昨日は節分、今日は立春ということで、晴れて後厄が終わりました。
後厄は数えで43歳。私は1970年(昭和45年)の7月28日生れで42歳。昨年末で終わる。節分で終わる。2つの話を聞きましたが、立春を迎えた今日、間違いない終わったと言えそうです。
この3年間「厄年だから~」という発言はしないと決めていました。言い訳やネガティブな言動が、いい結果を生むことはありませんから。
昨晩、近所の神社を通ると、大きな焚火があがり、祈祷する声が聞こえてきました。
行事の内容は分かりませんが、この時期にまつわるものでしょう。
厄除けで有名な門戸厄神のwebサイトにはこのような説明があります。
「厄」には「苦しい、災い、節」という意味があります。そもそも「厄」は「役」に通じるといって、必ずしも「災難に遭いやすい」ことばかりが強調されてきたわけではありません。長い人生には要所要所で節目があり、肉体的、社会的にも様々な変化による区切りがあります。その節目にあたり、あらかじめ心の準備をおこたらないように昔人は「厄年」という習わしを考えたのです。
この3年間、坐骨神経痛だったり、お尻を患ったり。確かに体のケアの必要な歳になったと感じます。しかし、社会のなかでの「役」が変わったとも思います。
例えば、自分の成長のみを見ていても、事務所の成長には直結しない、というような事を思うのです。
土日は、岸和田の浪切ホールでの建築展に参加していました。
11組の建築家が、ブースを与えられ、その家づくりの楽しさを伝える、というのが目的。
今回で参加は6回目になりました。
ようやく自分のスタイルで、訪れた人を楽しませることが出来たのでは、と思っています。
例えばこのASJも、新たな役割を求めて40歳頃に登録したものです。初回の事を思い出すと、いまでも何となく嫌な汗が出てきます。
今日は、ひとつ節目を迎えた清々しい気分です。
気にしていないと言いながら、今日という日を楽しみにしていた裏返しでもありますが。