方丈記から801年、あれから2年

 今日は梅田での建築家展最終日。

 土曜日は天気もよく、気温も20℃前後まであがりました。

 梅田阪急ビルの24階から、大阪マルビルの掲示板はすぐ横の感じです。

 反対に日曜日は一気に気温が下がり、6℃の表示もありました。

 大学時代の旧友が訪ねてきたり、プランの提案を見てみたいという方が見えたり。 

 また先輩建築家にアドバイスを貰ったりと、バタバタ楽しくやっています。

 昨年は方丈記が書かれて800年。よって今年は801年目です。方丈記は鴨長明が鎌倉時代に書いた随筆です。

 彼が晩年を暮らした庵が1丈四方だったことに由来していますが、1丈=10尺=3.03mなので、その大きさは6畳弱というところでしょうか。

 去年の新聞に、以下のような記事が載っていました。

 方丈記が書かれて今年で800年。人と住居の儚さを綴ったこの名作は、冒頭から平安京を襲った火災や竜巻、大地震などの自然災害を活写し、後半部では大邸宅や金銀にどれ程の価値があるのかと疑問をなげかけ、本当に必要な物だけを残す生き方を実践してみせる。欲望への執着を捨てよ、あくせく走り回ることをやめて自然と共生し、心豊かに静かに暮らすのが一番の幸せだと説いている。

 800年前から、人が目指すところはなんら変わっていません。当然と言えば当然です。

 自分が日本人であることを割り引いても、この国の文化は世界に誇れるものだと思います。独自の文化が花開いた理由に、四季のある極東の島国という理由があるでしょう。

 しかし、この条件を満たす地域は、他にもあります。よって、十分な理由にならないと感じていました。誤解を恐れず言うなら、長い歴史の中で、大きな地震が街を襲うたび、人と地域は逞しく成長して来たのではないか。

 3.11では当事者で無かった私が言うのは、はばかられますが、1.17の体験も合わせてそう思うようになりました。

 ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

 冒頭の最も良く知られた一節です。ある種の達観思想ともいえる「無常観」ですが、この列島が大陸のプレートの継ぎ目にあるからこそ、生まれたのだとも感じるのです。

 阪神淡路大震災から18年、東日本大震災から2年が経ちました。移り行かないものは無いと分かりながら、自分に出来ることは何なんだろうと考えます。街の、地域の、国の、地球の、人類の進歩に貢献できる仕事がしたい。

 そんなことを思う3月11日です。

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