カテゴリー別アーカイブ: 05 芸術・エンターテイメント

心の庭に水やりを‐1417‐

 今日の明け方は、強い雨音で目が覚めました。

 長男は朝6時過ぎに起きて学校へ行くので、私が目を覚ました時はすでに家をでたあと。

 彼が電車に乗ってすぐに警報が発令され、授業は午後からになったようです。

 遠いから早くにでているのだと思ったら、クラスでも1番か2番に登校しているそう。
 
 高校の時「普段より、1本でも2本でも早い電車で登校してみたら。違った景色が見えるから」と言った先生がいました。

 誰に言われるでなくそうしているのは立派だなあと思っているのです。

 今週の前半は快晴続きでした。

 現在、建て替え計画中の敷地調査に行っていました。

 多くの庭木が育っており、どの木を残すかの打合せも兼ねてです。

 オリーブが大きな実をつけていました。

 こちらは鉢植えなので残すことに。

 愛情をかけて貰っているのが分かります。

 ひときわ鮮やかなオレンジで目を引くノウゼンカズラ。

 近所の公園から少し頂戴し、挿し木をしたとのこと。

 そういえば、周辺を歩いた際に立派なノウゼンカズラがありました。

 勿論このくらいは許される範囲でしょう。

 その公園で、隙間を縫うように生えていたのはエノコログサ。

 通称ネコジャラシは、粟(アワ)の原種で、食用にもなるそうです。

 そういえば、光を受けた様が黄金色に輝く小麦畑を連想させてくれます。

 収穫の秋です。

 先の先生は、最終的には教師を辞め、稼業のお寺を継ぎました。

 担当は数学で「別にこの定義に従う必要はない。自分で新たな定義を発見し、それが正しいことを証明すればいいのだから」と言っていました。

 一風変わった先生だなと思っていましたが、いつも原理原則から説明してくれていたのです。

 春先に種を植えたら、勝手に実がなり秋に収穫できればよいのですが、自然はそうなっていません。

 人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからは、どちらの場合も必ず何かが生えてきます。

 もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。

 20世紀初頭の作家・哲学者、ジェームス・アレンの言葉です。

 必ず何かが生えてくるという言葉に、ある種の衝撃を覚えました。

 また、こうも書いています。

  植物は種から芽生えます。それは、種なくしてはあらわれることはできません。そして私たちの行いもまた、内側に密かにめぐらされて思いという種から芽生えます。

 これもまた、その種がなければ現れることがありません。意識的に行うことでも、無意識に行うことでも、ひとつとして例外はありません。

 心という庭に種をまき、水をまき、日々手入れしなければ、雑草だらけになってしまう。

 しかも、意識的であれ無意識であれ自分の思いが発芽するので例外はない。

 この原理原則を、何とか子供達に、またスタッフに伝えたいと思います。

 しかし、自分が数学の先生の話しを聞けなかったように、人の考えを受け入れるのは難しいことです。

 なら、聞きたいと思って貰えるような立派な人になるしかありません。

 親として、仕事人として道のりはいつも険しいですが、登る先が見えているのは幸せなことだと思うのです。

一歩進むことであってほしい‐1414‐

 日曜日は、母校高槻中学・高校の文化祭定でした。

 ここ数年「頼れる卒業生による無料相談」に参加しています。

 しかし到着してすぐ、台風による警報が発令され、11時50分での中止が決定しました。

 懸命に準備をしてきた生徒にとっては本当に悔しいことでしょう。

 新校舎も完成し、更に工事も進んでします。

 また、今年から男子校から共学にかわりました。

 学校も時代に合わせて変化しなければならない時代なのだと実感します。

 今日は、昼から時間ができたので、娘とJRで京都へ。

 台風一過の快晴でした。

 水族館というリクエストと、昼から、連休の渋滞を避ける、という条件で、京都水族館にしました。

 確か昨年も台風中に訪れた気がします。

 京都駅から歩いていけるというロケーションは重宝するのです。

 ペンギンがあわただしいので、水上階へ上がってみるとエサやり中でした。

 コミカルといえばコミカルですが、食事ショーには微妙な感じもあります。

 イルカショーは梅小路公園を背にしたプールで、夕風に吹かれながら。

 最上部の席でリラックスしながらみました。

 これまで、子供と一緒に沢山のイルカショーをみました。

 ここでは「プー」と呼ばれるストローを割った笛を皆で吹くという演出があります。

 イルカと交互に笛を吹くという場面は一体感があり、なかなか盛り上がりました。

 小学校の低学年くらいまでならまだししも、高学年になれば、行きたいと思うところしかついてきてくれません。

 一方、足水をみつけると、さっさと靴下を脱ぎ入ってしまいました。

 まだまだ子供らしいところと、ここから大人へ向かっていくんだろうなという部分の、両方を持ち合わせているのが9歳、10歳くらいでしょう。

 最近、本当によくわかったのが、怒って何かをさせることはできないということです。

 このくらいの歳になると、いくら怒っても、脅しても、いうことを聞かせるのは無理です。

 あるクライアントがこんなことを言っていました。

 「僕は子供に、できることは何でもしてあげようと思っているし、買い与えていいと思ってるんです。ただ、大人になってからもそれを叶えたかったら、自分で努力してね。そういう考えかたなんです」

 以前は、それは私の考えかたと少し違うなあと思っていました。しかし、最近はよくわかる気がします。

 最終的には、自分がしたいと思うこと以外、行動が持続することはありません。

 ここなら行きたいと思って貰える景色をできるだけ沢山見せてあげるしか、親にはできないのです。

 この点は、考え方を大きく変えたつもりです。

 勿論のこと、私は完成品ではないので、変化しつづけるしかありません。

「一日生きることは、一歩進むことでありたい」

 日本初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士の言葉です。

 できれば、それが進歩であってほしいと願うのです。

座辺師友、環境こそが師‐1405‐

  京都へ行く際は、阪急電車にかぎります。

 他の電車より、景色とシートが京都気分を盛り上げてくれるのです。

 どのくらいの人が賛同してくれるでしょうか。

 京都現代美術館で、9月24日まで「北大路魯山人展」が開催されています。

 この美術館は何必館(かひつん)といい、館長が「何ぞ必ずしも」と定説を常に疑う自由な精神を持ち続けたいと名付けたそうです。

 ちらと寄ってきました。

 少し東へ行けば八坂神社。

 すぐ南には祇園、花見小路。

 京都の真ん中に、こんな美術館があったとは知りませんでした。

 朝一番に訪れたのですが、京都の夏は暑い。

 しかし、浴衣姿の女性が多いのは目にも涼やかです。

 北大路魯山人は、1983年、京都上賀茂神社の社家に生れました。

 陶芸家、書家、篆刻家、そして美食家。

 漫画「美味しんぼ」に登場する海原雄山のモデルとされています。その批評は極めて鋭いがゆえ、敵も多かったようです。

 以下は、何必館館長のことばです。

 傲慢、不遜、非常識と、生前の魯山人を知る人々は激しく罵る。彼の美における断罪の激しさは、そこに徹底した純粋さを求めるがゆえの、無邪気とさえいえる優しさの表現だった。

 魯山人の作品を、一度にこれだけ見たのは今回が初めて。

 特に焼き物は、彼の多彩さが一目でみれとれます。

 織部、備前、志野、青磁、楽焼となんでもありに見えますが、いずれも遊び心があり、対象となるものが映えるだろうと思います。

 何と表現すればよいのか、こちらが感情移入する余白を残していると感じます。例えるなら、古典音楽と流行歌の違いのような。

 白洲正子の著書「ものを創る」にはこうありました。

 結局、魯山人の芸術の特徴は、その素人的な所にあったと思います。素人というと、誤解を招くおそれがありますが、技巧におぼれず、物のはじめの姿というものを、大づかみにとらえていた。

 物を見る(うぶ)な眼と、職人の(熟練した)手というものは、中々両立しないものですが、その両方を備えていたといえましょう。

 写真撮影は禁止でしたが、館を出て扉越しに1枚撮ってみました。

 織部と備前の花瓶です。

 織部は鮮やかな緑に大胆な造形、備前は控えめに色つけがなされていました。

 魯山人は、身の回りに優れた美術品を常に置き、自らの眼を鍛え、先人の工夫を必至に学んだといいます。

 身の回りの環境によって人は作られるという考えを、座辺師友(ざへんしゆう)という言葉で表しました。

 魯山人がそうしたように、できれば身の回りの全てのものを自分が納得するものだけに囲まれて暮らしたいものです。

 「城陽の家」のクライアントは、気に入ったテーブルを買えるお金が貯まるまで、地べたの食事もいとわないといいました。

 納得できる机を買ったのは、竣工から2年程経った頃だったでしょうか。

 座辺師友。

 こういった言葉を、特別なことだと思わないようにしたいものです。

 夏の京都。

 路地の影が、人を誘います。

 しかし、館をでるころにはこの人出。

 行くなら朝一番に限ります。

日本一の境地なり‐1402‐

 台風5号は、今日の夕方にも和歌山に上陸するようです。

 今日と打って変わって、昨日は1日よい天気でした。

 夏休みにはいり、退屈そうにしている娘が海遊館へいきたいと。

 夕方から出掛けたのですが、それなりの込み具合でした。

 おきまりのスタンプラリーも完成です。

 天保山界隈にも「大阪港開港150年」のフラッグがあちこちに上がっています。

 そのスタンプラリーもあるようで、回ってきました。

 まずは天保山・築港エリアで3ヵ所。

 うちの1つは築港赤レンガ倉庫です。

 新聞でクラッシックカーミュージアムが人気という記事を読みました。

 各地に赤レンガ倉庫は沢山あります。

 大阪も150年の歴史を誇る港町。当然このような場所もある訳です。

 すぐ近くには名門、井桁マークのついた赤レンガ倉庫。

 この古びた感が、何とも歴史を感じさせるのです。

 天保山エリアをクリアしたら、今度は川口エリア。

 こちらも3ヵ所あり、地下鉄阿波座駅周辺です。

 開港と同時に、外国人居留地として発展したのが川口です。

 大阪の近代化はここから始まりました。

 函館、横浜、神戸、長崎の居留地は訪れましたがここは初めて。意外に知らないものです。

 川口基督教会は1920年の建築。

 居留地時代の面影を残しています。

 最後のポイントは中之島漁港

 大阪中央卸売市場の南にあり、「港と街を直接つなぐ鮮魚取引所」とあります。

 魚介類を買ったり、その場で食べることができる、新しい漁港を目指す民間企業のよう。

 スタンプラリーの最後としては、ややしまらない感もありますが、食事処としては面白そうな施設でした。

 地名としては、 室町時代に石山本願寺を建てた蓮如上人の文章に「大坂」とでてくるのが初めと大阪市のwebサイトにあります。

 当時の文献には「大坂」とも「小坂」ともあり、いずれも「オサカ」と発音されていました。

 現在の大阪城が建つ位置にあった、石山本願寺をどうしても欲しかったのが信長です。

 本願寺法主、顕如と激しく戦いを繰り広げたのですが、あの信長が退けられ続けました。それほどまでに、石山本願寺の立地が素晴らしかったのです。

 信長はこういっています。

 大坂は凡そ日本一の境地なり

 最終的に、秀吉によって大坂城は築かれました。そして、安土桃山時代から、昭和初期までの大大阪へと繁栄は続くのです。

 八百八橋を誇るとおり、水運によって栄えた街なので、海、川とは切っても切り離せません。

 自動車、飛行機の発展で、水運への依存度も変わってきました。それでも、港町ということばに、ある種のノスタルジーを感じます。

 港街大阪。街にも色々な側面があるものです。

 反対に言えば、人にしろ街にしろ、1つのイメージで片付けようとしていないのだろうかとも思うのです。

「どうせ」はやめた‐1364‐

 先週の金曜日、中高の先輩に声をかけてもらい、京都へ行っていました。

 20歳ほど上の先輩が、2件目に連れていってくれたのが「カルシウムハウス」

 京都で35年続くニューハーフのショーパブです。私も名前くらいは聞いたことがありました。

 こちらのオーナー、梶子ママはかなりメディアに露出しているそうで、高槻中高の先輩でした。

 何期上かは彼女(彼?)の商売柄を考えて控えておきます。

 お土産にもらった、「なにわのおばちゃん&おネエの牛すじカレー」。

 右が梶子ママです。

 見た目は美しいですが、声は完全に酒やけしたダミ声。もちろんそれも商品のはずですが。

 その翌日、ご一緒したその先輩から、「ビフォーアフターに 貴兄が出てますね」とメールをいただきました。

 土曜日の午後2時から、「住之江の元長屋」の再放送があったようです。地上波放送は今回で3回目だったと思います。

 テレビ局側から再放送に関して連絡はないので、全く知りませんでした。

 放送後「 明かりも大切ですが、私は 風が抜ける設計を評価しますね。 通風性の重要さを思い付かない方が多いし、解決策が 見事です」とメールをもらいました。

 ニューハーフのオーナーママあり、建築好きの税理士ありと、改めて母校の奥行きを知ったのです。

 この春から、長男が中学校へ行きます。

 部活は必須だそうで、候補にしている卓球を一度やってみようとなりました。

 妻がカミ卓球場というところを見つけてきました。

 加美は平野区なので、車で5分くらい。

 また、2006年の作品「加美の家」も近いので土地勘はあります。

 住宅っぽい門扉の先にあるのは元作業場のよう。

 それらを改修し練習場となっていました。

 中には卓球台が4台ありました。3人で2時間借りて3000円。

 子供達は、実家にある小さいテーブルで練習を重ねているそうで、思った以上でした。

 長男は左打ちなので、結構いけるかもしれません。

 娘も負けず嫌い感をだして頑張っていました。

 壁には、福原愛、石川佳純、伊藤美誠とオリンピック選手の色紙や写真が飾ってありました。

 こちらのコーチは、先日結婚した福原愛ちゃんの練習相手をしていたそうです。

 ここで練習していたのかは分かりませんが、トップ選手ながら、卓球をとりまく環境も楽ではないのだろうと想像します。

 ベスト4まで進み、盛り上がりを見せていたワールド・ベースボール・クラッシク。予想以上の活躍を見せ、注目を集めたのが巨人の小林捕手です。

 彼の談話が載っていました。

 「『どうせ』って言うのはやめました。僕は下手くそなんで必死にやるだけ。がむしゃらに。それだけです」

 巨人のレギュラーである小林捕手にしても、超エリート集団にはいると「どうせ」と言いたくなるのです。

 ということは、どんな分野の、どんなレベルであれ、同じことが起っていると想像できます。

 入社試験を1日で辞退。

 それは個々の生き方なので自由です。

 イエール大学の建築学科卒なら別ですが、エリート街道という言葉がある通り、私達に舗装道路など残っているはずがありません。

 でこぼこで水たまりだらけの泥んこ道を行くしかないのです。

 大した努力もしてきていない非エリートの私達が口にしてよいのは「どうせ」ではありません。

 「せっかくなら」以外ありえないのです。

あべれいじ‐1359‐

 20代の後半、まだ競技スキーを本気でやっていた頃のことです。

 土曜日の夜、仕事が終わると信州のスキー場へ向かいます。

 昼過ぎに試合が終わり、大阪への帰路は500kmほど。帰りの中央道はFMを聴きながら車を走らせます。

 午後の日差しが眠気を誘うなか、DJは山下達郎、松任谷由実、福山雅治の順だったでしょうか。

 そのあと、ちょっとコミカルなラジオドラマがありました。

 2月のスキーの帰り、未だに続いていると知ったのです。

 「NISSANN あ、安部礼司」というタイトルらしく、サイトをみるとこうありました。

 この物語は、ごくごく普通であくまで平均的な45歳の安部礼司がトレンドの荒波に揉まれる姿と、それでも前向きに生きる姿を描いた勇気と成長のコメディである。

 昭和46年10月10日生45歳

 ご存知!Mr.フツー。仕事も恋も家庭も友情も、大事なことはすべてマンガから学んだと豪語する平成のお気楽サラリーマン代表。iPodには「今さらツボなセレクション」と題された懐かしい楽曲が2万曲近くも入っている。

 冬の黄昏時、ちょっと楽しみにしていたのを覚えています。

 静岡市出身の45歳、身長172cm。安部礼司=Average。作り手が思う、平均的日本人がよく分かります。

 「あ、安部礼司」は ” a   average  “か。面白いタイトルです。

 先日、元商社マンで、現在外資系の会社で働く人がこんなことを言っていました。

 「中国の平均年収は未だ日本より低いが、とびきりの金持ちが沢山いるだろう。インドネシアなんかも同じ構図だよ。平均という言葉がナンセンスだね」

 確かに、と納得したのです。

 北海道と沖縄。

 春と秋。

 夏と冬。

 都心部と農村部。

 平均することに全く意味はありません。

 「偏差値50」「一般的には」「平均寿命」と、それでも人は平均を意識するもの。勿論私も同じです。

 花をみて、どうして人間はこうも比べたがる?と槇原敬之は問いますが、やはり人間だからでしょう。

 そこから解き放たれたいし、張り合いのために基準を持っていたい。とかく人の心は複雑なのです。

人類は進歩などしていない‐1325‐

 11月も中旬に入り、山間部では紅葉が見頃でしょうか。

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 昨日は万博公園に寄りました。

 盛りの一歩手前というところでした。

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 それでも、日当たりの良い樹は見事な朱に染まっていました。

 現在太陽の塔を管理する大阪府から、内部公開を可能にする為、改修工事に入いるとアナウンスがありました。

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 最後の内部公開の様子が新聞に載っていましたが、出来ればオリジナルの内部をみておきたかったというのが本音です。

 後悔先に立たず、です。

 すでに、足下には柵ができていました。

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 太陽の塔には3つの顔があります。

 頭頂部の顔は「未来」を表現しています。

 特殊な金色のフィルムが貼られており、上に伸びるのは避雷針です。

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 万博開催時には、レーザー光線が目から出ていたそうです。

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 正面の顔は「現在」を表します。

 この顔は、先日も紹介した全自動洗濯物折り畳み機を発表したセブンドリーマーズのグループ会社、スーパーレジン工業が製作したものです。

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 赤のライントはイタリアのガラスモザイク。

 一体これが何を表しているのか分かりませんが、躍動感を与えています。

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 そして、背面の顔は「過去」を表します。

 こちらは信楽焼きのタイルで表現されています。

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 切れ長の目で、薄く微笑んでいるようにも、怒っているようにも見えます。

 過去の顔は、初めてまじまじと見てきました。

 控えめに盛り上がる鼻筋など、見入ってしまう程の美しさ。太陽の塔は大きいので、なかなか裏まで回る機会がなかったのですが。

 1970年、大坂万博のテーマは「人類の進歩と調和」でした。

 しかし、岡本太郎はこれを真っ向から否定しました。

 「人類は進歩なんてしていない」

 「縄文土器より、土偶より美しいものを現代人はつくっていない」

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 お祭り広場を設計した丹下健三は、すでに世界的な名声を手にしていました。

 巾150m、長さ350mの世界でも類をみない大屋根を設計し、その下にパビリオンを収める計画でした。

 現在もお祭り広場の位置に、その一部が保管されています。

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 しかし、岡本太郎はその屋根を突き破る、高さ70mの巨大な塔を提案しました。

 岡本太郎は「本当の調和とは、フェアにぶつかりあうことだ」と考えていたのです。

 お祭り広場にある地下トイレは、おそらく当時のままだと思います。

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 46年の年輪を感じさせます。

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 壁に、当時の写真が飾られていました。

 現在、万博公園に残るのは太陽の塔だけです。

 建築設計に係るものとしては一抹の寂しさはありますが、丹下はそれも理解の上、岡本案を受け入れたのかもしれません。

 人の能力は石器時代より衰えているとも言います。

 毎日が生きるか死ぬかの戦いをしていた彼らより、現代人の能力が落ちるのは、至極当然かもしれません。

 当時より、生きることは容易くなったかもしれませんが、幸せや充実は増しているのか。

 岡本太郎が言いたかったのはそんなことなのかもしれません。

 情熱を爆発させるのに、条件も時代も場所も関係ないのだと彼の声が聞こえるようです。

 知った風なことを言うなと怒鳴られそうですが。

絵コンテ‐1307‐

 週末、夕食後は出来るだけ映画を観るようにしています。

 一番人気の「名探偵コナン」は、全て観終わりました。「ドラえもん」の映画シリーズもほぼ完走。

 いよいよ宮崎アニメに入りました。

 満を持してと言えば良いのか 「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」を2周続けて観ました。

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 ナウシカを解説する必要はありませんが、1984年に劇場公開された宮崎駿監督のアニメ映画です。

 特典として絵コンテがついていました。

 ここに載せてよいものか迷いましたが、載せてしまいます。

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 絵コンテは、映画の設計図なのでストーリー、キャラクターが皆に分かるよう描かれたものです。

 初めて見たのですが、絵コンテの状態でここまでイメージが出来上がっているものかと、驚嘆しました。

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 世界最高峰のアニメーターで、ストーリーメーカーである宮崎が描くものなので、素晴らしいに違いないはずですが、ここまでのものとは。

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 ラピュタは1986年、スタジオジブリの初作品。

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 私の最も好きな映画のひとつです。

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 冒険、ドタバタ、使命感、友情と愛情。

 ありとあらゆるものが、最高の物語として描かれていると思っています。

 アニメは全て人の手によって創られるものなので、答えは絵コンテしかありません。

 考えてみれば当たり前ですが「ここまで絵コンテ通りに創られているのか」と驚いたのです。

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 子供達も、圧倒的に楽しんでいました。

 しかし残念なことが一つ。長男は、なぜか「ムスカ」や「バルス」を知っていました。

 今時、YouTubeで公開されていると言います。彼はスマホを持っていないのですが、友人から聞いたと。

 小学6年になり、当然色々なことを知って行きます。無菌培養などあり得ないので、こんなことはいくらでも起こるでしょう。

 しかし、下の娘も楽しめて、初めて観るタイミングを計っていたのは事実です。当たり前ですが、初めては1回しかないのです。

 楽しみにしている映画があったなら、予告編は目をそらします。近ごろは、感動、感激を少なくすることばかり起こると言えば、言い過ぎでしょうか。

 知ることは可能性を広げます。

 しかし、建築家、ミース・ファン・デル・ローエの50年以上前の言葉が更に迫力を増して聞こえてきます。

 Less is more. (少なきことは豊かなこと)

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 動画ではない、宮崎の絵コンテのほうが美しいと言っても、間違いではない気がします。

 改めて、その力量に感服するのです。

子供はなぜスタンプラリーが好きなのか‐1304‐

 今年の大河ドラマは「真田丸」。

 我が家の子供も、日曜の夜を楽しみにしています。

 大阪市交通局は、現在「幸村が駆け抜けた大坂スタンプラリー」というイベントを開催中です。

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 完成には幸村ゆかりの地、大阪市内6か所のスタンプが必要になります。

 真田好きとしては、勿論一通り訪れていますが、最後の1つが全興寺(せんこうじ)とのことでした。

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 平野区にある全興寺は、これまでに何度か紹介しました。

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 6世紀後半、聖徳太子が建立した仏閣で、大阪に初めて出来た集落は、この平野だとも考えられているのです。

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 最後のスタンプを押し、何日かに分けてスタンプラリーを完走しました。

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 無事6つ揃ったので、景品交換所のある地下鉄平野駅へ。

 「六文銭」の入ったハンドタオルを貰いました。

 これまで色々な所へ連れて行きましたが、兄妹が一番喜んだ旅は、境港でのスタンプラリーだったと思います。

 境港の水木しげるロードには沢山の妖怪の像があります。

 それを頼りに、購入した「妖怪ガイドブック」にスタンプを押して回るのですが、100万部を売り上げたとありました。

 子供のスタンプラリー好きには、我が家に限ったことではありませんでした。

 もし、平野駅に6つのスタンプがあったなら、これ程執着することはないでしょう。

 反対に、日本全国を回るなら、こちらが諦めてしまいます。

 更に、ご褒美を貰えることが、子供心をくすぐります。

 しかし、ハンドタオルには貰った瞬間から興味が失せています。また、どんな景品であったとしても、子供が文句を言ったことはありません。

 簡単では駄目。難しすぎても駄目。ある程度の苦労を伴い、ご褒美があり達成感が味わえる(と期待できる)。

 面白いのは、ご褒美にその達成感が比例しないことです。

 いや、分からないというのが、最も価値あるご褒美なのかもしれません。

『住人十色』取材打合せの場面にて‐1297‐

 先週土曜日は、「阿倍野の長屋」へ行っていました。

 5月の見学会以来ですが、 今回は、毎日放送『住人十色』の取材打合せでした。

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 ご主人は仕事中で、まずは奥さん、ご主人のお母さんが、ディレクター、構成作家と打合せです。

 6月に、番組の方から連絡があり、その後、7月後半に取材決定となりました。

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 私が居なくても全く問題ないですが、クライアントから「出来れば立ち会って欲しい」と。

 3時間半同席させて貰いましたが、テレビとは本当に多くの時間を掛けて製作されているメディアです。

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 そうこうしているうちに、ご主人が戻って来てくれました。

 忙しいし仕事の合間を縫っての帰宅で、感謝しかありません。

 オンエアが終われば「とても良い記念になった」と言って貰えると思いますが、この時点では、負担と不安しかないはずです。

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 3ヵ月振りに会うお子さん2人も、初めこそ盛り上がってくれます。

 しかし、大人の都合ばかりで、間違いなく退屈。

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 お兄ちゃんはお気に入りの場所で、ゴロゴロして本を読み始めました。

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 すると、奥さんがプラバンをお子さんに渡し、兄弟はお絵かきを始めました。

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 それをオーブンで焼き、縮んだところを見計らって、すぐに分厚い本で挟みます。

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 少し冷ますと、プラバンキーホルダーが出来上がりました。

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 次男君が飽きてきたら、光庭のプールで水遊び。

 「これが一番長持ちするんです」と。

 全て、取材を受けながら、更に子供にご飯を食べさせながらです。

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 他人の私から見れば、広い視野をもち、てきぱきと神業のようでした。

 奥さん方はいつもこのような事をしている訳です。しかし、男は仕事に出て、普段それを見れないのです。

 改めて関心した男性は、今日、奥さんに感謝の意思を示しましょう。

 恐らく、私は一番出来ていない部類ですが。

 リサーチャーの方によると、「住人十色」には、年間1000から1500件程オファーがあるそうです。その中で選んで貰ったのは、とても嬉しいことです。

 番組のサブタイトルは「家の数だけある家族のかたち」。それが上手く伝われば良いなと思います。 

 放送は10月15日(土)の予定で、レポーターは、有名な女性タレントの方だそうです。

 どんどん宣伝して構わないとのことで、取材の様子も含め、追って報告して行きます。