カテゴリー別アーカイブ: 04 建築

長居公園へ

 先週末は、雨の予報がなんとか曇り。

 日曜日に近所の長居公園へ行って来ました。地下鉄長居駅からもすぐで広い敷地内には、大阪市立自然史博物館植物園があります。

 

 

 

 

まずは自然史博物館へ。ピロティーには本物のクジラの骨が吊るしてあり、かなりの迫力です。

 

 

 

 

 中にはマンモス、恐竜、ワニ、ゾウなど、化石からの復元されたものが多く展示されています。

 小さい頃から何度も来ていますが、大人になってからでも十分楽しめます。特に大阪近郊で出た化石や標本が多いので、より身近に歴史と自然を感じるのです。

 

 

 

 

 昆虫、魚、貝などの標本は、子供が見れるよう低い位置にあります。

 1歳のウチの子供も食い入るように見ていました。しかしガラスをバンバン叩いてしまいます。

 

 

 

 

 外に出ると植物園へと繋がっています。大阪市内とは思えない雰囲気で、大きな池を囲むような配置になっています。ぐるっと回ると1kmくらいはあるでしょうか。

 

 

 

 

 ポピーはもう終わり際です。

 

 

 

 

 今はバラが最盛期。いろんな種が咲き乱れていました。ここはピンクばかり。

 

 

 

 

 やはりバラは真紅でしょうか。

 

 

 

 

 

 博物館、植物園共通のチケットが大人300円。中学生以下は無料です。大阪市もちょっとはいいとこあります。

 しかし閉館が4:30pmというのは頷けません。

 帰りに売店でラムネを買ってみました。これが甘すぎずサッパリしていてかなりいけるのです。

 昔のビンのは、ずっと口に残るほど甘かった記憶があるのですが・・・・・・

「城陽の家」→「Tさんのお宅」

一昨日、2月21日発売の『月刊ニューハウス 4月号』(ニューハウス出版)「城陽の家」が「Tさんのお宅」として紹介されました。(P34~38)

 

 

 

 

 

 

 「月刊ニューハウス」は毎月テーマが決まっています。4月号は次の通り。

「家がほしいんです!1000万円台でなんとかなりませんか?」

 テーマがテーマなので、建築工事費用、設計料、ローンのことなども全て公開されています。

 快く承諾してくれたTさんご夫妻には感謝しています。ちょっと大げさですが、希望の家を実現するための「私たちの闘い」を振返ることが出来ました。

 今回は自分で書いた文章はありません。取材を元にライターが書いているので、今までと違い、私も気楽に楽しめました。

 「設計者の全身写真も載せる」と編集部から言われていたので、取材の前日に「飲みすぎて顔がむくまないようにしないとナ」などと妻に言っていたことを思い出します。「誰も気にしてないヨ」と言われましたが。

 本屋さんで見かけたら是非ご覧下さい。ちなみに表紙の写真は、真ん中が「城陽の家」で、人影は左から4番目が私です。

大阪市役所あたり

 

 

 

 

 2月に入ってからも寒さの厳しい日が続きます。しかし、冬の快晴はとっても気持ちがいいのです。
 
 建築確認申請のため、淀屋橋の大阪市役所へ行ってきました。

 市役所の前は土佐堀川。このあたりは、今も水の都の面影が残っています。

 

 

 

 

 

 建築確認申請を提出する際はいろいろな関係省庁をまわります。

 今回は文化財の関係で担当の教育委員会へ。入り口脇のガラスケースに奈良時代の瓦がおいてありました。

 貴重なものではないんでしょうか。


 

 

 

 

 これは土佐堀川の上に建っている?浮いている?かきの土手鍋で有名な「かき広」。いつか、と思いながら入ったことはありません。

 確かコースで¥8,000-くらいだったと思います。

 

 

 

 

 中之島図書館を挟んで東にある中央公会堂は1918年(大正7年)に竣工。岡田信一郎の設計による名建築です。

 中央公会堂は、岩本栄之助という株式仲買人が莫大な資金を寄付して、建設されました。商人の町大阪には元々”官に頼らず”という風土があったのです。

 

 

 

 

 

 このあたりに来ると、設計事務所に勤めて1年目を思い出します。ある建築家を紹介してもらい、弟子入りしました。

 建築法規もまだ勉強中の頃、確認申請の仕事を任されました。

 役所へ確認申請の相談に行くと担当者には「もっと勉強してこい!」と、事務所にかえれば所長に「そんなことくらい自分で調べろ!!」と。

 誰に相談することも出来ないので、まっすぐ事務所に帰る気になれず、あたりのベンチで缶コーヒーを飲みながらグダグダしていたことを思い出します。コートが必要な寒い季節でした・・・・・・

地鎮祭

 昨日は「大安」だったので、大阪市内に設計した住宅の地鎮祭に参列してきました。

 

 

 

 

 地鎮祭は工事に先立って、土地の神様にご挨拶し、工事の安全と守護を祈願するお祭りです。

 建築の儀式は神式で行う場合が多いですが、仏式・キリスト教式で行っても全く問題ありません。ようは気持ちの問題ですから。

 

 

 

 

 とは言うものの、何度も経験する人は少ないと思うので、かいつまんで神式の場合を紹介してみます。

 クライアントと神社へ行き御祓いしてもらうこともありますが、今回は敷地に神主さんがいらっしゃいました。

 式は神主さんが順次進行してくれますが、建主、設計者、施工者が作業をするのは「鍬(クワ)入れ」という儀式です。

 初めに設計者が鎌(カマ)で盛った砂の上にある草を刈り取ります。次に建主が鍬(クワ)で砂山を耕します。最後に施工者が鋤(スキ)で盛砂をします。いずれも三度づつ行い「エイッ!エイッ!エイッ!」と掛け声を発するのが一般的です。

 

 

 

 

 

 それぞれの作業には意味があるのですが、長くなりそうなのでまたの機会に。様式はどんどん簡略化されてきたのでしょうが、やはり神聖な気持ちになります。そこで「さあ、いよいよ現場が始まるぞ!」と気持も新たになるのです。

 快晴の冬空は身も心も引き締まって心地よい寒さでした。この現場の進行状況はクライアントにOKを貰ったので、時々UPしたいと思っています。

『月刊商店建築』に「つるみ歯科クリニック」掲載

 12月28日発売の『月刊商店建築01月号』(商店建築社)に私が設計した
「つるみ歯科クリニック」が掲載されました。(208~210ページ)

 今年はいくつかのメディアに取り上げて頂きましたが、その最後が『月刊商店建築1月号』になりました。この仕事を始めた頃から読んでいた本ですから、とても嬉しいというのが素直なところです。

 建築を創る時にはいつも、何かを世に問いかけてみたいと思っています。ですから、こういう機会はとても大切です。もしどこかの本屋さんで見かけたら、是非感想などを聞かせて下さい。

 この下にあるComments(パスワードは自由に設定できます)でもメールでも大歓迎です。いいことじゃなくても。

 本当はそこのところが一番知りたいのです。

雑誌の取材

 今日は冬至。朝から天気は大荒れで、大阪も吹雪いています。みるみる積もりだしました。

 この火曜日は、以前設計した住宅へおじゃましていました。ある住宅雑誌の取材に立ち会うためです。

 ライターと写真家が2人1組で来て、写真を撮っている間にクライアントと私がライターの取材を受けるという形式でした。

 当日はご主人が居られたのですが、子供さんも一緒のほうが楽しい写真になるというので、急遽近くの幼稚園に5歳になるお子さんを迎えにいって頂いたのです。

 彼はとってもシャイなので、数人の大人に見られている状況に、しきりに照れていました。こちらの都合で引っ張り出して、悪いことをしてしまいました。

 しかし取材の後は、突如訪れたお父さんと遊んでもらう時間にとってもはしゃいでいました。その時に完成したクリスマスツリーです。

 ライターの方が聞き上手だった上に、ご主人も私も、生来の話し好きなので、3時間半の予定が、5時間ほど掛かってしまいました。最後には私の写真まで撮影してくれました。実はこの写真が一番気になっているのですが・・・・・・。

 出版社の編集長は「取材に行けば必ず載せさせてもらいます」と言っていたのですが、万が一掲載されなかったらかっこ悪いので、確実になったらまたお知らせしたいと思います。予定では2006年2月21日発売です。

南港あたりの巨大建築

 先週、大阪南港にある「なにわの海の時空館」に行ってから何故か南港づいています。いまだ話題の建築確認申請を出しに大阪市役所へ行くと「道路の件で、建設局に確認が必要な事項があり」と。

 

 

 

 

 

 

 建設局は先日もTVでも無駄遣いとしてとりあげられた南港の西端にある「コスモタワービル」の中にあるのです。市役所は大阪の真ん中の淀屋橋。大阪の西の端っこまで地下鉄を乗り継いで行ってきました。

 建設局は元々大阪駅前のビルにありました。ところが市の第3セクターが運営するコスモタワービルの入居者が足らず財政難に陥り、身内でもある建設局が引っ越して来たのです。車中で「なんでオレがこんなとこまで行かなあかんの・・・・・・」とブツブツと言いながら。

 

 

 

 

 このエリア(大阪南港コスモスクエア地区)は巨大建築が目白押しです。いったいどの建物がどれだけの赤字を出しているのでしょうか?

 48階建てのコスモタワーはエントランス棟だけでもこの大きさ。

 

 

 

 

 そしてATC(アジア太平洋トレードセンター)。

 

 

 

 

 これは、インテックス大阪。

 

 

 

 

 おまけに、こんな建築物も。

 

 

 

 

 しかし海を見れたことだけは収穫です。

一級建築士

 最近話題に上らない日の無い構造計算偽造問題。被害に遭われた方には掛ける言葉も見当たらない程、気の毒に思います。この件に触れない訳にはいかないので販売会社、施工会社のこともありますが、まず設計について思うところを。

 

 

 

 

 その前に鉄筋コンクリート造って何でしょう。

 強い構造体を作るため、圧縮力に優れたコンクリートと、引っ張り力に強く粘りのある鉄筋の特性を合わせて出来た構造なのです。逆に言うと互いの弱点をカバーしているので、いずれかが欠けると不安定なものとなってしまう訳です。

 コストダウンの為に構造計算書を偽造し、鉄筋量の減らされた柱や梁は専門の人間が見れば誰でも分かる程、細く薄かったと言います。その不安定で巨大な建物がもし崩壊すれば凶器と化すのです。専門家としての立場を利用し、不当な利益を得るため不正を働いたのですから、これは一級建築士がどうとかいうレベルの話では全くないと思うのです。

 「生活の為にしかたなく・・・・・・」と。人の生命を危険にさらしまで得てよいものなどあるはずも無く、今の日本で生活するだけなら方法はいくらでもあったでしょう。もし目指すものが高いのなら、先にパンを得ることを考えるのではなく、社会に求められる人間となるよう精進するべきだと思います。

 私にとって建築設計は仕事ですが、ただそれだけではありません。人の命や生活を守り、育むためにある建築を、設計出来るこの仕事を心から愛しています。良い建築を創れば街や社会にも貢献することもできるので、その遣り甲斐はとても大きなものです。本来仕事とは、自分自身を磨く修練の場を与えてくれるかけがえの無いもののはずです。

 しかし建築はその大きさゆえ多くのお金がかかります。貴重な財産でもあり、大きなビジネスとしての一面も持っています。その全ての元となるのが設計なので、関わる者は道徳感、倫理感そして哲学をも求められると考えています。その上で、クライアントの大きな期待を背負い、応え、上回ることは簡単ではありません。

 私も一級建築士ですが、今回の事件でその資格を汚されたとか、信用を失ったとかいう事には全く興味はありません。資格は必要最低限の証明書なのでいろんな人がいます。そもそも、人は資格などといいう小さなものに頼るべきではないと思います。
ただ思うのは、建築を愛さない人に建築設計には関わってもらいたくないという事だけです。今回のことをきっかけに設計者というパートナーを選ぶ時、資格や周りの状況などに囚わされず、人自身を見て判断されるようになる事を望むのです。

なにわの海の時空館

 昨日の11月23日(水)は勤労感謝の日。祝日ということで昼過ぎから「建物探訪」してきました。

 

 

 

 

 大阪南港にある「なにわの海の時空館」はシャルル・ドゴール空港などでも有名なフランスの建築家ポール・アンドリューの設計です。

 海辺に建つエントランス棟から地下に降り、海底の地下道を通り展示棟へアプローチします。海中が見える天窓が4つ開けられていました。60cmくらいのスズキが見えます。

 

 

 

 

 展示棟で海上にある巨大なガラスドームの底に着くと、エレベーターで一気に4層上ります。そこから順番に降りてくるという動線でした。

 

 

 

 

 江戸時代、大阪が「大大坂」と呼ばれた頃、江戸とを結んでいた菱垣廻船が復元されドームの真ん中に据えられています。船が完成してからクレーンで巨大ガラスドームを被せたそうです。

 この海洋博物館、大阪の海の歴史、ヨットが何故進むか、大航海時代・・・・・・と内容は盛りだくさんで、かなり充実していました。


 

 

 

 

 空間としては、折角の大空間を水平方向に区切る必要があるのかな、という気はしましたが、夕陽を浴びる姿は、なにわの海に映えていました。

 

 

 

 

 海岸沿いも公園になっていて、北にユニバーサルスタジオ、東に天保山の海遊館が見えていました。

 このコスモスクエアと呼ばれる地域には、WTCコスモタワー、アジア太平洋トレードセンターなどがあり市内からちょっと出掛けるには良いかもしれません。

 

 

 

 

 運営はなにかと問題の多い大阪市の第3セクター。遊びに行く事が一番の助けになるのかも。

阪急梅田駅の歴史

また大阪梅田のお話。阪急百貨店が営業しながら改築するという、ややこしいことになっています。

西に阪急百貨店、東に阪急グランドビル(32番街)の間のコンコースも半分は工事中でした。9月13日より、解体工事も始まっています。

知っている人も多いかもしれませんが、この空間は初代阪急梅田駅のホームでした。

初代梅田駅は昭和4(1929)年、世界で初めて百貨店を併設する駅として建設されます。駅の施設はグランドビルの部分にありました。

(写真:旧ホーム跡-下・写真のレトロドームから現在駅のある北側を見る)

昭和4年当時の建物で、現存しているのは阪急百貨店と旧ホーム跡、コンコース南のシャンデリアがあるレトロなドーム部だけです。

この最南端部にあるレトロドームは旧駅の待合室でした。

設計は平安神宮や築地本願寺なども手がけている建築家・伊東忠太によるもので、壁上部にあるモザイク画やシャンデリアも彼のデザインです。

(写真:旧駅の待合室-レトロドーム)

その後、昭和45(1970)年の大阪万博の頃、駅拡張のため梅田駅を現在の場所に移す計画が持ち上がります。

その際には伊東デザインのレトロドーム部のみ阪急百貨店と共に解体を免れました。

そして昭和46(1971)年、駅はJRを越えた北側の現在地に大移動します。駅が遠くなったのでJRガード下には日本で初めてムービングウォークも設置されました。

旧ホーム跡の金属ドームや列柱は、最南端にあるレトロドームと新しい駅の手前にあるムービングウォークを繋ぐ為に考えられた苦肉の策だったのです。

映画「ブラック・レイン」で故・松田優作がこの旧ホーム跡に登場したシーンは記憶に残るところ。

私が通りがかった時には、もうレトロドームと壁画は工事の為塞がれていました。苦心の結晶である金属ドームと列柱のみ、見ることができました。

今回の改築でレトロドームの壁画のみ保存されるようですが、梅田の景色は大きく変わることになります。旧ホーム跡が様変わりすることを惜しむ声も大きいのです。

街や商業施設は変化して行くのが常です。しかし、中学1年生から7年間、毎朝通学でここを通った私もこの景色には愛着があり、変わってしまうのは寂しいものがあります。

34年前の駅移設の際も完成の後、長い間非難の声が大きかったようです。

しかし、苦心の跡は見てとれます。その結果、旧ホーム跡は大阪の風景となりました。

新しく生まれ変わる阪急百貨店と旧ホーム跡も、時間とともに文句の多い関西人に愛されるような空間となる事を願います。街の風景となり得るような。