運動会も、昨日で一段落でしょうか。
秋晴れの中、阪急芦屋川の旧山邑家住宅へ行っていました。
夜、川沿いでライトアップされれいる住宅と言えば分りよいでしょうか。
近代建築の三大巨匠、フランク・ロイド・ライトの設計で、1924年の完成。
南向きの山肌に、張り付くような住宅です。
東にある急な坂は、ライト坂と呼ぶそう。知りませんでした。
ライトは、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと比べても、環境を取る込むのが巧みです。
1階の車寄せからは、低い山手の景色が切り取られています。
その上にあるのが応接室。
中央に石造りの暖炉がありますが、それらを暮らしの中心に据えました。
西には芦屋川があるので、高低差のある景色を望めるのです。
そして南側に小さなバルコニー。ここでも、見事な景色が切り取られています。
将来、どのような開発が行われるかを、想像していたかのようでさえあります。
3階は個室が並び、4階にはダイニング。
ダイニング前には、南に大きく伸びたバルコニー。
4層が北側にずれながら、実に見事に環境を取り込み、成立させています。
深い庇により、水平線が強調されたデザインも、ライトの特徴です。
その庇の軒を見上げると、斜めのスリット状に刻まれた天窓。
みればみるほど、ぐうの音も出ないほどのディティールです。
柔らかい大谷石がふんだんに使われています。
相当な費用、技術、そして理解がなければ実現しなかったはず。CG等無い時代ですから。
ライトは26歳で独立。そして42歳までの頃に、第一期黄金時代を迎えます。しかし、65歳までの間、不遇、不幸な時代がありました。
クライアントの妻とヨーロッパへ逃避行し、2年後に帰国。設計依頼は激減しました。
さらに、私塾であり、自らの事務所であった、タリアセンで放火、殺人事件まで起こります。
スキャンダルを起こす建築家をマスコミは追い回し、ライトは海外へ活躍の場を求めました。
山邑邸が完成した1924年はライトが58歳の時。1922年、東京に完成した帝国ホテル(愛知県明治村にて保存)と、それらのオファーは渡りに船だったのです。
その後、落水荘を発表したのが1936年69歳の時。これによって、見事な復活を遂げました。
1959年、92歳の時、ニューヨークのグッゲンハイム美術館の建設中、その生涯を終えます。
第一次黄金期も、不遇も、不幸も、ましてや逃避行もありません。
それでも、仕事をしていればそれなりに、色々なことが起こります。ライトに比べれば、天保山程度ですが。
また、彼はタリアセンで、自給自足の生活をし、多くの国々の若者を育成しました。
私がライトから学べるように、空間は人類の共通言語と言えます。
今度、入社試験を受けるのは、韓国人の若者です。日本人の若者が定着しないなら、世界中の若者と働くまで。
世界には200カ国あるのですから。