先週、当社のwebサイトをリニューアルしました。
webサイトの第一弾は2003年に製作しました。
こだわりの家を建てたい人、違いのある空間を持ちたい人が知りたいと思う情報を、できる限り発信してきたつもりです。
そのかいあって、多くの人に訪れてもらいました。
しかし時代の変化は早く、1年程前だったか「ボタンが近すぎて使い難い」と検索サイトから忠告をうけました。
スマホからスライドショーが見れないなどの課題もようやく解消できました。まだまだ改善点はありますが、ひとまず一段落です。
ファーストモデルのデータはもうありませんが、マレーヴィチの「白の上の白」という絵をモチーフにしました。
この白をグレーの表現に変え、正方形をひし形にデザインし、トップページとしました。
当時、ロシア構成主義の画家が1918年に発表したこの絵がとても気になっていたのです。
私にとって洋画のスタートはミレーだったように思います。
母に連れられ、展覧会をまわりましたが、小学生ながら、ミレーの絵には他を圧倒する、静けさ、敬虔のようなものを感じました。
初めて観たのは「種をまく人」だったと思います。
その後、ゴッホ、モネ等の印象派などを知り、シャガール、クリムト、ムンクなどが気になり始めます。
徐々に興味が抽象画に傾きはじめ、モンドリアン、そしてマレーヴィチを知るのです。
さらに近代へ。
アンディー・ウォーホール、リキテンシュタインとポップアートに触れます。
これは 1960年、イブ・クラインの作品。
この青一色の絵画は純粋精神としての非物質=空虚をしめしているとされます。
書家、陶芸家、そして画家でもある北大路魯山人はこういっています。
傑作と凡作との間は紙一重の相違である。
しかし、この紙一重がなかなか破れない。
人物の値打ちだけしか字は書けるものではない。
字というものは、人物価値以上に光らないものである。
60年代のパリで、クラインが描いた青だから意味があるのです。
初めにあげたマレーヴィチは、幾何学の中で正方形を最も純粋なものと考えていました。
彼も徐々に抽象画へと移行していった画家ですが「白の上の白」を描いたあと、この道をこれ以上進むことはできないと自覚し、1920年代には具象画へと回帰しました。
そこまで突き詰め、終着点となった絵だったのです。
紙一重をつき破りたい。
その紙がどこにあるのかは分かりませんが、いつも思っていないと見つけられないはずです。
もう一度、魯山人の言葉を引きます。
途方もない考えがなくては、途方もない結果はない。
必ず実現したいと思うのです。