は死さえ覚悟した福田青年は、戦争が劣勢になってくると理不尽な場面に出くわします。本土決戦を前にした日本の軍部は、命をかけて国民を守るどころか、最終的に自らの保身を優先するような命令を下すのです。

 その時に彼は「日本人というのは、こんな国民だったのか。いやそうではかったはずだ。戦国時代は、江戸時代は、せめて明治時代以前はそうではなかった……」と憤ります。それから日本が少しでも良くなればと、戦国時代、江戸、幕末の志士を描くことになるのです。坂本竜馬に思いを込めて……

 映像資料の中で、亡くなる9日前のインタビューが流れました。そこでも彼は、日本の未来を憂いています。収録が、丁度バブル期で、命を先人が命をかけて守ってきた土地を転がすことで、利益を得ようとする風潮を嘆き「このままでは、日本という国はなくなってしまう」と。

 司馬遼太郎が亡くなったのは1996年、現在の宮崎と同じ72歳でした。共に、日本を代表する才能、知性と言えるでしょう。

 初めて「梟の城」を読んだとき、初めて「カリオストロの城」を観た時。その感情は、唯一無二のものです。人だけでなく、作品との出会いも、一期一会なのです。

 人は順にこの世を去って行きます。またその順を守る事は、とても大切な事でもあります。この世の先にあるものが平穏な天国なら、年長者こそが、最も神や仏に近い存在。来月、祖父の13回忌があります。祖母に久しぶりに会えます。