昨日、フジテレビの『みんなのニュース』で「灘の高台の家」が紹介されました。
今回も、放送後の報告ですが、こちらの住宅は、神戸の高台にある一戸建て。
築24年の中古物件をフルリノベーションしました。
ディレクターから、「高断熱」「お得感のあるリノベーション」の情報が欲しいと連絡がありました。
そしてピックアップしたのがこの住宅。
こちらのクライアントは、共に30代前半。
22日(火)の夕方「工事費用も出るのですが、写真をテレビに出しても大丈夫ですか」と問うと、その日の内に快くOKの返事を貰いました。
残念ながら関東ローカル枠での放送で、関西圏では見ることが出来ません。
しかし、丁度一ヵ月前に2月23日に「松虫の長屋」を紹介して貰ったので、2ケ月連続です。
また、3月22日発売の『関西ウォーカー別冊付録<大阪ライフウォーカー>』に「住之江の元長屋」が紹介されました。
大阪の暮らしを再発見!とある通り、大阪をアピールする別冊です。その中の「仕事・住まい」のページで取り上げて貰いました。
こちらは、写真1枚のみですが、2013年、大阪住まいのリフォーム・リノベーションコンクールで戸建て部門、最優秀賞を貰った縁で、大阪府庁の方から連絡を貰いました。
テレビや雑誌というメディアも、結局判断するのは人なのです。
初めて作品をテレビで紹介して貰ったのは、2004年の「平野西の家」です。
また、初めてテレビに出演させて貰ったのは2008年。フジテレビの夕方の帯番組、安藤優子がメインキャスターを務める「スーパーニュース」内の特集でした。
「境内の中の家」を建てる過程を200日に渡って、密着取材して貰ったのです。
そのディレクターが、現在「みんなのニュース」のディレククターをしており、その縁でのオファーなのです。
作品を発表し、メディアに取り上げて貰うのは、1つの目標ですが、それには大きな理由があります。
2013年の年末、2年程登録していた建築家プロデュース会社から脱退しました。
「建築家との家づくりは、こんなに楽しい」ということを、色々な会場で説明するのが私達の役割です。
家を建てたいという人と出会い、お互いが求め合えば計画は進んで行きます。
しかし、その会場は準備して貰ったもの。この世にただはないので、その対価を支払う必要があります。それは、互いが納得すれば問題ありません。
所属していた期間は、オファーがあれば何とか都合をつけて出来る限り参加し、全力を尽くしたつもりです。
色々な地域で、そのような催しに参加させて貰い、また、他の建築家と話す機会もあり、とても勉強になりました。
しかし、中には「仕事を与えてやっている」感が前面に出ている人もいて、違和感を感じ始めていた頃でした。
そんな中、どうしても納得できないことがあり、辞めることにしたのですが、その経緯はここでは書きません。
後日、その会社の営業が当社にやってきました。
あまりにも上からものを言うので「ここは神聖な仕事場だ。これ以上好き勝手な事を言うなら、出て行って貰う」と言いました。
すると「人を汚い物みたいに。一個人事業主に、そんな事は言われたくない」と彼は私に言いました。
2週間くらい頭に来ていました。この時ほど、早く法人化しておくべきだったと悔やんだことはありません。
未だに、そんな扱いをされるステージに居る自分が悪いと言い聞かせ、その怒りをねじふせたのです。
それまでも、直接のオファーを貰っ仕事だけでやって来ました。いくらかでも、敬意を持ってくれる人とのみ仕事をしてきた私からすれば、あり得ない扱いでした。
私達の仕事は、安定感の無い仕事です。1年くらい先までの仕事は決まっていますが、ずっとオファーがある保証はありません。それ故、少しでも間口を広げるべきという考えも正です。
しかし、毎回の仕事を、一期一会の精神で取り組み、そのストーリーを世に伝えることこそが、私の生きる道だと確信しました。
今、心の中で思っている事を、そのまま発言できないような生き方は辞めようと思ったのです。
この高度情報化社会では、機会(情報)を多く持っている人が勝ちという側面があります。更に、額に汗して働いている人より、マージン商売をしている人のほうが、優秀という風潮さえあります。
しかし、そんな世の中で、誰が真面目に努力を続けられるでしょうか。
自由に生き、正しいと思う道を進みたい。それには、誰にも頼らない生き方をしなければなりません。
納得できなきことは絶対やりたくない。曲がったことが大嫌いなのです。