カテゴリー別アーカイブ: 04 建築

一見さんお断り‐1326‐

 今日は天満橋から京阪電車の乗り、打合せに行っていました。

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 大川沿いの桜が、真っ赤に色づいていましたが、この季節の京都は、凄い人出でしょう。

 現在、京都で設計しているオフィスがあります。

 鉄骨3階建ての面白い建物なので、また時期がくれば紹介したいと思いますが、これまで京都では5件ほど仕事をしました。

 実施図面が完成し、さあ競争見積をスタートというタイミングで、2~4の建築会社に声を掛けます。

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 競争見積とは言え、私達は仕事を紹介する立場とも言えます。

 しかし京都の場合、初めて連絡をした際は、断りベースの会社が多いのです。

 祇園で言えば、一見さんお断り、といったところでしょうか。

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 それでも長く仕事をしてきたので、パートナーと思っている会社が、京都、滋賀にも何社か出来ました。

 中でも、一番多く仕事をしてきたのは、京都ではかなり大きな建築会社です。

 2000年に完成した「紫竹の家」を設計していた頃、同級生が就職していたという縁だけで電話を掛け、まず見積を引き受けて貰いました。

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 この見積を担当してくれたのが当時60歳くらいの方で、工事部長の肩書だったでしょうか。

 私は設計という立場だったので、常に柔和な笑顔を向けてくれましたが、仕事に厳しい、また、部下にも厳しい顔をもったプロだと感じていました。

 「紫竹の家」は私にとっては4作目。まだまだ分からないことだらけで、随分助けて貰ったのです。

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 私のクライアントには失礼な言い方ですが、それほど規模の大きくないマンションのリフォームや、その建築会社では安さのあまり伝説になっているという、1千万円台前半の超ローコスト住宅まで。

 色々な仕事を引き受けてくれました。

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 最後に仕事をしたのが、2008年の「切妻と中庭の家」

 その後も何度か見積りを依頼しましたが、金額が合わずなどで、以降仕事は遠のいていました。

 この建築会社は、本来はかなり大きなマンションや公共建築を施工する規模の会社です。

 マンションの施工だけでは、現場監督の力が付かないという思いもあったのだと思います。

 また、若かった私を応援してくれていたのだと今は思っています。

 今回も営業部長に見積を依頼すると、「人手不足で辞退させて頂きたいです」との返事でした。

 当社までお詫びに足を運んでくれたので少し話をしていると、その幹部の方がこの年末で勇退するとのことでした。それもあっての辞退だったようです。

 私の嘆き節は2パターンで、「友達が居ない」「先輩に可愛がって貰えない」です。

 友達はほぼ居ませんが、ライバルは沢山いますし、先輩に可愛がって貰った記憶はありませんが、京セラの名誉会長、稲盛和夫さんのような、尊敬する師を持つことは出来ました。

 しかし考えてみれば、今年で勇退されるこの方のように、それこそ「仕事の鬼」というような大先輩には、結構可愛がって貰ったのかもしれません。

 この方が現役の間に、京都でもう一件くらいは一緒に仕事をし「いや~先生、この建物は素晴らしいですねえ」と言わせたかったと言うのが今の気持ちです。

 人も社会も変化こそが常。また初心に戻り、新たな出会いを求めて行動を起こさなければなりません。

 「今忙しいので」と、軽~く断った建築会社の人達には、そちらの仕事が無い時に、頭を下げに来て貰うイメージです。

 言っていることが小さいかもしれませんが、反骨精神も、私のモチベーションの1つではあります。

人類は進歩などしていない‐1325‐

 11月も中旬に入り、山間部では紅葉が見頃でしょうか。

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 昨日は万博公園に寄りました。

 盛りの一歩手前というところでした。

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 それでも、日当たりの良い樹は見事な朱に染まっていました。

 現在太陽の塔を管理する大阪府から、内部公開を可能にする為、改修工事に入いるとアナウンスがありました。

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 最後の内部公開の様子が新聞に載っていましたが、出来ればオリジナルの内部をみておきたかったというのが本音です。

 後悔先に立たず、です。

 すでに、足下には柵ができていました。

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 太陽の塔には3つの顔があります。

 頭頂部の顔は「未来」を表現しています。

 特殊な金色のフィルムが貼られており、上に伸びるのは避雷針です。

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 万博開催時には、レーザー光線が目から出ていたそうです。

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 正面の顔は「現在」を表します。

 この顔は、先日も紹介した全自動洗濯物折り畳み機を発表したセブンドリーマーズのグループ会社、スーパーレジン工業が製作したものです。

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 赤のライントはイタリアのガラスモザイク。

 一体これが何を表しているのか分かりませんが、躍動感を与えています。

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 そして、背面の顔は「過去」を表します。

 こちらは信楽焼きのタイルで表現されています。

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 切れ長の目で、薄く微笑んでいるようにも、怒っているようにも見えます。

 過去の顔は、初めてまじまじと見てきました。

 控えめに盛り上がる鼻筋など、見入ってしまう程の美しさ。太陽の塔は大きいので、なかなか裏まで回る機会がなかったのですが。

 1970年、大坂万博のテーマは「人類の進歩と調和」でした。

 しかし、岡本太郎はこれを真っ向から否定しました。

 「人類は進歩なんてしていない」

 「縄文土器より、土偶より美しいものを現代人はつくっていない」

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 お祭り広場を設計した丹下健三は、すでに世界的な名声を手にしていました。

 巾150m、長さ350mの世界でも類をみない大屋根を設計し、その下にパビリオンを収める計画でした。

 現在もお祭り広場の位置に、その一部が保管されています。

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 しかし、岡本太郎はその屋根を突き破る、高さ70mの巨大な塔を提案しました。

 岡本太郎は「本当の調和とは、フェアにぶつかりあうことだ」と考えていたのです。

 お祭り広場にある地下トイレは、おそらく当時のままだと思います。

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 46年の年輪を感じさせます。

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 壁に、当時の写真が飾られていました。

 現在、万博公園に残るのは太陽の塔だけです。

 建築設計に係るものとしては一抹の寂しさはありますが、丹下はそれも理解の上、岡本案を受け入れたのかもしれません。

 人の能力は石器時代より衰えているとも言います。

 毎日が生きるか死ぬかの戦いをしていた彼らより、現代人の能力が落ちるのは、至極当然かもしれません。

 当時より、生きることは容易くなったかもしれませんが、幸せや充実は増しているのか。

 岡本太郎が言いたかったのはそんなことなのかもしれません。

 情熱を爆発させるのに、条件も時代も場所も関係ないのだと彼の声が聞こえるようです。

 知った風なことを言うなと怒鳴られそうですが。

施政者、太閤・秀吉を見習うべき‐1323‐

 ブラブラ、タモリが歩くからブラタモリ。

 なんとも安易なタイトルですが、楽しみにしている番組です。

 先週土曜日は大阪でした。

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 NHKによる圧倒的なリサーチと、専門家によるアテンドで、面白いに決まっているのですが、私が理想とする街の歩き方でもあります。

 地形、歴史から街を解き明かしていく過程が、最高に面白いのです。

 大阪のスタートはあべのハルカスからでした。

 60階の展望台から、上町台地を望みます。

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 縄文時代の地形と合わせ、上町台地の両岸が海だったという説明がありました。

 大坂城は上町台地の先端に建っています。

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 この地形が分かると、大阪の街歩きは更に面白いのです。

 これらのことは何度が触れたことがありますが、ここからの展開が流石でした。

 秀吉が整備した城下町は、天満橋、北浜へと西へ広がっていきます。

 これらの町は、通りを挟んだ南北が同じ町名になっています。町の境界は建物の背中側になっているのです。

 通りとの反対、背の部分に町の境界があるので「背割」。

 そこに通っていた下水が「背割下水」または「太閤下水」というのです。

 言葉は知っていましたが、理由を聞きいて、「流石は太閤・秀吉」と膝を打ちたくなりました。

 向かい同士で同じ町名のほうが一体感がでるだろうし、見せたくないものを裏手に回す、都市計画だったのです。

 現在工事中で、このような条件の現場があります。

 元々通りの反対側に、下水があったそうです。

 その道の専門家ではありませんが、地域的にみても太閤下水だった可能性もあるのではと思っています。

 この建物、現在の法の下では新築もままならない中、何とか躯体を残しフルリノベーションをしている最中でした。

 しかし、市から「敷地境界を越境しているのではないか」とストップがかかりました。

 確かに公図を調べると、裏路地は市の所有となっています。

 しかしクライアントに聞くと、官民の境界など元々なく、慣習で路地を残しているとのこと。

 元の通り建てるだけなので勿論越境などありませんが、境界が明確でないのに越境とはどういうことなのか。

 最終的には、現状を説明し、問題なく工事を再開したのですが、行政とはいったい何なのかと思います。

 倒壊の危険がある建物を何とかしたいというクライアトを助ける為、現場は懸命に動いています。

 しかし、簡単にクライアントや現場を呼び出し、ストップをかけます。

 そもそも、税金を払っているのはこちら側で、足を運ぶのはそちらではないかと思うのです。

 豊洲市場の問題は、新聞以上のことは知りませんが、石原慎太郎が「東京は伏魔殿だ」と言ったとありました。

 また、田中真紀子元議員も「外務省は伏魔殿」と言いました。

 誰が正しいのかは分かりませんが、伏魔殿とは、広辞苑にこうあります。

 悪魔の隠れている殿堂。悪事・陰謀などが陰で絶えずたくらまれているところ。

 本当にそうではないと、市民、都民、国民が思えるとよう、本気で考えて貰いたいのです。

 繰り返しますが、その給料は一般市民が払っている税金からでているのです。

 信長も秀吉も、楽市楽座の通り、少しも多くの商人を、城下町に集める為、知恵を絞ったはずです。

 施政者、太閤・秀吉を見習うべきだと思うのです。

美濃に燃ゆ、信長の野望‐1322‐ 

 11月に入り、今年も残すところ2ヵ月となりました。

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 今日、文化の日は朝一番の新幹線で岐阜羽島へ。

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 車では通過するものの、本格的に岐阜に来たのは学生時代以来でしょうか。

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 赤い車両の名鉄に乗り、岐阜の中心へ向かいます。

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 まずはアクア・トト ぎふへ。

 世界最大級の淡水水族館です。

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 淡水ゆえ、派手さはありません。

 しかし、それはそれでのんびりした雰囲気も悪くありませんでした。

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見せ場はやはり世界最大の淡水魚ピラルクー。

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 その深いシワは老人のようでもあり、なかなかの迫力。

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 エサやりタイムは更に迫力がありました。

 魚の切り身を食べる姿は、まさに獰猛なワニそのもの。

 肉食魚で、作家・開高健はルアーで釣り上げていましたが、これは引くでしょう。

 アクア・トト ぎふは、かなり良い評判を聞いていたので、正直言えばもっと期待していました。

もうひと押しを期待したいところです。
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 ここからは私の趣味に娘に付き合ってもらいます。

 長良川沿いに建つ、長良川国際会議場。 安藤忠雄の設計で、1995年の完成です。

 安藤の提案していたアーバンエッグは鹿児島大学だけで実現したのだと思っていました。

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 外観はモザイクタイルが貼られていましたが、これは竣工当時のままなのか。

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 鹿児島大学の稲盛会館のように卵型の空間があるのかは確認出来ませんでした。

 それはやや残念でしたが、存在感は圧倒的でした。

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 そこから長良川を挟んで見上げる金華山。

 その頂上に見えるのが岐阜城です。

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 ロープウェイで登れるのですが、標高329mにまさにそびえたっています。

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 山頂駅を降りてからも険しい階段が続き、こんなところを、攻め落とせる訳がない気がしてきます。

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 1567年、信長はこの城を攻め落とし、美濃を制定しました。

 そして「天下布武(てんかふぶ)」の印を使い始めます。

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 地名も「岐阜」と変え、武力で天下統一を果たすという意思を世に示したのです。

 長良川と濃尾平野を見下ろす景色は、まさに天下統一を目の前に、信長が見た景色でした。

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 司馬遼太郎の「国盗り物語」は、一介の油売りから身を起こした斎藤道三が、美濃の国を盗み取るのが前半。

 後半は、娘婿となった信長が、天下統一への道をひた走るという歴史小説です。

 司馬遼太郎作品の中でもベスト3に入る面白さだと思っていますが、岐阜は間違いなく日本の中心だったのです。

 一日岐阜を回り、本当に美しい、豊かな町だと感じました。

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 見渡す限りの広大な平野に、突然緑深い山が現れます。

 その間を縫うように、長良川が流れる景色は、由緒正しき日本と言えます。

 広く、美しく、水が美しい。

 海運だけがウィークポイントでしょうか。

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 金華山はもとは青葉山と呼ばれていました。

 燃えるような夕日を浴びた姿をみて、金華山と改めたそうです。

 私なりに、美濃に燃え立つ、信長の野望を感じた旅でした。

 名古屋にしろ、岐阜にしろ、なんとも魅力的な街でした。東海地方もなかなか面白い。

一滴のしずくが川となるように‐1321‐

 土曜日の『住人十色』の放送は、私も楽しみにしていました。

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 自分の出演がなければ気楽なものです。

 8年続く長寿番組だけあり、松尾貴史さんのコメントも的確。とてもわかりやすく描いて貰った気がします。

 計画が始まり、ここに至るまでの3年を振り返ってみました。

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 2013年9月15日(日) 大阪市が主催した「住之江の元長屋」のオープンハウスに参加。

 雨の強い秋の夕方。初めてご家族にお会いしたのです。

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2013年10月3日(木) 第1回目の打合せ。

 その後、11月14日(木)第3回目の打合せは、お弁当持参で来社してくれました。

 仕事終わりの時間帯に、何度も足を運んで貰ったのです。

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2013年12月10日(火) 現地調査。

 お母さんと奥さんは、その間もずっと談笑していました。

 「本当に仲が良いんだな」と思っていたことを覚えています。

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2015年4月30日(水) 現場打合せ。

 着工は2015年2月9日(火)。

 設計、予算調整もかなり難航し、計画のスタートから1年5ヵ月を費やしたのです。

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 お子さんには、現場で宿題をして貰ったこともありました。

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2015年7月10日(金) ようやく引っ越し。

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 まだ工事中でしたが。

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2015年11月3日(祝・火) 当社の写真撮影。

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 恒例になった昼食時の撮影もお願いしました。

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 動きのある写真が撮れます。

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 そして、ボルダリング。

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 こうして、この家のイメージカットが撮影されました。

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2016年3月6日(日) 『住まいの設計』の取材。

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 子供さんが楽しんでくれたら、誌面が楽しいものになるのです。

 これらの写真をみて貰い、番組の取材となりました。 

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 実は、あるリノベーションのコンテストに応募しましたが、入賞さえ叶いませんでした。

 正直言えば、自信を持っていました。

 しかし、それなら実作でリノベーションの可能性を示し続けるしかありません。

 コンテストの審査員には届かなくても、本気のクラアントには届くと信じているのです。
 
 いつも周りを笑わせてくれた次男君。

 番組内で、この家に「いちまんてん」を付けてくれました。それが一番の賞かもしれません。

 放送後、ご家族にお疲れさまでしたとメールを送ると、返事が返ってきました。

 収録後は放送が不安で本当にイヤでしたが、ほんわかした感じでよかったです。

 あの雨の日、ビフォーアフターのおうちを見学しに行ってなかったら私達家族はどうなってたかと思います。

 近いうちお礼するのを口実にアトリエmの皆さんにお会いしにいきたいと思います。

 「阿倍野の長屋」
 
 打合せ回数45回 (うち現場打合せ25回)

 設計期間 2013年9月~2015年1月 1年5ヵ月

 工事期間 2015年2月~2015年7月 5ヵ月

 一滴のしずくが集まり川となるように、いくつもの偶然と決断がここに導いてくれました。

 クライアントと私達の大河ドラマ「松虫の長屋編」はこれで一区切り。

 楽しんで貰えたでしょうか。

女人高野‐1320‐

『住人十色』毎日放送(MBS)10月29日(土)午後5:00~5:30「松虫の長屋」放映予定■

 今日は気持ちの良い秋晴れでした。

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 しっかりとした日差しを受けた花は本当に美しいもの。花より光が美しいのかもしれません。

 日曜日は生憎曇りでしたが、近鉄電車で室生寺へ。

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 名張行きの急行で1時間。室生口大野に着くと、バスは50分待ちでした。

 1台タクシーが見えたのですが、目の前の2人連れに先を越されてしまいました。

 自然歩道を歩けば1時間くらいと聞き、歩いて行くことにしたのです。

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 歩くのはかなり早いほうで、40分位あれば着くだろうと思っていましたが、なんのなんの。

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 かなり険しい山道を7km。みっちり1時間半は掛かりました。

 山深く、他に人は全く居らずで、クマでもでるんじゃないかと心細くなり……

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 変な汗をかきながら道を急ぎ、山村の景色が開けた時はほっとしたのです。

 紅葉にはまだ早く、人も少な目。

 室生寺の建立は奈良時代末期で、国宝に指定された建物がいくつかあります。

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 鎌倉時代に建てられた本堂もその一つ。

 山深いところにあるがゆえ、山林修行の道場としての意味合いも強かったようです。

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 奥の院までの石段の長いこと。

 しかも段差がまちまちだったりして、かなり歩きにくいのです。

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 よく見ると寄進されたものなのか、ところどころに文字が刻まれています。

 バチが当たらないよう、これも修行と黙々と歩かなければなりません。

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 昨年の夏休みに山形を訪れた際、酒田市の土門拳美術館に立ち寄りました。

 写真家・土門拳は室生寺の五重塔をこよなく愛したそうです。

 創建は平安初期で国宝。是非見たいと思っていたのです。

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 高さは16.1mで、屋外にある五重塔では日本最小です。

 屋根は檜皮で葺かれ、一層目と、五層目の大きさがあまり変わらないのも珍しいプロポーションです。

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 屋根の勾配が極めて浅く、軒の深さがより強調されています。

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 また漆喰の壁と、軒を持ち出すための組物の朱色が、森の緑にとても映えていました。

 弘法大使が開いた高野山は、厳しく女人を禁制しました。

 そんな中、女性の済度をはかる道場として参詣を許したのが室生寺で、「女人高野」と呼ばれるようになりました。

 高野山が女人禁制を解除したのは明治期のこと。この男女平等の社会からは考えられないことです。

 室生寺の五重塔は、そのプロポーションといい、その色使いといい、その小ぶりさといい、極めて美しい建築です。

 私が見た五重塔の中でも、群を抜く美しさだと感じますが、これを「女性的な美しさ」以外の言葉で表現するのは難しいと思います。

 これを男女差別と言う人は居ないでしょう。

 差別など無い世の中になれば良いと思いますが、違いとは、特徴とも言えます。違いを活かし、伸ばすような生き方をしたいと思うのです。

 室生寺の五重塔は、雪景色がさらに美しいそうです。土門拳はその雪を待ち、雪景色をみて泣いたと言います。

 女の中の女。次は雪の室生を見てみたいと思うのです。

P.S.  明後日の『住人十色』ですが、以下の地域でも放送があるようなので以下にUPしておきます。

SBS(静岡放送) 毎週日曜日 午前6:15~6:45
BSS(島根・鳥取地区) 毎週土曜日 午前5:00~5:30
TUY(山形・秋田) 毎週日曜日 午前6:15~6:45
ITV(愛媛・徳島) 毎週日曜日 午前12:54~13:54
MRO(石川・福井) 毎週日曜日 午前9:55~10:30
NBC(長崎・佐賀) 毎週日曜日 午後4:30~5:00
MRT(宮崎) 毎週日曜日 午後4:30~5:00

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『住人十色』放送後のたくらみ‐1319‐

 10月21日(金)14時7分に、鳥取で震度6弱の地震が発生。

 熊本地震から半年が過ぎたというニュースがあったばかりでした。

 現在、全壊2棟、半壊3棟は、家屋の強度、地盤の良さが影響しているのではというコメントがありました。

 しかし、5つの家族にとっては大変なことです。支援活動の要請があれば出来るだけ参加したいと思っています。

 鳥取は、3年前の夏休みにゆっくり回りました。

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 境港の水木しげるロード

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 草原に浮かぶ大山。

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 皆生(かいけ)温泉で食べた魚は本当に美味しかった。

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 東伯郡三朝町にある投げ入れ堂

 長男と険しい参道を登ったのですが、白壁が落ちたという報道があった倉吉町のすぐ南です。

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 そして鳥取砂丘。アリジゴクを探す旅でもありました。

 地震国日本。その厳しさと私達日本人は付き合って生きてきました。宿命は背負う他ありません。

 家族で出掛けた旅を考える時、何故かこの旅を思い出すことが多いのです。

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 山陰の、美しさ、寂しさ、切なさが心に残ったと言えば、地域の人に失礼でしょうか。

 この危機に負けず頑張って欲しいと思います。

 話は変わって告知です。今週土曜、「阿倍野の長屋」の放送があります。

 すでに『住人十色』のwebサイトで、紹介されていました。

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『住人十色』毎日放送(MBS)10月29日(土)17:00~「阿倍野の長屋」放映予定■

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 工事中からストーリー満載で、ご家族がOKしてくれたなら、取材はあるだろうなと思っていました。

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 メディアに関して「雑誌はいいけど、テレビはちょっと……」と言う方がほとんどです。

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 こちらのご家族は、もしテレビのオファーがあれば考えてみる、という感じでした。

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 実際にオファーがあってからも迷っておられたのですが「守谷さんのためなら」と一肌脱いでくれたのです。

 女性陣2人を含めて、まさに男気。

 これだけのリノベーションをさせて貰ったのですから、ご家族は勿論懸命に働いておられます。

 ご主人は整骨院を経営されており、とても繁盛しています。いつも遅くまで仕事をされているのです。

 治療に来られる患者さんの一人に、いつも前週の『住人十色』の話しをする方が居られるそうです。番組の大ファンのよう。

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 計画の途中から、ご主人と「テレビの放送が決まっても、その方には黙っておきましょうね」と、密かに企んでいたのです。

 来週あたりでも、その患者さんが治療に来られた時のことを、是非聞いてみたいと思っているのです。

 撮影現場は見に行けなかったのですが、ナビゲーターの春香クリスティーンさんも、なかなかに活躍されているタレントさんとのこと。

 その端正なルックスとは対照的な汚部屋タレントと、奥さんのやりとりが楽しみです。

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 ストーリー満載の「阿倍野の長屋」。時間のある方は是非ご覧ください。

恰好をつけてやれることはひとつもない‐1315‐

 今日は体育の日。

 10月10日が体育の日なのはいつ以来でしょうか。

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 その名にふさわしく、秋晴れの朝になりました。

 隣の倉庫の解体工事も今日は休み。

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 現在は屋根の解体が終わったところですが、建物の中に光が指す様は、いつも鮮烈です。

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 アルミテープが貼ってあるところは、父がゴルフの練習をしていて穴をあけた所。

 解体が始まり、バラックから廃墟の趣きとなってきました。

 最近、廃墟マニアという言葉を聞くようになりました。確かに廃墟にはダイナミズムがあります。

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 昨年訪れた、長崎の軍艦島などもこの類でしょう。

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 雨露を凌ぐため、建築に屋根は必須ですが、それらがない状態にある種の刺激を感じるのでしょう。

 影があるから、光をより感じるのです。

 この連休はなりふり構わず、図面を描いています。設計図面は、大きく分けると基本図面と実施図面に分かれます。

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 基本図面の縮尺は1/100程度で、チラシに入っている間取り図程度と言えば伝わるでしょうか。

 一方、実施図面は、構造体、仕上材などの構成が、全て分かるように描かれている図面です。

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 現在の私の仕事は、全てのプロジェクトを統括することで、2007年以来実施図面は描いていませんでした。

 しかし、年末にマルコが辞めることになり、また、新しい社員がまだ決まっていないなか、9年振りに実施図面を描いています。

 この職人仕事を楽しみ、苦しむのも、建築設計の醍醐味です。

 また、これらに多くの時間を費やしてくれる社員に対して、改めて感謝の気持ちも沸いてくるものです。

 この仕事をしていたなら、夜明けに急かされ、変な汗をかきながら、半べそで図面を焼いた経験が何度もあるはずなのです。

本当に大切なことで、恰好をつけてやれることはひとつもない

- ノーマン・メイラー -アメリカの小説家

 仕事時間が長いのは「悪」のような時代です。

 よって無理強いはしませんし、もうそんな時代ではないと思います。

 社員が遅くまで働いていたら、「出来るだけ早く帰りなさい」とは言います。しかし、それ以上は言いません。

 互いの人生が良くなる方向だけを見れば良いと思っているので、ブレーキを掛けることはしたくないのです。

 それが、経営者のエゴがどうかは、私も正直分かりません。

 いずれにしても、私が結果を出さなければ誰もついてきてくれません。半べそをかかなくてよいよう、今日も一日なりふり構わずで。

脱稿、そして現在・過去・未来‐1311‐

 昨年12月に執筆依頼をもらい、先週末ようやく脱稿しました。

 B5サイズ200ページで約4万文字。写真や、図面があるので、文字数としては少なめなのだと思います。

 「一般の人と、建築家が近くなる本」が、出版社のリクエストでした。

 まずは、自分の人生と、大阪の下町のことから書き始めたのですが、妻が「あなたの人生に興味がある人がいるの」と。

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 居るか居ないのか分からないけど、そこから書き始めるしかないだろうとスタートしたのです。

 一番時間がかかったのが、図面、写真の整理でしたが、今回使わなかった写真を少し上げてみます。

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 昭和45年頃、家の前は砂利道で、前の空き地は土でした。

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 舗装されたのが昭和50年くらいでしょうか。

 現在もこれからも、街は変化していきます。しかし、流通の進歩から、加速度を増した時代に幼少期を過ごしたのだと肌で感じます。

 書籍は、家創りのストーリーを紹介して行きますが、それとは別に、独立の流れから、初期の3作品についても触れている項があります。

07羽衣の家 1997年

09白馬の山小屋 1998年

08Spoon Cafe 1998年

 これらの3作品は、大学時代にスキー部にいたからこそオファーがあった仕事です。

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 その先輩方から、大泉緑地でのバーベキューに誘って貰いました。

 四半世紀前から、変わらぬ関係とが続いていることに、感謝と驚きに近いものも感じます。

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 まさか、高校の先生とは思えないサングラス姿で、6つ上の先輩が登場。

 ご近所なのでと急遽の参戦です。大阪でスキーをしていたなら、この兄妹を知らない人はモグリと断定できます。

 兄妹のお父さんが私の2番目のクライアトでした。

 数年前に亡くなられた時も、最後の最後まで、水の良い、白馬の山小屋で暮らすことを望んだそうです。

 そして現在は、長男であるお兄さんが、形見でもある白馬の山小屋に愛情を注いてくれているのです。

 書籍の中では、工事費と設計料が滅茶苦茶に安かったこと、更に、白馬までの交通費を下さいなど、怖くて言えなかった、という恨み節まで書いています。

 しかし、お父さんも笑って許してくれるだろうと思っています(勝手にですが)。

 お兄さんが「屋根とか壁とか、車を洗うみたいな感じで、洗剤で洗っているんだけど、いいやんな」と。

 家をカーシャンプーで洗うなど、聞いたことがありませんが「もちろん大丈夫です」と答えました。

 雨漏りやシロアリなどの問題も起こりますが、それでも築50年、リノベーション後18年の山小屋は愛されているのです。

 まだ思い出に浸る歳ではまだありませんが、これまでの人生を見返す時間があったことは、とてもラッキーでした。

 現在は、過去の影でしかありません。そして、未来は、今、この瞬間の積み重ねです。

 年末の出版を目指していましたが、脱稿が遅れたので、1ヵ月程伸びてしまいそう。

 また発売日が決まったら、ここで告知させて貰います。

バラックには夢がある‐1310‐

 前回は、名古屋への小旅行を書きました。

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 市役所までこのデザインとは恐れ入ります。

 最後に大事なメッセージを書き忘れてしまいました。

 12月でマルコが辞めるので、働きたいという人、いい人が居るという場合は是非連絡下さい。

 これまで建築学科卒を必須としてきましたが、最近の人手不足を考え、熱意があれば、その条件を外しても構いません。

 熱意をもって指導致しますので。

 来春、「平野西の家」の隣にマンションを建てることになりました。

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 計画がスタートすれば詳細を書きますが、現在は父が昭和56年に建てた鉄骨2階建ての倉庫が建っています。

 土地は父、建物は弟がオーナーになります。

 父の会社のガラス在庫を保管する為の建物でしたが、最近はずっと貸していました。

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 1階の天井高は5.5mなので、高さは3階建てとほぼ同じ。

 当時は、ここにガラスの在庫がびっしりと置かれていました。

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 1階はトイレと階段だけ。

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 2階は屋根のスレートがむき出しで、断熱材は一切なし。本当に暑かったのです。

 というのは、1989年に実家を建て替える際、1年程ここに住んでいました。

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 その時に出来たのがこの個室群です。

 一番右が私の部屋で、真ん中が弟の部屋。

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 ビニールクロスは、先日出ていった店子の会社が貼ったので、全てベニヤがむき出し。それはそれで面白い空間でした。

 風呂はないので、窓越しに見える銭湯へ行っていたのです。

 1989年は私が19歳の年で、浪人していた時期。勉強もはかどる訳です。

 更に、1年間仕事を休んだ後、2002年に仕事を再開した際は、ここをアトリエとしました。

 私にとって再出発の場所でもあります。

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 浪人していた当時は、前の空地にコンテナを置き、そこが両親の寝室であり、会社の事務所でした。

 今はその部分に、ガレージが付随しています。

 1、2階それぞれ、賃貸出来るように増築したもの。

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 中には階段がありますが、2階のデッキと繋がっていました。

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 しかし、そのデッキも今はチェッカープレートで蓋がされています。

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 デッキにあるのはトイレだけ。

 その前に少しだけ、階段の名残が見えています。2階から出入りも出来ました。

 ジブリの三鷹の森美術館のバラック版とは言い過ぎでしょうか。 

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 隙間から、雨風が入ってくるので、匂うなんてことは全くありせんでした。

 そう考えると、すこし違った空間体験を持っているのかもしれません。

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 この前の部分、完全に建ぺい率をオーバーしています。

 次に建つ建物は、鉄筋コンクリート打ち放しのマンションとなる予定です。勿論合法ですが。

 竣工は3月の予定。全部で6住戸、40㎡の1LDKですが、シャープな感じで仕上げようと思っています。

 借りてくれる人があれば、こちらも是非連絡待っています。

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 ベトナムやカンボジアに行って、バラックが面白いと言っていましたが、考えてみれば、ほとんど同じような経験をしていました。

 建築を設計する場合、行き当たりばったりでは良いものが出来ません。

 決めるいうことは、他の選択肢を捨てること。その覚悟が、豊かな空間を導いてくれるのです。

 しかしバラックは完全に行き当たりばったり。

 それゆえ粗末で、精度は低い。

 しかし、必要に応じて建て増したり壊したり。自分サイズの夢は広がるのです。