カテゴリー別アーカイブ: 04 建築

一級建築士

 最近話題に上らない日の無い構造計算偽造問題。被害に遭われた方には掛ける言葉も見当たらない程、気の毒に思います。この件に触れない訳にはいかないので販売会社、施工会社のこともありますが、まず設計について思うところを。

 

 

 

 

 その前に鉄筋コンクリート造って何でしょう。

 強い構造体を作るため、圧縮力に優れたコンクリートと、引っ張り力に強く粘りのある鉄筋の特性を合わせて出来た構造なのです。逆に言うと互いの弱点をカバーしているので、いずれかが欠けると不安定なものとなってしまう訳です。

 コストダウンの為に構造計算書を偽造し、鉄筋量の減らされた柱や梁は専門の人間が見れば誰でも分かる程、細く薄かったと言います。その不安定で巨大な建物がもし崩壊すれば凶器と化すのです。専門家としての立場を利用し、不当な利益を得るため不正を働いたのですから、これは一級建築士がどうとかいうレベルの話では全くないと思うのです。

 「生活の為にしかたなく・・・・・・」と。人の生命を危険にさらしまで得てよいものなどあるはずも無く、今の日本で生活するだけなら方法はいくらでもあったでしょう。もし目指すものが高いのなら、先にパンを得ることを考えるのではなく、社会に求められる人間となるよう精進するべきだと思います。

 私にとって建築設計は仕事ですが、ただそれだけではありません。人の命や生活を守り、育むためにある建築を、設計出来るこの仕事を心から愛しています。良い建築を創れば街や社会にも貢献することもできるので、その遣り甲斐はとても大きなものです。本来仕事とは、自分自身を磨く修練の場を与えてくれるかけがえの無いもののはずです。

 しかし建築はその大きさゆえ多くのお金がかかります。貴重な財産でもあり、大きなビジネスとしての一面も持っています。その全ての元となるのが設計なので、関わる者は道徳感、倫理感そして哲学をも求められると考えています。その上で、クライアントの大きな期待を背負い、応え、上回ることは簡単ではありません。

 私も一級建築士ですが、今回の事件でその資格を汚されたとか、信用を失ったとかいう事には全く興味はありません。資格は必要最低限の証明書なのでいろんな人がいます。そもそも、人は資格などといいう小さなものに頼るべきではないと思います。
ただ思うのは、建築を愛さない人に建築設計には関わってもらいたくないという事だけです。今回のことをきっかけに設計者というパートナーを選ぶ時、資格や周りの状況などに囚わされず、人自身を見て判断されるようになる事を望むのです。

なにわの海の時空館

 昨日の11月23日(水)は勤労感謝の日。祝日ということで昼過ぎから「建物探訪」してきました。

 

 

 

 

 大阪南港にある「なにわの海の時空館」はシャルル・ドゴール空港などでも有名なフランスの建築家ポール・アンドリューの設計です。

 海辺に建つエントランス棟から地下に降り、海底の地下道を通り展示棟へアプローチします。海中が見える天窓が4つ開けられていました。60cmくらいのスズキが見えます。

 

 

 

 

 展示棟で海上にある巨大なガラスドームの底に着くと、エレベーターで一気に4層上ります。そこから順番に降りてくるという動線でした。

 

 

 

 

 江戸時代、大阪が「大大坂」と呼ばれた頃、江戸とを結んでいた菱垣廻船が復元されドームの真ん中に据えられています。船が完成してからクレーンで巨大ガラスドームを被せたそうです。

 この海洋博物館、大阪の海の歴史、ヨットが何故進むか、大航海時代・・・・・・と内容は盛りだくさんで、かなり充実していました。


 

 

 

 

 空間としては、折角の大空間を水平方向に区切る必要があるのかな、という気はしましたが、夕陽を浴びる姿は、なにわの海に映えていました。

 

 

 

 

 海岸沿いも公園になっていて、北にユニバーサルスタジオ、東に天保山の海遊館が見えていました。

 このコスモスクエアと呼ばれる地域には、WTCコスモタワー、アジア太平洋トレードセンターなどがあり市内からちょっと出掛けるには良いかもしれません。

 

 

 

 

 運営はなにかと問題の多い大阪市の第3セクター。遊びに行く事が一番の助けになるのかも。

阪急梅田駅の歴史

また大阪梅田のお話。阪急百貨店が営業しながら改築するという、ややこしいことになっています。

西に阪急百貨店、東に阪急グランドビル(32番街)の間のコンコースも半分は工事中でした。9月13日より、解体工事も始まっています。

知っている人も多いかもしれませんが、この空間は初代阪急梅田駅のホームでした。

初代梅田駅は昭和4(1929)年、世界で初めて百貨店を併設する駅として建設されます。駅の施設はグランドビルの部分にありました。

(写真:旧ホーム跡-下・写真のレトロドームから現在駅のある北側を見る)

昭和4年当時の建物で、現存しているのは阪急百貨店と旧ホーム跡、コンコース南のシャンデリアがあるレトロなドーム部だけです。

この最南端部にあるレトロドームは旧駅の待合室でした。

設計は平安神宮や築地本願寺なども手がけている建築家・伊東忠太によるもので、壁上部にあるモザイク画やシャンデリアも彼のデザインです。

(写真:旧駅の待合室-レトロドーム)

その後、昭和45(1970)年の大阪万博の頃、駅拡張のため梅田駅を現在の場所に移す計画が持ち上がります。

その際には伊東デザインのレトロドーム部のみ阪急百貨店と共に解体を免れました。

そして昭和46(1971)年、駅はJRを越えた北側の現在地に大移動します。駅が遠くなったのでJRガード下には日本で初めてムービングウォークも設置されました。

旧ホーム跡の金属ドームや列柱は、最南端にあるレトロドームと新しい駅の手前にあるムービングウォークを繋ぐ為に考えられた苦肉の策だったのです。

映画「ブラック・レイン」で故・松田優作がこの旧ホーム跡に登場したシーンは記憶に残るところ。

私が通りがかった時には、もうレトロドームと壁画は工事の為塞がれていました。苦心の結晶である金属ドームと列柱のみ、見ることができました。

今回の改築でレトロドームの壁画のみ保存されるようですが、梅田の景色は大きく変わることになります。旧ホーム跡が様変わりすることを惜しむ声も大きいのです。

街や商業施設は変化して行くのが常です。しかし、中学1年生から7年間、毎朝通学でここを通った私もこの景色には愛着があり、変わってしまうのは寂しいものがあります。

34年前の駅移設の際も完成の後、長い間非難の声が大きかったようです。

しかし、苦心の跡は見てとれます。その結果、旧ホーム跡は大阪の風景となりました。

新しく生まれ変わる阪急百貨店と旧ホーム跡も、時間とともに文句の多い関西人に愛されるような空間となる事を願います。街の風景となり得るような。

「坪」

 建物や土地の大きさを表す時、一般的には「坪」という単位が使われます。

 1坪は6尺平方(約1.82m平方)で約畳2枚分です。漢字は読んで字のごとく、平らな土地ですが「大きさ」には由来があります。

 「1坪」=「1日に兵隊1人が食べるお米の取れる水田の面積」

 「1坪」×360日(旧暦の1年は360日)=「360坪」=「1反」

 「1反」は「1年に兵隊1人が食べるお米の取れる水田の面積」 となります。また1反からとれる米の量が1年間に食べる米の量=1石(こく)となりました。

 加賀百万石とは、100万人の兵隊を1年食べさせる事が出来るという意味です。

 現在は農業技術も進歩したので、1人が1年間に食べるお米は、約150㎡(45坪強)くらいの水田で収穫出来るので、昔と比べると8倍も採れるようになりました。

 ちなみに、ご飯茶碗一杯あたりの米粒は、約3,000粒。1房は約2.000粒なので1.5房食べている計算になります。

 戦後になって国は国際的に通用するメートル法への移行を進めました。1966年には「計量法」により尺貫法の使用が禁止されています。

 正式には「坪」という単位を使ってはいけないので、住宅の工事費を坪当たり単価で示す場合には「3.3平方メートルあたり○万円」と表記しなければなりません。

 それでも一般的に「坪」が使われるのは、やはり日本人のお米への特別な思い入れと長い歴史があるからなのでしょう。

 「㎡」を「平米」と言ったりするのはmへの当て字でしょうが、それにさえ何か訳があるような気さえしてきます。

『建築ジャーナル10月号』でアトリエmが紹介されました

 10月4日発行の『建築ジャーナル10月号』(建築ジャーナル)で私の設計事務所アトリエmが紹介されました。8ページで昨年までの作品が掲載されています。

 8月に掲載の話があってから進行中の仕事と平行して原稿を作ったり、webサイトの更新をしたりと何とも慌しい2ヶ月半でしたが、事務所を設立してからの10年を整理する良い機会になりました。

 全ての作品に深い思い入れがあり、その時々のクライアントとの関わりを思い出します。1枚1枚の写真を見ていると感慨深いものがあり、それぞれの現場での光景が蘇ります。今は節目を迎える作業を終えたようで、なんとも清々しい気分です。

 建築の専門誌なのでどこの書店でも売っている訳では有りませんが、もし立ち寄られたらのぞいてみて下さい。

取り扱い書店
■京都府  ジュンク堂書店 京都店
        丸善 京都河原町店
        大龍堂書店 
■大阪府  旭屋書店(梅田)
        ジュンク堂書店 難波店
        ジュンク堂書店 大阪本店(堂島アバンザ内 )
        アセンス(心斎橋筋)
        丸善 大阪心斎橋店
        紀伊国屋書店 本町店
        柳々堂
        建築会館ブックセンター
■兵庫県  ジュンク堂書店 三宮店(三宮センター街)
        ジュンク堂書店 サンパルブックセンター(サンパル3・4F)
■web    建築ジャーナル

桂離宮 そして タウト

 

 

 

 

 阪急電車の桂駅から20分ほど歩いた所に桂離宮はあります。宮内庁管轄の施設でも一番人気で3ヶ月前に予約して参観してきました。

 
桂離宮は1662年に完成した皇族の別荘で最高の日本庭園と言われています。ドイツを代表する建築家、ブルーノ・タウト(1880~1938)が絶賛したこともあり、世界的な評価も非常に高く、当日の参観者も1/3は外国の方でした。

 

 

 

 

 タウトはナチス政権を嫌いスイスへ、1933年に日本へと亡命しました。世界大戦へと向かう中で日本文化に巡り会います。桂離宮だけでなく伊勢神宮、飛騨白川郷、岐阜高山の民家など、伝統的な日本の建築美に触れました。

 それぞれの場所で簡素で合理的、かつ繊細な美しさを絶賛しています。タウトは日本の美を世界に伝え、日本人にも再確認させた、偉大な恩人と言えるかもしれません。

 

 

 

 

 「それは実に涙ぐましいまで美しい」タウトが桂離宮を訪れた時に残した言葉です。確かに桂離宮は、他の日本庭園と比べると、非常に秩序高い、厳しいまでの美しさがあるように感じます。

 気になっていた事があったので、案内してくた宮内庁の方に質問してみました。

 

 

 

 

 

 

「桂離宮、修学院離宮、仙洞御所の建設は、何故1600年代の中頃に集中しているのですか?」。「徳川幕府になって、皇族は政治から遠ざけられました。おそらく建築や造園に心血を注いでその威光を示したかったのだと思います」という答えでした。宮廷文化であるのに、涙ぐましいまで美しいのは、そんな背景があったからかもしれません。

 約3年半の日本滞在の後、タウトはトルコに旅立つのですが最後に「われ日本文化愛す」という言葉を残したそうです。日本人なのに気づかない美しさや文化はたくさんあります。日本人だからこそ、気づかない事も。

肥後橋あたり

 

 

 

 

 

 

 今日から9月。空が高くなってきました。

 淀屋橋の大阪市役所と肥後橋にある写真現像所は、仕事でよく出掛けます。中之島の南側の土佐堀川沿いは、江戸時代から商売の中心地だったこともあり、一帯には古い名建築が多く有ります。

 淀屋橋側から大阪市中央公会堂(設計:岡田信一郎)、大阪府立中之島図書館(設計:野口孫市)、日本銀行大阪支店(設計:辰野金吾)、三井住友銀行本店(設計:長谷部鋭吉、竹腰健造)などです。

 新しい建築の中で私が好きなのは、肥後橋より少し西にある中之島三井ビルディング -東レ大阪本社-(デザインアーキテクト:シーザー・ペリ&アソシエーツ)です。

 秋の雰囲気が増した空に、ガラスとステンレスの秩序あるデザインが映えていました。

修学院離宮

 

 

 

 

 宮内庁の管轄する、京都御所や桂離宮を無料で参観できることは一般的に知られているのでしょうか?

 庁職員の方が一緒に歩き、丁寧に説明までしてくれます。この暑い時期はなんと言っても京都東山にある、修学院離宮がお勧めです。秋の紅葉が美しい事でも有名ですが、もともと17世紀に後水尾上皇が築いた別荘なので、京都市街を望む高台にあり、眺めも涼やかです。

 

 

 

 

 ものすごい広さの敷地の大半は棚田になっており、その中には松の並木道で繋がれている離宮が3つあります。最も高い位置にある上離宮からの眺めは、絶品です。なにしろ、時代が時代なら絶対入ることの出来ない場所です。
 
 私の好みは、ベンガラ壁の下離宮ですが、ここは御所から2時間程かけて、お輿で離宮に入られた際に初めに休憩する場所だったようです。

 

 

 

 

 日本の宮廷文化の粋を集めた庭園は、柔らかな曲線を描く丘の間に、比叡山から流れる出る山水が導かれています。至る所からせせらぎの音が聞こえますが、ポンプなどは一切使っておらず高低差のみで離宮内を巡っています。

 沢からは、比叡山からのヒンヤリとした風が流れて来て、別天地の心地でした。


 

 

 

 

 クーラーなどない時代、お上はこの池でお船遊びをされようで・・・・・・

「城陽の家」のクライアント

 「城陽の家」はちょうど奈良と京都の真ん中あたりにあります。街を少し離れると、周りはのどかな田園風景の広がる、なんとものんびりしたところです。

 

 

 

 

 こちらのお宅は、竣工してから大分経つのですが、まだ写真撮影をしていませんでした。理由はダイニングテーブルが無かったからです。

 竣工写真や、クライアントの人柄は後日アトリエmのサイトにUPする予定ですが、何事においても、こだわりが半端ではありません。テーブルが決定するまで、実に10ヶ月!の時間が経っていました。

 

 

 

 

 ご主人は、アンティークショップをサイト上に開いていて、イギリス、フランス、アメリカへ自分で買い付けに行って、そのショップで販売しています。
家には商品でもある、愛すべきアンティーク雑貨が溢れていて、自分の気に入ったモノに囲まれて暮しているのです。

 ダイニングのチェアーも以前から所有している、ミッドセンチュリーの傑作「イームズ」で、かつレアカラーだそうです。


 

 

 

 

 趣味は、レーコード、自転車、スノーボードそしてアンティーク雑貨、等などで、いつも熱っぽく話してくれます。私も話すのは大好きなので、打合せの時は4時間くらいは当たり前でした。

 そんな訳で、テーブルも入ったので、写真撮影の下見に行って来たわけです。やはり、こだわりにこだわっただけあって、テーブルはこの家にピタッと合っていました。

 その時も、ご主人と、建築のこと、音楽のこと、最近の日本のこと等、またまた2時間半も話し込んでしまいました。城陽に住むクライアントは、そんな、とっても愛すべき人物なのです。

 

 

 

 

 伺った際に、ちらかっている事を気にしていたので、「今日撮った写真は、サイトにはUPしませんから」と伝えていたのですが、写真を見ていると 何か書きたくなったので、少しだけ日記にUPしていましました。

 Tさん、すいません!

国宝 -待庵-

 

 

 

 

 

 

 先週末に、京都の大山崎にある妙喜庵というお寺の茶室-待庵-に行って来ました。傷みが激しいとの事で、残念ながら、内部は撮影できませんでした。

 待庵は、侘茶の祖、「千利休」の唯一の遺構と言われています。創建については諸説あるようですが、1582年、明智光秀との天王山の合戦に挑む豊臣秀吉が利休を陣中に招き、二畳の茶室を作らせたものを、1610年に現在地に移築したというのが、一般的なようです。

 待庵はわずか二畳の茶室ですが、広めの「躙口(にじりぐち)」の正面には「室床」が見えます。

 利休は、無駄を排除した茶室が、二畳になっても、亭主が客人をもてなす心を伝える「床」は必要と考えていました。豪華な名品を飾るのではなく、心を込めて、野花を一輪生ければ良いとしたのは、もてなす心を追求して行った「侘茶」の精神をよく表しています。

 壁は、わらすさを見せた荒壁仕上げで、所々で「すさ」が白く光ったように見えます。壁や天井の隅は、土壁を塗り回して、この小空間に出来る限りの広がりを与え、さながら「二畳の小宇宙」と言ったところでしょうか。
こうして、利休は、茶道を極めることによって、多くの大名に愛されました。ところが、それが強い影響力を持ちすぎる事になり、危機感を感じた秀吉は、最終的には、切腹を言い渡します。

 非情なまでに、「茶」を追求した、求道者の悲しい最期になってしまいました。
梅雨空のもとに佇む-待庵-は、400年の時が経っても、そんな求道者の悲しみを併せ持った、悲しくも大変美しい建築でした。