カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

フェリーで行く福岡‐1088‐

 今年の夏休みもフェリーの旅になりました。

 13日(水)の夕方、南港を出港。

 6時ころ、明石大橋を通過しました。


 今回は個室がとれました。

 乗船時間は12時間。

 子供たちにとっても、私にとっても、この時間が一番ゆっくり出きる時間かも知れません。

 船室の窓から景色が見えるこの幸せ。


 早朝に新門司に到着。

 その足で門司に寄りました。

 レトロの町、門司にはアルド・ロッシのホテルと黒川紀章のタワーマンション。


 子供たちが勉強を好きになってくれますように。

 まずは太宰府天満宮へ。賽銭も普段よりやや多めにしておきました。

 参道にあるスターバックスものぞいてきまいした。隈研吾設計の設計です。

 杉の角材を組み合わせた装飾が圧巻でした。

 帰りがけには菊竹清訓設計の、九州国立博物館。

 以前、出雲大社横でみた菊竹の狂気とは、まったく異次元の奔放さでした。

 博多へ移動して昼食。

 博多ラーメンはるるぶ情報のみ。博多一幸舎大名本家へ。少し並びましたが、すぐに入店。

 初めて替え玉を経験しました。つけ麺も初体験でしたが、これがなかなか。

 郊外にある、アイランドシティへも足を伸ばしました。「ぐりんぐりん」は伊東豊雄の2005年の仕事。

 うねるコンクリートスラブの下にある温室。上部も緑に覆われています。

 スラブには大きな開口があります。

 外と中の区別があいまいになって行くのです。

 自由、アグレッシブ、先進的。

 隈研吾、伊東豊雄は、時代の一番前を走る建築家です。

 それに、ロッシ、黒川紀章、菊竹ともうフルコース。

 福岡は建築がいいと聞いていましたが、これほどとは。刺激的でした。

 知らない辻を曲がる時のこのときめき。今からは夜の博多を歩いてきます。

うどんと建築、讃岐詣で & 讃岐うどんの名店Ⅵ‐1085‐

 母方の祖母が亡くなったのが今年の1月5日。

 初盆には少し早いのですが、岡山、香川へ墓参りに。


 父母、弟家族をあわせて11人の団体旅行です。

 宿は小豆島に取っていました。

 日曜日の朝食前、皆で釣りに出ました。バタバタしているうちに、カメラがボトリと水中へ。

 情けないことに定期的に水没させています。今回は1年半でした。


 よって、写真は弟からの貰ったデータです。

 しかしこの写真だけはwebサイトから拝借しました。

 道中の高松にある、香川県立体育館です。

 1964年、国立代々木競技場と同時期に完成した丹下健三の代表作。

 耐震補強の応札がなく、この9月で使用停止が決まりました。

 この日の四国は記録的な大雨。右端に突き出た鼻のような部分から、滝のように雨水が落ちていました。

 高度成長期の日本。丹下が一番前を走っていた時代がビリビリと伝わってきます。圧巻でした。

 保存か解体か、という論議になっています。これほどの建築が簡単に出来ることはありません。天井が低いなら、保存というよりは、用途を変更しリユーズするのが良いのではと思います。


 小豆島は安価なフェリー料金を設定し、観光客を誘致しています。

 四国への橋ができ、何とか立ち寄って欲しいという事です。

 まずは壺井栄の「二十四の瞳」の舞台、岬の分教所へ。


 1日2回、干潮時に現れるエンジェルロード。


 150年は続く醤油蔵ヤマロク醤油

 醤油蔵内まで見せて貰えます。

 醤油は勿論、醤油アイスも美味しかったのです。


 小豆島を4:00pm頃でて、7:00pm神戸港に到着。

 天気はあいにくでしたが、その分スケジュールはゆっくりでした。


 今回の名店めぐりは、山越えうどん。噂に違わぬ繁盛振りでした。

 かまたま(釜揚げ卵いり)1玉250円。

 建築を学ぶ学生の間に「讃岐詣で」という表現があります。

 詣でるべき建築が沢山あるのですが、うどん名店巡りと共に、私の楽しみです。

一番時間を持っている人‐1084‐

 29日(火)は、朝から滋賀の家の完了検査へ。

 少々てこずりましたが、無事合格しました。

 その足で、セブンドリーマーズ銀座ギャラリーへ。芝公園ラボと2日続けての撮影でした。

 いずれも、現場日記にUPしたいと思います。水曜はあき時間があり、朝から小金井へ。

 小金井には「江戸東京たてもの園」があります。

 目当ては前川國男の自邸です。

 左右対称のシンプルな平面構成。

 中央の吹抜けが圧倒的な開放感を付加します。

 名作と言われる住宅には「大き過ぎない」という共通点があります。「落水荘」しかり「ファンズワース邸」しかり。

 スケール感という言葉で表現されますが、これが建築家にとっての生命線です。

 園には、古民家も移築されています。

 縁側に扇風機。

 軒先には風鈴。

 まさに日本の夏です。

 小金井へ行った際、宮崎駿のスタジオジブリも見てきました。古民家から、世界的なアニメーションスタジオまで、東京には何でもあります。

 自分のすべき事をきめること。

 反対に言えば、それ以外を捨てる勇気こそが最も重要なのだと思います。

 宮崎駿は以前「私はマルチを信じない」と言っていました。その言葉通り、建築は建築家に任せたほうが、良かったのでは。これは正直な感想です。

 アニメーターが日々画を描くように、設計者は日々空間、その寸法と向き合っています。

 プロとは一番沢山時間を掛けられる人。これが私の持論です。

出掛けたくなるニッポン‐1073‐

 この春は、例年に増して奈良の湖へと出掛けました。

 下北山村まで、大阪から2時間半。

 道がよくなる以前は、3時間以上掛かりました。

 自然との一体感を求め、山道を走ります。

 もう100回は往復したでしょうか。

 その道中、日本の道路建設が、いかに困難かを実感します。大雨で一車線が陥没。復旧作業をしながら、片側を車が通行します。

03

 このような所が、途中3箇所。24時間、交通整備に人が立ちます。

 日本でなければ、簡単に通行止めになるのではと思います。

 2011年の夏休み、ニューヨーク、シカゴをまわりました。

 うち一日は、フランク・ロイド・ライト設計の落水荘へ。

 レンタカーで早朝ニューヨークを出発

 色々ありましたが、何とか見学出来ました。

 N.Y.からペンシルバニアまで約8時間。高速代は10ドルしなかったと思います。

 長野までスキーに出掛けると高速代は約1万円。他の国より多少高いのは理解できます。

 しかしこれらは、関所の発想から来ているのではと思うのです。

 「入鉄砲に出女」で表される通り、人、物の動きを制限するのが関所の役割。これでは観光立国など、夢のまた夢です。

 行動はつねに新しい体験を生みます。目指すは、出掛けたくなるニッポンのはず。どこまで行っても1,000円時代が懐かしい。

竜馬、鰹、過去未来‐1060‐

 GWの愛媛、高知の旅。

 前回は、四万十川を巡るところまで書きました。

 東へ車を走らせると、高知市内に入ります。やはり竜馬は外せないので、まずは桂浜へ。

 司馬遼太郎好きですが、「竜馬がゆく」を読んだのは30歳の頃。その頃、私は仕事を1年休み、海外へ出掛けたりしていました。

 彼の人生は32年です。

 激動の人生を駆け抜けた様を知り、焦りを覚えました。今も焦りはありますが、日々ベストを尽くす他ないと腹はくくっています。

 高知出身の先輩に「地元の人間もひろめ市場はよく行く」と聞いていました。

 南国特有のおおらかな空気を感じます。ベトナムやタイの市場を思わせる雰囲気もあり、気分は盛り上がります。

 中でも、明神丸の鰹は絶品でした。

 GWの混雑でしたが、席を譲ってくれた家族がいました。

 「あれは食べた方がいい」と勧めてくれました。

 鰹のハランボは売り切れごめんだそう。

 トロのような部分なのか、脂がのっていて、別次元の美味しさでした。

 塩たたきは、その名の通り塩だけで頂くもの。

 この粗塩が、新鮮な鰹の味を引き立てます。1本釣りの鰹だけを使っているそうです。

 美味しいとは聞いていました、ここまで違いがあるものかと、圧倒されました。

 これだけでも、高知へ来た甲斐があります。

 最終日、フェリー乗り場のある愛媛へ戻ります。

 別子銅山のことを知ったのはこの1月。祖母の葬式の際でした。その近くにある、神社が祖母の親の出身だと聞いたのです。

 以来気になっており、「東洋のマチュピチュ」というフレーズを知りました。

 標高750mに広がる、日本最大級の銅山跡で、産業遺産として保存されているのです。

 ただ、ここ至るまでの道が極めて狭く長い。

 もしこの道幅を知っていたら、行かなかったかも。その位、離合が大変でした。

 昭和43年に閉山されたのですが、多くの建物が残っています。

 変電所跡も当時のまま。

 壁が剥げ落ちてはいますが、ぬっと人がでてそうな雰囲気です。

 最盛期はこの山奥に3600人の関係者家族が暮らしていました。

 ここは住友が民間一社で採掘をしていた稀な銅山で、小学校、中学校もありました。子供たちをしっかり教育すれば優秀な人材が生まれ、何代にも渡って、彼らが住友を支えてくれたそうです。

 床に転がるビールの空き缶。

 「子供の頃見た、アサヒビールのロゴはこんな感じだったな」と思い出します。

 旅は、自分の過去と向かい合い、未来を見つめなおす機会でもあります。次にまとまった休みを取れるのはお盆でしょうか。

 家族旅行、47都道府県制覇を目指します。

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最後の清流に見る‐1059‐

 今年のゴールデンウィークは、愛媛、高知を回っています。

 四万十川沿いを走っていると、鯉のぼりの群れ。

 今日は端午の節句。

 子の健康と成長を願うのは、誰しも同じです。

 3日(金)の早朝、フェリーは東予港に到着しました。

 松山までは高速で1時間かかりません。

 3千年の歴史を誇る道後温泉は、夏目漱石らも愛した古湯です。

 松山は、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の舞台でもあります。

 そのミュージアムは、安藤忠雄設計です。

 その晩は、宇和島泊。

 藤原純友が考えたとも言われるのが鯛めし。

 刺身を生卵の入った出汁にからめて、ご飯と一緒に。ようは海賊料理なのです。

 翌日は、四万十川を遡りながら、高知を目指します。

 最後の清流、四万十川。何ともノスタルジックな響きです。

 沈下橋のある景色で知られますが、最も美しいとされるのが岩間沈下橋。

 これらは生活道路です。

 大雨の時に流されないよう、欄干がありません。

 しかし、はるか上空に建設すれば、こういった形状にする必要はないのです。

 少し走れば多くの沈下橋を目にします。

 上流部にある向山橋は、昭和38年架橋とありました。

 これほど薄い橋は見たことがありません。

 機能美と言えるところまで昇華しており、自然と融和しているように見えるのです。

 ミニマリズム、簡単に言えばもったいない主義。

 自然との共生を、最後の清流に見た気がします。

OSAKA‐1050‐

 JR大阪駅の発着メロディーが、「やっぱ好きやねん」になるとありました。

 今年1月に亡くなった、やしきたかじん。その代表曲が、5月から環状線で流れるそう。この曲、私も大好きです。

 彼が亡くなり「関西の視聴率男」と呼ばれていたと知りました。関東で流すなら、番組には出演しない。

 それを「気骨がある」と言って良いかは微妙ですが、信念があるのは確かです。

 たかじんをしのぶ会だったか、安藤忠雄が話す姿が新聞に載っていました。

 あなたが亡くなって、大阪は少し元気がなくなったような気がします、という挨拶でした。

 「世界の安藤」と言われるようになっても、大阪に事務所を構え続けた彼はこう言っています。

 大阪が私を育ててくれた。その大阪に恩返しがしたい。大阪からでも世界で戦えることを示したい。

 茨木にある「光の教会」を初めて訪れたのは31歳の時です。

 1年間の長期休暇を終え、私としては意を決して見に行ったのです。

 今までおよそ50人のクライアントと仕事をしてきました。9割以上が関西の方。安藤を気取るつもりはありませんが、自由を尊ぶ大阪でなければ、ここまで仕事があったとは思えません。

 江戸時代、キリスト教を禁じた幕府は、踏み絵を行います。自分の信心を曲げるなら死を選んだ人が多くいました。それほどまでに、信じる心は強いのです。

 たかじん、安藤とも、信念の人。岩おも穿つ信念があれば、多くの夢は実現すると示しています。

 大阪では、このような人達を敬意を込めて「ヘンコ」と呼びます。

 事務所の場所にこだわるのではありません。ただ、私も立派なOSAKAヘンコメンタリティを受け継げますように。

日本一の田舎‐1013‐

 11月も下旬になり、紅葉もピークでしょうか。

 どこがいいかなと思案した結果、京都府美山町へ行くことにしました。

 モミジと茅葺屋根のある景色はなかなかいいだろうなと。

 美山町北村という集落は京都の北にあります。

 岐阜県の白川村荻町、福島県下郷町大内宿についで、茅葺の建築数は日本で3番目だそう。32棟が残っています。

 紅葉の盛りはややすぎていたでしょうか。それもで、日本の原風景が守られています。

 原風景と書きましたが、勿論、これらは自然に残るものではありません。

 茅葺の職人は、ここでもかなり不足していました。

 集落で「有限会社かやぶきの里」という法人をつくり、村として保存の取組みを続けています。

 その結果、ここから育った茅葺の職人が、全国で活躍するようになりました。

 休日にも関わらず職人が、茅を切りそろえていました。

 子供達も、あぜ道を歩く機会さえ、なかなかありません。

 何かが生える硬さと、何も生えない硬さは、生命感が全く違うものです。

 軒先では、お婆ちゃんが2人。

 この村でも65歳以上の占める割合が、50%を超えています。こう言った集落を「限界集落」と呼ぶそうです。

 「自分達も、どこまでこの景色を残せるか分らない。しかし、日本の原風景を残すため、軒先で物を売るのは辞めている」と地元の人が話ていました。

 こういった村を維持するには、多くの人が繰り返し来てくれるかに掛かっているとも。

 「日本一の田舎」と言うコピーには、思わず笑ってしまいました。しかしその文句に偽りなし。

 訪れたことの無い方は是非。

ビッグスター‐1012‐

 嘘は絶対駄目です。

 嘘をつくと、それを覚えておく必要があります。ある時、これはかなり面倒だと気付きました。言ってみれば、頭がドライブの重いパソコンになったようなもの。

 全てにおいてマイナスしかありません。という事は、勿論嘘をついた経験があるということですが。

 先週末、出雲ので建築家展が終わったあと。

 電車まで少し時間がありました。

 一緒にイベントに出ていた建築家と「ちょっとラーメンでも」という話になりました。

 駅前を4人で歩いていると、いい感じの屋台を発見。

 中に入ると更にいい感じ。

 ベニヤにマジックで書かれたメニューには、ラーメンが500円、おでんが100円とあります。

 おばちゃんがおしゃべりとくれば、もう完璧。

 ささやかな打ち上げになりました。

 おばちゃんもエンジンがかかり、いろいろな話しをしてくれます。

 前日、タレントの博多華丸・大吉が来ていたそうです。屋台が大好きだそうで、ベニヤにサインもありました。本当に感じが良かったそうです。

 ひとしきり盛り上がったあと「そろそろ時間なので」と立ち上がると、ひとりに向かって「あれ、あんたもタレントさん?」と言い始めました。

 その方はとてもおしゃれで、かなり恰好がいいのです。全員が、大きな荷物を持っていたこともあってか「ああ、絶対そうや」と。

 冗談で言ってる感じではなかったので、その方が「ええまあ。韓国の方ではちょこちょこと」のような事を言ったのです。

 「ああそうや、やっぱりビッグスターなんや」と言いだしたのです。店を出ると、背中にむかって「まて来てや~」と。

 覚えておかなくて良い嘘は、ジョークと言う。

 お後がよろしいようで。

ズルズルとうどん県‐1003‐

母の郷里、香川へ帰っていました。

生憎の雨でしたが、祖父の13回忌だったのです。

7回忌から、あっと言う間に6年が経ちました。

最近の自治体は、自らの売り出しに熱心です。しかし、うどん県は想像以上にうどん県。

法事の前、住職、来訪者にまずうどんを出すのです。

皆でズルズルとやって、初めて法事が始まります。全くお茶を出す感覚。

長い読経のあと、線路沿いの墓地まで歩きました。とても真面目な祖父で、87歳まで生きました。

時々うどんを打ってくれたものです。

今月初め、鞆の浦へ行きました。その際、デイサービスからお年寄りが「ふるさと」を合唱するのが聞こえてきました。

生まれも育ちも大阪の私にとって、故郷とは。毎夏休みを過ごした、香川と岡山でしょうか。

志を果たして帰らん。水は清き故郷。

間もなく90歳になる祖母も、ズルズルと。うどん県はうどん県なのです。