カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

さぬきへ その1 & 讃岐うどんの名店Ⅰ

この連休を利用して、香川県に行ってきました。母の実家が金毘羅さんと日本一長い石段が有名な門前町にあり、3年前に亡くなった祖父のお墓参りを兼ねての旅行です。

昼食には、本場の讃岐うどんを食べに行きました。お店は最近のブームですっかり有名になった、山あいにあるにも係わらず常に行列の店『やまうち』

かけうどんのメニューにも「ひやひや」、「ひやあつ」、「あつあつ」とあります。

これは、麺とダシのそれぞれを熱い、冷たい、を選べて組合せは自由。私は「ひやあつ」(麺は冷+ダシは熱)の大とてんぷらを頼みます。薬味のしょうがは各テーブルにある、おろし金ですりおろし、大目にいれて頂きます。

コシが強く、かつもっちりしているうどんはそのまま食べても、充分美味しいくらいの、塩の下味がついています。麺の味がしっかりしているのでダシは薄味で澄んでいます。

一旦口に運ぶと、心地良いのど越しであっというまに一杯たいらげ、もう一度行列に並び直して、しょうゆうどんも食べました。こちらは、麺に醤油を直接かけて頂くのですが、麺を味わうなら、こちらもおすすめです。

と、非常に満足した上に値段は、小200円、大250円、特大350円で100円のてんぷらを乗せても500円あれば充分と、非常に安い!そして美味い!

香川県では、全国平均の4倍うどんを食べるそうです。小麦粉の産地、イリコが良く獲れる、醤油造りが盛んなどの理由からのようで、少し前まで、ごく普通に一般家庭でも手打ちうどんを作っていました。小学生の頃は、夏休みの半分を香川で過ごしていたのですが、亡くなった祖父も、良くうどんを打ってくれたものでした……

コシを出すために、麺を足で踏むのですが、その姿を思い出しました。

北新地のはずれで

 大学時代の友人がバーを始めました。場所は北新地に隣接しているのですが、住所に北新地と付かないので、家賃がだいぶ違うようです。
 経営者で、マスターの彼はすこし風変わりな男です。
 同じ大学の理工学部建築学科に在籍していたのですが、建築関係の定職についたことは一度もなく、一定期間バーテンをしては辞めて海外に貧乏旅行への繰り返し。世界各地にある一泊数ドルのゲストハウスと言われる安宿を泊まり歩くのです。-そういう長期旅行者をリュックひとつ背負ってという意味でバックパッカーと言います-
 彼はあるときはタイに1年も行っていました。初めて行った海外旅行がインド。悪く言えば、チャランポラン、良く言えば自由人。但しどちらも徹底しています。
 たまに顔を出しては取りとめも無い話をしているのですが、私も貧乏旅行が大好きなので、話が尽きることはありません。
 35℃を超えるむせ返るような暑さと、ホコリっぽい風と、すえた匂いの漂う、東南アジアの街の話をしていると、なぜかソワソワした気持ちになります。日本より裕福では無い国の人々のギラギラした目を見ると、怖い気持ちもありますが、何より刺激になります。
 バックパッカーとなることは、大袈裟に言えばちょとした冒険です。初めて訪れた街は怖くもあり、ワクワクもします。むやみに危険な場所を求めている訳ではありませんが、少し怪しい
街の外れの屋台で、何が入っているか分らない料理で、冷えの悪いビールを飲んでいると
-小さなことで悩んでたなア、地球ってほんとにデッカイなア、ホントにいろんな言葉があるなア、街の空気が全く違うなア-といろんな事を感じ、想います。
 旅は自分との会話の繰り返し。
 昨晩も今すぐにでも旅に出たいという衝動に駆られていました。

四季の歌

 新潟県にある山間の温泉宿に行ってきました。

 最近は少し気になる温泉の源泉ですが、上杉謙信の隠し湯だったといわれる関温泉は、100%掛jけ流しで(注1)、鉄分が豊富で赤味がかっています。ゆっくりと温泉に浸かり、のんびりとした時間を過ごしました。(注1)源泉に加水、加熱、ろ過循環、塩素使用をしない

 朝夕は高原のひんやりした風が心地よいのですが、昼間は晴れたこともあり、すこし体を動かすと汗をかくほどの気温でした。ただ山の木々は少し色付きだしているものもあったり、ススキが穂をつけていたりと、秋気配は充分に感じます。

 コスモス2輪

 旅行から帰って少し調べてみると、
四季の歌」がこの地で生まれたようです。

 温泉宿、秋の花、風に揺らぐススキの穂。日本の秋。

島の昔

 先日、義父の還暦のお祝いに三重県の伊勢志摩の湾内に浮かぶ離れ小島のホテルに宿泊しました。

 伊勢志摩は、太平洋に突き出した紀伊半島の一番東に張り出した位置にあり、複雑なリアス式の海岸線に直接海流があたるため、イセエビでも有名なように、海産物が大変豊富です。私達のホテルも、期待通りの食事で、海の幸を充分に満喫できました。

 島に渡る時に疑問が浮かびました。渡船が出る本州側の村は小さな集落で、見渡しても大きな集落は有りませんでした。島のほうは南北、東西とも1キロに満たない小さな島にも係らず、狭い平地に所狭しと、ホテル、旅館、民家が軒を連ねています。ホテルの方に疑問をぶつけてみると、すぐに納得できました。

 この小島には昔、遊郭があったそうです。海産物が豊富で、天然の要害としても優れているこの地域ではその財産を守るため、漁師が自衛のために武器を持ち、組織をつくり水軍や海賊になって行きました。

 瀬戸内海の村上水軍、熊野灘の水軍と共に、このあたりの九鬼水軍は有名で、織田信長が天下統一を目指し、大阪の石山本願寺を大阪湾から攻める際も、九鬼水軍の力に寄るところが大きかったと言います。

 戦国時代の蒸し暑い夏の夕暮れ。狭い小道を髭をたくわえた海賊が、コソコソと目当ての店に急いでいる姿を夢想していると、なんだか楽しい気分になってきました。