カテゴリー別アーカイブ: 04 建築

「いま、ここ」だけを生きる‐1380‐

 先週末、「中庭のある無垢な珪藻土の家」の2ヵ月点検に行ってきました。

 3月末の引っ越しを実現するため、ギリギリの工事が続いていたのは2ヵ月前。

 もとより閑静な住宅街です。

 それらが嘘のように静かな週末の風景でした。

 正面のヤマボウシ。

 あまり道路にはみ出すのも良くないだろうと、少し低めのものを選びました。

 後ろに見えるのは、リビングにつながる中庭です。

 中庭のヤマモミジはなかなか立派な枝振り。

 ご夫妻とも「中庭はとってもいい」とのことでした。

 親族が集まっての、BBQもすでに開催されたと。

 写真がとてもよかったので送ってもらいました。

 炭火を起こすのはたいそうだけど、カセットコンロやホットプレートなら気楽だという方はとても多いのです。

 45cmほどの縁側に腰掛けての昼食はとても楽しそう。

 ちょっと木陰があるだけで、中庭が全く違うものになるはずです。

 こちらのご家族は、お子さんが4歳と2歳で最も親との時間が必要な時期です。

 点検のあと四方山話をしていたのですが、ご夫妻ともフルタイムの共働きということもあり本当に大変そうです。

 私ができることと言えば、一緒に創り上げたこの家が、少しでも日々の暮らしに貢献してくれればと願うだけです。

 ここで書く家創りのストーリーは、「大変だったけどやっぱりよかった」が中心です。

 時には少し叱られることもありますが、最終的には何が何でも、「よかった」まで行くしかありません。

 そう考えると、やはり全てよかったとも言えるのです。

 「うちのお客さんは皆喜んでくれている」というような言葉を聞く場面は結構あります。

 もちろん、不満な状態のまま仕事を終えるなど論外ですが、クライアントは心の底から「喜びたい」と思っています。

 何千万、何億円ものお金をかけて、「まあまあで十分」という人はたったの1人もいません。建築において、喜んでいただくは最低条件だと思っています。

 「特別に喜んで貰っている」と思いたいですが、それは私が決めれることではありません。

 ニューヨーク在住の友人が、「嫌われる勇気」が、すごく面白かったと教えてくれました。

 2014年から2015年にかけてのベストセラーで、タイトルくらいは聞いたことがありました。

 哲学者と現実を嘆いている若者との、対話型式で話は展開していきます。

 結論で言うと、凄い本だと思います。

 人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。

 (中略)

 ありもしない過去と未来ばかりに光を当ててこられた。自分の人生に、かけがえのない刹那に、大いなる嘘をついてこられた。

 (中略)

 さあ、人生の嘘を振り切って、恐れることなく「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てなさい。

 「いま」という一瞬を精一杯生きる。それ以外にできることは何もありません。

 それらを積み重ね、感激、感動してもらえるところを目指すしかないのです。

 自由、幸せ、孤独、そして勇気。これらの言葉は、常に意識してきました。

 「嫌われる勇気」。この本については、また一度しっかり書いてみたいと思います。

違うことを恐れるな‐1377‐ 

 はじめに告知です。

【Events】
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「無料相談会」に参加■■■

 予約不要ですので、気軽にお越しください。

 ゴールデンウィークの旅ですが、 <青森・秋田編><岩手・再び秋田編>とも長くなってしまいました。

 建築と街をまとめて終わりにしたいと思います。

【5月2日(火)】弘前

 青森空港から弘前に向かう県道。

 ポプラが真っすぐ伸びる風景は、北海道をおもわせるものがあります。

 リンゴの木はクネクネと人が踊っているようにも。

 土地土地で、全く景色が変わるものです。

 弘前公園には、前川國男の作品が多くあります。

 前川は、昨年世界遺産に登録されたル・コルビュジエに師事しました。

 日本における、近代建築の第一人者です。

 1976年完成の弘前市立博物館。

 翌年に完成した熊本県立美術館と同じく、赤茶のレンガのみで外観が形成されています。

 このあたりに、前川の潔さを感じるのです。

【5月3日(水)】 大舘(おおだて)

 曲げわっぱで知られる大館。

 秋田の内陸部に位置しますが、秋田杉を使った世界最大級の木造ドームがあります。

 大館樹海ドームは1999年の完成。

 設計者は国立競技場のコンペを、隈研吾と最後まで争った伊東豊雄です。

 餅網を曲げたような構造体が圧巻でした。

 後ろに見える山には、大舘なので「大」の字が。

 これでトリプル「大」とのこと。

【5月4日(木)】盛岡

 盛岡は北上盆地の北部に位置します。

 盛岡市のwebサイトには「望郷の岩手山」とありました。標高2038mの大変美しい山です。

 中心部の商店街で見かけた「北日本銀行大通支店」。

 六本木 久志さんという建築家の作品でした。

 総ガラスブロックは、どうしてもレンゾ・ピアノをイメージしますが、盛岡の透明感とは一致しています。

【5月5日(金)】秋田・大仙(だいせん)

 秋田市は東北の日本海側最大の都市。

 あきたこまちと細麺の稲庭うどんが有名です。

 秋田市街の中心にある秋田県立美術館。

 2012年の完成で、安藤忠雄の設計です。

 正面からは分かりませんが、背面は三角がモチーフとなっています。

 三角形の平面をもつエントランスホールにかかる階段は、それ自体がアートと言える美しさでした。

 ラウンジは水平窓が連なり、直下の水盤が浮遊感をかもしだします。

 ソファに腰掛けると、目線の先には千秋公園の濃い緑が。

 これまで見た安藤建築の中で、最も美しい窓だと感じます。

 堀の向こうに見える旧の県立美術館。

 現在は閉館となっているようですが、非常に面白い造形でした。

 最後は、秋田市と角館市の中間にある大仙市。

 酒どころの大仙市で300年以上続く奥田酒造は、銘酒「千代緑」で知られます。

 造り酒屋の店舗兼住居は1957年完成で、白井晟一の設計。

 大仙市のwebサイトにも紹介されていました。

 通りのある西は閉じ、北に開いているのが分かります。

 西側正面は縦板張りで、格子も縦。

 しかし完成して60年が経ち、老朽化が進んでいるところも見てとれます。

 時間に淘汰されない、また丈夫で長持ちする建築を創り上げることが、そう簡単でないことがよくわかります。

 命はいつか尽き、形あるものは必ず壊れます。しかし街は少しづつ変化をしながら、生き続けるのです。

 盛岡の駅前で、ガソリンスタンドに入りました。

 25歳くらいの女性店員に声をかけると「なまってますねえ~。どちらからですか?」と。

 生まれてこのかた、「なまっている」と言われたことがないので、その店員さんに「そんなになまってますか」と聞いてみました。

 「そうですねえ。私も盛岡郊外の実家に帰ったときは、方言がでるのですが、盛岡で働いているときは、いつも標準語なんです。それとくらべると……」

 新聞のコラムで、「書を捨てよ、街へでよう」と言った、劇作家の寺山修二は弘前出身だと知りました。

 ふるさとの 訛りなくせし友といて モカ珈琲は かくまでにがし 

 彼は47歳で世を去りますが、一生を津軽弁で通したそうです。

 地域の言葉は、教育で身につけたものではありません。

 街と同じく、脈々と受け継がれてきた、まさに生きた文化です。それらの違いをこの目で見たくて旅をするのだとも言えるのです。

 「違うことを恐れるな。簡単に同化するな」

 寺山修二はそう言っている気がするのです。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
46/47 【】はまだ

北海道

青森 岩手 【宮城】 秋田  山形 福島

茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川

新潟県 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知

三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山

鳥取 島根 岡山 広島 山口

徳島 香川 愛媛 高知

福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島

沖縄

いつもそこにあることができる‐1373‐ 

 年始だったか、あるクライアントに、「長い間、作品が更新されてないですね」と言われてしまいました。

 昨年、今年と多くの仕事をさせて貰っているのですが、発表がかなり滞っています。

 昨日には「回遊できる家」をwebサイトにUPしました。

 この計画は、築41年の木造住宅をフルリノベーションし、向かいの家から引っ越すというものでした。

 ご主人の生家で、ご両親と住んでおられたものでした。

 南に庭があり、日当たりは良好。

 玄関も南に開いています。

 しかし縁側を介していたため、南面した和室でも結構暗かったのです。

 またLDKが北東角にあり、一番よい空間がうまく使われていませんでした。

 一番よいところに、応接間や客間があてられるというのは、旧来の住宅にはよくあるプランです。

 それで、玄関を東へ移し、一番条件のよい長辺にLDKを配置しました。

 このあたりは、プランのビフォーアフターをみてもらえると分かりよいと思います。

 適切な軒とデッキが、外部とのつながりをより親密なものにしてくれるはずです。

 1階の子供部屋の扉をあければ、40畳近い大空間に。

 キッチンの横にはスタディーカウンターがあり、回遊できるプランとしました。

 これらは奥さんからの要望です。

 屋根裏収納を吹抜けでつなぎ、上部から光をおとしています。

 屋根の一部にガラス瓦を入れました。

 これがグレーチングを介し、1階まで光を届けるのです。

 1枚目の撮影の際、昼寝中だった三男君は吹抜けからのカットで登場してもらいました。

 引っ越す前の向かいの家は、ご両親が晩年を過ごそうと物置を、リノベーションしたものでした。

 それを、ご夫妻が新婚時から大切に使ってきたのですが、お子さんが4人になり、向かいの一回り大きな母屋に引っ越そうとなったのです。

 人生という物語のある章を、いっしょに紡がせて貰うのが私が生かされている意味だ思うようになりました。

 それが私でなければならない訳でもないし、必ず建築家が居なければならない訳でもありません。

 だからこそ、期待し、オファーしてくれた人の人生の物語を、空間に織り込み、紡ぎたいと思うのです。

 ドリームズ・カム・トゥルーの吉田美和さんが、東日本大震災の際「音楽が誰かを助けられるとは思っていない。ただ、思っているほど、人は弱くない。ただ、音楽はそこにあることはできる」と言っていました。

 建築はいつもそこにあることができます。

 それが全てと言ってもよいかもしれません。

子供も楽しくなければアートじゃない‐1372‐

 先日の墓参りと合わせて、香川県の豊島(てしま)へ行ってきました。

 「ベネッセアートサイト直島」のwebサイトには、直島、豊島、犬島を舞台に、展開しているアート活動の総称とあります。

 この活動が始まってから、島を訪れたのは初めて。

 岡山県の宇野港から高速船で25分ほどですが、ちょっとした船旅が旅情をもりあげてくれるものです。

 豊島は周囲20km、人口900名の自然豊かな小さな島です。

 1970年代には不法な産業廃棄物の投棄が社会問題になりました。

 島の北西、家浦港のすぐそばにある「豊島横尾館」。

 画家・横尾忠則の美術館ですが、到着時にはまだオープンしておらず、今回は残念ながらパス。

 島の南側に移動して、まずは「遠い記憶」という作品から。

 廃校の中央を、窓で作られたトンネルが貫きます。

 木製建具で出来たトンネルが、訪れる人たちの記憶を呼び戻すのか。

 「心臓音のアーカイブ」という変わった作品もありました。

 海沿いに建つこの建物の中には、真っ暗な部屋があります。

 そこで世界各国の様々な人の心臓音が鳴り響くのですが、子供たちにはちょっと怖かったよう。

 アートは観る人に全て委ねられるものなので、解釈は常に自由です。

 島の北東にある唐櫃港エリアまで移動する途中、海に飛び込んでいくような坂道があります。

 電動自転車を借りている人が多く、西も東も多くの外国人が写真を撮っていました。

 一番小さい24インチが娘にはちょっと大きく、私たちはレンタカーにしましたが。

 島の中央は山になっているため、棚田が多くみられます。
 

 それらを通りすぎると、山の斜面に「豊島美術館」が見えてきました。

 水滴をイメージしたデザインで、右の大きなものが美術館、左の小さなものがショップです。

 ショップの前を通り過ぎ、海を見下ろす小道がぐるりと巡らされ、美術館に導かれます。

 撮影は入り口まで。内部は撮影禁止でした。

 中に入ると、白いシェル状の空間に、2つの開口が穿たれています。

 そこにガラスなどは入っておらず、直接日の光が差し込み、風が流れるのです。

 床には、1mm程の小さな穴が多数あり、そこから少しずつ水が湧き出してきます。

 それらは、概ね光の差す開口部の下へ向かって、ゆっくり、ゆっくりと、緩い勾配にそって集まっていきます。

 来場者は、座ったり、寝転んだりして、その様を静かに見守るだけ。

 いくつかの水滴が集まっては動き出し、そしてまた止り。

 離合を繰り返しながら、ゆるゆると動く水滴が、アートとなることに感動します。

 美術館に行こうというと、いつも「え~」という子供たちも興味深々で、飽きることなくかぶりついて見ていました。

 これらはアーティスト・内藤礼と建築家・西沢立衛がコラボレートしたもので、建築、空間の全てが作品です。

 ショップも西沢立衛の設計。

 こちらは撮影可能でした。

 天窓の大きさこそ違え、シェルの中に光が差す様は同じく美しいもの。

 もっとも、こちらの開口部にはアクリルガラスが入っていましたが。

 産廃問題でうけた痛手を、アートの力で応援しようという試みは、成功しているといえそうです。

 西沢立衛は、自らの師である妹島和世とSANAAを共同設立し、2010年には建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞しました。

 2010年には、中辺路美術館を訪れました。

 1998年の完成で、SANAAがはじめに手掛けた作品です。

 金沢21世紀美術館は2012年のゴールデンウィークに訪れました。

 プールの中に入り水面を見上げるという作品、レアンドロのスイミング・プールは子供にも凄い人気でした

 誤解を恐れず言えば、これまでの成長時代、押しの強いアーティスや建築家が結果を残してきた気がします。

 しかしSANAA自体が自らの師とのユニットで、コラボレーションといえます。

 認め合えれば、自らの弟子とユニットを組む妹島和世の度量も凄いのですが、これからの高度情報化社会では、全ての分野に置いてボーダレス化が進んで行くはずです。

それを最も体現しているのがSANAAだといえます。

 コラボレートといえば聞こえはよいですが、調整、集約、決断と簡単ではないことが想像できます。それらを含めて、実現力が問われる時代なのだと思うのです。

 人は生まれながらに「真・善・美」を求めるといいます。

 中でも「美」ほどあやふやなものはありません。

 子供にあれだけ興味をもたせる作品を創り上げた、内藤礼と西沢立衛の仕事に脱帽しました。

 これまでに、子供たちも、ゴッホ、カンディンスキー、岡本太郎は十分楽しんでいました。 

 面白くなければ、感激できなければアートに意味はありません。彼らこそ、本物の現代のアーティストだと思うのです。

さすが江戸っ子‐1369‐

 「さかたファミリー歯科クリニック」の現場へ行くのに、JR学研都市線に乗る機会が増えました。

 今日はポカポカと気持ちがよく、気づくウトウトと居眠りを……

 春眠暁をおぼえずで、気持ちのよい季節になりました。

 春になったので、そろそろ船を出そうと免許をみると、有効期限が切れています。

 小型船舶操縦免許は5年に一度、講習を受ける必要があり、失効講習を受けてきました。

 会場は新大阪にある大阪市立青少年センター。

 旧称は 大阪市立青少年文化創造ステーションで、佐藤総合計画の設計。2003年の作品のです。

 ユースホステルが入っていますが、外観はまさにホワイトベース。

 ややがらんとした印象でしょうか。

 講師の話によると、車の運転免許証は都道府県公安委員会が発行している公文書。

 小型船舶操縦免許は国土交通省が発行している公文書。よって、罰則などは小型船舶操縦免許のほうが重いそうです。

 2時間半の講習を受け、ようやく操船できるようになりました。

 帰りに新幹線の高架沿いを歩いていると、フリーマッケトが催されていました。これがなかなかの活気。

 格好良くて清潔より、ラフで猥雑なところに人が集まることはよくあるものです。

 先月のことですが、 以前オープンデスクに参加していた女の子から、長男の合格祝いにと、本と手紙が届きました。

 合せて、手作りクッキーまで同封してくれていましたが、これは子供達がすぐに食べてしまいました。

 本のタイトルは「銀の匙(さじ)」。

 なかなか歯ごたえのある本で、これは腰を落ち着けて読まなければなりません。

 早速、子供2人にお礼の手紙を書いてもらいました。

 娘はクッキーのイラスト付きですが、私の手紙が最も遅く、ようやく4月の初旬に郵送したのです。

 手紙の中には彼女の近況報告もあり、「昨年、念願の一級建築士を取得しました」とありました。

 働きながら資格をとるのは大変だと思います。ひとまず肩の荷がおりたでしょう。

 資格とはそもそも何でしょうか。

 まずは最低限の能力を担保するものです。しかし、担保は成長を生まないのがこの世の鉄則。

 さらに先を目指さなければ、成長を鈍化させることもあるかもしれません。

 東京で仕事をした施工会社の社長が、建築工事請負契約書を指して「こんなものは紙切れだと思ってるんで」と言いきりました。

 どうでもよいと言っているのではありません。

 クライアントに満足してもらえなければ、そんなものを振りかざしても何の意味もないと知っているのです。

 「さすが江戸っ子」と言いたくなりました。

 人生は攻め、攻め、攻め。そしてまた攻めです。常に前へ進むしかありません。

 彼女はこの日記を読んでくれており、「道標になっている」と書いてくれました。

 「よく頑張ったね、おめでとう」という気持ちと、「さあここからがスタート」という2つの気持ちがあります。

 20年の先輩として、少しでも役に立てるよう、なんとかそれを体現したいと思うのです。

なんてったって、はじめてですから‐1367‐

 先週末、「長田の家」の1年点検に行ってきました。

 竣工は2016年の3月。撮影は6月でした。

 コンセプトは「白いダイヤモンド」。

 東大阪市の長田は工場地帯です。この街に白いダイヤモンドを浮かび上がらせてみたい。そう思ったのです。

 敷地は角地で、トラックの往来が多いことから、1階北側は1mほどセットバックしています。

 音対策に加えて、トラックからの見通しも考えてのこと。

 道路側の窓は高い位置にきっていますが、これも音対策。十分期待に応えてくれているようです。

 南に高い社屋が建つこともあり、中庭型の住宅を提案しました。

 玄関前の長い庇は車の乗り降りの際、雨に濡れないよう考えたものでしたす。

 クライアントはメーカーの創業家に生まれ、何れは経営者となるでしょう。

 同じ街に住居を構えることを指し「働く覚悟」と言いました。

 子供さんたちは、いつかお父さん、お母さんの覚悟を感じてくれるでしょうか。

 撮影から10ヵ月経っても変わらず美しく、新たに加わった黄緑のソファと座布団がよく合っています。

 時計もシンプルなものを探してくれたとのこと。

 この家に愛情を注いでもらっているのが伝わってきます。

 以前の課題で、2階トイレで水を流すと、近くにある手洗いでウォーターハンマー現象が起こっていました。

 封水が引っ張られる現象ですが、これは手洗いに通気弁を付けることで解決しました。

 玄関ポーチ前の長い庇には、雨樋をつけようという課題もでました。

 いくつか改善点は上がりましたが、基本的にはとても楽しく暮らしていると言ってもらったのです。

 最後は、監督によるお掃除講座。

 汚れの取り方を、奥さんにレクチャーしてもらいました。

 この日、上2人のお子さんは外出中。

 一番下の次男君が途中で帰ってきてくれました。

 打合せ時は生後数カ月。いつもベビーカーに乗って、来社してくれたものです。

 彼がお母さんにおねだりしたのは、元祖ゴーストバスターズ。

 もう完全に大人です。

 クライアントと3時間は話していたでしょうか。

 その中で、一番記憶に残っているのが「なんてったって、はじめてですから」という言葉です。

 一生に一度、さらに最も高い買い物を、私達に任せてくれるというその期待と不安。

 こうしてクライアントの話を聞いていると、多くの気付きがあります。

 webサイトにも「長田の家」をUPしたので良ければご覧ください。

 「1年後の感想」も、かなり詳細に書いてもらいました。私が一番笑ったのは、訪れた方の感想です。

 芸能人のお家か!

 タレントさんの家も設計させて貰いましたし、決して芸能人を馬鹿にするつもりはありません。

 芸能人の方の家より、いいものになったのではと勝手に思っているのです。

あなたは絶対幸せになる‐1356‐

 土曜日はOhanaへ行っていました。

 私が設計させてもらった写真スタジオです。

 2009年の秋に竣工したので、現在8年目に入りました。

 京阪萱島駅から徒歩3分ですが、住宅街の中にあり環境はとても静かです。

 何度も通った京阪萱島駅。

 「近畿の駅百選」に選ばれています。

 この大クスノキは萱島神社の御神木で、神社と御神木ありきの駅なのです。

 元の店舗は、この駅の高架下にありました。

 丁度その向かいに、細い路地があります。

 そこを抜けるとOhanaが見えてきます。

 エントランスの黄色い扉も、床材のピンコロも、全てに思い入れがあります。

 竣工時は2m程度だったオリーブ。

 現在は4m程に成長しました。

 予算が厳しかったので、古川庭樹園までクライアントと一緒に買いに行き、一緒に植えたものです。

 「センスの良い知人宅のリビング」と設定したレセプション。

 緑も増え、まさにOhana色に染まっています。

 2階スタジオからもオリーブが見えるようになり、「ようやく背景として使えるようになってきたんですよ」と。

 クライアントは、保育園のアルバム撮影もしています。

 目指すのは、130名全員が笑顔のアルバム。

 撮影前の遠足では、笑わせるのが難しそうな園児と積極的に遊ぶそうです。

 そして撮影当日。

 その時の「仲良し」を武器に、懇親のギャグを連発するのです。

 同業の人が「どうやったら、全員笑顔の顔写真がとれるんだ」と聞いたそうです。

 これが私のクライアントだと胸を張りたくなりました。

 今回はある相談で伺いましたが、そのお題は、決して簡単なものではありませんでした。

 しかし「この人のためなら何とかしよう」と思います。

 そんな人とばかり仕事をしてきたので、私も成長できたし、幸せな仕事人生だと心から思うのです。

 その後、予約してくれていた京橋の焼き鳥屋さんへ移動しました。

 トイレへの通路は極めて狭いですが、最高に美味しい店だったのです。

 その席で、長男の合格祝いを頂きました。そして、この日がクライアントの誕生日だったことを思い出したのです。

 まったく、こういったことに気がつかない私ですがこれだけは言えます。

 あなたは絶対幸せになる。ならなければおかしい。

 偉そうですが本当にそう思うのです。

建築家にとって一番大切なもの‐1355‐

 今月の初め、建築家・高松伸さんとお会いする機会がありました。

 あるホテルで、フレンチをご一緒させて頂いたのです。

 高松伸さんは京都大学の名誉教授で、私達の年代から見れば、レジェンドと言ってよい存在です。

 2年前、母校での文化祭に呼んでもらいました。

「卒業生によるプロフェッショナル相談会」というイベントに参加するためです。

 そこに参加していた大先輩から「高松先生と食事をするけど、ご一緒してみる?」と声をかけて貰ったのです。

 先日行った沖縄の浦添市にある「国立劇場おきなわ」。

 2003年の作品です。

 何と言っても目を引くのが反りかえった外観です。

 竹を編んだような外皮はプレキャストコンクリート製で、軒下空間をつくっています。

 これは沖縄の民家をコンセプトに取り入れたものでした。

 2007年完成のナンバ・ヒップス。

 これは知っている、という人も多いのでは。

 現在は無くなりましたが、道頓堀と心斎橋筋商店街の交点にあった、キリンプラザ大阪も1987年の作品です。

 2015年のシルバーウィークは長崎、佐賀をまわりました。

 長崎港ターミナルは、1995年の作品。

 グラバー邸から見下ろした景色ですが、出島エリアでも存在感を放っています。

 島根県伯耆町にある、植田正治写真美術館も1995年の作品。

 2013年の夏季休暇旅行で訪れました。

 逆さ富士ならぬ、逆さ大山が水面に映ります。

 京都駅から歩いて行ける東本願寺。

 その参拝接待所は地下に埋められています。

 こちらも高松伸さんの設計で1998年の作品。

 スケール感、造形の自由さ。間違いなく日本の建築界を牽引してきたトップランナーです。

 子供みたいな質問をして、場をしらけさせないようにと思っていましたが、どうしても聞きたいことを質問してみました。

 「ご自身が一番納得しているのはどの作品ですか」

 「それは、今設計している作品ですね。未来の作品がそうだと思っています」

 即答でした。

 台湾でも、ビッグプロジェクトが完成、また進行中とのこと。

 そのヒストリーを聞くと、仕事の成功とは本当に青天井だと感じます。

 高松伸さんは食事会のあと京都に帰られましたが、会でご一緒した方と朝方まで飲んでいました。

 何をして成功と言うのかは、人によって違うかもしれません。

 しかし、誰がみても成功という成功は間違いなく成功です。

 カリスマやレジェンドという言葉を軽々しく使うつもりはありまあせんが、そういった人達のみに許される呼称なのでしょう。

 それらを分ける分岐点は、やはり日々の行いのような気がします。

 「仕事とは整理整頓に尽きると所員には教えていますよ」と仰っていました。

 もうひとつの質問です。

 「建築家にとって、一番大切なものは何ですか」

 「クライアントですね」

 クライアントの希望をかなえてこそ建築家だものね、と。

 成功、成長と感謝は同じカテゴリーにない言葉だと思っていましたが、どうもそうではないようです。

 トップランナーが発する言葉の中で「感謝」は最も頻度の高い言葉だと思います。

 最高にモチベーションが上がった夜だったのです。

必ず最後に愛は勝つ‐1351‐

 今日は朝から現場を回っていました。

 大阪も泣き出しそうな空だなと思っていたら、北摂では雪が降ってきました。

 つぼみをつけた桜の木も本当に寒そう。

 この時期の現場打合せは本当に寒いのです。

 家の形はしていますが、現場は基本外。7、8℃を下回ると足下からかなり冷えてきます。

 冬山に登るくらいの感じで着こんできてくださいねと、いつも伝えるのです。

 先週、「中庭のある無垢な珪藻土の家」の現場へ行くと、クライアントのお母さまが、ぜんざいを差し入れてくれました。

 塩昆布付きです。
 
 是非現場の方にと言っていただいたのですが、この日は大工さんが空けており……

 それだけが残念でしたが、その心遣いは現場の皆に届きました。

 今日は「北摂の家」だったのですが、3階キッチンの横に畳の小上がりがあります。

 その高さを詰める予定でしたが、出来ればクライアントにも見て頂きたいね、という話になりました。

 その場で「早い時期に打合せをお願いしたいのですが」とメールすると、「昼からなら伺えますよ」と。

 急遽、大工さんに式台をつくってもらったのです。

 その甲斐あって、明確に方針が決まりました。

 実は、現在ストップしていた現場があり、その近隣説明に同行しました。

 かなりの住宅密集地で、その分、互いの利害関係もより密接に発生します。

 私が一緒に回ることはあまりないのですが、役所の方からも「できれば建築士の人からの説明のほうが……」と言ってもらい、現場監督と廻ってきたのです。

 結論で言うと、一定の理解を示してもらい、工事を再開することになりました。

 家は幸せを叶えるために創るものです。

 その思いが純粋なら、さらに創り手がしっかりと愛情を注いでいれば、悪い結果になることはないと信じています。

 KANの唄ではありませんが、必ず最後に愛は勝のです。

 ガードマンは、雪が降るなか一日中立ち仕事で、本当に寒いはずです。

 それでもいつもニコニコと迎えてくれるのです。

 そんな彼には申し訳ないのですが、今週末は沖縄に行ってきます。

 私にとっては最後の日本。また週明けにUPしたいと思います。

キヤノンで観音様を撮ってみたい‐1350‐

 先週、京都に立ち寄ったと書きました。

04 - コピーのコピー

 海外からの旅行者の玄関口となる京都駅。1997年の完成です。

 梅田スカイビル等でも知られる原広司の設計です。

05 - コピーのコピー

 京都の碁盤の目をモチーフに、中央を谷に見立てたプランで国際コンペを制しました。

 景観論争にも発展し、最も高さが低かった原広司案が選ばれたと記憶しています。

 正直、京都にあっているとは思いませんが、そこに一つしか存在できないのが建築なのです。

  京都駅前から東山七条くらいまで行くと、ようやく街並みにも雰囲気がでてきます。

 三十三間堂は、京都国立博物館の南向かい。

09 - コピーのコピー

 一間=約1.8mなので60mかと思いきや、長さは120m。日本で最も長い木造建築だそうです。

 柱間が三十三あるので、通称として三十三間堂と呼ばれるようになったそう。形態が通称となったのです。

 三十三間堂は平清盛が援助し、1155年に後白河上皇の院内に創建されたのがはじまり。

 しかし火災にあい、1266年に再建されました。

 よく知られる「通し矢」は、お堂の西軒下で行われました。

 高さおよそ2.5m、幅も1m強の限られた空間で矢を24時間射続けます。そして、何本の矢を射通せるかを競いました。

 120mを射抜くには強靭な体力と技が必要とされ、京都の名物行事となっていったのです。

 内部はさらに素晴らしい。

 国宝の千手観音坐像は3mはある見事なもの。それを取り巻くように、階段状になった10段ある壇上に1,000体の千手観音像がずらりとならんでいます。

 仏像のある空間をみて、これほど感激したことはありませんでした。まさに圧巻です。

 しかし、残念ながら内部は撮影禁止でした。

 私は何か撮りたいものがあるときは、CanonのEOS 5D Mark Ⅱにシフトレンズ(建築写真用)とズーム付きのレンズを持って行きます。

 海外では写真好きの外国人に、それらをきっかけに声を掛けられたことが何度かありました。Canonは世界中で支持されているのです。

 Canonのロゴについては、公式サイトにこう載っていました。

 1933年に精機光学研究所が設立され、最初の試作機は「KWANON(カンノン)」と名付けられました。

 観音様の御慈悲にあやかり世界で最高のカメラを創る夢を実現したい、との願いを込めたものでしたが、世界に通用するブランドが必要になりました。

 そこで、英語で「聖典」「規範」「標準」を意味する「Canon」となったのです。

 カナカナ表記なら「ヤ」は小さくせず「キヤノン」が正解です。

 当初の「KWANON(カンノン)」の際は、まさに千手観音と燃え上がるロゴがデザインされていたそうです。

 まさに世界標準となった「Canon」。キヤノンで観音様を撮ってみたかった。

 創業者の御手洗毅は元医師でしたが、共同経営者が出征したため、本格的な経営に取り組むことになります。

 世界一を目指し「打倒ライカ」を掲げ実力主義を徹底するのです。

 一方、いち早く週休2日を導入。また、家族あってこそ仕事ができると、早く家に帰ることを奨励したそうです。

 企業においての働き方が問われる時代です。

 キヤノンの御手洗さんのように、医師としても、経営者としたもスマートで、世界的企業に育て上げる人もいます。

 先日、あるゼネコンの社長と話しをしていたら「いまどき週休2日じゃないと、応募がこないんですよ」と言っていました。

 建築現場も、週休2日が標準となる時代へ向かっているようです。

 その社長は「私は24時間、年中無休で、いつでも電話してこいと言っているんですが」と笑っていました。

 観音様の御慈悲は、もちろん皆に注がれています。

 しかしながら、若干の哀愁を感じてしまったのもまた事実です。