前回、紅葉の花と書きました。
紅葉は、庭木としても優れています。葉が細やかで、陰影美しい。枝がしなやかで、風を感じることが出来きます。
秋の紅葉は勿論ですが、赤い小さな花も、緑を引き立てます。
先日スタートした「高台の家」ですが、現場には石垣があります。
その隙間から、顔を出すタンポポ。春は草木の写真に事欠きません。
こういった景色をみると、この句を思い出します。
よく見れば、なずな花さく垣根かな 芭蕉
垣根の隙間に咲くなずなを見つけ、春をおとずれを感じる。2011年3月31日にも紹介しました。
この対極にあるのが以下の言葉でしょうか。
人間の最大の罪は鈍感 トルストイ
野村克也元監督が、よく引用した言葉ですが、野球をする理由をたどって行くと、何故生きるのかまでたどり着かざる得ない。
そこまで言っても「ああそうですか」と言う人と、それ以上話しが続くことはないでしょう。
4月初めから、入所試験を受けていた若者は残念ながら不合格としました。クライアントにも「頑張って」と声を掛けて貰っていたのですが。
私は教育者として、何かを磨いて来た訳ではありません。しかし、チームで仕事をする、経営をするということは、その側面があるのは否めません。
では、教育によって「感じる能力」を伸ばすことが出来るのか。結論で言うと否だと思ってます。
感度が高い人は、普段から感じたい、知りたいと思っている人です。そういう人は、自分が吸収したいと思ったことは、すぐに取り入れます。
必然的に成長するので、成功体験があります。このルーティーンが習慣化され、そういった性格になっているのです。
この反対が、自分は特別な人だと思っている人です。
成長のチャンスは自分の欠点が見えた時ですが、自分を特別視するので、指摘には否定的。よって成長しません。
少々才能があっても、こういった人が持続的に成長することは無いと思っています。
何度か「メモをとりなさい」と言った時点で、もう入所試験は終っているのです。
教育では無理と言いましたが、感じるとは、自分の中から湧き上がって来る感情です。もし魅了することが出来たら、あんな人になりたいと思わせることが出来たら、人は変わるかもしれません。
そういう夢と希望を持ち、また努力するしかありません。
4年前も、新規スタッフが入ってきたこの季節に芭蕉の句を引きました。春は出会いと別れの季節です。