今年は、庭木が例年より元気な気がします。
サザンカは、秋頃から咲き続けていますが、今が盛りでしょうか。
ウメも大雪の日あたりがピークかなと思っていたら、更に蕾も花も増しています。
どこどこのお子さんが、○○中学に通ったとか、○○大学に通ったらしいとか、風の便りが届きだす季節です。
このまま温暖化が進んだなら、合格を「ウメサク」という時代がくるかもしれません。
その真剣勝負の場が入試ですが、□□大学の問題に不備があったという記事を時々見かけます。
正解が無かったり、複数あったり等というケースですが、今朝も関東圏の私学が紙面にでていました。
正直、酷な時代だと思います。
素晴らしく優秀な大学教授が、何度チェックしたとしても、これだけ多くの人が問題を共有し、多くの進学塾や予備校が粗さがしをしたなら(適切な表現ではないかもしれませんが)、確実にそのほうが発見能力は高いと思うからです。
比べられる話ではないのですが、この日記の誤字脱字を、的確に指摘してくれる後輩がいると書いたことがあります。
メールで知らせてくれるのですが、それを3回読み直しても、どこが間違っているか分からない時があります。
我ながら情けないのですが、まず、自分が創ったものを、懐疑的に、否定的にみるのは、相当に難易度の高い行為です。
また、クリエイトする能力も高く、チェック能力も高いというケースは、かなり稀だと思います。
入試は外部に出せないという性格上、この種の問題が無くなることはないはずです。
私にとって受験は、苦い思い出しかありませんが、社会にでるハードルとして、あったほうが良いと考えていました。
長い受験の歴史で、採点ミスで合格した人、不合格になった人は、どのくらいいたのだろうかと考えます。
また、中国の科挙においてのカンニング史を読んだこともあります。
そんなことまで含めて人生だと思いますが、1日、2日のペーパー試験で、人の優劣を決めるという制度は、すでに時代と合っていないのかもしれません。
それは、実社会の入社試験が、ペーパーテストだけでないことからも明らかです。
誤解を恐れず言えば、大量消費社会において、大量に、効率よく人を判断する時代は終わりつつあると思います。
ではどんな制度がいいのかと問われても、名案がある訳ではないのですが、入社試験は「皆で食事をつくる」という話も聞きました。
企業のほうから真剣度が伝わってくるのは事実です。
ちなみに、当社の入社試験は模型作りからスタートします。
まずは敷地模型から。
徐々に建物本体へと難易度を上げて行きますが、これを3日程見せてもらえば彼らの人生がある程度は透けて見えます。(と思っています)
映画監督、宮崎駿は「私はマルチを信じない」と言いました。
権威に対する抵抗と、応援の意味をこめて、最高学府の英知とて万能ではないと、繰り返し書いておこうと思います。