11月も中旬に入り、山間部では紅葉が見頃でしょうか。
昨日は万博公園に寄りました。
盛りの一歩手前というところでした。
それでも、日当たりの良い樹は見事な朱に染まっていました。
現在太陽の塔を管理する大阪府から、内部公開を可能にする為、改修工事に入いるとアナウンスがありました。
最後の内部公開の様子が新聞に載っていましたが、出来ればオリジナルの内部をみておきたかったというのが本音です。
後悔先に立たず、です。
すでに、足下には柵ができていました。
太陽の塔には3つの顔があります。
頭頂部の顔は「未来」を表現しています。
特殊な金色のフィルムが貼られており、上に伸びるのは避雷針です。
万博開催時には、レーザー光線が目から出ていたそうです。
正面の顔は「現在」を表します。
この顔は、先日も紹介した全自動洗濯物折り畳み機を発表したセブンドリーマーズのグループ会社、スーパーレジン工業が製作したものです。
赤のライントはイタリアのガラスモザイク。
一体これが何を表しているのか分かりませんが、躍動感を与えています。
そして、背面の顔は「過去」を表します。
こちらは信楽焼きのタイルで表現されています。
切れ長の目で、薄く微笑んでいるようにも、怒っているようにも見えます。
過去の顔は、初めてまじまじと見てきました。
控えめに盛り上がる鼻筋など、見入ってしまう程の美しさ。太陽の塔は大きいので、なかなか裏まで回る機会がなかったのですが。
1970年、大坂万博のテーマは「人類の進歩と調和」でした。
しかし、岡本太郎はこれを真っ向から否定しました。
「人類は進歩なんてしていない」
「縄文土器より、土偶より美しいものを現代人はつくっていない」
お祭り広場を設計した丹下健三は、すでに世界的な名声を手にしていました。
巾150m、長さ350mの世界でも類をみない大屋根を設計し、その下にパビリオンを収める計画でした。
現在もお祭り広場の位置に、その一部が保管されています。
しかし、岡本太郎はその屋根を突き破る、高さ70mの巨大な塔を提案しました。
岡本太郎は「本当の調和とは、フェアにぶつかりあうことだ」と考えていたのです。
お祭り広場にある地下トイレは、おそらく当時のままだと思います。
46年の年輪を感じさせます。
壁に、当時の写真が飾られていました。
現在、万博公園に残るのは太陽の塔だけです。
建築設計に係るものとしては一抹の寂しさはありますが、丹下はそれも理解の上、岡本案を受け入れたのかもしれません。
人の能力は石器時代より衰えているとも言います。
毎日が生きるか死ぬかの戦いをしていた彼らより、現代人の能力が落ちるのは、至極当然かもしれません。
当時より、生きることは容易くなったかもしれませんが、幸せや充実は増しているのか。
岡本太郎が言いたかったのはそんなことなのかもしれません。
情熱を爆発させるのに、条件も時代も場所も関係ないのだと彼の声が聞こえるようです。
知った風なことを言うなと怒鳴られそうですが。