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想像力‐1051‐

 土曜、日曜と、新潟のシャルマン火打スキー場へ行っていました。

 健常者と、チェアスキーの選手が、同じコースで試合をするのが「icetee cup」です。

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 この団体は、大学時代の友人、先輩達が設立しました。

 学生時代から続けるアルペンスキーも、この試合に出るだけになりました。

 何とか、入賞するところを子供に見せたいという気持ちもあり。

 今回は0.4秒届かずの、7位がベストリザルト。

 甘くはありませんが、かなわないとも思えず……年1回ですが、来年もフルアタックでいきます。

 1日目は晴れましたが、2日目は大雪。

 チェアスキーの人達は、特に寒そうでした。

 子供にも、ちょっと厳しかったかもしれません。

 長男も、残念ながら旗門不通過。

 宿舎が一緒だったので、チェアスキーの人達に色々聞いてみました。

 「やっぱり、パラリンピックに出るというのが目標ですか」

 「この方、リルハンメルのメダリストなんですよ」

 失礼しました。

 「日本旅館だと、段差が大変ですか」

 「そうですね。でも5cmくらいなら何とでもしますよ。ただ、車椅子が通らないと一番困りますね。50cmあればいいんですが」

 私が建築設計をしている事を伝え、聞いたのですが、様々な意見を聞かせてくれました。皆さん一様に明るいのですが、はやり困難も多いのです。

 これまでも、パラリンピックの価値を、文字としては理解していました。しかし、それらを目標としている選手と一緒に食事をし、風呂に入り、人として理解できました。

 夢や目標があるから、みな頑張れるのです。

 3年前の震災直後、ビートたけしが語っています。

 常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。

 じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。

 人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。

 一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。

 そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。

 「想像力」を、生死を例に語っています。

 書かれている通り、「人の気持ちになる」というのは決して容易いことではありません。しかし、どれだけ踏み込めるかが、人生の、仕事の成否を分ける気がするのです。

動機単純

 暖かい日が続いていましたが、今朝は少し冷えました。今日から3月です。

 オリンピックも今日で閉幕。あまり見れませんでしたが、女子フィギアスケートは、事務所の皆で応援しました。浅田真央が滑り終わった直後、点数を見ている表情は、今にも涙がこぼれそうで、心に残っています。

 フィギアスケートが世界で2番目に上手だという評価。または、キム・ヨナに負けたという結果。どちらを見るかで、景色は全く異なります。19歳の女の子は、本気で世界一を目指して、頑張ってきたのです。自分も頑張らないと、という気になりました。

 とても気になる、アメリカのボディー・ミラー。アルペンスキーの「滑降」「スーパー大回転」の銅、銀に続いて、「スーパー複合」では、金メダルを獲得しました。滑降と回転の合計タイムで争う種目です。

 2002年のソルトレイクでは銀2つ、2006年のトリノでは、前年度のワールドカップの総合チャンピオンとして望みましたが、滑降の5位がベストリザルト。

 昨年のシーズン終了後、引退も示唆していましたが、オリンピックを前にして現役復帰。かつて、団体行動は合わないと離脱した、ナショナルチームに戻ったのです。そして32歳で迎えた今回、この結果です。

 実力が凄いのですが、運命というのは分からないものです。しかし、続けていないと、何も起こらないのは誰しも同じ。すっかり触発され、今シーズンは出来る限り雪上へ行くと決めたのです。

 昨日は、近場の福井県にある今庄365スキー場へ。

 朝方まで雨が降っていたので、今日は少なめと言っていましたが、それでも結構な人出。

 大阪から2時間半で着くので、贅沢は言えません。

 長男も中級コースなら大方滑れるようになりました。2人で山頂から滑ってくる途中、ふと気が付きました。

 学生時代、左谷足のターンが、苦手だったのですが、その決定的な原因に気が付いたのです。

 また草レースにでも出るか、と思っているのです。

成長

 ゲツモクではありませんが、書いてみたいことがあります。

 また連休の話しになりますが、その最終日のこと。

 長男がロープウェイに乗りたいと言うので、標高2200mの山頂まで上がりました。天気も良かったので、スキー板を履き、長男をおぶって滑り降りました。

 この日はそれで帰る予定でしたが、「今日もスキーがしたい」と言い出します。前日はスキー板をレンタルしていたのです。

 学生時代からアルペンスキーをしている事もあり、教えるのにはつい力が入ってしまいます。

 前日は、もう少し練習すれば、プルークボーゲンが出来るのに「アイスが食べたい」「雪ダンゴを作る道具を買って欲しい」とダダをこねだしました。それならもう辞めなさい、となっていたのです。

 結局スキーはレンタルしましたが、この日も同じような感じになりました。それで、最後に一般ゲレンデを滑ったら終わりにしようとなったのです。

 滑り始めると、キッズパークで練習していた時より断然上手いのです。手放しで喜んでいると、もう一回行くと言います。滑り降りると、更にもう一回と。
 
 前日の件があったので、最終日は3時間しか借りていませんでした。

 時間が来たと伝えると、どうしてもまだ滑りたいと。短いキッズパークなら1回は滑れるだろうと、納得させました。

 「緩い斜面だから、お父さんは何も言わない。好きなように滑っていいよ」と上から見ていたのです。

 すると、今まで見たことが無いくらい、上手にターンを繰り返し、最後はブレーキをかけ、ピタッと止まったのです。完璧でした。それを見て、私は不覚にも涙を流して喜んでしまったのです。

 長男はきょとんとしていましたが、喜んでいるのは分かり「僕も、そんなに喜んで貰ったの、初めてやわ」と、知ったような口をききます。

 更に、何故かレンタルしたスキー板に向かって「今日は、よう頑張ったなあ」と話し掛け始めたのです。

 何でも褒めながらが良いのは理解していますが、真剣になってくると、つい厳しくなります。厳しくなると、辛いでしょうが、それでも頑張ったから、大きな上達があったとも思うのです。その成果が感じれるまで続けられるかが、大きな分岐点なのです。

 待っていた妻のところに帰り、報告すると「凄いねえ。あのお父さんを泣かしたなんて」と言っていました。人の成長を見て涙するなど、想像したことさえありませんでした。

 人にとって、最大の喜びは成長だと確信しました。それを適えるには、怒るだけ、褒めるだけではだめなことも。

 正しい事に頼るより、自分の体験と直感を信じたいと思ったのです。

タイヤ 交換

 学生時代、競技スキー部にいました。赤と青の旗門を交互に通過して、タイムを競う競技です。

 当時は真剣に打ち込んでいたので、12月初めから3月末までのほとんどを雪国で過ごしました。道具が多い事もあり、ほとんどが車移動。スパクタイヤが規制されスタッドレスに変わった
頃でもありました。

 私のスタッドレスデビューは散々です。先輩のタイヤを付け替えるよう頼まれました。慎重に作業したつもりだったのですが、目的地の信州が近づいて来た最後の山道。どうもタイヤまわりで変な音がするのです。

 もう少し走っていると、明らかにボディーに何かが当る音!急いで降りてみると右後輪を止めるナットが、6本中2本しか無かったのです!!

 近くのカーディーラーで分けてもらい、事なきを得たのですが、もしタイヤが外れていたら……。考えただけでもぞっとします。

 初めて自分の車をフェリーで持っていったのは大学2回生。舞鶴からフェリーで小樽まで当時は30時間程掛かりました。そこから初めの合宿地、大雪山の北部にある北大雪スキー場を目指します。

 こう言っては失礼ですが、もう辺境の地を目指す気分でした。

 250kmの道程のうち、初めの高速道路は良いのです。旭川あたりで地道に降りると、徐々に山深くなります。標高が上がるに従って、道はカチンカチンを通り越してピカンピカン。更に九十九折。聞くと寒い時は-25℃。荷物は満載で、4人がギュウギュウ詰め。ナビも無かったので、たどり着けるのか随分不安に思ったものです。

 一番長い宿所地は、道央の歌志内市にあるかもい岳スキー場。試合が集中する3月には信州への移動しますが、その他はずっと北海道でした。日本最北端の稚内方向にある名寄ピアシリスキー場、幌加内のほろたちスキー場など、クラブ入っていなければ絶対行かないようなスキー場を転々と移動しながら、正月も練習を続けたのです。

 重さが無い雪、冷え切った快晴の朝一番のゲレンデ、寂れた町の居酒屋。すぐにでも行きたくなりました。

 昨年シーズンは長女の出産もあり、初めてスキーに行きませんでした。今シーズンは何とか行きたいと思いますが、タイヤはディーラーで交換して貰います。

北海道内での位置