カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

銀座 ‐997‐

 今日で9月も終わり。

 1年でも最も気持ちの良い季節になりました。

 昨日は天気も良く、グランフロントのイベントには、多くの来場がありました。

 こういったイベントの1回目は、人出が少ないのが普通です。通りがかりの人を含めてなので、さすが大阪の中心というところでしょうか。

 今から新幹線で東京へ向かいます。あくまで計画段階ですが、ある店舗のプロジェクトに声を掛けてもらいました。

 その計画地が銀座です。

 銀座と言えば、商業の中心地。中でも4丁目界隈は日本で最も土地の高いところです。

 2013年の公示地価で1㎡が2700万円。1坪(3.3㎡)なら約9000万円です。

 武道家が、こう行っていました。

 極意とは、非常時における平常心、平常時における非常心である

 土地が高いからと言って、急に建築構造が変わる訳ではありません。ただ家賃もかなりの金額。土地、空間の大切さを見つめ直す機会にはしたいと思います。

 どんなジャンルにおいても、やはり1番には特別な意味があります。

 銀座という響きに、昂揚感と緊張感をもちながら、構想を練っているのです。

法力で投入れる

 この夏、山陰に来たのは、2つの目的があります。

 1つは投入堂を見ること。

 鳥取の山中にある投入堂は、三徳山三佛寺というお寺の奥院です。平安時代後期、706年の建造とされています。

 役行者が法力で岩窟に投げ入れたので「投入堂」。そんな伝説がある建物を、一度見てみたいと思っていまいた。

 途中の道路に鳥居があります。山や自然自体を信仰の対象とする、山岳寺院と言ってよいでしょう。

 登山参拝の受付には、以下のような看板があります。

 投入堂参拝は、厳しい試練の道

 観光気分、観光装備での入山はご遠慮願います

 この看板に偽りなし。

 最低限の準備はして行ったほうが良いと思います。前半から、かずら坂、くさり坂と難所が続きます。

 途中で引き返している人高齢者もいました。実際に、年に何人かは亡くなるという話しです。

 前半の山場を越えると、まずは文殊堂。

 大きな岩に直接柱をたて、大きく空へ張り出す回廊に、手すりはありません。

 落ちれば命さえも危うい高さ。

 安全確保一辺倒で、反対に生を感じる機会は減っているのかもしれません。

 登り始めて1時間程。突然目の前に現れました。

 少しその場に居たのですが、目の前に現れた瞬間、誰もが驚嘆の声を上げていました。

 期待して見に行った上で、それに応えてくれる建物が、日本にいくつあるのだろう、とも思います。写真家、土門拳が「もっとも美しい建築」と称えた投入堂。

 垂直に切り立った岩盤のくぼみに、貼りつくように建つこの寺。どのようにして建築されたのか、未だ解明されていないそうです。

 確かに「法力で投入れた」と言いたくなります。
 
 建築とは、その建物だけを指すのではない事が良くわかります。簡素で、力強く、美しいその姿は、この圧倒的なロケーションが、それらを限界値にまで高めているのです。

 非常に満足して山を下りました。出来ればあの縁側にも座ってみたかったのですが。

 もう1つの目的はアリジゴク。

 大阪では見つけるのにあれほど苦労しましたが、ありました。

 北条砂丘の松並木の中で、いくつも見つけることができました。

 アリジゴクは、ウスバカゲロウの幼体です。

 スリバチ状の罠にアリが落ちると、下から砂をかけて、更に下へと導くのです。その名の通り、アリにとっては地獄。しかしその様を見て軽く感動を覚えました。

 スコップで掘り起こしましたが、意外に小さいものです。大きいもので体長7mmくらい。

 前には進めず、すぐにお尻から砂地に潜っていく様には、哀愁すら感じます。結局、持ち帰ることに。

 子供達は、何か気に入らない事が起こると、文句ばかり言い出だします。しかし、子供と私の好奇心を満たす旅が、いつまで続けられるのか、とも。

 山陰の旅も今日までです。

ゲゲゲ

 今年の夏季休暇は、山陰へ来ました。

 早朝に大阪を出て、8時頃に境港に到着。まずは水木しげるロードを歩きました。水木しげると言えば、勿論ゲゲゲの鬼太郎。

 駅からの目抜通りに、ブロンズで出来た妖怪が、数メートルおきに並びます。スタンプラリーもあり、子供連れにはもってこい。

 街を上げての取り組みにも、好感がもてます。

 遊び疲れて皆が寝ている間に、植田正治写真美術館も訪れました。高松伸の設計ですが、彼も山陰の出身だったはずです。

 大山へ開かれた、眺望が見事でした。

 夕食は、皆生(かいけ)温泉で。

 水木しげるは、幼少期に父の故郷、境港へ移り住みます。

 家に出入りするまかない婦のおばさんが、聞かせてくれた妖怪話に、強い影響を受けたのです。記念館には以下のような言葉がありました。

 どうでもいいようなことを真剣に考えて、居ると信じる。それが妖怪なんだ。 

 まさに「一隅を照らす」です。

 画家志望だった水木は、戦争で左手を失います。なかなか売れず、何とかなったのが40歳を過ぎた頃でした。

 知らない街へ行き、誰かの人生を知る。心の隙間に何かが染み込むよう……

 3泊4日、山陰の旅は続きます。

それはポーカー詐欺だ

 先月、若い頃の旅体験を書きました。と言っても31歳の時ですが。

 この春入所したスタッフ田坂は、大学を休学。7ヵ月を掛け、25か国を回ってきた筋金入りのバックパッカーです。旅の前半、ホーチミンでの事。

 中央市場あたりで、歳の頃は50歳、人の好さそうなおばさんと仲良くなりました。そのおばさんは東京に引っ越したいそうで、日本の情報を教えて欲しいと言って来たのです。

 また「ちょうど今日、ホームパーティーがあるから、遊びに来ないか」と誘われたのです。彼は助けてあげたいという気持ちもあり、その家に行ったそうです。普通はついて行かないものですが。

 家は、中心街からタクシーで15分程。密集した住宅街にありました。

 パーティーと聞いていたにも関わらず、客は居らず。いきなり100kgを越すような大男がでてきました。テーブルの上に並んだチキンは、今までみたことのない貧相さ。それを指し「さあ食べろ」と言ったのです。

 巨漢は「俺はカジノのディーラーをしているので、その技術を見せてやる」と言い出し、トランプのある個室に移されました。

 「いまからポーカーをするんだ。インド人のカモがやってくるので、俺たちででグルになって、金を巻き上げてやろうじゃないか」と言い出したのです。するとヨボヨボのおじいちゃんが
入ってきました。どう見てもインド人ではない。

 ここまでくると流石に彼も「これはヤバイ」と思い始めました。カモは自分だと。

 さあ始めようとなります。何度拒んでも受け入れてて貰えず、1回するはめになったのです。結果はスタッフ田坂の大勝。巨漢が目配せをしてきました。「さあふんだくってやろうじゃないか」的な。全く嘘ですが。

 何とかこの場から逃げ出さないとと「少し煙草を吸わせてくれ」と外に出ました。

 巨漢が追いかけてきて「早く戻らないと、カモの(ニセ!)インド人に怪しまれるじゃないか」と、しつこく再開を即してきたのです。

 「旅は始まったばかりなのに、ここで俺の人生は終わるのか……」スタッフ田坂は、遠い地で死をも覚悟したのです。

 結果的には何度も懇願し、何とか開放して貰ったそうです。

 彼に「深夜特急は読んだことある?」と聞くと「ありません」と。「だから詐欺にあうんだよ」と思わず言ってしまいました。バックパッカーは皆この本を読んでいると思っていましたから。

 もう「地球の歩き方」の出てくるダメな日本人例でした。人の良い、小金もちの日本人は、どこに行っても世界最高のカモなのです。

 長男は現在小学3年。勉強はそれほどではないようですが、本は目覚めと共に読み始めるくらい好きなのです。

 「どんな本が面白かったか」と聞くので沢木耕太郎の深夜特急と答えました。一度読んでみるそうです。さて、小学3年生が文庫本全6巻を読み切れるのか。

 いつか一人で旅にでればいいと思っています。少々の冒険はいいけれど、ポーカー詐欺にだけは引っ掛らないように。

 「深夜特急」著者、沢木耕太郎は26歳の時、香港からロンドンまでを乗り合いバスのみで繋ぐ旅にでる。一年に及ぶその体験を元に書いたノンフィクションのようなフィクション。

 日本人バックパッカーのバイブルとも言える?

バックパックに詰めて行くもの、置いていくもの

 週始めは雨予報だったのが、全て晴れ予報に。

 江戸時代なら間違いなく飢饉になっているでしょう。これは雨乞いが必要かもしれません。日本の自然崇拝の一端を見た気がします。

 この季節、蒸し暑い中を楽しく過ごす工夫が必要です。伊勢志摩のキャンプ場へ行った際、ハンモックがありました。

 南米の原住民が使っていた寝床ですから、この時期にはうってつけです。

 ハンモックに揺られると、いつも記憶は2002年2月のベトナムへ……

 2001年の4月、30歳だった私は事務所を閉め、無期限の休暇に入りました。

 周囲には「海外を見て回りたいから」と説明していました。事務所を立ち上げて5年が過ぎ、正直に言えば心身ともボロボロでした

 しかし、バックパックだけを背負い世界を旅してみたいという夢も持っていました。

 この年は911のテロがあり、出発はやや遅れたもの、2001年の暮れ、ようやくバンコクに飛び立ったのです。

 帰りのフライトチケットを持たない、宿をもない初めての旅。

 新しい街に着けば、まずはゲストハウスと呼ばれる安宿探しです。
 
 心細かったのは数日で、値交渉も楽しみの1つになりました。

 東南アジアの街々を放浪し、2002年の2月、ベトナムに入りました。

 現在、ホーチミンは経済で注目の的ですが、十数年前も人の多い、埃っぽい、熱を帯びた街でした。

 カンボジアからは飛行機での移動。

 空港に降り立つと、まずその人の数に圧倒されます。

 何故か両替が外にあり、多くの視線の前で、ベトナムの通貨のドンに換金しなければなりません。

 タクシーを捕まえ、ゲストハウス街の住所を告げ、降ろされた時に撮ったのがこの写真。

 見渡す限り、人人人。全員が私の財布を狙っているんじゃないかと、内心気が気ではありませんでした。

 あてにしていたゲストハウスが見つかり、ほっとしたのです。

 ホーチミンはフランスに支配されていた歴史もあります。

 よって、安宿でも練乳入りのコーヒーとパンが美味しいのです。もちろん、パクチーがちりばめられたフォーは最高でした。

 バラック街の中にある、ゲストハウスには屋上がありました。

 そこにハンモックが吊られていたのです。

 ある夜、市街地の中心から花火が上がり始めました。華僑が旧正月を祝う為に上げているとのこと。

 ハンモックに揺られながらそれらを眺め、そろそろ日本に帰って仕事がしたい、と思ったのです。事務所を閉めて、10ヵ月後のことでした。

 人生には色々な事があります。もう仕事を辞めたいと思っている若者が居るとしたら。

 どんな仕事でも同じですが、簡単に辞めてはいけません。しかし、もうこれ以上は無理、なら辞めざる得ません。

 そんな時はバックパックだけの旅を勧めます。

 本当に必要なものは、その小さなバックパックに全て入っているのです。

午睡をむさぼるなら

 昨日は、京都の伏見へ行っていました。

 所用を終え、近くの宇治川まで歩くと、夏のような日差し。

 川沿いに、なかなか立派な建物がありました。

 月見館は、登録有形文化財に登録されている温泉旅館でした。

 敷地内に古い船が置いてあり、webサイトで見ると説明がありました。

 淀川三十石船は、江戸時代の市民の足として大阪と伏見を結んでいた。

 三十石の荷が積めるところからこの名が付く。約45kmの行程を、上りは12時間、下りは6時間程で行き来する。

 概ねこのような内容でしたが、上りは綱を引いていたようです。

 竜馬もこの船に乗り、幕末の世を駆け回っていたのでしょう。その船が綱で引かれていたとは。

 大阪の船着き場、八軒家は現在の天満橋です。その間、京阪に乗れば40分弱です。

 実に20倍のスピードですが、その位かと言う数字でもあります。

 ただ、京阪特急の乗り心地は抜群です。新幹線の2時間半より、京阪の40分。適度に時間も掛かり、昼寝をするのにもってこい。

 午睡をむさぼるならおけいはん、なのです。

神宮式年遷宮、お伊勢参り

 友人がエクシブをとってくれました。

 宣伝の写真みたいになっていますが。

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 朝、海沿いをジョギングしていると、あちこちから煙が上がっていました。

 流石漁師の街ですが、煙をみるのも久しぶりです。煙が上がらないの見て、民の貧困を嘆いた詩がありました。

 火が生きる証なのだと、理解できます。

 昨日はまず、みえ子供の城へ。

 私としては、海の博物館へ行きたい気持ちもありますが、子供の要望にも応えなければと。

 丁度イベントがあったようで、屋台も出ていました。

 わたがしが100円。

 一応満足してくれたので、伊勢神宮へ。鎮座2000年、日本最高位の神社です。

 この秋には、20年に一度の神宮式年遷宮を迎えることもあり、凄い人出でした。

 急がば回れの法則で、2km地点までたどり着きました。しかしここまで。車を妻に託し、子供と徒歩で目指すことに。

 秋に備え、着々と準備が進んでいるのが解ります。

 木造建築の粋を集めた美しさは、巨匠ブルーノ・タウトも絶賛しました。

 彼は、桂離宮、飛騨高山の建築も称賛しており、日本人以上に日本の建築を愛した建築家です。

 時代が時代なら、一生に一度のお伊勢参り。

 社殿は撮影不可で、現在もその神秘性は保たれています。

 木々の隙間から見える屋根が光を受け、黄金のように輝いていました。刺激の多すぎる時代が果たして幸せなのかどうか。

続・阪急梅田駅の歴史

今日から、梅田でのASJの建築家展に参加しています。

場所が梅田阪急ビル オフィスタワー24階。

ここは以前、築地本願寺や平安神宮の設計で知られる、伊東忠太設計のレトロドームのあった真上になります。
もう忘れてしまったという人はこちらを。↓
シャンデリアテーブル

阪急百貨店の13階に移設され、レストランとしてオープンしました。

リニューアルオープンしたコンコースは、初代阪急梅田駅のホームでした。

流石に昭和4年の事は知らなかったので、2005年の秋、改修工事が始まる際に「阪急梅田駅の歴史」として記事にまとめてあります。

現在の話しに戻します。

まずこのビルの特徴は大きなエレベーター。8畳はあるでしょうか。

それに乗ってまずは15階へ。ここからの眺めはなかなかのものです。

生駒方面の眺めも良いのですが、南の御堂筋を見るのも悪くありません。

時代が時代なら、殿様でもなければ見れなかった景色です。

巨匠・村野藤吾設計の梅田地下街換気塔も、上から失礼します。

その他の室外機も植栽で隠されていますが、全く次元の違う仕事です。

大阪駅まわりは再開発の真っ最中で、人出も多く活気を感じます。

今回は今日から月曜まで、5日間のロングランです。

中学からの通学路だった梅田は、その変化をつぶさに見てきました。

よって思い入れのある街です。

その梅田で、仕事を出来ることは喜びなのです。

酸ヶ湯と蔦温泉

 「ひと雨ごとに」の言葉通り、昨日から急に日差が強くなってきました。

 堺にあるフェニックス通りの植込みはソテツ。

 写真だけみれば夏気分です。

 火曜日に酸ヶ湯の積雪量が5m66cmで日本記録を更新した、というニュースがありました。

 青森県酸ヶ湯。読み方は「すかゆ」です。9年前に訪れました。

 結婚が2003年の秋で、その年末年始の事。

 3泊4日で、遠野、盛岡、八戸、十和田湖、青森を回りました。

 結婚祝いを貰ったので、当時はかなり贅沢をしている気分でした。

 仕事がどうなるか分からなかったので、親に強いられなければ行かなかったかもしれません。

 記憶に残っているのが、はじめに書いた酸ヶ湯の千人風呂。

 お湯は白濁して、ヌルヌルすべすべ。松本の白骨温泉もこのタイプの湯でしょうか。

 白濁した湯は、温泉気分を盛り上げてくれます。

 共に名湯と言って良いと思いますが、混浴なのが面白いところ。

 同じく青森の蔦温泉もよく覚えています。

 こちらは宿泊も取れました。

 確か源泉が湯船の真下で、そこからブクブクと湧き出てくるのです。

 急に熱泉がでてきたらどうなるんだろう、などと考えていました。

 この日記をボツボツと書き始めたのが2004年の3月。

 この頃を境にデジカメを持ち始めたのか。

 写真が無く全て拝借してきました。

 一昨日まで、ただ温かくなることを待ち望んでいましたが、雪深い秘湯を目指すなら今年の冬もあと僅か。明日から3月です。

 時間がある時はお金がない。少し余裕ができると時間がない。年長者のアドバイスは聞いておくものです。

街歩き―ミッドタウン―

 1月19日(土)は茨城へ。昼から、クライアントとの打合せでした。

 早目の新幹線でまずは東京駅へ。 

 地下鉄で乃木坂まで移動。

 徒歩3分で新国立美術館があります。

 乃木坂からのアプローチには、多くの雪が残り、空も雲一つない快晴。
 
 感激する美しさでした。

 サインに目をやると、深目地にスズメが住んでいるようです。

 見えるでしょうか。

 黒川紀章、2006年の作品ですから、亡くなる1年前の仕事です。

 何と言っても、波のようにうねったカーテンウォールです。

 その曲面の描き方は圧巻でした。

 ガラスのカーテンウォールと展示棟の間が、大きなホワイエとなっています。

 そこに巨大な逆円錐が2つ。

 その上部に、カフェ、レストランがあります。

 それらが、外部の壁を押し出すようなイメージで、正面のデザインは形成されています。

 西には青山霊園も望み、このカフェが非常に魅力的。

 まだオープン前だったので、次回の楽しみにしておきます。

 外部の水平ルーバーが、曲面の変化を、よりシンボリックに。

 かつ、光をまるので木漏れ日のように変えていました。

 久しぶりに夢中でシャッターを切りました。

 黒川の最高傑作と言って良いと思います。

 そのまま東へ5分程歩くと東京ミッドタウン。

 

 21_21 DESIGN SIGHTは、安藤忠雄の設計。

 ミッドタウンのオープン時、2007年に開館しました。

 入館しないと内部が見れないので1000円のチケットを買うと田中一光展。

 2週続けて同じ展示を観るのも、何かの縁かなと。

 内部で1ヵ所、撮影OKの作品がありました。

 この建物、外から見ると小さい建築ですが、大半は地下に埋まっています。

 このデザインの専門施設で、安藤は日本の顔となる建築を目指しました。

 日本一長い複層ガラスもありますが、特徴はやはり屋根でしょう。

 起案者の一人、三宅一生のモチーフ、1枚の布をイメージしてデザインされました。

 1枚の鉄板を全溶接し折り曲げられ、作られているのです。

 クリエーターが互いの仕事を尊敬しあい、何かを創りだす姿を見ると、非常に清々しい気持ちなります。

 「尊敬」という言葉は、現代人に最も欠けがちな要素だと思うのです。

 昼前に六本木をでました。ここから茨城まで約1時間。散々歩き回ったあと、打合せへ向かうのですが、足取りは軽やかです。

 六本木駅への階段を下りようとすると、何となく見たことのある看板が。これがあのアマンドか。

 だから街歩きはやめられないのです。