秋 「マナ」 とお別れ

 先週、妻の実家で12年10ヶ月飼っていた犬の「マナ」が亡くなりました。

 ゴールデンレトリバーという犬は大型犬で長生きが難しいそうですが、人に換算すると90歳の生涯でした。天寿をまっとうしたと言えるでしょう。

 体調が良くないと聞いていたのですが、お昼頃に亡くなったという連絡が入りました。最期は苦しまず、眠るように息を引き取ったそうです。

 

 

 

 

 その夜、実家のある高槻へ妻とお別れに行きました。私とは3年の付き合いでしたが、行った時にはよく散歩に出かけたものでした。

 翌朝早くに家に帰ろうと玄関を出ると、カマキリを見つけました。かなりお腹が大きく、産卵場所を探して迷い込んだようです。もうすぐ新しい命が生まれるのでしょう。
 
 お葬式の時には、無邪気に笑ったり、泣いたりする赤ちゃんに目が留まります。誰かが生まれれば、誰かは亡くなる。ごく当たり前のことで、永遠に続くものは何も無い。そんな時に「命は延々と受け継がれて行くものなんだ」ということを実感します。私も、その脈々と受け継がれる「命」を運んでいるとも言えます。

 妻の家族にとって「マナ」はかけがえの無いない「家族」でした。「マナ」のことを話す時は皆が笑顔でした。「命」は唯一無二で尊いものです。ですから失われた時にその存在の大きさを実感します。しかし、その時にはどれだけ多くのものを与えられたかを反芻し感謝します。

 死は悲しいものですが、決してネガティブなことだけではありません。死を見つめることによって、「生」が鮮やかに浮かび上がってきます。全ての生物の最期には、そんな役割があるのでは無いかと思っています。