昨日、生駒山から太陽が頭を出したのは6時22分。
歳と共に早起きになると言いますが、今のところ私は6時で目一杯です。
生駒つながりで、北浜にある生駒ビルヂングです。
火曜日、SEIUNDOの現場へ行った際、前を通りました。
昭和5年、1930年の完成で、北浜界隈に残る、近代建築の一つ。詳しくは生駒時計店のwebサイトを。
スクラッチタイルで覆われた鉄筋コンクリート造の建物ですが「生」の字が、遊び心を感じさせます。
丸窓や、鷲の彫刻が施されており、多くの手、お金が掛かった建築なのです。
南よりにある縦長の開口部は、振り子をイメージしたものだそう。直喩の表現です。
2月中旬、写真家に撮りなおして貰った「宝塚の家」の写真が上がってきました。
生駒ビルヂングを絵画に例えると、王宮絵画の流れを引く、古典主義といった所でしょうか。
一方、宝塚の家は抽象画。
料理で言うなら、日本料理の刺身のイメージ。最小の手数で、素材を引き出したいと思っているのです。
対して、生駒ビルヂングはフレンチのフルコースか。
例えとは、互いが理解できる共通項を見つけ出し、そのジャンルに置き換えることです。食べない人は居ないので「料理」はとても重宝するのです。
先日、レンタルDVD店へ行くと、キャッシャーでいきなり「磨きますか?」と尋ねられました。あまりに唐突だったので「何故磨くの?」と聞いてみました。
25歳くらい若者は、慌てる風もなく、「キズが付いているのが嫌な人も居るので」と言います。私は、「キズが付いていても、観れれば嫌じゃないよ」と答えたのです。
アルバイト(社員?)の若者に問う必要があったのかは分かりませんが、この応対に何の指導もなく、彼は報酬を得ます。
日本の未来に、多少の杞憂を感じのは、ある程度の歳になったからでしょうか。
「何故?」がなければ、全ては暗記するだけになります。そして間違います。ましてや、伝えたいといく気持ちが無ければ、比喩など全く不要です。
トーマス・エジソンは小さい頃「何故?」を連発し、大人を大変困らせたそうです。立派なプロになるのに、難しいロジックなど要らないと思っているのです。