木村の後に木村なし‐1096‐

 9月8日(月)は雲のない中秋の名月が見れました。

 三脚を構え、じっとファインダーを覗いていると、月が惑星なのだと改めて認識します。

 「王や長嶋がヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草」

 野村克也は自身を評してこう言いました。

 月と太陽、陰と陽が、この世の中には存在します。

 どちらも味わいつくした、柔道家、木村政彦。

 著者、増田俊也は18年に渡る取材を経てその人生を描きました。

 1000頁を超えるノンフィクションですが、ぐいぐいと引き込まれて行きます。

 戦前、戦中、戦後、15年間不敗で柔道界の頂点に立ち続けた木村政彦。

 「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われました。

 しかし彼がプロとなった為、アマチュアリズムをうたう柔道界から、その存在は消し去られて行きます。

 彼の人生を縦糸に。柔道史、総合格闘技史、プロレス史などを横糸に話は展開して行きます。

 クライマックスは2つ。

 1951年10月23日、ブラジル、マラカナンスタジアムにて、グレーシー柔術の創始者、エリオ・グレーシーを破った一戦。

 3万人の観衆を集め、大統領の前で、国民的英雄を下した真剣勝負でした。

 そして、1954年12月22日蔵前国技館にて、力道山にノックアウトされた一戦です。

 この不可解な敗戦により、その名前は地に墜ちます。また、関係者は忸怩たる思いをずっと抱えてきたのです。
その汚名をそそごうと、柔道経験のある筆者の荒い呼吸が伝わってくるようです。しかし、結論はここには書きません。

「飢餓海峡」 水上勉
「沈まぬ太陽」 山崎豊子
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 増田俊也

 この10年、最も心に残った三冊にはいずれも同じ匂いがします。戦争が、それぞれの人生に暗く大きな影を落とし、運命を狂わせているのです。

 全盛期を戦争に翻弄され、戦後は影の人生を生きた木村政彦。読破感、幸福感は全くありません。

 しかし、読後に何度も、木村政彦のことが浮かび上がってきます。これだけ後を引く本はなかなかありません。間違いなく、ノンフィクションの傑作です。

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