カテゴリー別アーカイブ: 03 自然・季節

カンパ

 JALの名誉会長となった稲盛和夫さん。

 酒でも飲んで、どんどん社内コンパをしなさいと言います。

 先週、久し振りに池原ダムへ行きました。

 その話をすると、スタッフが行ってみたいと。彼はこの春から働く23歳です。

 なら行くかと、第1回湖上コンパを開催することになりました。ただ2人で釣りに行っただけですが。

 土曜の夜、仕事が終わってから、池原より更に遠い七色ダムへ。

 夜中に着き、ボートをセッティングします。缶ビールをのみ、178cmの彼と狭い車内で仮眠。5時過ぎにスタートフィッシィングです。

 ここは所長の威厳をかけて、まず1匹釣らねばなりません。

 開始してすぐ、イメージ通りの魚を仕留めました。自分が釣りをしている写真は極めて少なく、彼が撮ってくれました。

 基本的には楽しんで貰うために来ています。彼も2匹の魚を釣りあげました。

 小さい頃から釣りが趣味だったようで、要領は得たもの。今まで、日曜日まで私と居たくはなかろうと、スタッフに声を掛けた事もありませんでした。

 ところが、5年目になった女性スタッフも「釣り道具を買ったので、一度行ってみたい」と。それなら、夏は皆で海へ行くか、という話になりました。

 コンパという言葉は、いつから市民権を得ているのか。辞書を引くと、会社のcompanyと全く同じと解りました。正確に言えば「カンパ」となるのでしょうか.

 元は「パンを共にする仲間」という意味だそうです。同じ釜の飯を食うと言いますが、それが語源とは良くできた言葉です。

 急に野外化してきた当事務所。グッドカンパニー化のアウトドアカンパなら、これ程たやすいことはありません。

池原の悲しき恋人

 昨日、長男と池原ダムへ行って来ました。

 奈良県の最南端に位置しますが、訪れるのは9年振りです。

 ここでのターゲットはブラックバス。外来魚問題はさけて通れないので、少し歴史を書いてみます。

 ブラックバスは、大正末期に食用として北米から輸入されました。初めは芦ノ湖、その後いくつかの湖に移植されます。

 繁殖力が強く、かつ攻撃的な肉食魚で、ルアーフィッシィングの対象となりました。

 そんな理由もあり、人為的に多くの湖に放流されていったのです。琵琶湖ではモロコ、ニゴロブナの減少が大きな問題になりました。

 滋賀県では2003年に再放流禁止条例、そして外来生物法へとつながっていきます。

 ブラックバスはアメリカでは、最もポピュラーなルアーフィッシィングの対象魚です。釣り人はライセンス料を払って釣りをし、そのお金が自然保護に役立てられる。

 ルアーフィッシングに造詣の深かった作家・開口健は、これを例に、バスフィッシングが将来、水辺の保護に役立つ可能性がある、とも書いていました。これはあくまで釣り人側の意見ですが。
 

 池原ダムでは村も重要な観光資源と考えています。

 入漁料を払って釣りを楽しむ体制が出来ていったのです。役場も一体となって、1988年、フロリダバスという種を輸入、放流します。
 
 これはブラックバスの亜種で、より大きく育つのです。20代の頃、休みは常に湖上で過ごしました。その理由がこのフロリダバスです。

 1996年5月4日は朝から雨が降っていました。

 その夕方、65cm、6kg弱のバスを釣りあげたのです。他の釣り人に勧められ、地元で有名な人の所へ持っていきまいた。

 「日本記録級かもしれない」と。

 釣り雑誌に連絡してくれ、結構な数の雑誌に載ったのです。私は思いました。今、日本一に最も近いのはバスフィッシングかもしれない、と。

 年齢と共に仕事も増え、子供もでき、釣行回数は減って行きました。

 外来生物の抱える問題はおそらく解決方法がありません。またバスフィッシングを正当化する方法もありません。

 しかし、私の人生において、より自然との関わりを深めてくれたのは間違いありません。

 池原ダムは「バス釣りの聖地」とも言われます。聖地で、33cmの悲しき恋人と再会を楽しんだのです。

鯉、冑、柏、逞しくあれ

 ゴールデンウィークも今日が最終日。

 期間を通して天気に恵まれました。

 三重尽くしの連休は、土曜日まで五ヵ所湾へ。

 伊勢志摩のすぐ西で、リアス式海岸が穏やかな内海を形成しています。

 キャンプサイトには、弟家族が先に着いていました。

 我が家は1泊ですが、彼らは2泊。しかし、長男だけは預けて帰ってきました。 

 妹2人が共に末っ子です。

 時々喧嘩もしますが、概ね仲良し。初ハンモックにテンションが上がりきっていました。
 

 上の男3人を連れ、父と釣りへ。

 時代が時代なら、海賊が跋扈したこの地域。海賊の元は漁師ですから、流石に海は豊です。

 僅かな時間で、いいサイズのキスが連れました。それに混じって、得体のしれないものが……

 海に帰したその獲物はウミウシ。怒ると紫の液を出すのです。

 3人で大騒ぎしていましたが、こんな生き物を見るのも経験です。

 マンションから、色褪せのない鯉のぼりが揚がっていました。初節句でしょうか。

 激流を登り切った鯉は龍となり。武将のように勇ましくあって欲しいと鎧兜。新芽まで葉が落ちぬと柏餅を食べる。

 それほどまでに、元気と立身出世を願ってきたその気持ちが、分るようになってきました。

 子供の日の振り替え休日。

 逞しく育て、子供達。

 父は今日も夢を売ってきます。

木目の木星

 昨日の選挙。投票率は過去最低とのこと。

 話題も多く、投票率は上がるのではと思っていたので、意外な気もがしました。チェンジなのかリターンなのか。願わくはイノベーションであって欲しいと思いますが。

 昨日は、谷瀬の吊り橋まで行っていました。

 奈良県十津川村にある、日本一長い吊り橋です。

 長さ約300m、高さ56m。

 朝家をでて、大塔村にある「星のくに」という施設を目指しました。

 2時間程掛けて来ると、冬季につき閉鎖中という施設が多く……

 なかなか遊ぶ所がなく、20km程先の谷瀬の吊り橋までやって来たのです。

 人の体は自分が走れるスピード、時速30kmの衝撃にしか耐えられません。

 高所恐怖症という言葉がありますが、許容できない衝撃をを受け得る高さまで上がった時、恐怖を感じない方がおかしい、と言うのが私の言い分です。

 子供はグングン歩いていきますが、中央部に来ると結構揺れるのです。手摺の高さも意外に低く、もう生きた心地がしませんでした。次回は無いと思います。 

 奈良県の中央部を走る168号線。

 途中に天誅組本陣跡という史跡がありました。

 石碑横にあるお堂の前には、雪が残っていました。

 尊王攘夷派は、幕府の追撃から逃げる為、こんな山奥まで逃げ落ち、革命の機会を狙っていたのです。

 夕方になってので、「夢の湯」という温泉に寄ると貸切。

 ちょっと贅沢をしたなと思い外に出ると、すでに日は暮れ空には満天の星空が。

 ここからが本番です。

 先日買った子供用の望遠鏡「スピカ」を温泉のロビーで作りはじめました。

 これは手づくりキットなのです。

 スピカとは春の星座、おとめ座の一等星の名前という事も解りました。

 道具が不十分でしたが、何とか完成するも、娘はすでに眠りの中へ。

 長男と、真っ暗な山中を少し歩き、望遠鏡をのぞくと……

 先週習ったばかりの木星をしっかりとらえることが出来ました。

 ファインダーは輪ゴムの仮止めですが。

 くっきり、とは行きませんが何となくその木目模様も見えるのです。ちょっと感激しました。

 奈良県の内陸部は、全く手つかずの森が多く残ります。街中と比べれば光りが少なく、天体観測には向いています。

 子供にと言いながら、ちょっとクセになりそうな感もあります。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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♪星を見るのが好きだ

今年の12月は、初旬から寒い日が続きます。

昨日の午前中は、細工谷の現場で打合せ。終盤は手先がかじかむのと、乾燥とで、上手く書類のページがめくれなくなります。

そんな打合せの後は、今日も仕事をしたなと思えるのです。

その後、肥後橋の大阪市立科学館へ。

以前、長男と来た際は、プラネタリウムが満席で、引き返しました。

科学館の入場は400円で、プラネタリウムは600円。こちらのほうが高いのです。

この日は、「木星」の話。冬の夜空に最も明るく輝くのが木星でした。

子供達のヒソヒソ声を聞きながら、また、解説員の優しげな声を聞きながら、知らぬ間に眠りの中へ……

土曜の朝が早かったので、寝るだろうなと思っていたら、案の定でした。

プラネタリウムの椅子で居眠りするのは、本当に気持ちが良いものです。

科学館となっていますが、子供が体験できる(遊べる)工夫がしてあります。

この日は市民ボランティアの人も多く居り、実験も多数。

小学生は無料で、半日は十分遊べます。

長男はエンジンが掛かってしまい壊れ気味。

まあ、何をするんのもこんな感じで、楽しいタイプの子供です。

昨日の日没は4時48分。

今年、これより早く日が沈む事はありません。

市民ボランティアの人に、子供に天体望遠鏡を買うならどんなものが良いか、聞いてみました。

スピカで十分だと思います」とのこと。

全部揃えても、5,000円位らしいのです。

倍率が高すぎると、扱いにくいのがその理由。すぐに購入か、彼の誕生日まで待つべきか……

『嘲笑』 作詞:北野武 作曲:玉置浩二

星を見るのがすきだ

夜空を見て考えるのが

何より楽しい

ビートたけしの歌です。

彼は「フライデー襲撃事件」のあと、謹慎する石垣島で、星を観て過ごしたと言っていました。

いつか、ゆっくり星でも見ながら過ごしてみたい……今年の正月は長野で天体観測か。

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摩耶、ママ

 日曜日は雲一つない秋晴れでした。

 摩耶山に行くことになりましたが、子供の希望で電車行きに。

 ケーブルカーとロープウェイを乗り継ぎ、山頂まで行く事が出来ます。

 12月から改修工事の為、一旦運休されるのです。

 それもあってか、なかなかの人出。

 標高約700m。六甲山より少し低いのですが、眺めは勝るとも劣らず。

 東を見ると、梅田のビル群、阿倍野ハルカス、遠くはPLの塔まではっきり見えます。

 西を見ればポートアイランドから淡路島まで。

 日本三大夜景に数えられる神戸。一度見に来たいものです。

 ベストは夏の夕涼みでしょうか。

 六甲山系は、縦走路で繋がれています。

 少し歩いてみると、多くのハイカーとすれ違いました。

 話題の通り、カラフルな女性ハイカーが目立ちます。

 確かに「山」ブームを実感したのです。

 山頂で3時間ほど遊んで下りてきました。
 そのまま麓にある王子動物園へ。

 実はこの日、妻が友人と食事に行くことになっていました。

 私、長男、娘とは、梅田で別れる事になります。

 それもあって、この日はスペシャルメニューだったのです。

 夕方、妻と梅田で別れてから、4歳の娘は「マァマアー~、マァマアー~」とただひたすらに泣き叫ぶだけ。2時間、ママ以外の言葉を発しませんでした。

 地下鉄の中、駅からの道中、夕食を頼んであった実家でも。延々と泣きわめき続け、無理やり風呂に入れると、湯船の中で寝てしまいました。

 子供と接する時間をもっととらないからこうなのか、末っ子を甘やかしすぎてこうなったのか、またはこれが健全なのか。

 しかし、何とか腕から逃げ出そうという4歳児を、抱っこし続けるのは、なかなかの重労働でした。今日は、肩、両腕が筋肉痛です。

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話の花

 週末は、滋賀県の朽木村へ行っていました。

 と、思っていたら、合併によって高島町朽木と変わったようです。朽木と書いて「くつき」と読みます。

 琵琶湖の西を走る湖西道路。

 以前この道路は有料で、かつ高額でした。

 学生の頃は高速代が惜しく、国道を走り福井まで行っていまいた。

 今は無料になり、ちょっと得をした気分と懐かしいのと。

 朽木は滋賀県の西北部、かなりの山中にあります。

 紅葉は真っ盛り一歩手前といったところでしょうか。

 しかし、緑、黄色とのコントラストも美しいもの。

 グリーンパーク想い出の森は、温泉、キャンプがあるアウトドア施設。

 主に大学時代のクラブの集まりで、先輩がそのバンガローを予約してくれていました。
 
 4時頃到着すると、すでに宴たけなわ。

 最近、野外に行っておらず、娘から「テントたてて」と言われていました。

 女の子が多かったのですが、これが意外に好評。

 子供達の食堂になりました。

 4歳から小5まで。子供達が打ち解けるのはあっと言う間です。 

 かなり久し振りの人もいましたが、気分は学生時代のまま。

 大いに盛り上がりました。

 参加者の一人に、大学時代の1つ先輩で「白馬の山小屋」のクライアントがいます。

 正確に言えば、クライアントの娘さんですが、彼女の両親は私の事など全く知らなかったので、実質的にはクライアントです。

 どの計画が欠けても、現在とは違った仕事人生になっていたはずです。しかし、26、7歳の私にとって、長野で築30数年の山小屋を改修をするという計画は、不安も大きな仕事でした。

 夜の11時頃、大阪駅を発つ深夜急行が「ちくま」だったと思います。リクライニングの無い直角席でウトウトしていると、スキー場へ向かう若者が騒ぎだし、迷惑だなと思ったり、羨ましいと思ったり。
 
 設計料もかなり安請け合いしており、片道6千円くらいだった運賃もかなり厳しかったのを覚えています。早朝現場に着き、村役場で施工会社を紹介してもらい……この計画を何とか形にしたという事は、大きな自信になりました。

 「あの頃は楽しかったよね」はあまり好きではありません。今が最も一所懸命でいたいからです。

 しかしこの日は、大いに思い出話に花が咲きました。話題の花と、心の花と。

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身近にある未来

 日曜日は、日本海へ行っていました。

 ボートが何とかなったので、弟家族も一緒に連れて行きました。

 雨が降るとの予報もあったのですが、夕方までもってくれました。

 弟には3人の子供がおり、上から7歳の長男、5歳の次男、2歳の長女。 

 我が家は7歳、4歳の兄妹なので、上から3人が男、下2人が女の子という並びになります。

 父も行ったので、一人を除いて全員守谷。

 当たり前ですが、子供達は一緒に遊んでいるだけで十分楽しいのです。

 折角だからと言っても、なかなかボートに乗ってくれず。

 上の3人を連れ出したのはもう昼前でした。ジャンケンで順番を決め、順に竿を持たせました。

 根魚狙いとは言え、1分も経たないうちに何かの魚が食いついてきます。

 この海の豊かさを知るのは、大人になってからだろうと思いますが。

 下の女の子も連れて行きました。私も小さい頃から、この海に連れられて来たのです。

 まずは全員に澄み切った海をみて貰えました。

 父の友人、赤銅色に日焼けしたSおっちゃんは、港のすぐそばに家を借りています。

 長男もかなり日焼けしていますが、年季が違います。

 春から秋まで週末をここで過ごし、私達が訪れた時は、いつも歓迎してくれます。
 
 父は結婚前からの友人なので、私とは生まれた時からの知り合いとも言えるのです。

 「海に来てまで仕事の話をするな。ゴミは拾って帰れ。来たいヤツが来ればいい」

 大量の焼酎を飲みながら、いつも私にそんな話をしていました。実際に、潜った海の底に空き缶が落ちていたら、拾って上がってくるのです。

 けがれ無き海を見れば、そう思うのが自然です。こちらの心さえ、けがれていなければ。

 駅前の自転車のカゴに、誰かがゴミを捨てたなら、そのカゴはいずれゴミで一杯になります。ゴミを捨てないのは勿論ですが、出来ればそれを拾えるような人になって欲しいと思うのです。

 朝のミーティングで「今まで自分を応援してくれた人たちに恩返しがしたい」という意見がでました。

 「それは素晴らしい事だけど、もし何か出来るようになったなら、同じように援助が必要としている、その時の若者にしてあげたら」と伝えました。

 一番身近にある未来。それが近くにいる子供達です。仕事を通して、また仕事以外で、何が出来るのかと考えるのです。

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42歳 夏の日の青春

 昨日は、福井県の敦賀半島へ行っていました。今年初の海です。

 車にボートを積んで、海へ行くこと20年。それが私の夏でした。

 父がそうしていたので、自然とそうなったのです。

 20代の頃は出来るだけ、多くの人を誘って良く来ていました。

 しかし今回は、知人の都合が合わずに家族だけ。それはそれで良いものです。

 兄妹とも水が大好きで、海が見えると一気にテンションが上がります。

 早速砂浜へ。子供たちは、ずっとここで泳いで居たいと言います。

 折角ボートを持って来ているんだから、はこちらの都合で、水際でバシャバシャが、一番楽しいのです。

 しかし諦めません。

 昨年、20年乗り継いで来たハイラックスサーフを乗り換えました。

 新しくやってきたのはランドローバーのディスカバリー。

もし乗り換えるならこの車と思っていました。ただボートを積めるかは、気になっていたのです。

 しかし、何とかなりました。というか何とかしました。

 子供達を説得し、ようやく出船できたのが10時頃。

 この船は4人乗りで、こんな機会でないと皆で乗れないのです。

 シュノーケルの価値がようやく分った長男を連れ、辺りで潜ってみます。

 魚を突き方などを教えながら、一緒に泳ぎます。

 ライフジャケットがあると潜れないと主張するので、取ってやりました。

 タコを見つけ、何とか目の前で仕留めてやろうとしましたが、1cmくらいの岩の割れ目に逃がしてしまい……これだけは悔いが残ります。

 この日は釣りも好調で、アコウが連れました。この魚は岩陰に潜む根魚で、突くことも出来ます。

 とても美味しい魚で、私のおすすめは絶対的にから揚げです。

 ひととき仕事を忘れたいが為、ここに来たこともありました。

 しかし結局忘れようとしている事自体が問題なのだと分かりました。いつも変わらぬ景色で、自分と向き合う時間だけを作ってくれるのです。

 ようやく片付けを終え、帰路についたのが7時前。小さな夕日をみながら海辺の道を走っていると、気分はいつだって20代のままです。

 青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ
 -サミュエル・ウルマン-

 28日(土)に42歳になりました。ウルマンの言葉を借りるなら、体はいつかか老い朽ちます。

 しかし心はそうではない。今はそう思えます。

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蝶よ花よ、下草よ

 今朝目が覚めると、雨は降っていない様子。

 さっさと着替えてジョギングへ。ところが走り出すと降ってきました。

 はじめは「タイミング悪かったな……」とか思っていますが、ひとしきり濡れてしまえばもう一緒です。便所掃除をしていて、便器に手が触れた時の気分に似ています。

 桜が終わり、街ではハナミズキが満開です。

 庭木を選ぶ時、ヤマボウシをよく使います。

 非常に近い種ですが、ヤマボウシは日本産。

 花の咲きがとがっているのが特徴です。

 ハナミズキは袋状になったところから開くので、繋がっていたところが丸くへこんでいます。この部分、正確には花弁ではないようです。

 アメリカ産のハナミズキが圧倒的に多いのは、やはり流通量の差でしょうか。

 日曜日の奈良行きの際、帰りに橿原市昆虫館というところに寄りました。

 平成元年に日建設計と竹中工務店のコンビで建てられています。なかなか充実した施設でしたが、圧巻は温室。

 蝶の羽のようなガラス屋根に覆われた中は高温多湿に保たれています。風のない室内をユラユラと無数の蝶が漂っているのです。

 完全に天国の趣きです。

 蝶を撮るのは意外と難しいもの。
 
 しかし至る所にとまっているので、無心でシャッターを押しました。

 ここまで、マジマジと蝶を見た事はありません。

 長い管状の口をせわしなく、花弁の中に差し込む姿は、およそ今までのイメージとは違うものでした。

 庭のアイビーも新芽が出てきました。

 これはアトリエ前から株分けしたもの。

 設計した物件で、いざ金額が合わなかった時に現場に持って行く用です。 

 そんな株分けアイビーが、萱島の写真スタジオOhanaにもあります。

 ところが先日、日当たりが良すぎそのてアイビーが全滅してしまったと連絡がありました。

 何か良い下草は無い?と聞かれたのでプミラを勧めました。

 ホームセンターでも買え、繁殖力は凄いものがあります。コンクリートフブロックの壁位なら、グングン這い上り、1、2年で覆い尽くしてしまいます。ただ、水はしっかりあげないと駄目ですが。

 メインになる庭木も下草があってこそ映えるのです。

 参考までに、植え替え時期の基本は、落葉樹なら冬から春。常緑樹は夏が適しています。これは造園のプロから聞いたので間違いないと思います。

 石井さん是非検討してみて下さいね。Ohanaの列柱が全部緑に覆われたら、なお素敵だと思うのです。