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追悼、アントニオ猪木‐1944‐

先週の土曜日、「アントニオ猪木死去」のニュースが流れました。

近年は難病を患っており、かなり痩せた姿も報道されていました。

小学生から25、6歳の頃まで、大のプロレスファンでしたが、そのきっかけは金曜8時のプロレス中継です。

戦後、街頭テレビに映る力道山の活躍で、国民的娯楽となったプロレスですが、私もすっかりその魅力にとりつかれてしまったのです。

1963年、戦後のヒーローだった力道山が凶刃に倒れます。その後の2枚看板となったのが、ジャイアント馬場とアントニオ猪木でした。

しかし政治的な問題が色々と起こり、猪木は力道山が興した日本プロレスを追放されます。

そして1972年に新日本プロレスを立ち上げました。28歳の時です。

長らくプロレス本は買っていませんでしたが、アントニオ猪木追悼の意をこめて、「新日本プロレス50年史」を購入しました。

裏表紙にはタイガーマスク。左下に写っているのは、若手時代の前田日明と山崎一夫だと思います。

1973年から1985年の金曜8時枠の放送があったこの時期が、昭和プロレスの黄金期と言ってよいでしょう。

猪木は「プロレスこそが最強の格闘技」と宣言し、「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」と言いました。

そして、プロレスを世の中に認知させるため、異種格闘技戦が始まるのです。

1976年、ボクシングの現役世界チャンピオンだったモハメド・アリ戦が最も有名ですが、6歳だった私の記憶にはありません。

しかし、1980年の極真空手のチャンピオン、熊殺しの異名をもつウィリー・ウィリアムス戦あたりからは覚えています。

それぞれの面子があるので、殺気立った両陣営の雰囲気は10歳の子供でも感じるところがありました。

異種格闘技戦とは別に、新日本プロレスからは、藤波辰爾、タイガーマスク(佐山サトル)、長州力、前田日明、武藤敬司、蝶野正洋……次々とスターが生まれていきます。

また、プロレスの天才と言われた猪木は、外国人レスラーを育てる能力も優れていました。

「ひとり民族大移動」のアンドレ・ザ・ジャイアント。

「不沈艦」スタン “ザ・ラリアット” ハンセン。

そして、「超人」ハルク・ホーガン。後に映画「ロッキー3」への出演まで果たし、世界一有名なプロレスラーとなったのです。

スタン・ハンセンは、後にジャイアント馬場の全日本プロレスに移籍しますが、いずれも猪木のプロデューサとしての能力が、彼らをトップレスラーに育てたのは間違いありません。

よりプロレスを好きになったのは、1983年創刊の『週刊プロレス』を読むようになってからでした。

編集長・ターザン山本は「観るプロレス」から「読むプロレス」の面白さを提唱していきます。

「テキサス・ブロンコ」テリー・ファンクも写っていますが、ほんとに格好良かった。

私も「週プロ」の影響で、1984年に前田日明が立ち上げた、より格闘技色の強いUWFに傾倒していくのですが……

プロレスとアントニオ猪木のことを書き始めると、延々と書いてしまいます。プロレス史自体が大河ドラマなのですが、話をもとに戻します。

現在は日本のプロレスはよりショーアップされ、アメリカナイズされたエンターテイメント色を強めています。

プロレスには「ブック」と呼ばれる脚本があると言われるので、他の格闘技より下に見られがちです。

それはひとつの意見なので構いません。

しかし、プロレスラーが亡くなる度に思いだす言葉があります。

冒険小説とは、成熟した男性によって書かれた、成熟した男性のためのエンタテイメント
-田中光二- 作家

プロレスを楽しむには、ある程度の許容量と、想像力が必要なのだと思います。

ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、橋本真也、三沢光晴、ブルーザー・ブロディー、アンドレ・ザ・ジャイアント、ホーク・ウォリアー、アニマル・ウォリアー、ジミー・スヌーカー、ビッグバン・ベイダーそしてついにアントニオ猪木まで。

多くの大男たちが早世しているので、79歳まで日本を元気づけてくれたと感謝するべきなのでしょう。

「燃える闘魂」

「過激なダンディズム」

「プロレス外交」

「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし 踏み出せばその一歩が道となる迷わずゆけよ、ゆけばわかる」

「元気があれば何でもできる」

「闘魂ビンタ」

選手を引退してかれは、道化的な役割も引き受けていましたが、現役バリバリの頃は、初めの写真の通り、とにかく格好良かったのです。

先日亡くなった稲盛さんも、経営の原点12か条の8条に「燃える闘魂」をあげています。

経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい闘争心が必要。

作家・開高健もそうでしたが、インテリと言われる人に、プロレスファンはかなり多いのです。

一時は袂をわかつことになった、弟子でもある前田日明のコメントがニュースに上がっていました。

「猪木さんがいなかったら、前田日明もタイガーマスクも、リングスも修斗も総合格闘技もK―1もPRIDEも何もなかったよ。全ての始まりですよ」

この言葉が全てでしょうか。

新約聖書は「はじめに言葉ありき」で始まるそうですが、近代プロレス、総合格闘技においては「はじめに猪木ありき」だったのです。

多くの人に影響を与え、元気づけ、楽しませてくれた「創造主」。安らかに。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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建築家・守谷昌紀TV コンクリート打ち放し「H型プランの平屋」

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

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9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
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皆が歌いたくなるような曲を‐1943‐

米米クラブは1997年に解散していたそうです。

学生時代はあれほど聞いていたのに、全く知りませんでした。

しかし2006年に再結成。活動を再開していました。

米米クラブのボーカルは、言わず知れたカールスモーキー石井こと、石井竜也。

彼が出演する番組を観ました。

ファーストシングルは1985年発売の「I・CAN・BE」。私が中学3年の時で覚えています。

ビッグバンドさえ珍しいのに、徹底的にショーアップされたステージで、一気に人気グループになっていきます。

しかしジェームス小野田の衣装はいつも凄かった!

1992年発売のアルバム「Octave」に収録されている「君がいるだけで」は、289.5万枚を売り上げます。私もカラオケで、かなり歌わせてもらいました。

元々画家になりたくて東京にでてきた石井は、絶頂期であるこの頃から、映画監督やアーティストとしての活動に力を入れはじめました。

1996年に監督として2本目の映画「ACRI」が上映されます。しかしこれが興業的には失敗に終わり、10億円の借金を背負うことになりました。

それらが原因でバンドは、1997年に解散へ至ることになるのです。

何と言っても私が一番好きだった曲は「浪漫飛行」。これもかなり歌いました。

1988年発売の「KOMEGUNY」に収録されていた曲が、1990年にシングルカットされました。

ライナーノーツがこのサイズでした。

レコードと兼用していたのかもしれません。

JALのコマーシャルでの採用が決まり、初のミリオンセラーに。

デビュー間もないころ、自転車さえ持っていなかった石井は、まだ歌詞もない「浪漫飛行」をcharに聞いてもらう約束をしていたそうです。


その約束に遅れないよう、急ぎ足で歩きながら考えていたら、あのリズムになったと語っていました。

その1曲で、石井竜也、また米米クラブの人生が変わってしまうのですから、面白いものです。

バンド活動再開のきっかけは、音楽活動のスタート時からお世話になっていたChar、50歳のバースデーパーティでの演奏だったそうです。

何がきっかけになるか分かりませんが、人との縁は大切にしたいものです。

ダブルミリオンと、10億円の借金も経験した人はそういないと思います。実際に、死にたいと思ったこともあったそうです。

しかし、一番心に残った言葉は興業的には失敗したと言われる映画に対してのコメントでした。

「掛かったお金と、興行収益にこれだけ差があるので失敗と言われますが、自分的には失敗と思っていないんですが」


監督1作目の「河童」は何となく覚えていますが、2作目の「ACRI」は全く記憶にありません。

調べてみると出演者が凄い。江口洋介、浅野忠信、藤竜也……これはお金もかかるはずです。

文芸評論家・谷沢永一は「人の世は評判の市」と語っています。

それは間違いないのですが、もし評判が悪かったとしても、それを覆すチャンスは誰にでもあるはずです。

久し振りに彼が歌っている姿を見ましたが、さすがに上手かった。また、皆が歌いたくなるような曲をいつか作ってくれるでしょう。

何だか久し振りにカラオケに行きたくなりました。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

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■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

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比べる必要のない世界を彼岸という‐1942‐

昨日の大阪は、空気が澄んだ気持ちのよい晴れ。

土手上の快走ルートで現場へ向かいます。

日曜日は普段より車は少な目。

地鎮祭に参列してきました。

コロナ下、物価高とさまざまなハードルはありますが、それでも世の中がそろそろと動き出した気がします。

土曜日も良い天気で、ジョギングついでに大念仏寺を参ってきました。

本堂は大阪府下最大の木造建築物で、大屋根は銅板瓦で葺かれています。

その迫力は圧倒的。

境内の樹々の中には、色付きだしているものも。

台風前とは全く違う気温で、秋の足音を実感したのです。

太陽が真東から上がるのが彼岸の中日。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、今年は本当にギリギリでした。


彼岸という言葉には、大きく分けると2つの意味があります。

「煩悩を脱した悟りの境地」と、「彼岸の中日の前後3日間」です。

比べる必要のない世界を彼岸という

お寺の掲示板にあったこの言葉は、前者を指しています。

羨ましがったり、見下そうとしたり。本当に人は煩悩の塊です。

無くすことなどできませんが、少しでも少なくしたいとは思うのです。

この時期、手帳のカレンダーに「彼岸花」とメモをしています。

訪れたい場所があるのですが、今年もかなわなさそう。

それでも道端に咲く彼岸花が、秋を目で教えてくれるのです。

彼岸と此岸(しがん)を隔てるのが三途の川。

真田の旗印、六文銭は三途の川の渡り賃。それをも恐れぬという意味です。

世の中は動き出したと書きましたが、円安も含め、難題が山積しているのは間違いありません。

流石に命は捧げませんが、気持ちだけは日本一の兵となって、この局面を打開していくだけです。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

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9月18日「冷蔵庫の位置」
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12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
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全身全霊匍匐前進‐1941‐

「大阪梅田」は阪急電車の起点となる駅です。

観光客に分かりやすくという配慮で、2019年に「梅田」⇒「大阪梅田」と駅名が変更されました。

中学・高校と、阪急京都線で「高槻市」まで通学していたので、やはり「梅田」のほうがしっくりきます。

好きすぎて、ここでも「阪急梅田駅の歴史」「続・阪急梅田駅の歴史」と2度に渡って語らせてもらいました。

今でも、阪急マルーン色の外観と、ゴールデンオリーブのフカフカしたシートが、私鉄の中では一番のお気に入りです。

ただ、入学してすぐの頃は、地下鉄「南森町」で乗り換え、「淡路」経由で通学していました。

阪急千里線は「柴島」の手前で淀川を渡ります。

柴島浄水場の北側に、京都線の「崇禅寺」が見えています。

「淡路」で京都線と千里線が交差するのですが、2028年度には高架によって立体交差が完成するそうです。

長い間工事をしているなと思っていたのですが、2008年に工事が始まっていました。

20年に及ぶ大工事です。

駅周辺では、その姿がかなり見てとれるようになりました。

運行を続けながらの工事で、余計に時間が掛かるでしょう。

小さな会社を経営する私からすれば、20年先のことなど、全く想像もつきませんが。

ある朝のジョギング中。街路樹の下で、モゾモゾと何か動いているのが見えました。

風で飛ばされたのでしょうか、小さな青虫でした。

目が見えるのか、見えないのかも分かりませんが、全身を使って必死で前進しています。

徒手空拳で仕事を始めた私としては、その姿が全く他人事とは思えなかったのです。

20年に及ぶ工事も、勿論のこと日々の積み重ねです。

何の本だったか忘れましたが、こんなことが書いてありました。

必ず迷路を脱出する方法はある。片側の壁に沿って、出口が見つけるまで進み続けることだ。

なかなか先が見通し難い時もありますが、いくらハンドルを切っても車が動いていなければ位置は変わりません。

青虫君を見習って、全身で匍匐前進あるのみです。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

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建築家・守谷昌紀TV 大きなロフトがある、軒が深いから「おいでよ House」

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9月18日「冷蔵庫の位置」
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魔法の間取りと、魔法のない敷地‐1940‐

昨日、 『ESSE-online』 でコラムが公開されました。

できれば月に1本は書いて欲しいと言われているのですが、前回から3ヵ月も開いてしまいました。

6月から9月にかけては、自分でも良く覚えていなくらい、あっという間に時間が過ぎてしまったのです。

今回は「冷蔵庫の位置次第でLDKがすっきり。調理もしやすくなる魔法の間取り4選」

タイトルは付けて貰うので、多少気恥ずかしい感もあります。


ただ実際に、冷蔵庫の配置がLDKに与える影響はかなりのものがあります。

図面も添えて解説しているので、良ければ読んで下さい。

昨日から台風14号が猛威を振るっていますが、九州では浸水の被害がでています。

大阪近辺は、真夜中あたりに最接近するようです。被害が少なければよいのですが。

普段は平地が暮らしやすいですが、こういった時には標高が高い方が水害には強いことになります。

大阪で言えば、天満橋、谷町四丁目あたりが上町台地の先端になります。

谷町四丁目から東の法円坂へ向かって歩いて行くと、さらに標高が上がります。

このあたりは海抜20m以上。

大阪歴史博物館のあたりです。

北東には大阪城とOBPが見えています。

中央大通りを挟んだ反対側。

南側には難波宮跡も見えます。

法円坂から谷町四丁目駅を見下ろすと、高低差が分かりやすいでしょうか。

最も標高が高く、安全な位置に宮殿が建てられていたのです。

土地を探しをしている人がいたとしても、この周辺の土地を買うのは大変ですが、国土地理院が公開している地図はとても参考になります。

中でも、この「活断層図」は土地の生立ちも分かるのです。

画像中央にある赤い半島が上町台地で、先端に大阪城があります。

濃いめの赤は「約十万~数万年前に離水した台地面」であることが示されています。

設計の依頼があった時、この地図を参考にすると、地盤改良の要不要がある程度想像できるのです。

先日「発掘調査」となった敷地も、淡い赤色上の敷地で、「約数万~数千年前に離水した台地面」だということが分かっていました。

それで、地盤改良が不要だったうえに、土器まで出土したのですが。

これまでに設計させて貰った土地も、 「活断層図」 で調べると納得できることばかり。

「なぜここに段差があるんだろう」と思っていた場所が、断層によるものだったことが分かったりもしました。

もしかすると、土地の調査をしている時が、一番ワクワクしている時かもしれません。

また、「年代別の写真」をみることもできます。街が発展していく様子が分かりやすく、面白いのでお勧めです。

間取りは工夫によって、無限の可能性があります。

しかし、土地に関しては全て受け入れるしかありません。

「温故知新」は孔子が説いた教えですが、土地に関しては古ければ古い程よいのです。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

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現場から土器出土‐1939‐

右端あたり、僅かにですが二上山の頂きが見えています。

石器時代、矢じり使われたサヌカイトが採れた聖なる山です。

周辺には古来から多くの人が暮らしていました。

前回、発掘調査が決まったと書きました。

土器が出土しました。 

行政の担当者から、遺構の調査と資料の保存が終わったと連絡があり、朝から寄って来ました。

前回の倍以上の面積が掘り下げられ、遺構にはマークがされています。

丁度、影が掛かっている中央の穴が、木製の柱が発見された場所です。

これらを詳細に記録するのです。

もう少し広いエリアを発掘調査し、柱跡に規則性が見いだされれば住居跡と認定されるそうですが、この範囲では確定できなかったとのことでした。

私の想像ですが、中央の穴と右下の穴が1.8mくらいなので、この延長線上に柱があるのではないかと思います。

古代の柱穴のピッチも1.8m~2mが多いのだそう。

古代のグリッドも、現在と変わらず一間(1.8m)とは、面白いものです。

古墳時代末期の後期、5世紀末あたりのものと推測されるので、約1500年前のものです。

その1500年の間に、4層ほどの地層が見えます。

それらは、家を建てたり壊したり、また有機物が土になったもの。

その断面に斜めに通る2本のラインが見えるでしょうか。

右のラインは、近世に掘られて井戸の痕跡だそうです。

掘削したラインの中、行政の担当者が示しているあたりに、木製の井戸が組まれていたとのことでした。

重機も矢板も無い時代、大きく堀り、その中央に木製で井戸を組み、周辺を埋め戻したことが分かります。

出土した土器や瓦です。

左は、高杯の破片で、右下は小型丸底土器。

古墳時代前期の末期、5世紀末あたりのものだそうです。

実際の生活に使われたというよりは祭祀用で、厚みはとても薄いものでした。

「触ってもいいですか?」と聞くと「勿論かまいません」と。

1500年前、ここに暮らした人たちは、これらを使い、何に祈りを捧げたのでしょうか。

家族の幸せや安全、また、世の太平もあわせて祈ったのかもしれません。

折角発掘調査するなら、何か出れば面白いのにと思っていました。

現場での専門家の解説付きでとてもラッキー。幸先のよいスタートです。

1500年前と変わらぬグリッドで、ご家族の幸せを実現するため、月末から本格的に工事がスタートします。

間もなく開始するので、ゲンバ日記のほうも是非ご覧ください。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

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人生初、発掘調査決定!‐1938‐

ラジオから「今日は猛暑日になるかもしれません」というDJの声が聞こえてきました。

9月も中旬というのに暑い日が続きます。

解体が終わった現場へ、朝一番に寄ってきました。

監督と行政の埋蔵文化財の担当者が、試掘の打合せをしています。

担当者が少し地表を探しただけで、古い瓦や水がめの破片などがあっというまに集まりました。

縄目模様の焼き物の破片を見せてくれました。

「かなり古いものなのは間違いありません。これはでるかもしれませんね」と。

埋蔵文化財包蔵地域で建築をする際は、試掘を求められるケースが多々あります。

今回は、浅い基礎の部分を1ヵ所と、深い基礎の部分を1ヵ所に決まりました。

浅い方の試掘は、このような黒い小石混じりの土で、私が見ていても遺跡の手掛かりになるようなものは見当たりませんでした。

しかし深い方は1mを越えたあたりで、明らかに硬い地盤に当たったのが分かりました。

黒っぽい土から、赤っぽい土に変わっています。

沢山の礫が混じっており、ユンボで掘るのも苦労するくらい硬そうです。

担当者と協力業者の動きが明らかに変わりました。

出ました。

木の柱か、杭のようです。

1m付近からの段丘礫層という硬い地盤に、木製の何かが打ち込まれ、そのまわりを人為的に掘った跡が見えます。

段丘礫層は、人の暮らしが始まる前のものなので、そこに手が加えられていると「遺構」という扱いになるのです。

行政の担当者の方が「発掘調査ですね」と。

素早くマークし、そのまま試掘から発掘調査に移行しました。

これまで何度も試掘は経験しましたが、実際に発掘調査になったのは初めてです。

出なければすんなり工事に入れるので、出ないことを祈りますが、怖い物見たさもあります。

住宅でない場合は、発掘調査費用を建主が負担しなければならないので、本当に祈るような気持なのです。

しかし今回は住宅につき、公費で賄われるのでその点は気楽だったのですが。

川沿いから急にせり上がった台地の上にある敷地で、地盤調査の結果も良好。改良工事は不要という判定になりました。

川の中央にある石で、亀の一家が甲羅干しをしていました。

まさか1万年生きているはずはありませんが、周辺は古墳も多く、地盤が良好で、水がすぐ近くにあり、人も亀も住みやすいところなのです。

人生初の発掘調査ですが、続報はまたここでお知らせしたいと思います。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

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もう、すべらせない!!亀の瀬地すべり見学会‐1937‐

前回、風の吹き抜ける峠のブドウ屋さんのことを書きました。

買ったブドウは、子供たちが一瞬で平らげてしまいましたが。

大和川へ向かって山を下っていくと、ちょっと不思議な景色になります。

後ほど、亀の瀬地すべり資料室で、地すべり対策のために大量の排土をしたエリアだと分かりました。

亀の瀬は、手前にある亀岩があるので亀の瀬と呼ばれます。

古来から繰り返し起った地すべりによって、大和川に大きく張り出しているのが分かります。

亀の瀬地すべり資料室 ではすぐに見学の受付をしてくれました。

DVDも見れますが、資料の展示も見応えがあります。

一番下にある硬い地層の上に粘土層があり、ここがすべり面となります。

その深さが70mもあるところがこの地域の特徴で、被害を大きくしてきたようです。

万葉集に「畏(かしこ)の坂」として登場するほど、地すべりで恐れられてきたのですが、交通の要所であることは現代も同じ。

亀の瀬が地すべりを起こすと奈良盆地は浸水します。

また、その土砂ダムが決壊すると大阪平野に甚大な被害を与えることから、国が直轄してこれらの対策をしてきました。

滑る土塊を取りさり、集水井戸を掘り、最下の排水路に流すのです。

ガイドの方が、まず1号トンネルという排水路を案内してくれます。

内部はかなり涼しく、20℃くらいでしょうか。

上が溶岩層で水を通します。

硬い地層の上に乗っており、地層の境目から多くの水が湧きだしてくるのです。

排水路に対して直角に掘られた井戸がありました。

その井戸に対して、また排水トンネルに対して、放射状に集水ボーリングと言われる管が四方に伸びています。

地中の中から、くまなく水を集めてくるのです。

その量は、1日で25mプール2杯分が大和川に排出されているそうです。

とても澄んだ水で、それこそプールにでも使えないのかなと思っていました。

少し大和川側へ下ったところにもトンネルがあり、こちらもガイドの方が案内してくれます。

1号トンネルより下に位置する新たな排水路を掘り進めると、旧大阪鉄道亀瀬隧道が見つかりました。

明治25年に完成したのですが、昭和6年の地すべりで大部分が崩壊しました。

それで大和川の対岸に鉄道が移設されたのです。

しかし平成20年、地すべり対策工事中に、隧道の一部が良好な状態で残っているのが発見されました。

イギリス積みと呼ばれる方法で積まれたレンガのトンネルは、天井には煤がのこります。

レンガの厚みは50cm程でしょうか。

裏には硬そうな岩盤が見えます。明治25年にはどんな機械があったのでしょう。

当時の金物も見つかっていますが、その精度を見ると難工事だったことは間違いないと思います。

そうしてみると、極めて美しい文化遺産であり、貴重な建造物です。

ひとしきり感激して外にでてきました。

この鉄橋は、JR大和路線の第四大和川橋梁ですが、鉄道ファンの間では有名なものだそうです。

普通は川に対して直角に鉄橋を掛けるものですが、橋を支える下のトラスが斜めになっているのが見えるでしょうか?

昭和6年の地すべりによって、対岸への移設を余儀なくされますが、その大工事をわずか半年で完成させています。

工期短縮のため、このトラスはどこからかそのまま移設されたそうです。

明日香村にある亀石が動くと奈良盆地が泥沼になってしまうという伝説は、ここから来たのではとのことでした。

確かに、この亀岩が動く程の地すべりが起きたなら、大変なことになるでしょう。

ずっと気になっていた「亀の瀬地すべり見学会」。

あまりにも興味深かったので、長男にも「是非行ってみたら」と言うと、「受験生にはきつい名前やね」と。

なるほど。

「もう、すべらせない!!」を掲げているので、思い切って行くのもアリだとも思いますが。

これら大人の社会見学は全て無料。

絶賛し、お勧めします。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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