お風呂と便利

 現在、ゴールデンウィークの真っ只中。しかし、幸せにも、残念にも、私は仕事であります。

 この間、母に「風呂場で、子供にオシッコを掛けられた」という話をしていると、「そう言えば小さい頃、銭湯の湯船の中でウンコをしてしまって、プカプカと浮かんで来た時は、慌ててタオルで隠したワ」と笑っていました。私の小さい頃の話です。

 ん。という事は、風呂が無かったということ?

 父は今も、ガラス屋を営んでいますが、私が1歳になるころ、現在の場所に引っ越して来ました。それまでは、四畳半と三畳、二間きりの長屋を借りて、四畳半の部屋を仕事場に改造し、三畳間で父、母、父の従兄弟の3人で生活をしながら、ガラス屋を始めました。考えてみれば風呂などあるはずも無かったのです。

 1970年、昭和45年の話です。大阪万博が開催され、高度成長期の真っ只中で、仕事も本当に忙しく、大阪には活気が漲っていたそうです。

 当時の色あせた写真を見ると、大阪の下町の風景が見て取れます。舗装されていない道路、所々に残る田んぼ、角ばった無骨な車、そして華奢な家々。家同士は密集しており、道が広いわけでも無いのに、何故か街はゆったりとしていて、開放感があるのは、家が軒並み2階建てだからでしょうか。

 建築の設計をしていると、いつも繰り返し考えます。「街も家もどんどん便利になっていく。しかし、良くなったんだろうか」ということです。

 私の家も含めてですが、多くの事が家の中で完結できるようになると、地域との関係は自然と粗になって行きます。ご近所に頼らなくても、何とか暮らせるからです。お風呂屋さんに行かなくても良いし、映画館に行かずとも、テレビでも結構な画質と音でDVDを観ることができます。便利で快適ですが、本当に良い事だけなのかな、とも思います。

 懐古的な発想だけでは、前には進めませんし、クライアントの要求に応えるのが、職業建築家の仕事です。しかし、便利さによって失なうものがあるかもしれない、という気持ちは常に持っていないと、もっと大きなものを失うかもしれません。明快な答えと方法が有るのかと言われれば、口ごもってしまう部分もありますが、建築を通して、自分なりの提案はして行きたい、と。

 親が風呂の無かった昔を思い出し、大変だった事を、嬉しそうに話すのを見て、そんな事を考えました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA