国宝 -待庵-

 

 

 

 

 

 

 先週末に、京都の大山崎にある妙喜庵というお寺の茶室-待庵-に行って来ました。傷みが激しいとの事で、残念ながら、内部は撮影できませんでした。

 待庵は、侘茶の祖、「千利休」の唯一の遺構と言われています。創建については諸説あるようですが、1582年、明智光秀との天王山の合戦に挑む豊臣秀吉が利休を陣中に招き、二畳の茶室を作らせたものを、1610年に現在地に移築したというのが、一般的なようです。

 待庵はわずか二畳の茶室ですが、広めの「躙口(にじりぐち)」の正面には「室床」が見えます。

 利休は、無駄を排除した茶室が、二畳になっても、亭主が客人をもてなす心を伝える「床」は必要と考えていました。豪華な名品を飾るのではなく、心を込めて、野花を一輪生ければ良いとしたのは、もてなす心を追求して行った「侘茶」の精神をよく表しています。

 壁は、わらすさを見せた荒壁仕上げで、所々で「すさ」が白く光ったように見えます。壁や天井の隅は、土壁を塗り回して、この小空間に出来る限りの広がりを与え、さながら「二畳の小宇宙」と言ったところでしょうか。
こうして、利休は、茶道を極めることによって、多くの大名に愛されました。ところが、それが強い影響力を持ちすぎる事になり、危機感を感じた秀吉は、最終的には、切腹を言い渡します。

 非情なまでに、「茶」を追求した、求道者の悲しい最期になってしまいました。
梅雨空のもとに佇む-待庵-は、400年の時が経っても、そんな求道者の悲しみを併せ持った、悲しくも大変美しい建築でした。

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