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誕生35周年企画「私のディスカバリー ストーリー」 応募のストーリー‐2186‐

昨年の秋、ENGINEという雑誌から「誕生35周年企画「私のディスカバリー ストーリー」という企画があるという案内が届きました。

なぜメールアドレスを登録していたのか覚えていないのですが、ざっと内容を読むと「私の為にあるような企画」と勝手に思い、締め切りをメモしていました。

締め切り日になったので、バタバタと書きはじめると、写真1枚、文章は400文字とあります。

私のディスカバリー愛を綴るには少なすぎる……というのが正直な気持でした。

折角なので送ってみたのですが、先週金曜日に公開されていました。

【誕生35周年企画「私のディスカバリー ストーリー」 epilogue】

しかし、実際に取材となった3件には選ばれませんでした。

ちょっと残念なので、イメージしていた「私のディスカバリーストーリー」をUPしてみます。

はじめてディスカバリーがやってきたのは、2011年の5月。40歳の時でした。

20年に渡って、2台のハイラックスサーフを乗り継ぎました。

若いころ大好きだったハイラックスサーフの後は、この車しかないと思っていたのです。

1989年に誕生したディスカバリーは、この型で第3世代になります。

この世代のフロントまわりのフォルムを見ると、最高に心ときめきました。

ENGINEにもある通り、「比類なきオフロード性能」を早速フルに発揮してもらいます。

2011年1月の蓼科高原です。

2012年の9月。

ハイラックスサーフと同様、キャリアーを取付け、ボートを積んで日本海へ。

海を見ながら、現地で獲れたものを食べるのは最高なのです。

2015年6月の池原ダム。

後部がフルフラットになるので、子供がかなり大きくなるまで、2人で十分寝れました。

この広さは、角ばったボディと背の高さが必要です。

それを、美しさ、運転性能とともに成立させているのが、ディスカバリー最大の魅力だと思っています。

5年乗った緑のディスカバリーは、乗り換え時に「さらば、緑のディスカバリー‐1327‐」という記事をUPしました。

なので、軽めにしておきます。 

そして、紺色の第4世代がやってきたのが2016年12月。

2017年5月。すぐにボートを積まれ、奈良県の七色ダムへ。

2018年の1月、「家族で47都道府県制覇」のために、大雪の蔵王へ。

かなりマナーの悪い車とでくわし、あやうく大事故になりそうな場面もありました。

2018年にバスボートを購入し、今度は牽引に変わりました。

流れは忘れてしまいましたが、ナンバープレートを貰うため、南港の近畿運輸局まで行ったこともありました。

2019年の1月は木曽福島へ。

オフロードカーは、やはり自然が良く似合うのです。

その後すぐに出掛けた伊豆半島の旅では、路肩にタイヤをぶつけてしまい、JAFにタイヤ交換して貰ったこともありました。

2024年8月、南紀白浜です。

ついに長男が免許を取りました。

初心者マークが付き、長男に運転して貰うことがあるとは、全くは想像していなかったのです。

子供達も、6歳、3歳からの付き合いなので、もやは家族のようなものです。

ディスカバリー誕生から35年。

そのうちの14年だけですが、40代、50代には常にディスカバリーがありました。

海、湖、雪山、そして仕事でも、撮影機材などを沢山積んで移動します。

心からディスカバリーを愛し、これだけその性能を必要としているのです。

ただ、最新の第5世代があまり好みでなく、現時点では動かなくなるまで乗ろうと思っています。

車を乗り継ぐ時は、感謝の気持ちをここで綴るのですが、その風景が全く想像できないのです。

ディスカバリー乗りは、縮めて「ディスコ」と言ったりします。

私のディスコ愛、伝わったでしょうか。

物づくりが仕事だからか、物に対する愛情はただならぬものがあります。

車やボートは、真の意味での相棒だと思っているのです。


■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転します
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

不完全っていいなあ‐2185‐

アトリエの最寄り駅は地下鉄平野。

出入口までは徒歩3、4分なので、地下鉄に乗るのにはかなり便利です。

この近さを経験していたので、移転先を探す際はかなり迷いました。

最終的には、地下鉄谷町6丁目の出入口まで徒歩6分で納得したのです。

谷6の駅は結構大きいので、8分くらいは見て貰った方が良いかもしれません。

地下鉄平野は、内環状線と南港通りの交点にあります。

その交差点が流町。

一筋西には平野区役所があります。

その間には、りそな銀行。

ダイコクドラッグ。

カラオケ、王将もあり、かなり便利な所でした。

それでも市内の中心部へ移転したく、今回決断をしたのです。

昨日は、イチローのアメリカ野球殿堂入りのニュースで持ち切りでした。

満票には1票届きませんでしたが、文句なしの殿堂入りでした。

満票はこれまで、元ヤンキースの守護神、マリアーノ・リベラたった1人だけ。

野手では、ザ・キャプテンこと、ヤンキースの象徴とも言えるデレク・ジーターが1票足らずとのことでした。

その点を考えるとかなりハードルが高いのかなと思っていましたが、394人中たった1人だけが投票しないとは……

この確率はほぼ100%といってよいでしょう。

その点に対するコメントが流石でした。

不完全であるっていうのはいいなあって

イチローの言葉は、ずっと追いかけてきました。

その中でも、今回の言葉は秀逸でした。

完璧ではないから、完璧を求め続ける

現在も完璧でなければ、移転したから完璧になる訳でもありません。

それでも、昨日よりは今日、今日よりは明日と、少しでも成長できるよう、前に進むしかありません。

イチローが「満足は求めることのなかにある」と言うように……

会見では、MLBに所属する日本人が少なすぎると、苦言も呈していました。

やるべきことをやり、言うべきことを言う。しかも言葉が強い。

夜、晩酌をしながら、こんなニュースを見れた時はとても寝つきが良いのです。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転します
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

初期三作品の魂百まで‐2184‐

「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」【CG movie】をUPしました。

よければご覧ください。

年明けから、寒い日が続いていました。

快晴の放射冷却は、寒くはありますがシャキッとします。

しかし今日は、久しぶりに温かい1日でした。

朝見ると、近所にあった大きな建物がほぼ無くなっています。

昨年から工事をしていましたが、今日あたりは仕事もはかどったでしょう。

しかし大変な仕事であるのは間違いありません。

「上町のアトリエ」近くにも解体現場。

解体あれば新築ありで、すぐ裏に建つのはタワーマンションでしょうか。

1995年、25歳の時にはじめてオファーを貰った仕事はかなり大きな規模の住宅でした。

鉄筋コンクリート造と木造の昆構造を採用しています。

2件目の仕事は、「白馬の山小屋」リノベーション計画。

建築コスト的にも、設計料的にも、相当に厳しい条件でした。

しかし、挑戦させてもらえたから今があるのは間違いありません。

そして3件目の仕事は「Spoon cafe」

阪急門戸厄神駅前で長らく続く、比較的大きな店舗を全面リニューアルしました。

「白馬の山小屋」 ほどではないものの、こちらも厳しい条件でした。

炭火で焼くハンバーグ。

そしてアートワークと、様々な挑戦をしたつもりです。

かなり長い年月をこのままで使って貰いましたが、再びリニューアルしたようでこの空間は残っていません。

それでも、本当に良い経験をさせて貰ったと感謝しています。

創業して今年で29年目に入りますが、これら初期の3作品での経験はかなり生きています。

「H型プランの平屋」等、鉄筋コンクリート造の建物もかなり経験させて貰いました。

「Spoon cafe」 の経験は、テナントでのクリニック計画等に、大きく役立っています。

リノベーションは、『大改造!!劇的ビフォーアフター』で担当した「住之江の元長屋」をはじめ、『住人十色』で放映された「回遊できる家」など、多くの作品がメディアで取り上げられました。

それも、これも、「白馬の山小屋」の計画と比べれば、何とでもなると腹をくくれていたからだと思います。

そう考えると「三つ子の魂百まで」ではありませんが、初期3作品の濃密な経験が、その後の仕事人生に大きく役立っていると分かります。

「初期三作品の魂百まで」です。

日本では、人口は減少の一途をたどり、空き家は増える一方。

おのずとリノベーションが増えていくことになります。

1月17日で、阪神淡路大震災から30年が経ったとニュースで取り上げられていました。

30年をひと世代とすると、再びリノベーションが注目されるようになると考えれば、面白いめぐりあわせだと思うのです。

その意味でも、 「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」で、都市型住宅のひとつの答えを示さなければと思っています。

2月12日(水)から、新アトリエで業務を開始するとアナウンスしました。

もう待った無しなので、腹をくくってやるしかないのです。

■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

スカッと空高く‐2180‐

今年は元旦から晴れ空が続きました。

すべきことが色々あり、年末年始はずっと大阪に居ました。

それでも、少しは正月気分を味わいたいので、1月3日の初売りを初体験してきました。

普段、何もできていないので、妻の服と靴を買って差し上げたのです。

朝一番は大丸梅田店もそれ程混んでいませんでした。

しかし昼が近づくにつれて、ちょっと怖いくらいの勢いで、どんどん人が上階に上がっていきます。

初めて見たこともあり、なかなか迫力のある光景でした。

ついでに、人でごった返す阪神百貨店の食品売り場も歩いてみました。

混雑は長時間居ると疲れますが、少しなら華やかな気分になって良いものです。

そのまま、玉造稲荷神社へ初詣に。

込み具合も程ほどで丁度良い感じ。

1月中のアトリエ移転を目指していますが、新しい氏神となるこちらにご挨拶に来たのです。

大阪以西の人たちにとっては、ここがお伊勢参りの玄関口だったとあります。

大阪城内の三の丸に位置しただけあり、豊臣家ゆかりの物が沢山あります。

秀吉と関係の深い、千利休は神社の南に屋敷を構えました。

清水谷などの地名が残るように、玉造清水と呼ばれる良質の水が得られたからだそうです。

利休ゆかりの井戸が、境内に復活しています。

こちらも豊臣家とのつながりを表す、立派な石の鳥居。

1603年に秀吉の子、秀頼が神社再興時に奉納したものです。

阪神淡路大震災の時に一部損傷し、このような形で保存されていました。

帰り道、難波宮跡をのぞいてみると、イベントがあるようでその準備をしています。

その先で、凧揚げをしている人がいました。

正月風情だなと思い、♪凧々揚がれ、と見ていると、揚がりそうで、揚がりきらない感じ。

まるで自分をみているようで(笑)

天王寺、平野に続く第3ステージは、大阪城のすぐ南の上町で、勝負の年になります。

場所が変わっても、自分の中身が変わる訳ではありませんが、心機一転という気持ちです。

今年は、スカッと空高く舞い上がりたいと思います。

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懺悔と青春‐2179‐

新年明けましておめでとうございます。

元旦に、アトリエm移転計画「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」【ゲンバ日記チャンネル】Episode1を公開しました。

よければご覧ください。

2025年の1回目は、昨年末の話からです。

12月30日、阪急うめだ本店のショーウィンドウも、すっかり迎春仕様になっていました。

百貨店の屋上広場から、北西のJR大阪駅側を望みます。

間もなく2024年も終わりだなと、やや感傷にふけるのです。

昨年はオリンピックイヤーだったので、中学・高校の同窓会の開催年でした。

柄でもないのですが、世話役の代表を引き受けています。

2004年アテネオリンピックの年に第1回目を開催。

以降、4年毎の12月30日に開催を続けてきました。

今回、先生方は3名が参加下さいました。

学生時代は、迷惑しか掛けていないと言っても過言ではないのですが、英語担当のA先生には、格別のご迷惑をお掛けしてしまいました。

本当にお世話になり、全く頭が上がりません。

開会のご挨拶をお願いしました。

70歳を超えたとのことですが、とてもお元気で、はつらつとされています。

皆に楽しんでもらうため、2分くらいの近況報告を全員にお願いしています。

なぜずっと私も写っているかと言うと、司会進行をさせてもらっているからです。

この3時間は気合十分、仕事くらいのテンションで臨みます。

初参加の同級生あり。

毎回安定の盛り上げ役ありと、多彩なメンバーが揃っています。

大学教授、海外の大学教授、医師、税理士、会計士、映画監督、CM監督、社長、副社長、SE、エンジニア、研究者、東京、愛知、ニューヨーク、十勝から……

もし子供が将来に迷っていたら、この会に参加するのが一番良いのではと思うくらいです。

と書いてみて、本当に実現したらとても有益な気がしてきました。

体育の先生は当時26歳だったそうです。

熱血指導でここでは書けないネタも満載ですが、そういった先生の話が一番盛り上がるのです。

「若かったので、皆さんにはご迷惑をお掛けしました!」は大爆笑でした。

3名とも、はじめて6年持ち上がったということで「君たちはとても印象に残っている」と。

化学のT先生は、やや体調を崩していたにも関わらず、新型コロナで中止した会を除いて、5回全ての参加です。

こちらの先生には高校生の時「守谷、勉強嫌いやったら高校は義務教育と違うから辞めてもかまわないんやで」と。

本当に、ご迷惑をお掛けしてばかりで……

会の終了後、皆で写真撮影。

最高に楽しい会でした。

その後、阪急東通商店街の串かつ屋さんで2次会。

こちらも31名の参加があったのです。

2004年、第1回目のすぐ後、当時学年主任だったY先生がお亡くなりになりました。

Y先生には「守谷はすぐカッとなりやすいから」と、短気な性格をたしなめてもらいました。

お葬式に寄せてもらったのですが、奥さまが、会から戻ったあと「楽しかった、楽しかったと、何度も言っていました」とお聞きしました。

20年前。

お2人とも本当に若い。

そういう私達も勿論若い。

2016年リオオリンピックの年に参加くださった、国語のS先生が2020年にお亡くなりになりました。

また、第1回目に参加下さった数学のY先生も、2021年にお亡くなりになりました。

冒頭の挨拶で言ったのですが、実際にお会いできることが、当たり前ではないという事を痛切に感じます。

S先生は中1、中2の担任でしたが、2016年のとき「あんた喧嘩ばっかりして、悪かったものね~」と。

本当に、懺悔、懺悔、懺悔しかないのです。

これまでぼんやり書いてきましたが、殴り合いの喧嘩、慰謝料、修学旅行中の別室隔離、学校でお好み焼き、かつ勉強は全くしない。

高槻中学・高校は進学校ですから、先生側からすれば絶対に要らない生徒です。

しかし、大学に入ってからは本気で建築を学び、仕事人としては毎日を全力で生き、誰よりも働いてきたつもりです。

多少はまともになったと思ってもらいたいのと、少しでも恩返しができるならと引き受けたのが、「同窓会実行委員会 世話役代表」でした。

会場捜し、名簿の作成、往復葉書の送付、メール配信、アンケート用紙の作成、そして会が終わった後の情報の整理、母校への報告と、開催年の8月頃から準備を始めます。

やるべきことが結構あるので、全て会社として引き受けているイメージでした。

しかし人手が足りていない今回は、かなり時間の確保が難しかったのが正直なところです。

また、そんな滅茶苦茶な生徒だったので、私以外が代表をすれば参加する生徒も居るのではとも、ずっと思っていました。

そんな理由で、20年勤めてきた世話役の代表を今回で退任させてもらうことにしたのです。

先のT先生にこんなことを言ってもらったことがありました。

「僕は今の生徒に、こんなことを言っているんや。

この学校に来れる子は、頑張れば絶対何とでもなる。

それは守谷を見てそう思う」と。

もとが真面目な人より、ヤンキーが厚生した方が偉く見えてしまう的なところもありますが、私にとってこれほど嬉しい言葉はありませんでした。

20年前と言えば34歳です。

自分で見ても若いと思います。

はっきり言えば、この会は私にとって、懺悔と青春だったと思います。

私は働きもしますが、前にも出ます。そこを陰から支えてくれたI君には感謝しかありません。

次回の第7回は、2028年ロサンゼルスオリンピックの年です。

世話役を退任した次回、参加したいと思うのかなとか思ったりもします。

まだ4年あるので、それはまたその時に考えてみたいと思います。

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30年を経て変わったこと、変わらないこと‐2170‐

梅田界隈も、イルミネーションがクリスマス仕様でした。

「関西スキー部30年ぶり大大大同窓会!」が週末に催されました。

関西の大学でスキー部だった人たちが、60名程集まっていました。

中学高校の同窓会の幹事をしていますが、オリンピックイヤーの今年は開催年です。

12月30日が開催日なのですが、270人の生徒+先生に対して現在の参加の意思表示は28名。

母体がどのくらいなのか分かりませんが、凄い結束力だと思います。

あまり知らない方のところにも挨拶に行こうと思っていたのですが、ただただ楽しい時間。

2次会も合わせて、あっという間に4時間半が過ぎてしまいました。

近畿大学では体育会スキー部に入れなかった私を、甲南大学のスキー部に紹介してくれた中学高校の友人がいます。

2次会後は、タクシーで彼のお父様の別荘?へ。

10人程で移動し、3次会は朝方まで続いたのです。

翌朝、その友人に「ここ初めてやったっけ?」と言われましたが、完全に初めてです。

お爺様が所有していたこの家に、お父様が手をいれたとのこと。

大阪湾を見下ろすジャグジーもあります。

炉を切った和室の奥には、水屋も。

廊下がゆったりとした、本格的な数寄屋造りです。

母屋と東屋は、見事に色付いたモミジに抱かれているかのようでした。

朝のうちに帰る後輩と、ゆっくり街を見ながら駅まで歩きました。

近畿大学に通いながら、週3回ほど甲南大学での練習に参加するという日々だったので、六甲、芦屋あたりにはよく立ち寄りました。

30年前と比べれば、仕事人として少しは成長したと思います。

しかし、本当に成功するということがどういうことか、彼のご家族を見るひしひしと感じます。

ただ、本当に良いものを見せて貰いました。

上には上がありますが、その景色を見たことがあるのと、無いのでは全く違うと思います。

ル・コルビュジエのロンシャンの礼拝堂も見ました。

贅を尽くした数寄屋造りも見ました。

あとは仕事で表現するだけ。

今年の締めくくりの1ヵ月が始まりました。

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思えば知らない人から‐2169‐

一昨日、アトリエm移転計画「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」『ゲンバ日記』を公開しました。

12回目にして「再びプロローグ」とある通り、自邸ならではの紆余曲折がありました。

よければご覧下さい。

昨日、りんごが届きました。

「山形の果実 りんご」とあります。

宮城の社会保険労務士の方からでした。

昨年、アポイント無しとはいえ、宮城から足を運んで頂いたのに、ちょうどクライアントとの打合せ中で、お会いできなかったのです。

来阪の理由は、ご自身が応援する企業の商品アピール。本当に頭が下がります。

ご自身もこのりんご作りに参加しておられ、感謝の気持ちもひとしおなのです。

今晩にでも頂いてみようと思います。

と思っていたら、虫歯跡の詰め物がはずれてしまいました。

近所の歯科医院に連絡すると、いますぐなら可能と。

急いで伺い、すぐに治して貰いました。

待合にはクリスマスツリーが飾り付けられていました。

日々の楽しみと言えば、やはり食事です。

美味しく食べるには、健康でなければなりませんが、特に口まわりは直接影響がでてきます。

2016年の5月に、唾石を取る手術をしました。

歯の定期点検の際に見つかり、唾液の出が悪くなるので取ったほうが良いとなったのです。

術後のダメージを考え、口の中からの手術を選択したので、奥の方にある数個はそのまま残っていました。

すると2023年の年始、急にそのあたりが傷みだし、物が嚙み辛い状態になりました。

年始休暇が明けるのを待って、すぐに紹介状を書いて貰い、大阪急性期・総合医療センターへ。

ドクターの見解では、「やはり完治を目指すには、切開して顎下腺(唾液を送る管)ごとの摘出手術しかない」となりました。

キャンセルは可能とのことで、予約まですませてきたのです。

ここでその事を書くと、アトリエmの問合せ用メールに、四国にお住まいの女性から連絡がありました。

ご自身も唾石症で困っておられ、小さな切開手術と内視鏡手術を経験しておられると言います。

経験上、「もし手術をするなら、内視鏡手術も選択肢にいれてはいかがですか?」とアドバイスして下さったのです。

内視鏡手術をして貰える横浜の病院と、ご自身の経験を資料を交えて丁寧に説明して頂きました。

顎下腺ごとの摘出となると大きな傷が残りますし、神経麻痺のリスクもあると説明を受けていたので、どうしようか悩んでいた時のことでした。

やはり、実体験に勝るものはないので、徐々に症状が落ち着いてきたこともあり、手術はキャンセルしたのです。

するとその9カ月後。

口の中がジャリジャリします。

砂が口に入ったのかなと出してみると、米粒大の唾石でした。

他にも小さなものが2つ程ありました。

「何かの拍子で、出てくることはありませんか?」と、冗談半分で聞いてみたのですが、どの方も「確率は低いでしょうね」という感じ。

勿論、助けて貰っているのはこちらなので、感謝しかありませんが、何故か最高の結果に終わったようです。

四国の女性のアドバイスが無ければ、切開手術に踏み切っていたかもしれません。この日記に救われるとはと、本当にラッキーでした。

実は、切開手術を踏みとどまった理由がもう一つあります。

長男が指笛を上手に吹いていたので、コツを聞いて練習してみたのです。

仕事の休憩時間に、こつこつ練習していると、徐々に音がでるようになってきました。

それが面白くなり、年末年始には、手を口の中に突っ込んで、かなり練習していました。

それが原因でばい菌が入っていったのではないかと、急に腫れたことが腑に落ちました。

指笛は、遭難した時にも役経つと思うので、できれば完全習得したかったのですが、手術には変えられません。それを機に諦めました。

時代はSNSが主流です。

これほど長いブログを読んでくれる人は減っていくのだと思います。

それでも、伝えてみたいことがあるなら、書き続けたいと思っています。

書いていなければ、まったく知らない人から、心のこもったりんごを送って頂いたり、手術の判断を助けて貰ったりということは無かったと思います。

思いが全て伝わるかは分かりませんが、伝わることがあるのは間違いありません。

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理容師≒医師‐2157‐

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今日は2件も訃報が届きました。

子供が小さい時は、多くの家庭がお世話になった絵本「ぐりとぐら」。

作者の中川李枝子さんが、89歳でお亡くなりになりました。

勿論、我が家も大変お世話になりました。小さな子供の誰もが夢中になる、子供だけに分かる何かがあるのでしょう。魔法のような絵本でした。

そして、もう1件は俳優の西田敏行さんです。

小学校の頃、再放送だったのか、リアルタイムだったのか覚えていませんが「池中玄太80キロ」は本当に好きでした。

最近、ドラマは殆ど観ませんが、あんなにも哀愁を称えたホームドラマは無いのではと思います。

切ない物語の中に、家族の絆。そういったモチーフは、今では流行らないでしょう。昭和の遺産と言えるかもしれません。

いくつかシリーズがあったと思いますが、主題歌「もしもピアノが弾けたなら」が、大好きでした。心からご冥福をお祈りします。

昨日、カットに行きました。

散髪屋さんにある、赤と青がくるくる回っているサインがありますが、サインポールというそうです。

なぜこのようなデザインになったかは諸説あるようですが、むかしのヨーロッパでは、理容師が外科医を兼ねていたそうです。

血の赤に、包帯の白、そして、外科医と分かれた際に、青が加わったという説や、青は静脈を表すという説もあるようです。

大体、6週間から8週間に一度行くのですが、時刻は19時30分の一番最後の枠でお願いしています。

店長のDさんは、1962年生まれで8つ年上の62歳。全くその歳に見えないくらいとても若々しい。

この店が近所に移転してきてから、10年が経ったちました。その前は、地下鉄の駅前で、チェーン店のオーナー店長を務めていました。

私はその店に、中学生の頃から行っていると思います。

ちょっと色気がでてきて、美容院なども行ってみましたが、私にはDさんが一番良かったのです。

駅前の店舗の時は、スタッフは7人くらい居り、チェアも4,5台あったと思います。

しかし、どの業界も同じで、人手不足、若者の仕事が続かないということを踏まえて、全てをひとりでするという選択をされたのが10年前でした。

長男も、小学生5年生くらいに連れていったので、初めの頃は私が横で待っていたのでしょう。

もう覚えていませんが、そうであっても1回だけだと思います。後はひとりで行って貰いましたから。

このDさん、下町の理容店でありながら品があり、距離感が素晴らしいのです。

髪を切るという行為は、かなり近い距離感で行われますが、それ故、近すぎても、遠すぎても駄目な仕事です。

加えて、多くの人と1時間くらいみっちり話をするので(しない人もいると思いますが)、話題も豊富でなければなりません。

それはそれで大変だろうと思うので、私が行くときは、1ヶ月半の間にあった、面白そうなネタをピックアップしておきます。こちらが楽しませるイメージです。

大学生の頃、長髪にしていた頃も覚えてくれていますし、何かメディアに露出した際も観てくれて、褒めてくれるのです。

考えてみれば、家族以外でこれだけ定期的に会うのは、Dさんだけかもしれません。すでに40年ですから。

平野から上町に行った時、一番悩むのは散髪です。ここまで来るか、どこか近くで探すのか、かなり迷うと思います。

「守谷さんはよく働く上にポジティブですねえ」と良く褒めてくれます。

仕事の話をしていることがやはり一番多いと思います。

こちらのお店、朝10時から夜8時が基本。「ちなみに何時頃出勤しているんですか?」と聞くと「6時頃ですかねえ」と。

「6時!」と思わず聞き返してしまいました。

私もかなり働く方だと思いますが、毎日絶対に14時間は働いている訳です。

そして、「こんなにいい仕事はないですよ。夏は涼しく、冬は温かく、何よりこちらに出向いて貰えるんですから。本当に有難いことです」と。

感謝をベースに働くということは、全てを好転させることを、目の前でいつも見せて貰っています。

この店に来るか迷うと言いましたが、多分来るのだと思います。

昔のヨーロッパでは外科医を兼ねていましたが、Dさんは私にとって精神科医のようなもの。

そのくらい、気持ちよく話を聞いて貰えることには価値があると思うのです。

■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■

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香り立つ、アベリア・グランディフローラ‐2156‐

■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■

ここは、1980年に廃線となった南海平野線跡です。

始発駅の、平野停留所があったあたりは遊歩道になっています。

時々通るのですが、植え込みのアベリアが花をつけていました。

辺りには甘い良い香りが漂っています。

庭木としてよく採用しますが、これ程良い香りがするとは知りませんでした。

「風薫る」は初夏をイメージしますが、「香り立つ」は、秋のイメージにピッタリです。

アベリアは常緑ですが、葉が小さいのが魅力です。

常緑の庭木は、葉が分厚く大きいものが多いのです。

葉が小さいと影にも濃淡ができ、建築を邪魔しません。2022年完成の「あの森のOhana」でも採用しました。

ちなみに一番奥の左にあるソヨゴも葉が細やかな常緑樹。

昨年の1月に撮った写真です。

少し雪が積もっていましたが、アベリアと共に、葉が落ちていないのが分かります。

この2種にはいつもお世話になっているのです。

そのアベリアの多くは、前「Ohana」から移植しました。

こちらは2009年の完成です。

竣工時は小さな苗でしたが、最終的にはここまで大きく育ちました。

「Ohana」は 、2年前に府道の拡張工事で残念ながら解体されました。

2018年の台風で倒れてしまったシンボルツリーのオリーブ。

ここまで大きく育っていました。

仕方なく折れた部分でカット。

その後少しずつ葉を付けてきました。そして 「あの森のOhana」へ。


どうしても主役の方に目が行きますが、脇を固める中低木があってこそ、建物を引き立ててくれます。

このアベリア、正式名はアベリア・エドワードゴーチャだと思っていました。

確認してみると、アベリアの中にも色々品種があり、 エドワードゴーチャ はピンクの花を付けるものを指すようです。

一般的なものは、アベリア・グランディフローラと呼ぶようでした。

どちらの名前も、まるで王族の名前のようで、高貴な香りが立ち上ってくるようです。

建築設計を始めて30年経ちますが、未だに知らないことが沢山あり、愕然とすることがあります。

ただ、全て知っていなければいけないとも思っていません。

例えるなら、映画監督のような仕事で、一流の役者や、カメラマンに、自分のイメージをしっかり伝えられれば良いのです。

そう考えると、どこにプロフェッショナルとしての知識や技術があるのかとても伝え難い仕事かもしれません。

大切なのは、感じられることだと思っています。

清々しい、神々しい、美しい、良い香りがする、美味しい……等など。

そこは、仕事を始めた頃からあまり変わっていない気がしますし、そうでありたいと思うのです。

■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

「勝つ」か「負ける」かは常に半々、どうせジェットコースター人生だし‐2155‐

■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■

現場へ向かう途中。

立派な旧家が立ち並んでいるエリアがあります。

ただ、形あるものはいつか朽ち果てるのが宿命です。

安普請の(失礼!)倉庫なのかなと思い、横をのぞいてみたら、しっかりした土壁でした。

こういった昔ながらの瓦屋根は、解体の手間と費用がかなり掛かります。

屋根を葺き替えてリノベーションするのか、それとも撤去してしまうのか、他所の現場ですが気になるのです。

今年の暑さで、彼岸花も遅れ気味なのでしょうか。

ようやく秋の景色です。

向かっていた現場は「ドッグランのあるタイル床の家」でした。

順調に工事が進んでおり、早く【ゲンバ日記チャンネル】をUPしたいのですが、なかなか編集が追い付いておらず……

今日は昼から谷町六丁目へ。

この春に中古物件を購入し、「上町のアトリエ兼住居移転計画」は秋に完了している予定でした。

しかし実際には、ようやく今日が建築会社への現場説明。

現場説明とは、見積開始に先立って、文字通り現場で説明をすること。通称「現説(ゲンセツ)」。

「取説(トリセツ)」みたいなことです。

解体担当と電気設備担当も参加してくれましたが、リノベーションにおいて頭が痛いのはアスベスト問題です。

年代的にはロックウールだと予想していますが、仮では進んでいけません。

解体担当に検体を採取してもらい、検査機関へ提出を依頼しました。

「どのくらいの確率でアスベストが出ると思う?」と聞くと「年代的には半々ですかね」と。

低い確率を答えてがっかりさせてもいけないので、100点の回答だと思います。

「出る」か「出ない」か、「勝つ」か「負ける」かは常に2択。 半々に違いありませんし。

現説が終わったのは夕方。

屋上から西を望むと、上町台地の稜線がすぐそこに見えています。

ここで働き、暮らす覚悟を新たにしました。

駅に向かって歩いていると、モウモウと煙を吐き出す焼き鳥屋さん。

平野と違って誘惑も一杯ありそうです。

起業した時からジェットコースター人生です。

「勝つ」か「負ける」か 、前に進むしか選択肢はありません。

■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載