カテゴリー別アーカイブ: 04 建築

フィンランドの旅① <ヘルシンキ、ユバスキュラ編>‐1299‐ 

 8月11日(木)の現地時間の午後6時頃、ヘルシンキに到着しました。

 日本との時差はー6時間です。

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 飛行機からみれば「森と湖の国」は一目瞭然でした。

 山地のない風景は、私たちにとっては新鮮な景色です。

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 夜の長い北欧は夕方とは思えない明るさでした。

 ヴァンター国際空港から電車で30分ほど。ヘルシンキ中央駅に到着しました。

 駅舎は1919年、エリエル・サーリネンの設計です。

 旅行者を初めに迎えてくれるのはいつも中央駅。その街の印象として強く残るものです。

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 ヴォールト屋根のオーソドックスな様式ですが、それゆえ、100年の歳月を感じさせません。

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 チェックインの前に、さっと街中を歩いてみました。

 ヘルシンキの建築は、中世、モダニズム、現代建築が入り乱れています。

 歴史的には、ロシアやスウェーデンに統治され、ナチスの侵攻を受けたこともあります。

 1917年のロシア革命の際に念願の独立を果たした、非常に若い国なのです。

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 また、寺院建築もロシア正教のウスベンスキー教会。

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 ルーテル派のヘルシンキ大聖堂と多様です。このあたりも、歴史の痕跡と言ってよいでしょう。

 しかし、街から混沌とした印象は受けませんでした。

 結論を先に言うと、北欧のデザインに対する考え方が、非常に高いのだと実感しました。

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 アルヴァ・アアルトの作品からも見てとれます。

 中央駅を南に下るとすぐにある、1969年完成のアカデミア書店。隣両隣には、前時代の建築が建ちますが、違和感はありません。

 高さを合わせるだけではなく、美しく、優しいのです。

 西ヨーロッパの街並みが、保存を基本とするなら、共存を求めるのがヘルシンキの街並みだと感じました。

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 アカデミア書店にはトップライトが3つあり、下に向かってガラスが張り出しています。

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 冬が長く暗いため、光を求める工夫がいたるところになされているのです。

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 2階には彼の家具が使われている、カフェ・アアルトがありました。

 この日はここまでにして、ホテルに戻ったのです。

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 8月12日(金)は早朝から電車で、アアルト故郷、ユバスキュラを目指します。

 ユバスキュラはヘルシンキから北に300kmほどで、電車で3時間半。

 この街にはたくさんのアアルト作品が残っています。

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 まずはアアルト美術館。

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 内部は彼のデザインした家具の製作工程などが展示されていました。

 ここから次の目的地まで、路線バスに乗って30分ほど。

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 セイナッツァロのタウンホールに着きました。

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 本当に素晴らしいものでした。

 特に議会場は今まで経験したことのないものでした。

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 レンガのみで構成されて空間が、こうまで美しいものかと。

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 また、「ルーバーとは光源を見せずに柔らかい光を演出するためのものなんだよ」と語りかけてくるようです。

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 久しぶりに、夢中でシャッターを切ったのです。

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 そこから更にバスに乗って10分。湖のほとりを走ると「夏の家(コエタロ)」に到着しました。

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 25年前から、写真集では何度も見てきたこの作品。

 アアルトが夏を過ごす別荘として設計された、実験住宅なのです。

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 その証拠に、レンガ、タイルなど、様々なパターンで壁面が構成されています。

 私が設計したSpoon Cafeで、濃い青のワンポイントを入れたのは、この影響かもしれません。

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 この空間の上部に、中2階のような彼のアトリエが見えます。

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 吊り構造になっているため、柱がないのです。

 この床を持ち上げる軽やかなディティールも、何度も写真で目にしたもの。やっと本物を見ることができました。

 この技術自体は、全く難しいものではありません。しかし、実現するかは全く別の話です。

 松葉のような吊り柱が、床梁を挟み、吊り上げているのですが、僅かに隙間があるのが印象的でした。

 「隙間があってもいいんだ。挑戦することが大事なんだ」と、再び巨匠の声が聞こえてきます。フィンランド語はわかりませんが。

 納得、満足、反省など、複雑な気持ちで再びバスでユバスキュラの駅に戻ったのです。

 翌13日(土)は、「マイレア邸」のあるポリへ向かいます。

 ポリはフィンランド西端の田舎町らしく、中間点にあるタンペレで一泊することにしていました。

 駅のチケット売り場で、「窓際の席はあるか」と聞くと「とんでもない、乗れるかどうかわからない」のような感じなのです。

 「どんな席でもいいから」というと、何か言っているのですが理解できず、「問題ない」と伝えました。

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 どうもペット専用席だと言っていたようです。

 若い女の子のペットの彼と、なぜか2時間半向かい合わせの旅に。別に嫌な訳ではないですが。

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 タンペレはフィンランド第2の都市で、工業都市でした。

 サイナッツァロでもそうでしたが、煙突の多くがレンガで出来ています。

 この高さをレンガだけで作るのは難しいはずなので、おそらく鉄筋コンクリートの上に貼っているのだと思います。

 それでもレンガか、そうでないかでは全く印象が変わります。

 デザインといえば、実用的ではなく、コストがかかるものという印象が、日本にはまだ強く残っている気がします。

 しかし北欧では、テキスタイル(織物)であれ、家具であれ、建築であれ、美しくあるべきだという思想が、かなり強いのではないかと思います。

 その大きな理由がやはり、風土気候にありそうです。

 今回はここまでにして、続きは木曜日に。

『住人十色』取材打合せの場面にて‐1297‐

 先週土曜日は、「阿倍野の長屋」へ行っていました。

 5月の見学会以来ですが、 今回は、毎日放送『住人十色』の取材打合せでした。

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 ご主人は仕事中で、まずは奥さん、ご主人のお母さんが、ディレクター、構成作家と打合せです。

 6月に、番組の方から連絡があり、その後、7月後半に取材決定となりました。

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 私が居なくても全く問題ないですが、クライアントから「出来れば立ち会って欲しい」と。

 3時間半同席させて貰いましたが、テレビとは本当に多くの時間を掛けて製作されているメディアです。

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 そうこうしているうちに、ご主人が戻って来てくれました。

 忙しいし仕事の合間を縫っての帰宅で、感謝しかありません。

 オンエアが終われば「とても良い記念になった」と言って貰えると思いますが、この時点では、負担と不安しかないはずです。

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 3ヵ月振りに会うお子さん2人も、初めこそ盛り上がってくれます。

 しかし、大人の都合ばかりで、間違いなく退屈。

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 お兄ちゃんはお気に入りの場所で、ゴロゴロして本を読み始めました。

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 すると、奥さんがプラバンをお子さんに渡し、兄弟はお絵かきを始めました。

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 それをオーブンで焼き、縮んだところを見計らって、すぐに分厚い本で挟みます。

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 少し冷ますと、プラバンキーホルダーが出来上がりました。

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 次男君が飽きてきたら、光庭のプールで水遊び。

 「これが一番長持ちするんです」と。

 全て、取材を受けながら、更に子供にご飯を食べさせながらです。

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 他人の私から見れば、広い視野をもち、てきぱきと神業のようでした。

 奥さん方はいつもこのような事をしている訳です。しかし、男は仕事に出て、普段それを見れないのです。

 改めて関心した男性は、今日、奥さんに感謝の意思を示しましょう。

 恐らく、私は一番出来ていない部類ですが。

 リサーチャーの方によると、「住人十色」には、年間1000から1500件程オファーがあるそうです。その中で選んで貰ったのは、とても嬉しいことです。

 番組のサブタイトルは「家の数だけある家族のかたち」。それが上手く伝われば良いなと思います。 

 放送は10月15日(土)の予定で、レポーターは、有名な女性タレントの方だそうです。

 どんどん宣伝して構わないとのことで、取材の様子も含め、追って報告して行きます。

緑男爵‐1294‐

 大阪を南北に貫くメインストリートは御堂筋です。

 大きな筋で言えば、東に堺筋、松屋町筋そして谷町筋と並びます。

 「タニマチ」は力士の後援者という意味ですが、この「谷町」に住んでいたからという説が一般的です。

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 谷町九丁目の交差点を少し北に行くと、パリ生まれのデザイナー、フィリップ・スタルクがデザインしたビルがあります。

 1992年完成の「バロン・ベール」。

 関西唯一の作品のはずです。

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 東京なら、1989年完成、浅草のスーパードライホールが有名です。

 左のビルは泡をたたえたジョッキをモチーフとしています。モチーフと言っても、かなり直喩的な表現ですが。

 2008年9月、この時点で「バロン・ベール」には7~8年、テナントが付いていないと書いていました。

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 テナント募集の広告がとれ、現在は埋まっているよう。

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 スタルクは建築家でもありますが、どちらかと言えばデザイナーのほうに軸足を置いているでしょうか。

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「White eaves」でも、スタルクがデザインしたシャワーを採用しました。

 何年か前、セブンイレブンでも、スタルクデザインの文房具が販売されていました。

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 しかし、その執着心は凄いの一言に付きます。

 薄目を開けたような開口部に、赤い▽マークが僅かに見えます。

 下にある四角い扉は、非常時に消防隊が侵入する為のもので、その位置を示すもの。

 限界まで、目立たないようにしているのでしょう。

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 1階は不動産会社が入っていました。

 横のエレベーターホールをのぞくと、各テナントのプレートがあり、一様に「18歳以下禁止」となっています。

 ビル全体が、風俗店を誘致しているよう。

 これは望ましいことか、望ましくないことか。スタルクに聞けばどう答えるでしょうか。

 近隣住民の風紀を考えると嬉しいことではないような気がします。しかし、ずっと空室のままなら何れ取り壊されるでしょう。

 「バロン・ベール」はフランス語で、イタリア人のマルコに聞くと「緑の男爵」という意味だと。

 どことなく、行く末を案じたくなるような……

 スタルクが、優れたデザイナーであることは疑うべくもありません。

 未来を完全に予測することは不可能です。しかし「バロン・ベール」がそう簡単にテナントが埋まらないのは想像できます。

 自分が表現したいことと、社会、クライアントが求めていることにずれがあると、無理や不幸が生じます。

 建築は、使われていなければ、地球最大の粗大ごみ。壊すよりは使われる方が良いは、消極的肯定と言えるでしょう。

 芸術と暮らしの中間にあるのが建築だという真理を、分かっている者が建築家だと思いたいのです。

 そして、積極的肯定を求めなければなりません。

積年の澱‐1289‐ 

前回は、熊本に到着したところまで書きました。

私が担当したのは熊本市の東隣、嘉島町です。災害時の支援活動は以下の流れです。

① 応急危険度判定

② 被害状況調査(1次調査)-外部からの簡易なもの

③ 被害状況調査(2次調査)-内部、外部とも測定等が伴うもの

災害対策本部のある、町民会館。宿泊もここでさせて貰いました。

立派な建物で、山下設計の仕事とのこと。

各班は7名ずつくらいで、嘉島町役場の人をリーダーに、熊本県庁、広島や静岡の町役場の人も参加していました。

市町村はこういった時、互いに助け合うシステムが構築されているようです。

熊本県庁から来ている女性が「普段はデスクワークなので、毎日足がパンパンです」と言っていました。

一日で、大きな会社を2つと住宅の調査をしましたが、暑い中、なかなかの重労働です。

それぞれの班に、日本建築家協会(以下JIA)から参加している私達2人が入ります。

そして、基礎、外壁、屋根、柱などの被害の程度をチームで判定していくのです。

嘉島町から東に益城町や橋が落ちた南阿蘇村があります。

やはり断層が直下に通っている線上に、大きな被害は集中しているとのことでした。

同じ町内でも、被害の集中度が全く違います。

これらの判定で、半壊、全壊と判断された場合、助成金が出るという側面もあり、当然のことながら、責任のある仕事です。

この判断を、役場の方がしているケースが多いのです。

役場の中にも建築士の資格を持っている人がいるのかもしれませんが、やはり専門家が判断するほうが、精度が高いのは間違いありません。

JIAや建築士事務所協会などから、組織的にスピーディーに調査員を派遣するシステムが間違いなく必要だと感じました。

これはJIA九州の人から聞いたのですが、JIAとしては仮に費用が一切でなくても、判定員を派遣すると、早々に結論を出したそうです。

非常時に無報酬でも支援活動をするというのは賛成です。

しかし、それらの詰めがされていないという事実は問題です。

嘉島町に限らないのですが、本当にこのあたりは水が豊かです。

水田の水でさえ、澄み切っています。

川の中でもいたるところから湧き水があります。

そこで泳ぐ人も沢山見かけました。

帰りは、JIA九州の方が、福岡まで帰るので車で送りますよと言ってくれました。

JR博多駅前にあるのは、西日本シティー銀行で1971年、磯崎新の設計です。

博多は2年前の夏に来ましたが、本当に雰囲気のある街です。

まもなく山笠祭りが始まるとのことで、街中に山笠を見かけました。

博多駅前にはかなり大きなものも。

夜の8時過ぎに博多を新幹線で出発しました。

すると8時半頃に熊本で震度3の余震が。またその翌日にも震度4の地震がありました。

私が一人で出来ること等たかがしれています。また、仕事がなければ、ボランティアも不可能です。

その関係に正しい比率などありません。

地震国日本において、建築の専門家でありながら、公には何の貢献も出来ていないという、積年の澱は少しだけ流すことが出来ました。

しかし、地震に終わりなどありません。

豊かな水田、祭りに活気づく若者、そして震度7の地震。いずれもこの日本です。自分に出来る貢献とは……そんな事を考えながら大阪まで帰ってきました。

要請があればすぐに駆けつけられるよう、日々の仕事を頑張るだけだと思っています。

幸せは繋がり、伝播する‐1287‐ 

 梅雨空はどこかに行ってしまい、真夏の太陽が照りつけます。

 いよいよ夏がやってきたという感じ。

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 昨日は「羽曳野の家〈リノベーション〉」のオープンハウスでした。

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 竣工したのは6月の中旬でした。

 そして、引っ越ししてから1週間。

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 収納棚やダイニングテーブルが新調され、とてもいい感じです。

 こんな時、クライアントの「好き」を幹にした家創りの可能性を感じます。

 当然とも言えるのですが、出来た時から、住まい手にピタリと合っているのです。

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 この日、活躍してくれたのは、小学1年生になった長男君。

 全ての来訪者を、ロフトやその奥にある書斎へ案内してくれました。

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 書斎は、ご主人の為に計画した空間です。

 お子さんが3人。間もなく第4子が生まれる予定で、もしかすると子供部屋になるかもしれません。

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 ご主人は、この日も深夜まで仕事とのことでした。

 そんなお父さんの頑張りで、ここに至ったことを、お子さん達に我が事のように伝えるのです。

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 半日だったこともありますが、ゲストが途切れることのない、活気あるオープンハウスになりました。

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 熱心に見てもらいましたが、この時計は一番人気。

 ご夫妻で取り付けたそうです。

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 キッチン後ろにある収納は、冷蔵庫や、ポストが隠れていますが、奥さんが説明してくれました。本当に有り難いことです。

 現在設計中のクライアントあり、すでにお家が建ったクライアントあり、相談前の方もあり。友人知人も訪ねてくれました。

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 「遠里小野の家」のクライアントも参加してくれました。

 こちらのお家でもオープンハウスを開催させて貰いました。

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 写っているのは「松虫の長屋」のご家族です。また、「長田の家」のクライアントも参加してくれました。

 すでに完成していた「shabby house」のご家族も遊びに来てくれたのです。

 この時、大感謝祭を決意したのですが、未だ実現出来ておらず……この秋、必ず開催します。

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 子供さんは、そのうち皆で遊びだします。

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 子供部屋とLDKが繋がっているメリットは、親の目が行き届くところ。

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 娘も来てくれたのですが、小3と小1の長男君のかけっこが始まりました。

 キッチンエリアはぐるっと回遊できるようになっているのです。

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 説明せずとも、それらを体感して貰えるのがオープンハウスの一番の価値です。

 映画「ライオン・キング」の主題歌は「サークル・オブ・ライフ」でした。

 命が繋がっているなら、幸せも繋がっています。更に伝播するものです。

 決して卑屈にならず、また反対に奢らず。そんなことを思いながら、一所懸命働いているつもりです。

 こんな日は、全てが報われた気分になるのです

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ヘルシンキの夏‐1284‐

 今年の夏至は、6月21日(火)でした。

 大阪の日の出が4:45で、日没は19:14。14時間半太陽がでていたことになります。

 これがフィンランドのヘルシンキなら、日の出が3:52で日没は22:51。19時間太陽が出ています。

 今年の夏季休暇は、フィンランドへアルヴァ・アアルトの建築を訪ねる予定です。

 近代建築の三大巨匠と呼ばれるのはル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエ。

 まずは、この3人を見てみたいと、24歳から建築行脚を始めました。

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 1995年4月、まずはフランスへ。

 先日世界遺産に指定された、コルビュジエのロンシャンの教会を訪ねました。

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 独立してからは、なかなか日本を出られず。

 2011年の11月、アメリカのペンシルバニアにある、ライトの落水荘へ。

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 そしてイリノイにあるミースのファンズワース邸

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 2012年の8月、イタリアでは、建築の詩人、カルロ・スカルパ設計のブリオン・ベガを訪れました。

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 そして、スペインのバルセロナに渡りガウディに触れたのです。

 三大巨匠に加え、ガウディ、スカルパそしてアアルトが私にとって最も興味のある建築家でした。

 アアルトは、プロフィールの中に名前を挙げているくらい好きな建築家でしたが、なかなか訪れる機会がありませんでした。

 どの位好きだったかと言えば、私にとっての3作目、1998年に完成した、spoon cafeはアルヴァ・アアルトへのオマージュです。

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 外部の木の使い方。

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 木とレンガの相性など、全てアアルトを手本にしました。

 そのアアルトとようやく会う事が出来ます。1976年に亡くなっているので、勿論彼の作品にですが。

 548万人という北欧の小さな農業国において、世界に影響を与えるような建築を創り続けたアルヴァ・アアルト。

 真の建築は、その小さな人間が中心に立った所にだけ存在する。

 彼の言葉を体感し、休み明けには、その気持ちを綴ってみたいと思います。

 アルヴァ・アアルト。その音を聞くだけだけでも心躍る存在なのです。

安住の地をみつけた白鯨‐1280‐

 この日曜日は「宝塚の家」3ヵ月点検でした。

 その帰り、宝塚の市街地を回ってきました。

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 宝塚市役所は1980年の完成。

 大阪が誇る巨匠、村野藤吾の設計で、御年89歳の仕事です。

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 市役所は休みなので、目当てはカトリック宝塚教会。

 市役所から言えば一駅北にあります。こちらは1966年の完成で、村野が75歳の仕事。

 阪急沿いなので、見たことがある人も多いでしょうか。

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 アプローチは線路の反対、西側から。

 教会のパンフレットにはこうあります。

 大洋を漂いつづけていた白鯨がようやく安住の地をみつけ岸辺に打ち寄せられたとでも申しましょうか。

 詩的な表現にときめく、とでも申しましょうか。

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 モチーフは白鯨でした。

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 建物を左から覗き込むとエントランスが。

 滑らかに吸い込まれていくような形態です。

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 エントランスホール上には、聖歌隊席があり、天井が低く抑えらています。

 2m20cmくらいでしょうか。

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 歩を進めると、200席ある信者席。

 緩やかにうねる天井に包まれています。

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 祭壇付近から、尖塔に向かってぐっと空間がつまみ上げられているよう。

 神聖な空間であることの説明は不要です。

 私は、神とはそれぞれの良心なのだと思っています。

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 雨水の落とし口は、モダニズムの巨匠、コルビュジエの影響を感じさせます。

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 この教会は、まるで地面から生えているよう。

 これらの有機的な表現は、村野ならでは。圧倒的に人の手が掛かっている証明でもあります。

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 パンフレットにはこうもあります。

 四季折々の花々が咲き乱れる暖かい家庭的な雰囲気の教会堂になりますことをお祈りしています。

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 この季節、アジサイをはじめ、バラ、ポピー、キクの仲間か、沢山の花が咲き誇っていました。

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 住宅街にありながら、スケール感が素晴らしい教会で、一編の詩のような建物でした。

 本より、私が村野藤吾の批評などおこがましいのです。93歳で亡くなる前日まで働いたという、まぎれもないレジェンドですから。

 この美しい教会の後に、埃っぽい話をするのは気が引けますがもう一度だけ書きます。

 不適切ではあるが、違法ではない。

 罰せられるか、罰せられないかのギリギリに居る人が、首長である必要は全くありません。

 また、人に判断を仰ぐ必要もありません。自らの良心が全て知っているはずですから。

 前回紹介した作家・城山三郎ですが、朝は新聞を読まなかったそうです。

 理由は、腹が立ちすぎて仕事が手に付かなくなるから。

 私もこんなことで憤っているくらいなら、新聞等読まない方が良いのかもしれませんが。

プラスチックとステンレス‐1278‐

 ダイエーがイオングループの完全子会となったのが2015年1月。

 ダイエーの名が完全に消滅、というニュースもありました。

 流通に革命をもたらした関西の雄だけに、寂しい気もしますが、ビジネスとはかくも厳しいものです。

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 一方、存在感を増し続けるイオングループ。

 大型ショッピングセンターのイオンモールは、日本だけでなく、中国、ベトナムにも多くの店舗を出しているようです。

 この3月、イオンモール堺北花田の4km程西に、堺鉄炮町がオープンしました。

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 いずれも、大阪から大和川を越えてすぐの立地で、建物も良くにています。

 これだけ近くに、大型店舗が出店されるということは、イオングループの総取りと言った感もあります。

 小売は、本当に厳しい時代に入ったと考えざるを得ません。

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 堺と言えば江戸時代まで環濠都市として栄えました。この店舗は、その北西角に位置します。

 これまで、環濠都市は私の住む喜連、事務所のある平野、作品のある遠里小野などについて書いてきました。

 しかし本家と言えば堺。そのうち本格的に探索したいものです。

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 このショッピングモールの東に建つ「赤レンガ館」。

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 (株)ダイセルの前進、堺セルロイド(株)が1908年、関西の設計事務所の草分け、茂庄五郎に依頼し設計された建物です。

 阪神高速大和川線の建設で、解体が決まりましたが、セルロイドの国産化に奮闘した当時を偲ぶモニュメントとして保存することになった、とあります。

 セルロイドという言葉、広辞苑にはこうありました。

 ニトロセルロースに樟脳を混ぜて製した半透明のプラスチック。90℃で柔軟となり、冷却すれば硬くなる。燃えやすい。玩具・フィルム・文房具・装身具などに用いられた。最近ではアセチルセルロース系のプラスチックを多く用い、これを不燃セルロイドと称す。

 世界初の合成樹脂素材は、その後ポリエチレンなどにとって代わられましたが、人類の歴史を大きく変えました。

 現在は、家電を始め多くのものが合成樹脂素材で作られています。自由な造形、コストダウン、軽量化がその理由でしょうか。しかし、建築とはあまり相性が良くないのです。

 家電なら、保証は1年、部品のストックは5年、7年持てばメーカーの責任を果たしたというイメージのようです。

 建築なら、10年くらいは軽く持ち、30年くらいはほぼメンテナンスなし。口に出すと責任が生じるので、なかなか聞こえてきませんが、現場の人達はそう思っていると思います。

 石、タイル、鉄、ステンレスなど、硬いものは強く長持ちするが、重く加工が大変で、それが金額に跳ね返ってくるという構図です。

 デフレとひとくくりに言っても、時間的視点を抜きにしてでは、少し乱暴な気がします。

 合成樹脂のトップメーカーの社屋はレンガ造りで、それが100年持っているのというのが現実なのです。

 100円3本のボールペンと、ステンレスのパーカーのボールペンを比べるのはナンセンスです。

 しかし、愛着と重さは等しいのかもと言うと、それこそ乱暴でしょうか。

 何れにしても、時間軸が入っていないケースが最近とても多い気がするのです。

悔しいのは本当に悔しい‐1277‐

 休日、どこにも行けなかった時は銭湯に限ります。

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 家の近くで、良く行っていたのが「湯の町温泉」

 勿論「温泉」ではありません。

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 大阪で一番雰囲気があるのは、生野区にある「源ヶ橋温泉」

 勿論私の独断です。

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 勿論こちらも「温泉」ではありません。

 一般的には、何歳から娘を男風呂に入れないべきか。

 小学生になってからは辞めようかとなり、めっきり行く回数が減ってしまいました。

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 先日「湯の町温泉」の前を通ると、解体用シートに覆われていました。

 銭湯のシンボル、煙突が寂し気です。

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 ついに煙突もなくなり、名残を残すのは看板だけ。需要不足なのか、経営者の高齢化なのか。

 最近行っていなかったことに悔いが残ります。しかし全て後の祭り。

 5月中旬のことですが、日本建築家協会(以下JIA)近畿支部の関西建築家新人賞が発表されました。

 私も応募していたのですが選外。

 受賞者は30代中頃の建築家2人で、共に住宅の設計は2件目だそうです。この賞は45歳までなので、私にとっては最後の機会でした。

 まずはクリアしたいと思っていた賞なので、とても悔しいのが正直なところです。

 今回は19作品の応募があったそうですが、現場審査の6作品にも入りませんでした。どの作品で応募したかは、控えておきます。

 写真家には、応募したいという旨は伝えていました。目的が変われば、写真の撮り方も変わるからです。

 落選したと伝えるとこんなメールを貰いました。

 賞はオマケ程度に考えた方がよいと思いますよ。

(たぶん、守谷さんもその程度と考えていると思いますが)

 守谷さんの仕事にクライアントが満足して、守谷さんも満足出来れば、それで十分でしょう。

 僕が撮影にうかがった守谷さんの物件はどれもお施主さんが満足して幸せそうなのが印象に残ってます。

慰めもあると思いますが、普段お世辞など言わない人なので、有り難い言葉だと受け取っています。

 また、先日『住まいの設計』に掲載された、「松虫の長屋」の奥さんからメールを貰いました。

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 昨日、扶桑社さんから『住まいの設計』を送って頂きました。

 パソコンで1度目は通してはいましたが、実際雑誌に掲載されているのを見ると他人の住居の様に感じました。こうして掲載していただくとアトリエmさんとの打ち合わせの日々を思い出し、本当に楽しい時間だったなと心から思います。

 1度の人生で100パーセント満足できる家に住めるなんて私達家族はどれだけ幸せものなのか。

 子供達が自立して家を建てる時も守谷さん田辺さんマルコさんのいるアトリエmさんでお願いします。 私は口を出せないのが辛いです(たぶん出します!)が、今から楽しみです!

 次男の○○のこんな真剣な顔を見たことがありませんでした。ずいぶん長い時間見ていました。どの様に感じているのでしょうね。

 長男君が33歳で家を建てたなら、その時私は70歳。まだまだ現役のつもりです。

 本当にそんな時がくればいいなと思いますし、80歳、90歳になっても現役でいたいと思っているのです。

 しかし、いくら働きたいと言っても、需要がなければ仕事を続けることは出来ません。また、健康であることも必要条件です。

 最も求められる建築家、クライアントの幸せを必ず実現出来る建築家を目指し、研鑽して来たつもりなので、賞が前にある訳ではありません。

 また、関西建築家大賞、JIA新人賞、JIA建築家大賞とまだまだ大きな賞があります。

 いずれも年齢無制限。必ず取って、世界遺産を目指します。

 しかし、悔しいのは本当に悔しいのです。

枯れて石庭、燃えて金閣‐1275‐

 昨日の午前中、北摂のクライアントの自宅へ伺いました。

 計画のスタートから1年以上掛かってしまいましたが、ようやく工事請負契約が成立。

 私は、監理者として判を押しただけですが「一仕事終えた」という気分になるものです。その足で京都へ。

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 新緑萌える京都。昨日は30℃を超えました。

 季節が良いだけに、混雑を予想していましたが、龍安寺はそれ程でもなく。

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 アプローチにある鏡容池(きょようち)はハスの花もちらほら。

 いやが上にも気分は盛り上がります。

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 大切なのはファーストコンタクト。

 なんとも言えない感嘆の声を上げますが、訪れたのは20年振り位でしょうか。

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 この日は、姪っ子も一緒に連れて行きました。

 子供達は、こういった所をあまり喜びませんが、関西は日帰り圏内に沢山の世界遺産があります。

 先日、ル・コルビュジエの国立西洋美術館が世界遺産に登録されたというニュースがありました。

 コルビュジエの作品群の一つとして登録されたのですが、東京では初だそうです。

 京都、奈良、熊野、姫路城、法隆寺と、多くの世界遺産がある関西に、海外からの観光客が集中するのは、当然なのかもしれません。

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 禅寺の庭園、枯山水は 「枯れ」の通り、水を白砂や白石で表現されます。

 中でも石庭は、石と砂のみで表現されたもの。この石庭は1500年頃に出来たと言われます。

 絵画でも、古典主義から写実主義、そして抽象画へと変化していったように、突き詰めれば突き詰める程、単純化されて行くのです。

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 25m×10mの石庭は、2方を檜皮で葺かれた土塀で囲まれています。

 この土塀には菜種油が混ぜられ、時と共に変化を見せます。

 利休は、庭木は塀によって幹を隠すのが良いと言いました。太い幹をみせず、軽やかな葉、花だけをこの土塀によって切り取りとるのです。

 背景、間合いにある、「余白の美」こそが、日本独特の美意識なのです。

 衣笠山の麓を2km程北西に上がれば鹿苑寺(金閣)。

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 長男によると、テストでは金閣寺は×で、金閣が○とのこと。一般的には金閣寺ですが。

 晴れの日の金閣は圧巻でした。

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 夕方に来たのは初めてですが、西日を受け、燃えるように輝いています。

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 東から見れば、床の照り返しを受けた軒が、まさに燃えているよう。

 三島由紀夫の「金閣寺」は、その美しさにとりつかれた学僧が、放火するという小説です。

 その気持ち、少し分かる気もします。

 黄金には、人を変える何かがあるのでしょう。

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 世界遺産だからと言っても、子供は喜びません。実は、先に太秦の映画村へ寄ってから来ました。

 映画村も思いのほか面白かったので、また回を改めて書こうと思います。

 枯れて石庭、燃えて金閣。これらは対極にある美です。

 金箔貼の天守閣を持つ安土城を築いた織田信長。金の茶室を作った豊臣秀吉。

 足利義満と同じように、権力者は金を目指します。

 一方、市井の人の代弁者として、禅寺や利休の存在はあったのかもしれません。

 ただ、誰にでも出来そうなものは難しく、腕の差が出るのは、いつも同じ構造です。

 石庭をみると、常に気が引き締まるのです。

 最後に、5月21日発売の『住まいの設計07・08月号』に「松虫の長屋」が掲載されました。

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 リノベーションの掲載は4ページですが、詳細な工事金額も載っています。

 小さくですが、私の顔写真も掲載されました。勿論、主役はクライアントです。

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 webサイトの写真も、子供さん2人は頑張ってくれましたが、この撮影の日もアクセル全開でした。

 良ければ是非手にとってみて下さい。