6月のある日、セミの鳴き声に気付きます。
それが日に日に大きくなっていき。
間もなく梅雨明けでしょうか。
「ほぼゲツモク日記」を始めたのが2004年の9月。
当初は書いたり書かなかったりで、20005年の10月からは、必ず月木に書くよう「ゲツモク日記」と改めました。
その後、「現場日記」を別サイトとしたのが2008年9月でした。
複数の現場が進むようになり、日記だけでは現場で感じたことを書ききれないと思ったからです。
現在は、工事中の現場が5件あり、週の半分は現場へ。週の半分は会社で仕事をします。
現場の環境も、郊外での新築あり、市街地のでリノベーションありと、本当に様々。
やはり現場へ出ると、目にする景色が変わります。
水を求めてかアゲハチョウが。
あまりの暑さに、這い出してきたミミズ。
目の前を疾走するトカゲ。
エサをついばむシラサギ。
生き物はこの暑さの中を、逞しく生きています。
アンパンマンの作者、やなせたかしさんは兵役を経て三越のデザイナーとして働き始めました。しかし1953年(昭和28年)に退社。
1973年(昭和48年)、54歳の時にアンパンマンを発表し、人気漫画家となるのですが、それまでは本当に仕事がなかったそうです。
漫画の仕事がなく、何でも引き受けたとありましたが、そのひとつが「手のひらを太陽に」の作詞でした。
あれは漫画の仕事がほとんどなくて辛い時代に、夜、懐中電灯で手のひらを透かしてみたら血管が浮き上がって見えたことからできたんです。
自分は元気がなくても血は赤いんだなあって。
懐中電灯ではさまにならいから、太陽にしたんですが、まさかあんなに売れるなんて思ってもみなかったですよ。
気分とは関係なく真っ赤な血潮が流れている。
そんな当たり前の真実を聞くだけで、元気がでてくるのだから不思議です。
嘘か本当かは知らないのですが、明石屋さんまは愛娘の名前を「生きてるだけで丸儲け」から付けたと聞きました。
流石は究極のオプティミストですが、それが人生の結果とした表れているのかもしれません。
みんな友達は理解できます。
しかし、オケラやアメンボでなく、やはり人に生まれてよかったと思うのです。