タグ別アーカイブ: 探偵ナイトスクープ

話芸の達人‐2015‐

梅雨に入り、あちこちで田植えが始まっています。

今朝は田植えには絶好のタイミングだったのかもしれません。

多くは機械化されているのだと思いますが、この田んぼでは1本、1本雑草を抜いているところでした。

腰を曲げて大変だなと思いますが、こんな時は、秋の収穫に思いを馳せるのでしょうか……

建築写真はやはり快晴に限ります。

梅雨時は頭が痛い時期なのですが、写真家が「梅雨の合間の晴れは、良い空になることが多いんでよ」と言っていました。

注意してみていると、確かに空の色が素晴らしいのです。心待ちにしている、こちらの心境も影響があるのかもしれませんが。

先週、上岡龍太郎さんが5月に亡くなられたというニュースがありました。

私の年代なら『パペポTV』、『探偵ナイトスクープ』です。

長寿番組だった『11PM』の後番組、『 EXテレビ』も記憶に残っています。

月・水・金が 東京の日本テレビの制作、火・木が関西の読売テレビが制作。

火・木の司会が上岡さんでしたが、関西色のはっきりした芸人さんでしたが、誰もが認める話芸の達人でした。

息子さんで映画監督の小林聖太郎さんは、1学年上ですがスキー部の合宿などでご一緒したことがあります。

それもあり、勝手ながらより身近に感じていました。

御尊父をお送りする言葉が、各所に掲載されていました。

ウィットに富み、ユーモアを交え、かつお二人の関係を率直に語る文面は、流石は一流の映画監督だなあと感心していたのです。

「テレビで面白いのは、素人が芸をやるか、玄人が私生活を見せるか」

上岡さんは、この持論をよく披露されていました。

ディープなファンが多かったので、それほど番組を拝見していない私が言うのも何ですが、更に印象に残っている言葉があります。

「どんなジャンルにおいても、せめて1つくらいは自分の意見がしっかり話せるようにしておくべき」

会話というものは、まず聞くことが基本だと思いますが、ただニコニコして聞いていれば良い訳でもありません。

芸人さんなら勿論だと思いますが、仕事においても同じだと思います。

ある意見に対して、相手が話してよかったと思える応対ができるかはとても重要です。

どう感じたかを話すためには、何かしら、自分の意見を持っていなければなりません。

どんなジャンルにでも興味をもつこと。そして1つは掘り下げておくこと。

上岡さんの言葉がストンと腹に落ちたので、私なりに実践してきたつもりです。

そういえば、学生時代の聖太郎さんは、スキーでも音楽でも、マニアックな話しをしたりして、いつもゲラゲラ笑っていたことを思い出します。

流石、サラブレッドは違うなと思っていたものです。

血縁はなくても、芸や考え方は引き継げる部分もあるはず。

そう考えれば、勝手に、一方的に思い込み師匠でもあります。

上岡さんのように格好の良い引き際は無理ですが、実りの白秋を迎えられるよう、まだまだ続けて行きたいと思っています。

心からご冥福をお祈りいたします。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開
■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

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100物語で物街大好き‐1637‐

今日10月31日がハロウィン。

第4木曜日などでなく、日にちで決まっているようです。

悪魔を追い払うため、あちこちにカボチャが飾られていますが、日本でもかなり定着してきた感じ。

日々が楽しくなるなら、大いに結構なことだと思います。

私が住む大阪市平野区の西隣は東住吉区。

大阪市は明治22年に東区、西区、南区、北区の4区体制でスタートしました。

中央区を別にすれば、昭和49年に東住吉区から分かれた平野区は最も新しい区のひとつ。

大阪都構想は4区案が軸のようで、100年以上かけて元に戻るというのも、何とも複雑な気分です。

東住吉区の北端に「杭全」という交差点があります。

「くまた」と読むのですが、5差路の大きな交差点で、自転車用エレベーターもあります。

関西ローカルの名物番組「探偵ナイトスクープ」でこの交差点の信号が、いかに大きいかを取り上げていました。

現在は普通の大きさになっていましたが、おそらく20年くらい前にヤンキースのセイキがレポートしていたと思います。

「松本人志、局長に就任」というニュースを見て、その映像を思い出しました。

それくらいしか観たことが無いからですが、あれだけ働き、さらに既存の名物番組に出演とは、口が裂けても忙しいだなんて言えないのです。

東住吉区のwebサイトに「東住吉区100物語」というページがありました。

区民に愛着を持ってもらうため、様々な「ものがたり」を思いのある人達が編み上げた、とあります。

これが興味深く、まず「模擬原子爆弾投下跡地之碑」に目が行きました。

原子爆弾はその威力があまりにも大きく、爆撃機の退避訓練を実戦で行ったということです。

同じ大きさの爆弾を作り49発を日本に投下。死者400名、負傷者1200名の被害があったことが、50年後の国家機密公開で分かりました。

そのうちの1発が、東住吉区の田辺に投下されていたという、ぞっとする話なのです。

「ボォーン」という音が聞こえた方向をみると、大きな木立が見えます。

行ってみると「法楽寺」というお寺でした。

住宅街に突如現れる広い境内に、立派な三重塔があります。

その脇にあるこの鐘が打たれたのでしょう。

憩いの場という趣きで、参拝者で賑わっていました。

同区には「針中野」という駅があります。

これは平安時代に設立された中野鍼灸院(なかのしんきゅういん)から来てきます。

一子相伝で43代続いており、41代が近鉄南大阪線の開通に尽力したお礼として駅名を「針中野」としたそう。

南海平野線が開通した際には、中野駅から鍼院まで7ケ所の道標が建てられ、今も残っています。

これらも「中野のはり」というページで紹介されていますが、何ともプライベートな駅だったのです。

『王将』作詞:西條八十

 吹けば飛ぶよな 将棋の駒に 賭けた命を 笑わば笑え

村田英雄が歌う『王将』で知られる、将棋の名人坂田三吉も昭和18年からの最晩年に東住吉区に転居してきたともありました。

「東住吉区100物語」のような試みは、どの市町村のサイトにもありますが、ここまで作り込まれているのは、やはり愛情の賜物だと思います。

隣街ですが随分と好きになりました。

そう考えると、私が知らない街へ行きたいのは「知らない街⇒知っている街」としたいからかもしれません。

「将棋の駒に 賭けた命」の気持ち、私なりに分かる気がします。物は何も強要してきませんし、手を掛ければ掛ける程よくなるのですから。

こんなことを書くと寂しい人間だとお思いでしょうが、物街大好きで、結構楽しくやっているのです。

■■■『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』2019年9月30日発売に「回遊できる家」掲載

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【News】
『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

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