カテゴリー別アーカイブ: 06 スポーツ

世界最大の祭典開幕。50億人のモチベーション‐1959‐

11月20日(日)にワールドカップ、カタール大会が開幕しました。

世界人口80億人のうち、50億人が視聴すると言われる世界最大の祭典です。

昨日は日本代表の初戦。

ドイツ戦でいきなりやってくれました。

祝日の22時キックオフは大変ありがたい時刻。

普段はスマホにかじりついている子供たちも、テレビの前で一緒に応援しました。

開始早々の7分。いきなり見せ場をつくります。

右サイドを、伊東が得意のドリブルで持ち上がり、中央の前田大然へ。

決まったかに見えましたが、残念ながらオフサイド。それでも日本が得意の形を見せ、期待感は高まります。

しかし前半はここからが長かった。

日本の戦術、ハイ・プレスが全く機能せず、ドイツに面白いようにあしらわれます。

まるで子供扱いで、ここまで差があるとは想像していませんでした。

ゴールキーパーの権田は好セーブを連発し、最終的にはマン・オブ・ザ・マッチに選ばれるのですが、ゴール前でファールをとられてしまいます。

このPKを決められ、前半33分に1点を奪われました。

その後、追加点となってもおかしくない場面もありましたが、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)判定でオフサイド。

優勝候補でもあるドイツに、何とか1失点で前半を折り返しました。

この時は「これは大敗するのでは」と、正直思ったのです。

森保監督がいきなり交代のカードを切ります。

後半開始から、久保に代わって怪我の心配もあった冨安を投入。

ビッグクラブ、アーセナルに所属する実力に期待が高まります。

このタイミングで3バックにシステムを変更しました。

日本代表戦しか見ないレベルのサッカーファンですが、日本人監督は基本的に動くのが遅い印象があります。

しかし、今大会の日本代表は凄かった。

続けて、後半12分に三苫と浅野を投入します。

システムの変更で得意のハイ・プレスが機能しはじめ、良い時間帯が増えてきました。

さらに後半26分に堂安、30分に南野を投入し、超攻撃的な布陣を組みます。

左サイドをイギリスのブライトンで活躍する三苫が得意のドリブルで突破。

そして南野へスルーパス。

後半30分、角度のない位置からシュート。

リヴァプールそしてモナコに移籍し、結果がでていないことに忸怩たる思いがあったでしょう。

しかしその技術は本物でした。

キーパーがはじいたこぼれ球を、尼崎の星、堂安が決めてくれました。

試合後のコメントも「絶対俺を使え!」という感じ。

このふてぶてしさも彼の魅力です。

そして後半38分。この浅野のトラップが全てだったでしょうか。

2ヶ月実践を離れていた彼を、森保監督が呼び寄せた訳です。

世界最高レベルと言われるノイヤーの、狭いニヤサイドから上に向かって撃ち抜きました。

早い交代、戦術の変更、流れの中からの2ゴールで逆転。

こんな胸のすくような試合は見たことがありません。

しかも相手はワールドカップ4回の優勝を誇る、強国ドイツです。

浅野のゴールも、ボランチ遠藤の貰ったファールからのフリー・キック1本で生まれたものでした。

ドイツ1部リーグで、対人の強さナンバーワンは伊達ではありません。

また、ヨーロッパ・チャンピオンリーグで3試合連続ゴールを決めている鎌田。

彼の実力もこんなものではないでしょう。本当に日本代表も多くのタレントが集まったものです。

日本代表は、1997年「ジョホールバルの歓喜」で1998年フランス大会で初出場を果たしました。

中田英寿のシュートをゴールキーパーがはじいたこぼれ球を、野人・岡野が流し込んだのがつい先日のようです。

私はアトリエmを設立して2年目の27歳の時でした。全く先など分からない、ただ夢しかない自分の人生を重ね合わせていた気がします。

名曲に人生の一場面を投影するように、50億人のサポーターもこの大会に人生を投影します。

それが年輪のように刻まれ、後の人生のモチベーションとなるのです。

ただそれは名曲でなくてはなりません。最高の試合を日本代表が見せてくれました。

次のコスタリカ戦でグループリーグ突破を決め、もう1本、深い年輪を刻ませて欲しいものです。

頑張れ日本代表。そしてそれ50億人。


■■5月13日『住まいの設計6月号』に「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』に「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』を「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

◆メディア掲載情報

主人公は人。素敵、自転車‐1949‐

前回、堺の三国ヶ丘にある、方違神社を訪れたと書きました。

TOTO堺ショールームのリサーチをしていた時に見つけたのですが、すぐ近くにシマノ自転車博物館もありました。

以前は仁徳天皇陵近くにあったのですが、今年の3月に移転、リニューアルオープンしていたようです。

場所は南海電鉄の堺東駅から北に200mほど。

以前から一度行ってみたいと思っていたのです。

方違神社からは車で1分ほどでした。

設計は、本社と同じく芦原太郎建築事務所。

外観は極めてシンプルですが、外壁については中に入ってから驚きました。

はじめに見る動画だけでも、かなり見応えがあります。

自転車の進化の歴史と共に、今すぐに自転車で出掛けたくなる映像が満載です。

2階には曲面壁にそって、時系列に自転車の歴史が分かるよう展示があります。

自転車の始祖となったのがこの「ドライジーネ」。

ドイツ人発明家が1817年に考案しました。

まだペダルはなく、地面を蹴って進むものです。

当時の乗り物と言えば、馬車か馬くらいしかなく、貴族以外は歩くしか移動の手段がありませんでした。

このドライジーネは、歩く3倍の距離を移動できるという触れ込みもあり、若者を中心にかなり流行ったそうです。

2輪の乗り物はここから進化を始めます。

1861年に発売された「ミショー」はペダルを備え、足が地面から離れます。

より早く走れるようになり、人々は旅や競争を楽しむようになりました。

よりスピードを求め、前輪が大きくった「アリエル」の進化型の「オーディナリー」。

「アリエル」 の金属製のリムとスポークがより大きな車輪を製作可能とし、現在にも受け継がれています。

しかし転倒の危険も大きく、1885年にギアとチェーンで後輪を駆動する構造が発明されます。

現在の自転車の原型が出来上がったのです。

ほぼ同じ頃、空気入りのゴムタイヤが実用化されます。

これによって劇的に乗り心地が改善されたのです。

あまり大きく取り上げられていませんでしたが、その名が現在まで残っていることがその偉業を物語っています。

この曲面壁の展示室の外周は、ギャラリーになっています。

白いパネル状の外壁は光を透過する素材でした。

壁面全体からの拡散光が、室内と展示物を優しく照らします。

非常に良い空間でした。

面白いところでは、1959年の皇太子御成婚時に献上された菊の御紋つき自転車。

1980年、人力で走る乗り物最速、時速91.19kmを記録した「ヒューマン・パワード・ビークル」などがありました。

世界最速のウサイン・ボルトが約時速45kmですからその倍。

テクノロジーの力を感じざるを得ません。

館名に「シマノ」と入っていますが、自社のPRなどは最小限で、あくまで「自転車」にスポットを当てています。

それらも含めて、非常に気持ちのよい博物館でした。

緑化スペース越しに仁徳天皇陵が見えています。

本当に市街地の中心にあるのです。

中世から包丁や鉄砲鍛冶が集まる堺は、明治に入ってから自転車部品の一大生産地となりました。

中でもシマノはスポーツ自転車部品の世界最大手です。

私にとっては、釣具メーカーとしての方がなじみがあります。

ベイトリール「アンタレス」は本当に使いやすいリールで、名器と言ってよいでしょう。

私の通勤用自転車は、アメリカのschwinn(シュウイン)メーカーのものです。

カゴ付き自転車の中で、一番美しいものをとサイクルショップで探してもらいました。

購入したのは9年前で、ほぼ毎日乗るのであちこち傷だらけですがとても気に入っています。

ブレーキを見てみると「SHIMANO」とありました。

縁の下の力持ちとは、こういった企業を指すのでしょう。

ディスクブレーキを修理してくれるショップがなかなか無いのだけが玉に瑕ですが。

自らが転がす車と書いて「自転車」と呼びます。つまり自転車を動かす主人公は「人」であり、その楽しみ方は人の数だけあるということです。

館のはじめに掲げられていた言葉です。

車やボートと、どちらかといえば動力派でした。

環境負荷が少なく、健康にも良いのですから、もう言う事無しの乗り物です。

限りなく自由で、素敵な自転車。

その歴史がわずか200年足らずということにも驚きました。

今週末にでも少し手入れをしてあげなくてはと思っています。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

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チャレンジ&アジャスト‐1879‐

先程、 『ESSE-online』 のコラム第4弾、「屋根裏部屋」が公開されました。

Yahoo!ニュースにもUPされています。

これまで設計してきた、屋根裏部屋を5件とりあげています。

まずは「阿倍野の長屋」

次は「碧の家」

そして「神戸の高台の家」

ここまでは3件はリノベーションです。


「千葉の家」

そして「おいでよ House」は新築です。

「おいでよ House」のこの写真は、奥さんに追加で撮影してもらいました。本当に有り難いかぎりです。

よく書けたかな?と思っているので、よければ一度読んでみて下さい。

日曜日は遠方の方との初期相談で、リモートで打合せでした。距離がある場合は特に助かります。

画像や資料は画面共有できるので、内容によってはリモートの方が合っている場合もあると思います。ただ画面は1つなので、基本的に見て貰えるものも1つになります。

リアルの面談なら、テーブルの上にいくつか資料を広げることもできますが、このあたりが力量を問われるところでしょうか。

何をどんな順番に見て貰うかで、密度が全く違ってきます。どんな話の展開になるかを、想像しておく必要もありますし、流れによって、いくつかのバリエーションを準備しておくことも大事です。

仕事は準備と想像力なのだなと最近つくづく思います。

北京オリンピックも中盤を過ぎました。環境に左右されやすいウィンタースポーツはその対応力が結果を大きく左右します。

それが空中でのこととなれば、素人にはもはや想像がつきません。小林陵侑選手に続き、平野歩夢選手も史上初への挑戦と見事な対応力で金メダルを獲得。

多くの国民が「さあ頑張るぞ」と思ったに違いありません。

コロナ下の社会になり、仕事のスタイルもどんどん変化していきます。「これまでこうだったから」は通用しないのです。


変化を柔軟に受け入れ、進歩していかなければならないと感じます。

寒い寒いと言っていたら、近所の梅はもう満開でした。

ある日、ウグイス色をしたメジロ(ウグイスではなく)が梅の花をついばんでいました。

今日はバレンタインデー。妻と娘から貰う(予定の)チョコレートをついばんで、ちょっとワインをいただく予定です。

チャレンジ&アジャスト

私も本気で金メダルをめざします。

■■■ 『ESSE-online』にコラム連載■■■
12月6日「キッチン・パントリー」
1月4日「土間収納」
2月1日「アウトドアリビング」
2月14日「屋根裏部屋」

■■ 8月17日『建築家・守谷昌紀TV』を開設しました ■■

■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞■

■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

頑張れニッポン!‐1877‐

土曜日は敷地調査へ向かうために、車で家をでました。

阪神高速の松原線に乗るとすぐ目に入ってくるのがあべのハルカス。

そして通天閣。

ディープな南大阪に住んでいる証しです。

あまりにも天気が良いので窓を開けてみると、びっくりするくらい寒い!

日中で4℃とはかなりの寒さです。

何か雰囲気が変わったなと思っていたら、阪神高速は11月末にリニューアル工事を終えたばかりでした。

表示はかなり見やすいですが、車線が減っているところもあり、多少あたふたしました。

道を知っていてこれなので、はじめて阪神高速に乗る人は大変だろうなと思います。

運転しながらこの標識群を理解するのは、相当に難易度が高いはずですから。

北摂へ向かう時は、環状線から池田線に乗り替えます。

空港を過ぎたあたりの景色が気に入っていますが、「路外パーキングサービス」があることは十分認知されているのでしょうか。

池田線では、豊中南出入口付近の「ロイヤルホームセンター豊中」がそれにあたります。

2時間以内なら、ここに立ち寄っても通常料金で済むのです。

シオノギ製薬の医薬研究センターを過ぎ、名神とのJCTを越えるとすぐに見えてきます。

Webサイトで見ると3月末までの社会実験とありました。

都心部の高速道路はサービスエリアがあまりないので、出来れば続けて欲しいところです。

池田線を走っている時は、どこかで飛行機を期待しています。

帰りはグッドタイミング。

JALの鶴丸マークが見てとれました。

日曜日の夜、北京オリンピックでも見てみようかとテレビをつけると丁度スキージャンプの決勝。しかも小林陵侑選手の2本目直前でした。

20分くらいの観戦で、金メダルの瞬間を見せて貰うことができました。

個人に限れば長野オリンピックの船木選手以来の金メダル。ノーマルヒルにおいては札幌五輪以来50年振りの文字が踊ります。

JAL ではありませんが「日の丸飛行隊」の面目躍如です。

先のシオノギ製薬は、薬の町、大阪の道修町が本社。

コロナのワクチンでは海外の製薬メーカーに遅れをとりましたが、是非一矢報いて欲しいところです。「物づくりの国、日本」の面目躍如となるはずです。

微妙な時期に、微妙な国での開催ではありますが、やはり人類の頂点を見せて貰えるオリンピックは特別な機会です。

この日記を書いていて、ふと「麗しのサブリナ」でのヘップバーンのセリフを思い出しました。

人生とは何か。
どう生きるべきかを知りました。
傍観者ではだめだと。
……もう、人生から逃げはしません

ある若者にこの言葉を送ったことがあります。

読み返すと、我ながら偉そうなことを書いているなと思います。しかし本心です。

学びは必ず年長者から有る訳ではありません。若者から学ぶことも多々ありますし、時には我が子から学ぶこともあります。

その気持ちを忘れなければ、いつまでも成長できるはずですし、そう信じます。

頑張れニッポン!

ニッポンには勿論私も家族もある若者も含まれます。

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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

野球狂、水島新司‐1874‐

アトリエmのWebサイトには建築家プロフィールのページもあります。

その中に、BIOGRAPHY/おいたちのページもつくり、1970年、0歳から何枚かの写真を掲載しました。


1974年、4歳。

私のスポーツ歴はスキーから始まりました。

1980年、小学5年生。

しかし小学校で熱中していたのは野球です。

3番サードだったので、多少の自信は持っていました。

低めを打つのが得意でしたが、これはファール(笑)

並行してソフトボールもしていましたが、こちらではピッチャー。

春と秋に地域の子供会単位で優勝を競うのですが、区大会にでる時は小学校オールスターです。そこでもエースでした。

平野区は学校が多く、決勝まで6試合くらいあったと思います。準決勝までは完璧に抑えていたのですが、決勝は打ち込まれて結局準優勝。

前列左から二番目が私ですが、泣きはらしていたと思います。メダルを掛けていないのは悔しかったからかもしれません。

1984年、中学2年生。

中学に入っても野球です。後列の真ん中でチームメイトの頭にピースしているのが私です。

身長は一番小さい部類でしたが、2番ショートでした。実は坊主頭にするのが嫌で、高校は野球部に入りませんでした。

野球は大好きだったので、今の世の中なら野球を続けていたと思います。

1989年、予備校生。

今は無き大阪北予備校のクラス対抗ソフトボール大会。

十三に予備校があったので、淀川の河川敷で真っ黒になるまで練習していました。


なぜ予備校にそんな大会があるのか分かりませんが、5回戦くらいあるトーナメントで優勝。

決勝では文系のトップチームをやっつけました。練習量が違いますから。

1992年、大学3回生。

大学に入るとスキーに戻りますが、学生時代の中盤、一番好きなスポーツは野球でした。

先々週逝去された水島新司さんの漫画は沢山読みましたが、心に残っている作品があります。確か「野球狂の詩」の中にあったなと思い探してみると、見つかりました。

劇場版の映画にもなっていたようです。

製作会社のサイトに「ストーリー」がでていました。

北の狼南の虎 [劇場版]

東京メッツのエース・火浦健には、父親の仇討ちをして逮捕され、野球を挫折した過去があった。しかし、甲子園の英雄・王島大介のプレーを見て再起を期す。メッツに入団した健はある日加代という女性と知り合うが、加代は幼い頃いなくなった母親だった。実は、健と大介はまだ赤ん坊だった頃火災に会い、母に捨てられ生き別れとなっていた双子の兄弟だった。真実を知った健は兄弟対決の末優勝し新人王を獲得し、加代を「かあさん」と呼ぶ。TVシリーズの「勇気編」終了後、好評だった前後編のエピソードを編集して映画化。


代表作「ドカベン」も大好きでしがたが、憂いを秘めたキャラクターが多く登場する「野球狂の詩」は、特に心に残っています。

そのひとつが「北の狼南の虎」です。上のストーリーを少し補足してみます。

北の狼こと火浦健。彼は赤ん坊の時、事情あって母に捨てられます。彼を道端で拾ったのは侠客でした。家族を失ったばかりの彼は、男手ひとつで赤ん坊を育てるのですが、その場面が何とも切ないのです。

成長した火浦健は、甲子園にでるため父に組を辞めて欲しいと伝えます。その結果、父は組に盃を返しに行くのですが、リンチにあい命を落としてしまうのです。

事情を知った火浦健は、父が封印していた日本刀をもち、組事務所へ仇討ちに向かいます。刑期を終えた火浦健は東京メッツに入団し、双子の兄弟と新人王を争うというストーリーです。

おそらく読んだのは40年程前だと思いますが、鬼気迫る表情だったり、悲哀に満ちたストーリーが忘れられません。

子供の頃、家業の手伝いで大好きな野球ができなかったことが、水島新司さんをここまでの野球狂にした動機になったそうです。

人、言葉、本、漫画、音楽、映画、スポーツ……

自分という人間が形成されるにあたって、どれだけのことが影響しているのでしょうか。

野球の面白さ、人生の悲哀を教えてくれた野球狂に心から哀悼の意を表します。

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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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大阪下町ダイバーシティ‐1871‐


1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載 されていました。

こちらは1998年完成。私にとって2つ目の作品です。

と思っていたら、翌1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」も掲載されていました。

こちらは2006年の作品。初めて『住人十色』『住まいの設計』にも取り上げて貰いました。

特に連絡もないので、SNSで偶然見かけて知りました。結構そんなケースが多いのです。

日曜日は打合せのあと、「セブンパークス天美」に初めて寄ってきました。

妻が車で行きたそうにしていたので、私としてはサービスのつもりです。

大阪市内からなら大和川を渡るとすぐ。

阪神高速の松原線、三宅出口から西に1kmあるなしの距離です。

夕方だったのでそれなりの車列でした。

しかし駐車場が大きく、待ち時間は苦にならない程度。

屋上から南東を望むと二上山も見えますが、畑の中にポツンといった立地なのです。

フードコートには「神座」。

ロフトや無印が入っているのが、イオン系との違いでしょうか。

天美スタジアムという大きなイベントスペースは、なかなか好感がもてます。

野菜の格安店らしく、凄い列でした。

時期が時期なのでこちらは避けておきました。

海産物の専門店もあり、エビが安かったので夕食はエビフライに。

私がこの世で一番大好きな食べ物なので、サービスした甲斐がありました。

と思っていたら、娘も卓球の大会で3位だったと連絡があり、ちょっとしたお祭り気分だったのです。

三宅出口とセブンパークスとの間にはスポーツパーク松原スケートパークがあります。

そこにはこの横断幕。

史上最年少金メダリスト、西矢椛(にしやもみじ)選手のホームグランドでした。

信号待ちでとまると、親子鷹なのか熱心に練習しています。

これがなかなかの迫力なのです。

今日「ドカベン」などの作者で知られる、水島新司さんの訃報が届きました。昭和50年代の大阪の下町。男の子は野球以外のスポーツは知りませんでした。

阪神の矢野監督もたしか出身が近所だったと思います。

それはそれで競争も激しく楽しかったのですが、現在の多様性と比べると、全く別の国のようにさえ感じます。

卓球、スケボー、野球……選択肢が無限だからこそ、決めることは大変だろうなとも思います。ダイバーシティの波は、確実に大阪の下町にも押し寄せていました。

すると先程、あるクライアントから「長男が第一希望の中学校に合格しました!」と、喜び溢れるメールが届きました。

設計をしていた時は、小学校に入る前だったはず。本当に時間が経つのはあっという間です。

阪神淡路大震災からも今日で27年。

選択肢は無限でも、選べる道は1本しかありません。そのことに置いて悔いはありません。

鬼籍に入った 水島新司さん追悼の記事は回を改めて書いてみたいと思います。

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12月6日「キッチン・パントリー」
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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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I love white snow【ゲツモク日記チャンネル】第2弾‐1870‐

ゲツモク日記のYouTube版が【ゲツモク日記チャンネル】です。

前回の池原ダムに続いて、第2弾はスキーです。

正月休みの木曽福島行きは一度書いたので、スキー場へ向かう高揚感を綴ってみました。

朝宿を出発。

雪道を走ります。

リフトに乗り。

山頂を目指します。

そして白銀の世界へ。

従妹同士はスキー。

長男のボードも大分さまになってきました。

30歳くらいまではアルペンスキーの試合にも出ていました。

が、久し振りに自分が滑っているのを見ると、やはり腕が落ちたでしょうか。

板が長いのもありますが、あまりターンが切れておらず……

でもいいのです。

真っ白な雪山が見えてきたら、ワクワクしないスキーヤーはいません。

目一杯は滑ったあと、帰りの車内で家族は爆睡です。

そして、ひとりでラジオを聴きながら、満足感に浸ります。

大阪に車を走らせる時間も含めて “I love white snow “なのです。

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完璧ではないから‐1868‐

今年初めの日記は、1月3日の初詣でを書きました。

その前は、年末から1月2日まで木曽福島へ行っていました。義妹家の山荘を訪れるのも3年振りです。

年末年始は厳しい寒さで、木曽福島でも-16℃まで下がりました。

道もピカピカアイスバーンです。

中山道沿いの盆地地形ということもあり、普段は雪が少ない地域ですが、今年はしっかり積もっていました。

さらに気温が低いので、平地でも樹氷となっています。

キリッと寒い雪原に咲く雪の花。

スキー部の合宿で過ごした北海道中部を思い出します。

今回はスノーボード可の、やぶはら高原スキー場へやってきました。

弟の子供3人と合せて5人は、弾けるように出掛けていきましたが、私は年末の寝不足で……

車の中で午前中は寝ていたので、ほぼ子供達とは滑れず。

ようやく夕方に、ひとりで山頂まで登りました。

ひときわ輝くのはどこの山なんだろうと思いながら、一気に滑りおりてきたら足はガクガク。

無理は禁物と、早めに引き上げたのです。

山荘なので食事は自分達で用意します。

初日は義妹がカレーを、2日目は私達が近所のイオンへ惣菜を買い出しに。

大阪から持参したものと合せて、なかなか楽しそうな食卓になりました。

スキー部の先輩の山荘、白馬の山小屋は私の2つ目作品ですが、旧山小屋へ寄せて貰った時も自炊でした。

皆で食べるのがなによりのご馳走ですが、本当に楽しかった思い出しかありません。

デザートも手作りのフルーチェ。とてもいいことです。

その後はこんな感じ。

さらに女の子チームもこんな感じ。

山荘の魅力は、やはり一切の気兼ねが不要なことでしょう。

山頂に神社があると聞きました。

前日、山を眺めていた所から、さらに雪山を登ります。

木の鳥居の後ろには御岳神社の石碑がみえています。

その名の通り、背後に見えるのは霊峰・御岳山でした。

少し高度が違うだけで、全く違う山に見えるものです。

家族の初詣では北野天満宮ですが、私は先にこちらでお参りしました。

今回は滑っているところも含めて、「ゲツモク日記チャンネル」の第2弾として動画を上げるつもりでした。

動画も撮ったのですが、編集が時間切れになってしまいました。機会を改めてまたUPしてみたいと思います。

北海道の雪原を思い出すと書きましたが、この風景を見ていると「池中玄太80キロ」を思い出しました。

タンチョウヅルではありませんが、載せておきます。ハクセキレイでしょうか。

西田敏行演じる報道カメラマンが、杉田かおるらが演じる連れ子の3姉妹を育てる物語ですが、80年代は切ないドラマが沢山ありました。

「鳥の詩」そして「もしもピアノが弾けたなら」と、主題歌・挿入歌も秀逸でした。

♪私の心が空ならば 必ず真白な鳥がまう♪

シンガーソングライター全盛の時代ですが、俳優が歌う魅力もあります。それは完璧ではないから、人の心が入り込む余地があるのだと思っています。

劇作家、寺山修司はこう言っています。

物語は半分作って、後の半分は観客が補完して一つの世界を作っていく。余白が無いといけない。それが演劇の可能性だ。

私の目指す建築像はまさにこの言葉に集約されていると思っています。

良い仕事ができるよう、アトリエも今日からフル稼働です。

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アトリエmの現場日記

この惑星一の赤いヤツ‐1854‐

日曜日は少し長い距離をジョギングします。


「イタウバハウスは」その圏内で、久し振りにのぞいてきました。

と言っても前を通っただけですが、イタウバのルーバーがさらに良い感じに古美ていました。

ジューンベリーは、花、実、紅葉と三拍子そろった木なのです。

最近遠出ができていませんが、近所の公園でも十分目を楽しませてくれます。

この時期、自然界は色彩が溢れんばかりです。

やはり、真っ赤に色づいている木に目がいきます。

よくみると、白い実が弾けているのでナンキンハゼのようです。

隣接する野球場では、日曜日はいつも草野球の試合が開催されています。

赤いユニホームですから「我が町のエンゼルスだな」などと思いながら見てみると……体格のよいセンターは背番号17番!

今日は、三刀流のようです。

仲間にさんざんいじられているでしょうが。

金曜日はほぼ皆既月食と話題になっていました。

すっかり忘れていたら、妻が丁度今見えていると伝えに来てくれました。

それならと、Canonの Eos 5D Mark IVに 350mmの望遠レンズをセットし、三脚を据えて撮影してみました。でこれで最大ズームですが、なかなかよく撮れました。

我が町のではない、本物の大谷翔平選手ですが、満票でMVPに選ばれました。

“Most Valuable Player” アメリカンリーグで最も価値ある選手となったのです。

今年の夏頃、日曜日の夕方に車を運転しながらラジオを聞いていました。

その日もエンゼルスの大谷選手は大活躍で、敵将が「彼はこの惑星一の選手だ」とコメントしたと聞こえてきたのです。

私は全く関係ないのですが、なぜか目頭が熱くなりました。


「この惑星一の選手」 “Most Valuable Player in this planet” 

宇宙レベルの称賛を受ける26歳に感激し、反対に自分自身と比べて、不甲斐なさとジレンマを感じ……ととても複雑な気持ちでした。

しかしクライアントは、少なくともベスト(かも)、と思ったからオファーをしてくれるのです。やはり、この惑星一を目指すべきです。

アメリカンフットボールでは、試合前、赤い部屋に入ってモチベーションを高めると聞いたことがあります。

赤いユニホームが大谷選手のモチベーションを高めた、ということはないかもしませんが、来年も、この惑星一の赤い選手が気になって仕方ないのです。



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■1月27日 『Best of Houzz 2021』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載

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怪物が去る秋‐1845‐

10月の満月をハンターズムーンというそうです。

月明りのもと狩りを始めるからとか、ネイティブ・アメリカンが冬に備えて狩りを始めるからなど諸説あるようです。

原始の時代には、月の満ち欠けによって暦を把握していたはずで、月との関係は現代人とは比べものにならなかったでしょう。

それで、色々な名前を付けたのだと思いますが、昨日の ハンターズムーン は見事なものでした。

風で雲がどんどん流れて行く様が美しく、少しの間、夜空を見上げていました。

見上げながら、久し振りに狩りにでも行こうかなと思っていたのです。

その前日。10月19日は松坂大輔投手の引退試合でした。

試合後、ニュースに出演すると知り、間に合う時間に家へ帰りました。

打者ひとり限定で、対するはファイターズの主軸、近藤健介選手。

東京オリンピックの日本代表で、スターティングメンバーにも名を連ねていました。

名門、横浜高校の後輩でもあるそうです。

ネットには「松坂世代」と言われる人達、ライバルからも沢山のコメントが寄せられており、読みいってしまいました。

これだけ『18』が似合う男もなかなかいない。

初めは「松坂世代」 と呼ばれるのが嫌だったそうですが、世代の代表としてここまで頑張ってきたと語っていました。

渾身の116 km/hが内角にはずれて四球となり、現役生活を終えたのです。

ノーヒット・ノーランで甲子園優勝。

155km/hのデビュー戦。

そしてイチローを三打席連続三振。

2007年、メジャーリーグ1年目で、ワールドチャンピオンに輝きました。

2008年は18勝で、ここまでの10年で141勝という、まぎれもなく平成の怪物でした。

しかしこの年に肩を痛め、翌年からはすでに納得の行くボールは投げられなかったそうです。

後半の13年は、怪我との闘いでした。

振り被って投げるこの投法をワインドアップと言います。

昔のラジオなら「ピッチャー振りかぶって第一球を投げました!」は常套句でした。

しかし最近は、制球の乱れを抑えるため、ノーワインドアップが主流です。背番号18とともに、速球派の象徴、ワインドアップがとても似合う投手でした。

レッドソックス入団を決めた2006年12月の会見で「夢がかなったか」の問いに「見ることはできてもかなわないのが夢。

ぼくはここで投げられると信じて目標にしてきたからここにいるのだと思う」と語りました。

夢などというあまっちょろいものと違うという意思表示でした。

目標がその日その日を支配する

彼が座右の銘としているという、後藤静香の詩「第一歩」にある言葉です。

どうやら、横浜高校の創立者である黒土四郎さん、横浜高校元監督の渡辺元智さんと受け継がれてきたようです。


十里の旅の第一歩
百里の旅の第一歩
同じ一歩でも覚悟がちがう
三笠山に登る第一歩
富士山に登る第一歩
同じ一歩でも覚悟がちがう
どこまで行くつもりか
どこまで登るつもりか
目標がその日その日を支配する。

名門であるから、数多の才能が集まってくるのでしょう。しかし受け継ぐことができるのは考え方だけです。

目標を見定め、覚悟を持って一歩一歩。

彼が残した結果は、恵まれた才能あってこそでしょうが、目標と覚悟が無ければ達成できるはずもありません。

怪物が去る秋ですが、あの柔和な笑顔を見ると、なぜかいつも身が引き締まります。

年上でも、高槻高校出身でも考え方は受継ぐことができるからです。

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