昨年末、新聞に竜鉄也さんが74歳で亡くなったとありました。
「奥飛騨慕情」がヒットしたのは1980年(昭和55年)。私は小学5年生でした。
歌詞もメロディーも思い出せないのですが、その頃読んだ、彼の半生を描いた本は覚えています。
彼は病気の後遺症で盲目になりました。
マッサージ師を経て、流しの歌手となり「奥飛騨慕情」がヒットしたのが40歳半ば。
スナックで流しをしていた頃、見えないのを良いことに、パートナーがギャラをピンハネしていたり、酔った客だかその筋の人だかトラブルになった時、ビール瓶の底を叩き割り、彼が凄んでいる場面もありました。
鋭利な刃物より、割れた瓶のほうが始末に悪いと知っていたのです、というくだりがあったと思います。もう30年以上前で、子供だった私はゾッとしたのを覚えています。壮絶な人生描かれていました。
70年代、80年代は歌番組が多く、演歌も根強い人気がありました。普段は聞かないのですが、銭湯などで流れてくると「演歌もいいよな」と思います。当時は、暮らしの中に演歌があったのです。そいえば未だ現役続行、サッカーのカズはトレーニング時に聞くのは「都はるみがいいよね」と言っていました。
葬式は彼の出身地、岐阜の高山でとありました。書きながら、曲の最後を思いだしてきました。
♪ ああ……奥飛騨に雨が降る
曲:奥飛騨慕情 作詞・作曲:竜鉄也
なんと憂いを秘めた曲題か。