都会の音楽

松本隆、60歳、作詞家。

シングル総売り上げは5000万枚。ヒットチャートNo.1が52曲。阿久悠に次いで2番目です。その半生を番組が紹介していました。

「はっぴーえんど」は1969年、大瀧詠一、細野晴臣らによって結成されます。日本語ロックの草分け的存在でした。

ドラマーだった松本は、文学青年だったこともあり、細野の勧めで作詞を始めます。

当時、ロックは不良の音楽として見られていました。

東京、青山生まれの彼は「知的なロックがあってもいい、都会の音楽がつくりたかった」と言います。

1971年に「はっぴーえんど」は解散。家族があった事もあり、職業作詞家の道を歩むことになるのです。「ですます調」も彼が作り出したものでした。

かっこたる地位を築いたのが『木綿のハンカチーフ』です。

-テクニックがあるに越したことはないが、無くてもいい。時代はポリエステルが登場していた。時代に何が足りないか、何が表現したいか、何に病んでいるかを考えた-

『木綿のハンカチーフ』 歌:太田裕美 作詞:松本隆 作曲:筒美京平 1975年12月
ただ都会の絵の具に
染まらないで帰って
染まらないで帰って

以下は詩の一部です。時代順に8曲あります。

-危うい思春期の少年を描いた、原田真二に始まる、少年シリーズの集大成は近藤真彦-

『スニーカーぶる~す』 歌:近藤真彦 作詞:松本隆 作曲:筒美京平 1980年12月
ペアでそれたスニーカー
春夏秋と駆け抜け
別れ離れの冬が来る

-危うくて、つっぱってて、純粋で、美しくて。痛々しい青春群像を描きたかった-

『ハイティーンブギ』 歌:近藤真彦 作詞:松本隆 作曲:山下達郎 1982年6月
俺はこわいもの知らず
ケンカなら負けないけど
この愛を失すことだけ
こわいのさ

数々のヒット曲をかくことになる、松田聖子への初めて提供した曲が『白いパラソル』です。

『白いパラソル』 歌:松田聖子 作詞:松本隆 作曲:財津和夫 1981年7月
渚に白いパラソル
答えは風の中ね
あなを知りたい
恋の予感

松本は更なるチャレンジの為、松田聖子の曲を松任谷由美に依頼します。しぶるユーミンは「呉田軽穂」のペンネームを使う事を条件に了承。コンビ第一作目が『赤いスイトピー』です。

-女性は奔放のなったとメディアは伝えるが、本当だろうか。クラスの大半の女の子は言いたいことをなかなか言えない。本当はそんな子のほうが多いんじゃないかと思った-

『赤いスイトピー』 歌:松田聖子 作詞:松本隆 作曲:呉田軽穂 1982年1月

何故 あなたが時計をチラッと見るたび
泣きそうな気分になるの
I will follow you
翼の生えたブーツで
I will follow you
あなたと同じ青春 走ってゆきたいの

 B面は『制服』です。

『制服』 歌:松田聖子 作詞:松本隆  作曲:呉田軽穂 1982年1月
四月からは都会へ
行ってしまうあなたに
打ち明けたい気持ちが……
でもこのままでいいの
ただのクラスメイトだから

その後もニューミュージック界の仲間を、歌謡曲の世界に引っ張りだします。

『探偵物語』 歌:薬師丸ひろ子 作詞:松本隆 作曲:大瀧詠一 1983年5月
波の頁をめくる
時の見えない指先
自信はないけれど
好きよ…でもね…
多分…きっと…

最前線を走り続けた松本は、からっぽになり10年間休養。そして華麗な復活を遂げます

-青春は大事にしすぎても、捨ててしまっても面白くない-

『ガラスの少年』 歌:KinKi Kids 作詞:松本隆 作曲:山下達郎 1997年7月
僕の心はひび割れたビー玉さ
のぞくき込めば君が
逆さまに映る

都会の音楽にこだわった彼のキーワードは、あのヒット曲にも登場します。

『ルビーの指環』  歌:寺尾聰  作詞:松本隆 作曲:寺尾聰 1981年2月
くもり硝子の向うは 風の街
問わず語りの 心が切ないね
枯葉ひとつの 重さもない命
あなたを失ってから

キーワードは「風と街」だったのです。