カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

燃費?そんなの関係ねえ!(ボートの時だけ)‐2220‐

週末は、今がハイシーズの池原ダムへ。

トボトスロープに駐車している車のナンバーも、関西以外を沢山見かけます。

天気が下り坂なのは分かっていたので、早々に出船します。

このところの雨で、沢山の流木、ウッドチップが水面に浮いていました。

その下に付いている魚を、水面で食わせましたがサイズはこのくらい止まり。

この時期に全国から釣りキチが集まってくるのは、 大型を狙って釣れる可能性が上がるからです。

産卵を意識した大型のメスが、岸際の浅いところに居るのです。

少々雨が降ろうと、本当に好きな人は全く関係ありません。

むしろ「活性が上がる」と喜ぶくらいですから。

私も若い頃はそういうタイプだったのですが、本降りになってきたタイミングで退散してきました。

昼過ぎからゆっくりきなりの湯で温泉につかり。

日の明るいうちに、定宿のバンガローへ。

ちょっと用事を済ませて、夕方から晩酌です。

22時には夢の中でした。それはそれで最高の休日です。

日曜日も4時台に起きて釣りを開始。

天気が回復傾向で、晴れ間の見える時間帯もありました。

やはり晴れの池原は美しい。

昼まで頑張りましたが40cmまででした。

この時期、ここで良くお会いする浜松さん。

本名ではなく、静岡県の浜松から来られているのですが往復なら600kmはあるはずです。

少しお話しをしたのですが「59cmまでを4本くらい掛けました」と。

遠くから来ておられる上に熱心で、私の釣果とは雲泥の差でした。

しかし、池原ダムを愛し、遠くから来てくれることは、わが事のように嬉しいものです。

少々根気がなくなっても、ボートを滑走させている時の気分は最高です。

大阪から車で往復すると230kmくらい。ハイオクが35リッターくらい必要なので、できるだけ無駄にアクセルを踏まないようにします。

しかしボートは別。ついつい、飛ばしてしまうのです。

毎回レギュラーが25リッターくらいでしょうか。

燃費?そんなの関係ねえ!(ボートの時だけ) 

そもそもボートの燃費走行が、何km/hか分かっていませんが。

その代わり、少し工夫しています。

道中の明日香村はガソリンが安いので、車、ボート分ともこの辺りで給油します。

色々な割引を使って、昨日はハイオク173円、レギュラー162円でした。

最後に超レア情報です。

今年からトボトスロープのトイレが、和式から洋式便器に変わりました。

変わるとは聞いていましたが、ヘビーユーザーにとっては嬉しい限りです。

その扉にカエルが張り付いていました。

カエルと言えばやはり一茶。

夕不二に 尻を並べて なく蛙

小林一茶

おしりをこちらに向けてカエルが鳴いているむこうに、夕富士が見える風景を読んだ句。何となく口元が緩みます。

選んだ理由は、もちろん静岡県つながりです。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

しょうがない、はない、オシムの言葉‐2207‐

一昨日の火曜日は、兵庫県太子町の「ささき整形外科クリニック 増築計画」の現場に行ってきました。

花粉と黄砂でしょうか、道中の大阪湾を見渡すと春霞のようです。

4階建てのかなり細長い建物ですが、増築計画なので法申請ではかなり苦労をしました。

追って、ゲンバ日記のほうもUPしていきたいと思います。

ライオンに追われたウサギが肉離れを起こしますか?要は準備が足りないのです。

サッカー日本代表も率いた、イヴィツァ・オシムの言葉です。

はじめてこの言葉を聞いた時、思わず笑ってしまいました。
同時に、この人からは逃げられないな、とも感じたのです。

「オシムの言葉」は、ノンフィクション作家・木村 元彦の丹念な取材によって紡がれた一冊でした。

例年、年始に前年に読んだ本を、当社のサイトにUPしています。

昨年はあまり本を読めていなかったのですが、アトリエ移転でバタバタしていたので、4月までずれ込んでいました。

この本は、比較的早くに読んでいました。しかし、感想を書くのは簡単でないなと思っていました。その人生があまりにも重かったからです。

巻末の「解説」にはこうあります。

オシムという凄い男の底の底まで理解したい、という情熱に裏打ちされたジャーナリスト魂と、「5つの民族、4つの言葉、3つの宗教、ふたつの文字、を内包するモザイク国家ユーゴ」でサッカー選手として育ち、1989年のベルリンの壁崩壊に続くユーゴ共和国での民族主義の高揚、やがて残酷な内戦の勃発、家族離散……などに遭遇しながら、ユーゴ代表監督やギリシャのクラブ監督をつとめたオシムのサッカー魂が、見事に触れあい、火花を散らす取材の結実が『オシムの言葉』であった。

タイトル通り、オシムの言葉が中心にありますが、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の解体や、先日まで隣人だった人々同士の凄惨な内戦の様子も、オシムやオシムの妻の言葉で詳しく語られています。

実際に内戦が始まった時、オシムは現セルビア共和国の首都ベオグラードに滞在していました。当時は同じユーゴスラビア社会主義連邦共和国内でしたが、新ユーゴ連邦=セルビア側が現ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の首都サラエボを包囲した結果、妻と娘と2年半も会えなかったのです。

バルカン半島がヨーロッパの弾薬庫と言われますが、その複雑な現実を私達日本人が理解するのはかなり難しい気がしました。

ユーゴ解体の直前の代表を率いたオシムは、1990年のワールドカップイタリア大会でベスト8までチームを導きます。しかし、解体、内戦に抗議する形で代表監督を退きました。

その実績を見て、あまたのビッグクラブからのオファーがあったのですが、それらを断っていました。

理由をこう説明しています。

私はビッグクラブ向きの監督ではない。
スター選手を外したら、監督のほうの首が飛ぶ。

実際にオファーがあったレアル・マドリードについても語っています。

ビッグクラブにしてみれば、監督という人種はそういう大きな所から話が来れば、すぐに引き受けるだろうと思っているだろうが、それは違う。ジダンやベッカムやロナウドやいろんな人間を集めても、じゃあ彼らのためにいったい誰が走るんだ?だからあのチームは、スペインでもヨーロッパでもチャンピオンには成れないだろう。

2003年、ジェフユナイテッド市原・千葉の監督に就任することになりました。クロアチアリーグでプレー経験のある通訳の間瀬秀一はオシムをこう称しています。

監督をやっているんじゃなくて、監督という生き物。

そしてオシムはこう語るのです。

言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。 (中略) 新聞記者は戦争をはじめることができる。意図を持てば世の中を危険な方向へ導けるのだから。ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある。

ジェフユナイテッド市原・千葉で結果を残し、2006年には日本代表の監督に就任。そして、「考えて走るサッカー」を浸透させていくのです。

母語が異なるにも関わらず、選手の信望を得ているのは、言葉の重さを誰より知ってるからでしょう。

そして、その核心に著者・木村元彦が迫る場面があります。

-監督は目も覆いたくなるような悲惨な隣人殺しの戦争を、艱難辛苦を乗り越えた。試合中に何が起こっても動じない精神、あるいは外国での指導に必要な多文化に対する許容力の高さをそこで改めて得られたのではないか。

「確かにそういう所から影響を受けているかもしれないが……。ただ、言葉にする時は影響を受けていないと言ったほうがいいだろう」オシムは静かな口調で否定する。「そういうものから学べたとするなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が……」

悲痛とも言える言葉でした。

最後に、オシムが日本人選手やコーチが使う言葉で嫌いだと言ったものを取り上げます。

『しょうがない』と『切り替え、切り替え』です。それで全部誤魔化すことができてしまう。『しょうがない』という言葉は、ドイツ語にもないと思うんです。『どうにもできない』はあっても『しょうがない』はありません。これは諦めるべきではない何かを諦めてしまう、非常に嫌な語感だと思います。

私も『しょうがない』で自分を慰めるのは止めようと思います。

日本代表監督に就任した2年目、オシムは脳梗塞に倒れやむなく退任。その後を引き継いだ岡田武史監督が、2010年ワールドカップ南アフリカ大会で、はじめて決勝トーナメントに進出したのは誰もが知るところです。

2022年に亡くなった際には、ドラガン・ストイコビッチ、巻誠一郎など、多くの教え子が追悼のメッセージを発しました。

惜しみ、惜しまれ、逝ったオシム。その言葉は、世界各国で語り継がれるでしょう。

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怒?、恕!‐2199‐

寒かったり、暖かかったり、晴れたり、雨が降ったり。

目まぐるしく天気が変わる時期です。

上町のアトリエ周辺は、タワーマンションも結構建っています。

長堀通りの北の住所は上町か玉造なのですが、清水谷の名称が残っている古いビルもあります。

明治時代には、清水谷のエリアがもっと広かったようです。

現在も清水谷町のままのエリアは結構小さいのですが、清水谷高校が結構な面積を占めているのです。

バス停の名前も高校の名前。

年始に玉造神社を参った際、利休井の説明に清水谷のことがでてきました。

この辺りは玉造清水と言われる名水が得られ、利休が茶の湯に愛用していたという記録が残っています。

そう聞くと、清水谷町が小さいのは勿体ない気もしてくるのです。

清水谷高校の塀に「愛と恕(じょ)」という横断幕がでていました。

はじめ見た時は「愛と怒(ど)」かと思い驚きましたが、 「恕(じょ)」 は全く反対の意味でした。

「相手を思いやって許す」という意味だそう。漢字とは奥深いものです。

実はこの一週間、正直怒りまくっていました。

アトリエは引越したのに、一向に大した写真が上がっていないことに大きく関係があります。

その顛末は、いつか洗いざらい書くつもりですが、その時は全て許せているのだろうか……と考えます。

もしかすると、そんな時だから「恕」と出会ったのかもしれません。

「恕」には「他人の立場や心情を察すること」という意味もあるようです。

許せても、立場や心情を察するのはちょっと無理かもしれません。

その私の心情を、今はお察しください。

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不完全っていいなあ‐2185‐

アトリエの最寄り駅は地下鉄平野。

出入口までは徒歩3、4分なので、地下鉄に乗るのにはかなり便利です。

この近さを経験していたので、移転先を探す際はかなり迷いました。

最終的には、地下鉄谷町6丁目の出入口まで徒歩6分で納得したのです。

谷6の駅は結構大きいので、8分くらいは見て貰った方が良いかもしれません。

地下鉄平野は、内環状線と南港通りの交点にあります。

その交差点が流町。

一筋西には平野区役所があります。

その間には、りそな銀行。

ダイコクドラッグ。

カラオケ、王将もあり、かなり便利な所でした。

それでも市内の中心部へ移転したく、今回決断をしたのです。

昨日は、イチローのアメリカ野球殿堂入りのニュースで持ち切りでした。

満票には1票届きませんでしたが、文句なしの殿堂入りでした。

満票はこれまで、元ヤンキースの守護神、マリアーノ・リベラたった1人だけ。

野手では、ザ・キャプテンこと、ヤンキースの象徴とも言えるデレク・ジーターが1票足らずとのことでした。

その点を考えるとかなりハードルが高いのかなと思っていましたが、394人中たった1人だけが投票しないとは……

この確率はほぼ100%といってよいでしょう。

その点に対するコメントが流石でした。

不完全であるっていうのはいいなあって

イチローの言葉は、ずっと追いかけてきました。

その中でも、今回の言葉は秀逸でした。

完璧ではないから、完璧を求め続ける

現在も完璧でなければ、移転したから完璧になる訳でもありません。

それでも、昨日よりは今日、今日よりは明日と、少しでも成長できるよう、前に進むしかありません。

イチローが「満足は求めることのなかにある」と言うように……

会見では、MLBに所属する日本人が少なすぎると、苦言も呈していました。

やるべきことをやり、言うべきことを言う。しかも言葉が強い。

夜、晩酌をしながら、こんなニュースを見れた時はとても寝つきが良いのです。

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小さなメディアと消えゆく銭湯‐2163‐

9月17日開業の「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」ですが、【ルームツアー】も完成しました。

1回目にUPした際、YouTube Studioの「制限」という欄に「著作権」という文字が。

詳細を見に行くと「これは著作権侵害の警告ではありません」とあります。

市販の編集ソフトにある音楽を使っていたのですが、その音楽に対してのようです。

文面を見ると問題無さそうですが、ちょっと気持ち悪いので、BGMを選び直して再度UPしました。

実はこの日記も、以前公開不可になったことがあるのです。

歌詞を引用して記事を書く場合、著作権が誰にあるかを明記し、その部分が記事の中で「主従」の「従」の関係でなければなりません。

使用許可を取り、使用料を支払えば別ですが、なかなかそこまでは出来ないものです。

その点は踏まえて書いてきたつもりですが、かなり初期の記事で、問題があったようです。

それがサイトポリシーに違犯するとのことで、ある日突然サーバー側からメールが来て、『ゲツモク日記』自体が全て見れなくなりました。

急なことで慌てましたが、通知があった連絡先に、記事を修正して連絡すると、確かその日の内に復旧してくれたと思います。

誰もが小さなメディアを持てる時代ですが、こんなことが起こりえるのです。

今日は立冬。

今朝はスカッと晴れましたが、暦通りの寒い朝になりました。

こんな日は、銭湯の広い浴槽でゆっくり温まれれば最高です。

なのですが、先月末にまた近所の銭湯が1軒閉まりました。

立派な煙突が、鉛色の空に寂しく映ります。

8年前までは、すぐ近所にも銭湯がありました。

隣町まで行けば、国の登録文化財に指定されている「源ヶ橋温泉」も。

雰囲気のある銭湯に、大人、子供、幼児の3人600円で入れたのです。

町に強烈な香りを放っていた金木犀も、すっかり散ってしまいました。

毎日掃いても 落ち葉はたまる

これがとりもなおさず 人生である 人間である

-田山花袋- 作家

朝、見るのを楽しみにしているお寺の掲示板です。

誰もが小さなメディアを使って、信じられないくらい短時間で、驚く程の成功者になれる可能性があります。

一方、銭湯が無くなっていくことは誰にも止められません。

急に寒くなったせいか、先の言葉が心に染み入るのです。

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■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

好きすぎて『深夜特急』‐2143‐

昨日、「下北山村の古民家〈リノベーション〉」【ゲンバ日記チャンネル】Episode5を公開しました。

竣工が近づいてくると、正直寂しい気持ちもあります。よければご覧ください。

下北山村への現場は車で通いますが、大阪周辺の現場なら、基本電車とバスです。

私の車は結構大きいので、都心部で駐車場を探すのがやや億劫なのです。

バスよりタクシーのほうが早いですが、高いのと、気を遣うので、バスのほうが好みです。

先日、尼崎市役所から阪神バスに乗って、阪急塚口まで移動しました。

このバスは運転席側から乗車、バス中央から降車と、一般的なバスとは逆でした。

地域によって色々違うものです。


塚口駅前に近松門左衛門に関する碑があり、尼崎と関係が深いことを知りました。

思わぬ発見があるのが路線バスの魅力。

また調べてみたいと思います。

バスは目的地までは行かないので、停留所からは徒歩です。

こんな道を見ると、「古い街だから道が曲がっているな」とか。

水路が張り巡らされていたら、「治水のため?灌漑対策?」と考えます。

この水路はおそらく前者だと思います。そんなこんなが楽しいのです。

好きな本についてWebサイトで公開しています。

数多くありますが、1つ挙げるならやはり沢木耕太郎の『深夜特急』です。

私が旅を好きになった原点で、この日記でも何度か触れたことがあります。

もう2100回以上書いているので、初期の頃にしっかり書いていると思っていました。

なのですが、ざっと探しても軽く引用している記事があるだけでした。

今や人気MCとなった有吉弘行が猿岩石だった頃、ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断するという人気番組がありました。

そのモチーフが、この『深夜特急』だと言われています。

デリーからロンドンまで、路線バスを乗り継いで旅したら面白いだろうなと、作者・沢木耕太郎が26歳の時に思い立った旅を描いた小説です。

実際は、香港でストップオーバーできるエアチケケットを入手したことから、香港からスタートすることになります。

香港の熱気に、もう出だしから一気に引き込まれました。

尼崎から塚口まで乗っただけで発見があるのですから、デリーからロンドンまで路線バスで行けば面白いに決まっています。

<さて、これからどうしよう……> 
そう思った瞬間、ふっと体が軽くなったような気がした。
今日一日、予定は一切なかった。

旅が始まる冒頭の場面です。

せねばならないことが無いのが旅です。

やがてこの旅にも終わりがくる。その終わりがどのようなものになるのか。果たして、ロンドンで《ワレ到着セリ》と電報を打てば終わるものなのだろうか。

ルポライターとして軌道に乗りはじめていた26歳の沢木は、「面白そうだから」と全てを投げ出してこの旅にでました。

ロンドンの中央郵便局で、知人に到着の電報を打つことを、旅の終わりとしていたのですが、1年におよぶ旅になりました。

沢木に大きく影響を受けた私ですが、旅だけに1年を当てられるチャンスがありました。

鬱で1年間アトリエmを休業した2001年です。全ての仕事を何とか終わらせ、海外に出ると決めていたのです。

しかし、そういった時期は思いきりが悪く、また911のテロが起こったこともあり、東南アジアを数か月掛けて回るだけになってしまいました。

そのあたりは1000回目に書いていますが、私にとっては大きな経験でした。

旅の本質は「自由」ですが、それは「期限付きの自由」です。

無限のお金があれば、期限は外せますが、それは「旅」というより「旅行」という感じがします。

『深夜特急』は理想の旅ですが、もう私がそんな旅をできる機会はないでしょう。しかし、叶わぬ旅があるのもまた、それもよいかなと思っています。

これまで『深夜特急』について書いていなかった理由も、自分なりに分かりました。要は好きすぎて、書きたいことがありすぎて、日記形式には合っていないのです。

それだけ好きなこの本、特に若い人には熱烈推薦します。

■■■9月7日(土)、8日(日)10時から14時 「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」 内覧会開催 ■■■

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受け取る愛、与える愛、お中元‐2139‐

昨日、「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」【ゲンバ日記チャンネル】Episode2を公開しました。

フッターにも記載していますが、9月7日(土)、8日(日)の内覧会、 9月17日(火) のオープンが決定しています。

現場はもう待ったなしの状態です。

実際にはタイムラグがあるので、現場はもう少し進んでいます。

一昨日の打合せは、サインの最終確認でした。

一般的には、私からサイン業者にイメージを渡して、試作、校正を繰り返します。

ただ、そんな時間はないのと、校正の回数が質に直結するので、イラストレーターデータを私が作成し、A1サイズまで可能なプロッターで出力します。

大きさが足りなければ継ぎ足し、現場に養生テープで貼りつけるのです。

それを院長の江口さんに見てもらい、最終決定しました。何ともアナログですが、これが一番早いのです。

その4日前の打合せでは、プロッターの機嫌が悪く、上手くプリントアウトできません。仕方なく、A3サイズのプリンターで出力し、つぎはぎの現物を現場に持ち込んだのです。

大体、こんな仕事は何故か深夜になるもので、ひとりでブツブツ言っていたのですが。

関係会社へは、「お中元は不要です」と伝えてきたので、かなり減ってきましたが、今年もいくつか頂いてしまいました。

もう10年以上送り続けて下さる「千葉の家」のクライアントからの梨です。

しろいの梨は本当に美味しいのです。

こちらは「たねや」のゼリー。

現在進行中のクライアントから届きましたが、お子さんが勤めておられるのです。

物語り込みも嬉しいものです。

こういった贈り物は、その箱があってこそ写真映えするのですが、届いた瞬間に妻が箱を破ってしまい……

このような写真になってしまいました。

それだけ美味しいと知っているからとも言えるのですが。

反対に、こちらのビールは私しか飲まないので、箱が現存しています(笑)

「うえだクリニック」の院長も毎年ビールを送って下さり、本当に有難いことです。

昨年まではスーパードライを頂いていました。私がそれを好きと知っておられるからだと思います。

今年は違ったので、それはそれで楽しみにして頂いたのですが、これが美味しい!

全く冒険しないのは駄目だな、とさえ思ってしまいました。

院長の「モルツもいけるでしょう!」という声が聞こえてくるようです。

「お中元は不要です」と言い始めたのは、尊敬する稲盛和夫さんがそうすべきだと言っていたからです。

私も、仕事は真剣勝負なので、例えば相手が建築会社なら、その数千円を建築費から引いて下さい、といった気持ちです。

それでも、仕方なしではなく、心が伝わってくる贈り物は本当に嬉しいものです。

結局、あなたが受け取る愛はあなたが与える愛に等しい
-ジョン・レノン- ミュージシャン


ようは、物ではなく心なのだと思います。

でも物も嬉しい。

さすがはジョン・レノン。禅問答のようなことばです。

■■■9月7日(土)、8日(日)10時から14時 「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」 内覧会開催 ■■■

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適材適所を積み重ね‐2135‐

大阪も40℃に迫る暑さです。

一日図面を描いているか、現場で大汗かいているか、私の仕事は極端です。

なので、少々暑くても朝に少し運動をして、汗をかく方が体調は良いものです。

盛夏には、サルスベリの花が良く似合います。

平野は戦国時代から環濠都市として栄えた街で、今でも古い民家が残ります。

こちらのお宅には、駒寄があります。

馬などから家を守るためのものですが、なぐり(名栗)加工が味わいを醸し出しています。

こちらのお宅も、駒寄を備えています。

その内側にある、軒を支えている柱は大きく曲がっています。

自然の形を活かし、見事な景色をつくりだしています。

これこそが適材適所です。

こちらは、何かしらの記念樹のようで、松がうえられています。

樹木としては見事なものですが、この景色には不要だとおもいます。

クライアントは、大きなこだわりと期待をもって依頼してくれています。

外壁の色の選択は繊細に、入念に行います。

「そこまでこだわりは……」というクライアントでも、そんなことはないことが大半です。

色々なサンプルを持っていくと、かなり悩みはじめる方も。

その時に、その計画の物語りというか、幹になっている考え方から外れないよう舵を切るのが建築家の仕事だと思っています。

建築家・前川國男は言いました。

一本の鋲を用いるにも 一握のセメントを用いるにも 国家を 社会を 農村を思わねばならない。

好きならそれでいい、というところから、もう2歩くらい踏み込んで全てを作り上げたいと思います。

そこにあるべきものだけで構成された建築は、きっと全く違う景色を生み出してくれるはずなのです。

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やってないだけやん!‐2115‐

ツツジが満開になるこの季節。

毎年1回は、宮崎県の都城市で参加した、車の合宿免許を思い出します。

大学の生協で予約したので、色々な大学から参加者が集まり、とても楽しかったのです。

と思っていたら、あっという間に、子供が免許を取る歳になりました。

同じように合宿免許で取得し、無事免許が交付されたと写真を送ってくれました。

本人の尊厳のため、しっかり目にぼかしておきます。

小さい頃からずっと伝えてきましたが、①命 ②安全 ③健康 の優先順位だけはいつも忘れずにと、メッセージを送っておきました。

東京からの合宿免許は東北が多いそうで、このあたりは土地柄を感じます。

米沢だったと言うので、写真を送ってと頼んでおきました。

その写真が、なんともいい!

春の仙台行きも、私だけキャンセルになったので、こんな風景を見に旅へ出てみたいものです。

ちなみに、免許取得費用は半分だけ出してあげたはず。あやふやですが。

米沢城址には、伊達政宗生誕の碑があるよう。

すぐ近くには、江戸時代の名君として知られる上杉鷹山の像も。

この小さな街になぜ偉人が多いのでしょうか。

九州の小大名の家に生まれた鷹山は、上杉家に養子としてやってきました。

明治時代に内村鑑三が西欧に向けて英文で書いた「代表的日本人」では西郷隆盛など5人を取り上げています。

その中で、上杉鷹山は2番目に登場します。

米沢藩は、秀吉の時代には大藩でしたが、関ヶ原の戦いでは反徳川となり、当然冷遇を受けます。

17歳で9代目藩主となった鷹山は、困窮していた藩の財政を、産業の振興、人を得ること、賞罰をはっきりすることなどで立て直して行きます。

「民の幸福は、治者の幸福である」と語っている、まさに理想の日本人です。

中でも最も知られた言葉でしょう。

成せば成る なされば成らぬ 何事も

成らぬは人の なさぬなりけり

何度も読み返してしまう、禅問答のような含蓄のある言葉です。

しかし、現代語訳すると「やってないだけやん!」となるでしょうか。

動いていない車のハンドルをいくら操作しても景色は変わりません。まずは動いているか、自分の足元を確認する必要がありそうです。

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■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

メディア掲載情報

変人の人生を掛けた挑戦‐2108‐

ゴールデンウィークに入りました。

今日明日と少し雨が降るようですが、概ね好天の予想。前半はしっかり働らき、後半は仕事を兼ねて遠出できたらと思っています。

仕事もようやく一区切りがつき、経営の勉強会に参加するため、近鉄電車で向かいました。

地下鉄からは鶴橋で乗り換えます。

ディープ大阪の変わらぬ景色にホッとします。

一方、変わっていく景色も。

以前は、古き良きたたずまいの本屋さんがあった場所です。

寿司屋さんに罪はありませんが、何とも寂しい限り。

八戸ノ里で下車。

第二寝屋川を渡る頃、丁度日没でした。

本当に日が長くなりました。

会場を提供して下さっている会社に着くと、沢山の在庫が駐車場に出ていました。

物不足の影響で、原材料を多めにストックしたものを整理しているそうです。

円安の影響もあり、メーカーの方は尚大変です。

以前、鶴橋にあった「高坂書店」は2023年の8月末で閉店しました。

先日のニュースでは、書店ゼロの自治体が27%になったと報じています。

本大好きの私が思う書店の価値は、「明確な意思がなくても、本をスピーディに探せる」に尽きると思います。

どんな本が欲しいか決まっていたら、Webサイトで購入すれば良いですが、決まっていない時に大きな差ができます。

そんな時は、ジャンルだったり、作家だったり、ポップだったり、装丁だったりで探すのが楽しいのです。

パソコンの、ましてスマホの画面の中で、読みたい本を探すのはとても難しいし、もっと言えば苦痛に近いものがあります。

空間を見渡せることこそ、最大の価値だと思うのです。

レビューを見て、評価やお勧め度を知れるメリットは大きいですが、それとて書店で手に取って本を選ぶことに比べればワクワク度は大きく劣ります。

受け身すぎると思うのです。

行政も、「まちの文化発信拠点としての書店」を期待し、施策を打っていくでしょうが、やはり一番の問題は若い人が本を読まないことです。

そういう私も、この点は大きな敗北感を味わいました。子供に本の楽しさを教えきることができてなかったのです。

「本当に面白い本を読み続ければ、絶対に本好きになる」と思っていました。

実際、中学校になってスマホを持つまでは、兄、妹ともかなりの読書量でした。しかし、スマホが供給する、スピディーで可視化が不用なエンターテイメントに全て取って変わられたのです。

なんとかそれを覆そうと足掻いたのですが無理でした。

これは我が家の問題ですが、多くの家庭で起こっている現実だと思います。ということは、現時点で書店が増える可能性はないということになります。

私は今でもスマホをほとんど使いません。というと、変人扱いですが、その代わり本はいつも1冊はカバンに入っています。

1日は24時間しかないので、単純に言えばスマホか本の2択なのだと思います。

私が本を読み続ける理由は「立派な人になれる」と信じているからです。

スマホか本か。立派になれるかなれないか。人生を掛けて挑戦してみたいと思います。


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