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1985年のサザンオールスターズ‐1441‐

 『houzz』という、建築家登録サイトがあります。

 このサイトはアメリカ発の会社で、世界展開をしています。昨日、「松虫の長屋」houzzツアーという特集記事で取り上げてもらいました。

 『houzz』からオファーがあり、ライターのkawaguchiさんから取材を受けました。

 非常に的確で、また大げさになりすぎす、とてもよい記事だと思います。

 他者に認めて貰う、特別扱いして貰うことは、仕事の遣り甲斐のなかでも、かなり大きなウェイトを占めていると思うのです。

 初めての著書を出版させて貰いましたが、出版社が月曜日にプレスリリースをしてくれました。

 産経新聞時事通信日刊工業新聞とそれぞれのweb版の中で、プレスリリース枠に掲載されていました。

 毎日、多くの企業がこれだけ沢山のプレスリリリースをしていることを初めて知りました。

 この高度情報化社会で、人に見て貰う、目に留まるということは、極めてハードルが高いことだと、反対に納得したのです。

 こちらは、少し前に新聞記事でみかけた本。妻に購入を頼んでいましたが、なかなか届かずでした。

 品薄になるくらい売れているのかも知れません。


『サザンオールスターズ1978-1985』
スージー鈴木(著)

 音楽評論の本を読んだのは初めてですが、結論でいうとかなり面白かったのです。

 「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」にサザンオールスターズが登場したのが1978年8月31日。

 デビュー曲「勝手にシンドバッド」を、短パンにランニング姿で桑田佳祐が歌う映像は、何度も観たことがあります。

 当時私は小学2年生。それがリアルタイムだったのかは定かではありません。

 1982年の「チャコの海岸物語」のヒット時は6年生になっていたので、はっきり覚えています。

 1978年に衝撃の登場をしたサザンオールスターズが、1985年「メロディ」という傑作が収録されている「KAMAKURA」というアルバムを発表し、活動停止に至るまでが描かれています。

 サザンはコンサートに行くほどのファンではありませんでしたが、ここで紹介されていたアルバムの半分くらいは持っています。

 カラオケが好きという程ではないのですが、いざ歌う機会があれば、「Ya Ya 」「ミス・ブランニュー・デイ」「「Bye Bye My Love 」「メロディ」などに頼る確率は高いです。

 練習なしでそれなりに歌おうと思うと、メロディラインくらいは自然にでてこなければなりません。

 8歳から15歳の時期に、サザンの音楽はいつもまわりに流れていました。

 「勝手にシンドバッド」は沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レデイーの「渚のシンドバッド」をあわせたパロディだったとは全く知りませんでした。

 コミックバンドのような扱いから、国民的バンドへと成功、成長していく過程を、日本の音楽史、洋楽の影響も含めロジカルに語られており、飽きることがありませんでした。

 特に、日本語をロックに載せた功績は、過小評価されすぎだと著者は憤っているのです。

 歌の聞き方は人それぞれです。

 私にとって流行歌(あえてそう書きますが)は、その行間に自分の人生を投影しているものだと思います。いわば音楽日記。

 この点で、鑑賞するクラッシク音楽等とは、楽しみ方が違うのではないかと考えています。

 「胸騒ぎの腰つき」から「strawberry woman Don’t you go」まで。自分なりにsweet & bitterな、前期・青春時代を振り返っていました。

 「メロディ」のイントロが流れてくると、やはり気持ちは一瞬で15歳に引き戻されます。1985年のサザンオールスターズは、1985年の自分でもあるのです。

 King of Pop、マイケル・ジャクソンは映画「THIS IS IT」の中で、こう言います。

 最初のレコーディングの音

 観客のイメージどおりの

 それに忠実にしたい

 マイケルの求道者のような姿勢がとても好きです。

 歌の中で、人は歳をとれないのかもしれません。

 彼が自邸をネバーランドと呼びました。

 アーティストは歳をとってはならない、特別な存在でありたいと、誰より願っていたのだと思うのです。

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