カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

足裏リスペクト‐2358‐

大阪城公園は、いつ行っても多くのランナーが集まっています。

ひとりで黙々と走っている人、仲間で集まって走っている人と様々です。

チームで練習している人達は概ね楽しそう。

マラソンのコースにもなっているので、ランナーが集まるのは当然ですが、やはり信号が無いのが一番のメリットです。

池井戸潤の『陸王』を読んだのは2019年でした。

以下はその時に要約したあらすじです。

小説も最高に面白かったのですが、私の要約では「足袋」について少ししか触れていません。

これをドラマで観ると、いやがうえでも「足袋」をベースにしたランニングシューズに目がいきます。
ビジュアルの影響はかくも大きいのだと感じました。

このランニングシューズにはランニング足袋、きねや無敵というモデルがあることも分かりました。

店頭で販売されているのかなと思い、ショップを回ってみました。

ただ、足袋タイプのものは全く見つけることができませんでした。

一般的なランニングシューズは1万円くらいからのよう。

きねや無敵は、Webサイトで見ると6600円なので比較的安価です。

足袋は、和装の際の靴下のような物なので、そう考えると結構な金額なのかもしれません。

和装自体がかなり減っているので、足袋をみる機会はかなり減りました。

と思っていたら、時間調整をしている様子のトラックのフロントガラス越しに……

足袋です。

足袋の需要は、間違いなく減る傾向にあると思いますが、建築現場では未だに必需品です。

特に、高所で働く鳶で足袋を履いていないことのほうが稀。

繊細な足裏感覚が必要な仕事には不可欠なのです。

きねや無敵のWebサイトにはこうありました。

薄底のソールで、人本来の走り方に戻し、少しでもランナー人生を延ばして欲しい、というのがメインコンセプトのようです。

それが叶えられるのか、叶えられないのかは、私には分かりませんが、「素足感覚に近づけることによって、地面の表情も楽しんでほしい」というメッセージにはとても共感できます。

ここでは地面となっていますが、建築においては床となります。

リノベーションの相談があった時、建物に入った時に一番情報をくれるのは足裏です。

床下に土間がなく、地面がむき出しの家の床は、踏み感がかなり柔らかく、少し歩いただけで分かります。

また、床の構成を決める際、「ユニットバスの床と、本格的なホテルのしっかりした床を想像頂けますか?」と聞くと、ほぼ誰もが、浮き床とモルタルが床下に詰まった湿式の床の違いを理解してくれます。

浴室は裸足で入るので、誰もが足裏でその硬さを感じ取っているのです。

坂村真民の「尊いのは足の裏である」という詞があります。

頭でなく、手でなく、一生汚い所と接し、黙々と努めを果たしてゆく足の裏こそが尊いというのです。

その足裏を保護し、最大限に能力を発揮させる足袋。
最も足の裏をリスペクトしている物こそが足袋かもしれません。

靴下では薄すぎる、靴では厚すぎる。

きねや無敵だけでなく、もっと足袋の技術が活用される道はないのかなと考えていました。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』で「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログに「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

■10月1日『建築人 10月号』に「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■

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『華氏451度』名著・戦慄・ネタバレ‐2357‐

消防士は英語で”fireman(ファイヤーマン)”か”firefighter(ファイヤーファイター)”。

しかし『華氏451度』の中でのファイヤーマンは……

『華氏451度』は1953年にレイ・ブラッドベリが発表したディストピア的未来を描いた小説です。

華氏451度は摂氏に換算すると約233度。
紙が自然に発火する温度です。

ディストピアはユートピアの対義語。
理想郷の反対なので自由のない暗黒社会等を指します。

小説や映画は、前向きなものを好んで選ぶので、手に取るにはハードルの高い本でした。
しかし、SFの傑作という論評もよく目にし、ずっと気になっていたのです。

思い切って手に取った表紙は重々しい。

前半はやや苦戦しましたが、後半は本当に凄かった、というのが感想です。

舞台は、書物が禁止された世界。

書物を焼き尽くす仕事「昇火士(ファイヤーマン)」として働くモンターグという男が主人公です。

まず「ファイヤーマン」を「昇火士」と訳しているところから度肝を抜かれました。
これは翻訳家の力量ですが。

焚書は、秦の始皇帝やナチス・ドイツが行った、卑劣な思想弾圧です。

それを実行し、異端者を探すことを仕事とする「昇火士」モンターグですが、書物を焼き尽くすうちに、違和感を感じ始めます。

となりに越してきた、クラリスという17歳の少女の「あなたは幸せ?」という質問によって、さらにそれは加速しました。

「昇火署」での上司であるベイティー署長は、モンターグの異変を感じ、何度も諭す場面があります。

その言葉は、シェイクスピアや聖書などの一節を次々と引用し、何とかモンターグを現実社会に留まらせようとするのです。

ただ、その博学さは、大変な読書家を想像させるところが、何とも言えず奥深い……

ベイティは、書物を隠し持っていたモンターグの自邸を焼き払うよう、本人に指示しました。
しかし、モンターグは「昇火器」を最終的にはベイティに向け、焼き殺してしまいます。

そして都市から逃亡することになるのです。

政府から追われる身となったモンターグは、元教授のフェイバーのもとへ逃げ込みました。
そこで「本に書かれた考えを自分の中に残すことが重要だ」と教えられました。

川を伝って都市から逃れたモンターグ。
森の中で同じく政府から逃れる知識人達と出会います。

彼らは本を暗記し、歩く本となってそれらを残していこうとしている集団でした。

戦争状態となった社会は、最終的には崩壊しました。

彼らが静かに都市へと向かうところで物語は終わります。

中盤、ベイティーがこの世界の成り立ちを語る場面がありました。

この世界は、弾圧によって始まった訳ではなく、「考えさせられるもの」を排除していった結果に生まれた世界だったのです。

名著は示唆に富んでいます。

しかしこの行は、そのレベルで読み流して良いものではない、うすら寒いものを感じました。

インターネットが登場した際の衝撃はかなりのものでした。
AIの登場はそれに優るとも劣りません。

輝かしい情報収集能カを持っていることにどんな価値があるのか……

レイ・ブラッドベリが危惧したこと、伝えたかったことを、私が僅かに感じれたとしても、世の中がそう変わることはありません。

ただ、感じ取れる機会が極めて少なくなっていることを、更に危惧させられました。
まぎれもない名著だと思います。

特に若い人にお勧めしたい一冊です。

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「覚える」がめでたい‐2355‐

昨日は警報も出る大雨でした。

今朝はすっきり晴れ、爽やかな風が頬に心地よい朝。

最高の一日のスタートです。

大阪城は、お掘越しに天守閣がしっかり見えるところは案外限られています。

ほぼ唯一と言ってよいのが東側。

水面、石垣、緑、青空が最高の背景です。

天守閣の写真を撮っていると、足下にニョキニョキと生える白い物体が……

キノコでした。

傘が開ききっていないもの。

そして全開のもの。

大人、少年、赤ん坊と各世代揃ったキノコ一家でした。

昨日の大雨で、一気に顔を出したようです。

その大雨の昨日。

アトリエ内から一歩も外に出ずの模型作りの一日でした。

春に入社したスタッフが全体をリードし、オープンデスクに参加中の学生が、家具類を制作していきます。

25歳、21歳と共に若いですが、予定通りに進んでいます。

オープンデスク生の彼女は2日目ですが、しっかり行動できているので、まずは一安心です。

2ヶ月程前だったか、アルバイト希望の大学生が面接にきました。
アルバイトの応募要項には、実務試験がある旨を記載しています。

設計事務所でのオープンデスク経験も無いというので「いきなりアルバイトで採用する確率は高くないと思うよ」と伝えると「募集と書いてあるけど、募集していないということですか」と問われました。

能力があればすぐに採用するが、能力がなければ採用しないという旨を伝えると、不服そうな感じで帰っていきました。

姿勢などを見ていると、アルバイト昇格はほぼ無いだろうなと感じていました。

実務試験をする意味が互いに無いと思いそう伝えたのですが、何とも難しい時代に入った気がします。

模型作りの上手い下手は、本人の適正とこれまでの経験がものを言いますが、未来において大切なのはその姿勢です。

皆が退社したあと、模型をチェックし、それを元にプランを再考。一日の仕上げの時間です。

色々なタイプがいてこそ社会ですが、会社という船は、せめて同じ方向を向いていないと船が全く動いていないということもあり得るのです。

「学び」と対になっているのは「教える」ではなく「謙虚」だと考えています。
これは誰かに聞いたのではなく、実務の現場で私が感じてきたこと。

AI革命で経験に敬意を払いにくい時代なのだと思いますが、先の面接のような場面が増えた気がします。

楽天イーグルス等の監督を務めた野村克也元監督はこう言っていました。

「覚えめでたい」とは、目上の人から信頼され、可愛がられるという意味です。
この場合の「覚え」は、信用、評判、寵愛を指します。

「覚える」がそのまま信用、評判、寵愛と変化していったと考えれば至極納得です。

「覚える」がめでたい。

日本語って使っているだけで頭が良くなりそうな言語だと思っているのです。

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進化⇔退化、言葉という魔法‐2353‐

暑かった8月が終わり、新学期がスタートしました。

今日から月曜日までは雨マークが続きます。

天気図には、常に複数の台風があるような気さえしてきます。

近所にカトリック玉造教会があるからか、周辺にはミッションスクールが2つあります。

教会のすぐ南にあるのはプロテスタント系の大阪女学院。

何故かその前の歩道がとびきり広いのです。

この広い道を北に上がり、更に教会を行き過ぎると、細川越中守忠興(ただおき)の屋敷内にあったとされる越中井があります。

妻の細川ガラシャは信仰を守り、この屋敷で非業の死を遂げたことから、この地に教会が建てられました。

教会には細川ガラシャの像もあります。

教会のすぐ東には、カトリック系の城星学園小学校もあり、この広い歩道を、多くの学生が毎日行き来します。

夏休み明けの通学。

思い出すだけで気が重くなりそうですが、楽しそうにしている子供の方が多いようにも見えます。

と、思っていたら「そのパス、天才的!」という掛け声が聞こえてきました。

通学前に、朝から公園でサッカーをする子供達でした。
制服を見ると、地元の小学生のよう。

その元気さはノンリミットです。

「疲れた」とか「しんどい」とか言い出すのは幾つくらいなのでしょうか。

人は1歳前後から何となく言葉を使い始めますが、「ママ」「マンマ」の次が「ツカレタ」ということは無いはずです。

それが、小学生、中学生になると「だるい」とか「うざい」まで使い始めるのです。

「言葉は自分の脳が聞いているから、間違ってもネガティブな言葉は使ってはいけません。それは、天に向かって唾をはくようなものです」と、京セラ創業者の稲盛和夫さんは言っていました。

その稲盛さんや松下幸之助さんが、強く影響を受けたのが、思想家の中村天風さんです。
その著書『運命を拓く』にはこんな行があります。

笑ってしまうような方法ですが、効果は十分だと歴史が証明しているのです。

人は言葉という道具を手にし、生まれた後にも劇的に成長できるようになりました。

生物学的なDNAの進化に対して、生まれた後の進化を「文化的進化」と呼びますが、天風哲学においては、ネガティブな言葉によって、退化もすると言っているのです。

映画、ハリーポッターの最終回で、アルバス・ダンブルドアはこう言いました。

自分で自分に魔法をかけるなら、進化の魔法にしたいものです。

わかっちゃいるけど……

こんな都心部でも、夜には虫の音が聞こえてきました。

もう少し涼しくなったら、屋上で月見酒でもと、夜長を心待ちにしています。


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「ナヌッバ」と「ナムバ」‐2352‐

御堂筋と千日前通の交差点が「難波」。

北を見ると、右手に大丸心斎橋店、左手に大阪Wが見えています。

真東を見るとなんばヒップス。

壁面には「namba HIPS」の看板も見えています。

完成は2007年で高松伸の設計。

千日前通を渡り、南に下った西側にはホテルロイヤルクラシック大阪。

2020年の完成で、設計は隈研吾。

この地にあった、村野藤吾設計の大阪新歌舞伎座のデザインを踏襲しています。

そして御堂筋は、南大阪からの玄関口、南海なんば駅であり大阪高島屋でもある南海ビルディングに突き当たり、西へクランクして南下していきます。

大阪の目抜き通りだけあって、建築も多種彩々です。

周辺にある、大阪メトロ「なんば」駅のローマ字表記は「Namba」です。

私達が小学校の時に習った時は「Nanba」が正解だったはず。

こちらは、天神橋筋と大川が交差する「天神橋」。

大阪メトロと運営母体が近しい大阪シティバスの停留所は「Tenjimbashi」表記。

「n」と「m」が混在しています。

しかし、道路標識は「Tenjinbashi」と「n」表記。

こうなってくると???という感じです。

日本語の発音をアルファベットで表現するのがローマ字ですが、私達が小学校の時に習った「訓令式(くんれいしき)」と「ヘボン式」という表記方法があります。

「訓令式」は規則に乗っ取ったもので、「ヘボン式」は英語の発音に近い表記方法。
アメリカ人宣教師、ヘボンさんが考案しました。

パスポートを「ヘボン式」で表記するのは、このためです。


「ヘボン式」では、「p」「b」「m」のようにしっかり唇を閉じる音(両唇音)の前の「ん」は「m」で表現します。

英語を習った時「n」の発音は「エンヌッ」といった感じで、唇は離したままでした。

確かに「馬場町」を唇を離したまま発音するのは難しい。

日本語では同じ「ん」で、違いを気にしていませんが、英語的な観点からみると、両唇音の前の「ん」は「m」で表現する方が、音としては正確なのでしょう。

それで「本通」は「hondori」、「馬場町」は「Bambacho」といった表現が混在することになりました。

昨年末、国としても広く浸透している「ヘボン式」を基本とする方針を決定しましたが、先の「天神橋」のように、道路標識は、訓令式が残っていることも多いようです。

難波も、道路標識は「n」でした。

この話、電車で通学している時から気になっていました。

それが、少し前に偶然付けたテレビ番組、『チコちゃんに叱られる』で解説していて、ようやくすっきりしました。

中国における漢字の数は、よく使われるもので3千5百文字、歴史的には10億とも言われているようです。

しかし、日本人が使う漢字、ひらがな、カタカナの組み合わせは無限とも言えます。
日本語の表現の多彩さが、日本人の感性を維持するのに、大きく役立っていると思っています。

しかし、音の滑らかさに関しては、英語が群を抜いていると思います。

母語において英語のシェアは世界一ではないにもかかわらず、世界規模のヒットをする楽曲はほぼ英語です。

意味を深く知らなくても、好きな楽曲が沢山あるのは、その説明にもなると思います。

今回は「エンヌッ」と「エンム」の違いに執着して書いてみました。

インバウンドが日本の経済を支えるなら「ナヌッバ」「テンジヌッバシ」でなく「ナムバ」「テンジムバシ」のほうがちょっとだけいいかなと思います。

道頓堀橋の南にある、はり重の隣にある松竹座は解体が決まってしまいました。

道頓堀通と心斎橋筋の交差点。

東側にミャクミャク様が鎮座していました。

撮影をするインバウンド客も沢山居ます。

表記も「ヘボン式」が基本となりました。

大阪のため、日本のためにどんどんお越しください。

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耐えて耐えて、食べて食べて‐2344‐

日曜日の早朝、暑くなる前に現場まで移動していると、親子連れが集まっていました。

夏休み恒例のラジオ体操でしょうか。
気が付けば8月でした。

本当に暑い日が続きますが、先週火曜日で56歳になりました。

前回は熊本地震について書いたので、誕生日のことは触れませんでした。

そこに興味はないと思いますが、発生日が誕生日なので、ずっと記憶に残ると思います。

当日の夕食は、年に1回しか作ってもらえない(下ごしらえが大変だから)大好物のエビフライ。

子ども達が巣立ち、夫婦2人になったので、小さなケーキで祝ってもらいました。

この小さなケーキの金額を聞いてびっくりしましたが、確かに美味しかったです。

土曜日は初期相談が2件ありましたが、休日はスタッフが居ないので、妻にサポートしてもらいました。

それらが終わったあと、慰労のつもりで日の高いうちにアトリエを出ました。

歩いて3分程のSSK本社の近くにある「鶏屋 國型製作所」。

いつも賑わっていたので、のぞいてみたいと思っていました。

18時台に行ったので何とか席を確保できましたが、予約無しのほうが珍しいという感じでした。

古民家を改修した店内は、和の雰囲気です。

かなり混むのと、焼き物は時間が掛かるので、何かスピードメニューを頼んで欲しいと。

うずら卵の醤油漬けを頼みました。ニンニクが効いて、酒の肴にはばっちりです。

胸肉のシーザーサラダもすぐに出てきました。

焼き物は「こころ」から。

備長炭の香りと、粗塩が食欲をそそります。

さっと飲んで、さっと食べて、1時間半くらいで引き上げてきました。
夫婦で8千円くらい。

焼鳥としてはやや高めですが、丁度金額くらいのお味だと思います。

オーダー催促型の接客は、ちょっと勿体ない気がしました。
美味しければ急かされなくてもオーダーするものですから。

つい最近、土用の丑の日も終わったばかり。
正直食べ物の話ばかりです。

大阪城の南に広がる広大な平地には、秀吉が集めたお寺が沢山あります。

門の脇には、掲示板がある所が多く、元気が出たり、耳が痛かったり。

貪るのはNGです。
ただ、この暑さに打ち勝つには、しっかり食べるのは絶対条件かもしれません。

50代も真ん中を越え、還暦が近づいてきました。
30代の頃に比べると、随分怒らなく、少しは嘆かなくなったと思います。

それは当たりまえかもしれません、その倍をもうすぐ生きたことになるのですから。

ただ、娑婆で生きる私たちが、仏になれることはありません。

娑婆の語源は、サンスクリット語のサハーから来ており、漢字に意味はないよう。
意味としては「忍土」、耐え忍ぶ世界の方が合っているそうです。

娑婆=耐え忍ぶ世界

言い得て妙とはこのこと。

56歳も力強く娑婆を生き抜くために、耐えて耐えて、食べて食べて、でいきたいと思います。

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ファンになるのは一瞬、心が離れるのも一瞬‐2327‐

昨日、「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」の【Works 】<Public>をUPしました。

開業2周年を迎えるまでに、検査体験と、インタビューを撮りに行きたいと思っています。

猶予はあと3ヵ月ですが。

大阪城ホールあたりを走っていると、ライブの機材を積んでいるトラックを見かけます。

先月のことですが、写真を撮っている人が居たので近づいてみると。

「B’z」のツアートラックでした。

「ガチャ販売」という表示の後ろには、人が並び始めています。

少し先には「タンブラー販売」の表示もありましたが、こちらにも列ができていました。

時刻は朝の6時を少し回ったところ。

売れ続けるとはどういうことかが、よく分かります。

2018年、蔵王からの帰り道でかなり怖い体験をしてから、すぐにドライブレコーダーを付けました。

車の中という過酷な環境だからか、最近誤作動が多くなってきました。

当時も、物は自分で購入し、取り付け店に持ち込んだので、新たな機種を購入し、その店の問合せフォームから見積りを依頼しました。

1週間経っても連絡がないので電話すると、「連絡が届いていません」と。

自動返信で「お問合せ受付完了」と連絡が来ている旨を伝えると「何か手違いがあったのか、届いていないですね」と言うのです。

改めて要件を伝えると、見積りが上がってきました。

金額は妥当な感じでしたが、取り付けできるのは2カ月先とのこと。

何とも腑に落ちないので、いつも車のメンテナンスをお願いしている「サイトウ自動車サービス」の社長に相談してみました。

「ああ、いけますよ」と。

JUNKY’Sというバスプロショップ、新車・中古車販売、アウトドアブランドも立ち上げている面白い会社です。

バスフィッシングの縁で面識ができたのです。

古いボートを売ってもらったりと、色々とお世話になっています。

場所が八尾なので、引越ししてからはちょっと遠くなりましたが、困った時は頼りになります。

実は先述の取り付け店、2018年の時はとびきり感じの良い若社長が対応してくれました。

お世辞でしょうが「僕も頑張って働いて、こんな車に乗りたいです」と、愛車を褒めてくれたのです。

今回対応してくれたのが同じ人だとしたら「8年でここまで人は変わるのか」という印象です。

当時はそこまでドライブレコーダーが普及しておらず、現在は全く違う状況になっています。
それもあって、2カ月待ちなのでしょう。

問合せの際、フォームのコメント欄に「前回、凄く良い対応をしてもらったので」と書いた、私の気持ちは、完全に踏みにじられた気分です。

ファンになるのは一瞬、心が離れるのも一瞬なのです。

ジワジワと「B’z」のファンになったという人も居るかもしれませんが、少数派でしょう。
何十年にも渡って活躍する「B’z」のツアートラックを見てそんなことを考えていました。

「B’z」のWebサイトを見に行くと、今回のツアートラックのミニチュアまで販売していました。
ガチャ販売と言い、タンブラー販売と言い、商魂逞しいものです。

「謙虚でいる」「生き残るとはこういうこと」

2つを肝に銘じたいと思うのです。

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ゆっくりあるけ しっかりあるけ 山頭火‐2322‐

アトリエから歩いて10分くらいにある難波宮跡公園。

中央大通の両側に広がりますが、北側には「なノにわ」という商業施設があります。

飛鳥時代から奈良時代にかけて都が置かれ、その宮殿の跡地を公園として保存しているのです。

通りがかると、芝刈りロボットがお仕事中。

側溝ギリギリを攻めています。

少しの間見ていたのですが、意思をもっているかのように、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。

芝の無い通路部分を横切ったりもするのです。

ロボットなので、この暑さにも一切文句も言わず、この広大な公園をたった1人(1機)で芝を刈るのですから、尊敬しかありません。

暑くはありますが、植え込みの花は満開。

黄色い花は、マーガレットかデイジーか。

キクのような葉をしているのがマーガレットとあったので、デイジーでしょうか。

足もとでは、紫の小さな花が咲いています。

自然の力がみなぎる季節です。

アトリエで活ける花は、空堀商店街で買ってきます。

花屋さんは谷町筋より東側の空堀ど~り商店街にあります。

店の名前は「山頭花」。

自由律俳句でしられる俳人、種田山頭火からとったのでしょう。
金額も非常にリーズナブルで、とても助かるのです。

1882(明治15)年に生まれ、1940(昭和15)年に松山で無くなった山頭火は、その作風とは異なり、厳しい人生を歩んでいます。

母と弟を自死で亡くし、実家が経営する酒造会社は倒産、離婚し酒に溺れ、自殺未遂……

その中でも、旅をして俳句を描き続けた流浪の人生でした。

AIが経済を支えるように、労働をより多くをロボットが負う時代は進むでしょう。

怒りも、喋りも、貪りもせず、ゆっくり、しっかり働くロボット。
山頭火の詠んだ世界とは全く逆の世界です。

人にとって快適で、清潔な世の中になっても、心の機微を詠む俳句などの淡い文化はこれからも残っていくのでしょうか。

ゆっくり歩いて、しっかり見届けたいと思います。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』に「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
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原尞「私が殺した少女」読了‐2317‐

昨日は昭和の日だったので、すでにゴールデンウイークに突入しています。

打合せの花瓶にはヤマブキ。
ヤマブキ色の通り鮮やかな黄色で、社内も春の装いです。

先週末からゴールデンウィークだという話もあり、昭和世代からすると隔世の感は否めませんが、いずれにしても長期休暇は嬉しいものです。

その先週末、長女の東京での住まいがようやく決まり、妻が引越しの手伝いに行っていました。

私は大阪に残っていたので、少し料理でもしようと空堀商店街へ。

「あそこは安い」と聞いていたスーパーへ行くと、閉店間際のよう。

鮮魚コーナーでセールが始まり、若干殺気立っています。

物価高の世の中、普段からこの競争の中で買い物をしているのだなと、僅かながら妻の苦労を知りました。

今回の住まい探しは、長男が一緒に不動産会社に行ってくれたり、引越しも手伝ってくれたりと、本当に助かりました。

住まいが決まるまで、妹を泊めてくれたことが一番で、兄妹が東京にいるありがたさを、身に染みて感じていました。

新しい住まいは、築年数はそれなりですが、リノベーション後なので気に入っているそう。

バブル期の建物らしく、対面、独立キッチンです。

一通りそろえるのには、それなりの金額が掛かりますが、健康のことも考えて、できるだけ自炊して欲しいと思います。

兄妹とも、中学生に入るまではかなりの本好きでした。

そうなって欲しいと思い、面白そうな本を揃え、欲しいと言えば何でも買い与えていました。
それが、スマホを手にしてからは……どこの家庭でもある話なので書くのは止めておきます。

東京から戻った妻が言うには、長男は最近は結構本を読んでいるとのこと。
本を貸してくれる友人が居るらしいのです。

本に関しての主張は一貫していて「面白い本を読む」に限ると思っています。

先日読了した、原尞(はら りょう)の「私が殺した少女」はなかなか良かったです。

日経新聞の「私の履歴書」で、早川書房の社長が原尞に触れていました。
それなら凄い作家なのだろうと思い読んでみたのですが、読んだ後、直木賞受賞作だと知りました。

作者の経歴が特異でした。

フリージャズ・ピアニストでしたが、レイモンド・チャンドラーに傾倒して、小説家に転身。
生涯作品は10作に満たず、寡作の作家ですが、全て10万部以上の売上。

1946年生まれで、2023年に76歳で福岡で逝去されたようです。

「私が殺した少女」1989年(平成元年)発表の長編ハードボイルド小説で2作目。
私立探偵の沢崎が、裕福な家庭で起こった誘拐殺人事件に関わり、その真相を解き明かしていくというストーリーです。

修飾語を何度も重ね、繊細に描写する文体は、英語文学の翻訳書の趣きもありますが、チャンドラーの影響でしょう。

それでも読みづらくないのは、作者の力量だと思います。

面白い本を見つける方法は、「教えてもらう」か「探す」しかありません。
「教えてもらう」を超えて「貸してもらう」とはなかなかのものです。

5月4日からは数年振りの家族旅行の予定です。
5月病という言葉も聞こえてきますが5月健康で行きたいと思います。

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高島野十郎が描く、やるせないほどの美しさ‐2314‐

日曜日は、3月初め以来の完全オフ。

のんびりと、大阪中之島美術館の『没後50年 髙島野十郎展』へ行ってきました。

天気はもうひとつでしたが、暑くもなく寒くもなく。

髙島野十郎は、昨年の夏放送されたNHKの『日曜美術館』で知りました。

絵画はやはりブランド力が大きくものを言います。
誰も知らない絵を観る機会はほぼ無いからです。

しかし、テレビを通してでも感じ入るものがありました。
存命中は無名だったと知り、とても気になっていたのです。

「絡子をかけたる自画像」 大正9(1920)年

高島野十郎は、明治23(1890)年に福岡県久留米市の裕福な酒造家の5男として生まれます。

そして中学生の頃、絵に目覚めます。
東京帝国大学農学部水産学科を主席卒業するという秀才ですが、皆が驚くなか、画家の道を選ぶのです。

独学、独身、美術団体にも属さない、孤高の人でした。

「壺とりんご」 大正12(1923)年

「世の画壇とまったく無縁になることが小生の研究と精進です」と知人への手紙に書き残しています。

明治末期には様々な西洋絵画の情報が日本に入ってきました。

雑誌『白樺』が盛んに紹介したこともあって、多くの若い画家がフィンセント・ファン・ゴッホの影響を受けます。
野十郎もそのひとりでした。

「イーストリバーとウィリアムズブリッジ」 昭和5(1930)年

昭和5(1930)年にヨーロッパ視察の旅に出ています。

その前に立ち寄ったニューヨークで描いた1枚ですが、印象派の影響も色濃く受けていることを感じさせます。

「ひまわりとりんご」 大正時代(1912~1926)頃

ゴッホの象徴とも言えるひまわりに、りんごを加えているところも何だか愛らしいのですが。

「からすうり」 昭和10(1935)年

しかしその筆致はここまで進化します。

遺構ノートが見つかったことで、彼の考えを言葉で知ることができます。

「からすうり」はやるせないほどの美しさでした。

学生時代は魚類の感覚に関する研究を行っていました。

その時のスケッチが公開されていました。

食材としても高級魚のオニカサゴ。もう美味しそうでさえあるのです。

左:「雨 法隆寺塔」  昭和40(1965)年  右:「法隆寺塔」  昭和33(1958)年

詩人だった兄の影響からか、仏教に深く傾倒していました。

写実的な描写が慈悲の実践と考えていたので、絵を描くこと自体が仏の教えに迫ることだったのです。

「積る」 昭和23(1948)年以降

一方、その画風は多彩を極めます。

点描画のような表現が、雪の軽さと、豪雪地帯の雪の過酷さを同時に表現しているようです。

解説には、好んで通った山形である可能性が高いとありました。

最後の展示エリアは、凄い演出でした。

野十郎が生涯に渡って書き続けた、「蠟燭」と「月」が、ほぼ真っ暗な中で展示されています。

「蝋燭」 昭和23(1948)年以降

「蝋燭」 はかなりの点数が展示されていましたが、個展で発表されることもなく、親しい友人や知人に感謝の気持ちとともに手渡された贈り物でした。

「満月」 昭和38(1963)年頃

光を描くという意味では同じ主題ともいえる「月」。

最初は月夜の風景を描いていたのが、晩年はただ闇夜に輝く満月だけを描くようになっていきます。

主役は闇でした。

存命中はほぼ無名だった野十郎ですが、没後5年経った昭和55(1980)年の「近代洋画と福岡県」という展覧会で評価がはじまります。

そして没後50年の、この展覧会に至るのです

独学、独身、孤高ということばで語られますが、不思議と悲壮感は全く感じません。
そこは育ちの良さと、頭の良さからくるのでしょうか。

展示作品は約150点にも関わらず、ほぼ全ての作品に解説があり、全く飽きることはありませんでした。
この展覧会を主催した人達の熱意も伝わってきます。

撮影可能な作品をいくつか紹介しましたが、実物はこの比ではありません。

6月21日(日)まで会期があるので、まだの方に絶賛お勧めしておきます。

孤独ではない孤高の人。

何だかヒントを貰ったような気持ちになりました。

「月」 昭和37(1962)年

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』に「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」の内覧会開催■

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