カテゴリー別アーカイブ: 04 建築

国宝・姫路城

 今日から新年度がスタート。清々しい青空になりました。

 先々週ですが、姫路城へ見学に行きました。JIA(日本建築家協会)の例会で、改修工事の現場がみられるとの事。すぐに応募していました。

 行きは山陽電車で。

 時間は掛かりますが、明石あたりは海がすぐそこ。安藤忠雄設計のこの住宅も見れます。

 鉄筋コンクリート造と木造で左右対称に建っているのです。船から見るとこんな感じ

 姫路城、別名白鷺城は、その名の通り漆喰が美しい城です。

 ちなみに国宝の城は「松本城」「犬山城」「彦根城」の全四城。

 今回は、一般の見学コースでなく専門家用のルートでの見学です。国宝、世界遺産に指定されている建物の改修現場を、真近で見られる機会はそうありません。

 以前、石井修設計の目神山の家1を見学した時と同じくらい、JIAに入っていてよかったと思っていました。

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 まずは、工事の概要、瓦の変遷などを説明してくれます。

 とりわけ、大きなしゃちほこを焼くのに苦労をしたようです。

 しかし本音を言えば、早く城郭が見たい……

 いよいよ立入り禁止エリアへ。

 まだ左官職人が働く中、担当者の説明も熱を帯びてきました。工事費の6割以上が、全体を覆う足場工事に掛かっています。

 この足場が無ければ改修も出来ないし、こうして真近に見れる事もない訳です。

 受け継がれて来た城郭建築の技。またそれを復元、進化させる現代の技術に感嘆の声を上げるだけでした。テンションは上がる一方。

 「済みませんが、このエリアで撮った写真を、ブログなどに上げるのは遠慮ください」の声を聞くまでは……

 おそらく創建当初から使われている瓦。

 通常なら見る事が出来ないアングルでの写真をUPしたかった。

 それが正直なろころです。

 仕方がないので、姫路駅名物「えきそば」を上げておきます。簡単に言えば、和風だしにラーメンの麺が入っていると言えば良いでしょうか。

 阪神百貨店のスナックパークでも食べる事ができますが、なかなか美味しかったのです。

 日記を書くために出掛けているのではありませんが、伝えたい、という気持ちが無ければ、その動機は半減することを改めて実感しました。

 今回の記事で計945回目。秋には1000回になります。普段はなかなか伝えられない事を書いてみようと思っています。

大阪の住まい力アップ、最優秀賞受賞

 先週金曜日、書類で通知が届きました。

 「大阪の住まい力アップ:第1回リフォーム・リノベーションコンクール」「住之江の元長屋」が戸建部門で最優秀賞を受賞しました。

 まずは、嬉しい、の一言につきます。

 放送があるのかは未定ですが、ニュースの取材もあり、立ち寄ってきましたが、クライアント姉妹もとても喜んでくれました。
  
 今までもこういった賞レースには、チャレンジしてきました。なかなか受賞には至らず、2011年「Ohana」での「キッズデザインアワード」が初めての受賞でした。

 「子どもたちの創造性と未来を拓くデザイン」という点で評価して貰った事を、クライアントと共に喜び、わかちあったのです。

 今回の審査基準に、以下のような項がありました。

 □ 居住者の現在のニーズと将来のニーズがデザインに反映されているもの
 □ 新しい発想や工夫が盛り込まれているもの 

 気になるのが以下の項です。

 □ 大阪らしい暮らし方の提案が含まれているもの

 「夫婦善哉」の織田作之助は大阪の気質について、このように書いています。

  確かに大阪は伝統を守って来た都だ。今日を以って伝統を守るだけなら、骨董屋のおっさんにも出来よう。大阪人を大阪人たらしめるものは、大阪人が永遠の新人という一事だ。
 
 流石オダサク、痛快です。講評は次の通りでした。

 両隣をマンションに挟まれたよくない条件下で、1階に明るい光や風をいれるための光庭を設けるなどの工夫がなされている。大阪らしい、魅力的な居住空間を実現しており、モデル的な改修事例と高く評価できる。

 嬉しいコメントですが、最も大阪らしいのはクライアント姉妹の明るく前向きなところです。
 
 なかなかスタッフを慰労する機会もないので、週明けにお祝いの席でも設けようと思います。今週でないところが、小さなアトエリの現実で……

方丈記から801年、あれから2年

 今日は梅田での建築家展最終日。

 土曜日は天気もよく、気温も20℃前後まであがりました。

 梅田阪急ビルの24階から、大阪マルビルの掲示板はすぐ横の感じです。

 反対に日曜日は一気に気温が下がり、6℃の表示もありました。

 大学時代の旧友が訪ねてきたり、プランの提案を見てみたいという方が見えたり。 

 また先輩建築家にアドバイスを貰ったりと、バタバタ楽しくやっています。

 昨年は方丈記が書かれて800年。よって今年は801年目です。方丈記は鴨長明が鎌倉時代に書いた随筆です。

 彼が晩年を暮らした庵が1丈四方だったことに由来していますが、1丈=10尺=3.03mなので、その大きさは6畳弱というところでしょうか。

 去年の新聞に、以下のような記事が載っていました。

 方丈記が書かれて今年で800年。人と住居の儚さを綴ったこの名作は、冒頭から平安京を襲った火災や竜巻、大地震などの自然災害を活写し、後半部では大邸宅や金銀にどれ程の価値があるのかと疑問をなげかけ、本当に必要な物だけを残す生き方を実践してみせる。欲望への執着を捨てよ、あくせく走り回ることをやめて自然と共生し、心豊かに静かに暮らすのが一番の幸せだと説いている。

 800年前から、人が目指すところはなんら変わっていません。当然と言えば当然です。

 自分が日本人であることを割り引いても、この国の文化は世界に誇れるものだと思います。独自の文化が花開いた理由に、四季のある極東の島国という理由があるでしょう。

 しかし、この条件を満たす地域は、他にもあります。よって、十分な理由にならないと感じていました。誤解を恐れず言うなら、長い歴史の中で、大きな地震が街を襲うたび、人と地域は逞しく成長して来たのではないか。

 3.11では当事者で無かった私が言うのは、はばかられますが、1.17の体験も合わせてそう思うようになりました。

 ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

 冒頭の最も良く知られた一節です。ある種の達観思想ともいえる「無常観」ですが、この列島が大陸のプレートの継ぎ目にあるからこそ、生まれたのだとも感じるのです。

 阪神淡路大震災から18年、東日本大震災から2年が経ちました。移り行かないものは無いと分かりながら、自分に出来ることは何なんだろうと考えます。街の、地域の、国の、地球の、人類の進歩に貢献できる仕事がしたい。

 そんなことを思う3月11日です。

必然で必要、そしてベストのタイミングで起こる

 四ツ橋はその名の通り、4本の橋が架かっていたのがその由来。
アメリカ村の北、西心斎橋と言った方が分かりよいでしょうか。

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 リキテンシュタインの「OSAKA VICKY!」が迎えてくれます。

 その北にあるキッチンハウスで、建築家・窪田勝文氏の講演がありました。
海外でも多くの賞を受賞する建築家で、現在55歳。

 講演は建築家協会の主催で、世話役を務めるのがキッチンハウスの人だったのです。

 彼は当事務所の担当でもあり「質疑応答で、挙手が無かった場合何か質問して貰えますか」と言われていました。

 講演時間は1時間半。自身の生い立ちから、創作のストーリー、作品の変遷。また世界の名建築がなぜ名建築たり得るかなど、素晴らしい内容でした。

 人と自然の間にある、建築がその関係を邪魔してはいけない。

 ファンズワース邸を見てもよく分かる。

 そして建築は、心を動かす事ができる瞬間がある、そう信じている、と。

 講演が終わると挙手は無く、「仕込み」のあった建築家3人が質問をしました。

 そして最後に私。

 いくつか聞きたいことがあったのですが、答えは全て講演の中にありました。それでこう質問しました。

 「多くの創り手が、自身の哲学や思想をダイレクトに表現したいと思っていると思います。その中でも、窪田さんは非常に多くのことを実現していると感じるのですが、何故それが可能となったのだと思われますか」

「昔から、何故フェラーリよりクラウンのほうがかっこいいという人が居るのだろうと思ってました。ずっと世の中がそうだと言っていると、同業者の人でも自分が気づかないうちに、社会に合せてしまってているのでは、と思う事があります。僕は、そこは曲げなかった、という事ではないでしょうか」

 という答えでした。

 この世に起こることは全て必然で必要、そしてベストのタイミングで起こる。

 松下幸之助の言葉です。

 自分に足りないものは何なのだろうと、いつも考えます。能力、努力など色々あると思います。しかし、真面目で一生懸命ではあるつもりでした。

 「誰が一番真面目で、純粋なのか」というメッセージとも言えます。真面目さが足りてなかったとは……

 全ては必然で必要、ベストのタイミングで起こるのです。

構想3年、住んで1年

 1月末に「あちこちでお茶できる家」へ行ってきました。

 1年点検の為でしたが、その内容はまた「現場日記」にUPしたいと思います。

 当日、webサイトにある「○○年後の感想」というページのお願いをしてきました。

 フォーマットを送らないと、と思っていると早速奥さんからメールが届きました。

 先日は、寒いなかありがとうございました。
言い忘れなんですが、

①リビングダイニングの壁の角の塗り直し、いいでしょうか?

②リビングのダウンライトが1つ切れました。買い替えますが、早いなぁと・・・

 さて、1年間、新居に住んだ感想です。

 構想3年でしたでしょうか?

 その意味は大いにあったと思います。

 お茶しに来たママ友には、「まるでカフェみたい」は毎度のことで「〇〇さん、お家で過ごす時間好きでしょ」と言われました。

 「確かに」

 とにかく気持ちがいいんです。

 そろえた椅子や時計、壁の色やキッチンの使い勝手。

 でも、それ以上に「家の角度」なんだと思います。

 ダイニングの大窓からの日差しの入り方。

 和室からの玄関までの見え方。

 キッチンからの解放感。

 ダイニングに座ると和室と玄関まで見渡すのも気持ちいいです。

まるでカフェです。

 それと、この解放感は引き戸を天井高に合わせてもらったのも功を奏していると思います。

 また、ペアガラスを多用したことなど、とにかく熱効率がいいのもうれしいです。

 朝、寝室での結露もほとんどありません。

 そうそう、オール電化の太陽光発電は言うまでもありません。

 解放感のお陰か、子供たちものびのび嬉しそうです。

 テレビに子守をさせる時間も減りました。

 キッチンでは、一緒にカレーやお菓子を作ったり、ダイニングで、簡単な縫い物にも挑戦しました。
(マンションではしなかったと思います)

縁、なんですが本当に建築家の方との良縁に恵まれたと思います。

 ラッキーですし、ありがたいことです。

 最後に、『すまい』の件、お受けしたいと思います。
日程に無理のない限りですが。

 また、どうぞ宜しくお願いいたします(#^.^#)/

 子供たちがのびのび嬉しそうで、テレビを見る時間が減った。

 一緒に料理を楽しむようになった。それらは、この家を建てたことがきっかけになった等々。

 本当に嬉しい感想です。

 この計画は転居のタイミングを入園に合わせることになり、ゆっくりと3年掛けて進めました。どうしても3年が必要だったのではありませんが、結果的にそれも良かったと感じます。

 仕事を始めた頃、自分がお金を貰って良いレベルに達しているのだろうか、とよく考えました。現在も、その問いに対する明確な答えはありません。

 しかし、プロとアマチュアの違いは、掛けられる時間の違いである事も分かって来ました。なら真剣に取り組めば、クライアントの夢の多くは、かなえれるのでは、と考えるようになりました。

 このような感想を貰った時、この仕事に心から感謝します。

 「建築家の方との良縁」とある通り、これは私ではありません。自分より大きな存在として職業があり、仕事があります。その上で、自分が存在するという事が良く分かります。

 よって、建築家 守谷昌紀のゲツモク日記なのです。

僕らの職場

 日曜日の「ビフォーアフター大賞」は、思った以上に反響がありました。

 もしかすると、7月の放送よりも大きかったかもしれません。とても嬉しいことですが、Facebookのコメントに、このようなものがありました。

 人に安住してもらうために自分の立場に安住しないというのが素晴らしいです。

 褒めて貰った事を、自分で再掲載するのもどうかと思いますが、非常に嬉しい言葉です。なにせ 我が家の家訓は「イメージ&チャレンジ」と「めんどくさい事、先にやる」ですから。

 何とか、年末に引き渡せた「細工谷の家」

 検査の際に、バタバタと夕景を撮りました。

 建物に初めて明かりが灯った時、ようやくここまで来たなと思えるのです。 

 1階はRC打放し。

 それに取りつくスチールの階段、微妙にスキップする床と、狭小ゆえ難しい部分が多くありました。

 それら全ては、監督を中心とした現場チームと、繰り返し行われる対話によって実現されます。

 中でも、大工という仕事は多くの部分に関わるので、話す回数も自然と多くなります。

 この現場に来てくれていた大工のSさん。昨年大病を患いました。

 しかし、対処が早かったのが功を奏し、回復に向かっていると聞いていました。

 終盤からですが、元気な姿を見せてくれました。

 私達にとっては「Shabby House」の現場以来です。

 若い頃は「なめられてはいけない」の一心で、無用に力が入っています。当然現場との対立も増えて行くのです。
 
 しかし、真摯な姿勢で仕事に取り組んで来た、実力ある職人は、そんな私の心を見透かすように、なだめ、さとし、私の決断を待ってくれました。

 本当に自分が良いと思う事は、結論がすぐに出なくても、表現を変え、時間を変え、繰り返し伝える。プロとアマチュアの違いは、掛けれる時間の違いだという事も分かってきました。

 「危険」「汚い」「きつい」。

 3Kと言う言葉がありますが、建築現場もこの範疇に入るでしょう。

 そんな現場で、淡々と仕事をする職人の姿をみると愛おしく思えるようになってきました。

 特に年配の職人が黙々と働く姿こそ、今の若者が見るべきものではないかと思うのです。

 どんな素晴らしい大学に行くより、海外ボランティアに行くより、働く事の尊さを教えてくれるはずです。

 実はもう一人、大工のMさんも体調を崩したと聞いています。口下手で、寡黙に働くMさんは、「イタウバハウス」を担当してくれました。

 Mさんとも、また現場で会える事を祈っています。そんな事を思うのは、私も歳をとったからか、早い日暮れがそうさせるのか……

 冬寒く、夏暑い。それが、僕らの職場です。

甲賀流日曜大工1千万円也

 今日はクリスマスイブで祝日。今晩、子供達はワクワクしながら布団に入るはず。

 サンタは居るのかと問われれば、居ると信じる人には居る。これからも、この答えで一辺倒で行こうと思います。

 昨日、子供にどこへ行きたいか聞くと、忍者村と。最近「忍者のひみつ」を読んだようです。

 伊賀流は年始に習得済なので、甲賀へ行くことにしました。

 「こうが」ではなく「こうか」が正しい読み方です。

 「甲賀流忍術屋敷」は、甲賀五十三家(甲賀忍者)の筆頭、望月出雲守の旧宅で、忍者の住居として現存する日本で唯一の建物とあります。

 元禄初期の建物ですが、保存状態も非常に良く、意外な程賑わっていました。入館料は大人600円。

 どんでん返しは、忍者屋敷の代名詞です。

 くぐり方もなかなか様になっています。

 秘密の抜け穴は、現在は地下水が湧いており、途中で崩れているそうです。

 大人も子供の身を乗り出してのぞいていました。勿論私も。

 ここにも、手裏剣体験はありましたが、子供のイメージとは違ったよう。

 で、近くにあるもう一つの施設「甲賀の里 忍術村」へ。

 彼らのイメージはこれでした。

 入村料は大人1000円。子供の衣装は700円だったと思います。

 こちらは「村」とある通り、複数の施設があります。

 

 忍術博物館、からくり忍者屋敷などがありますが、博物館の建物は総茅葺です。

 内部空間が、非常に大きなことに驚きます。

 手裏剣体験など、修行体験が出来るのです。

 若い「忍者」のお兄さんが、一緒に回ってくれたのですが、最後の修行が「水グモ」。

 成功率3割と聞いて、じゃあやろうと決めました。

 「靴下を脱いで、裾をまくっていただいて……」

 足が水の中に浸かると分かっていませんでした。

 子供の前で言った手前辞める訳にも行かず。しかし一旦浸けてしまえば慣れるものです。

 長男もやると言いだし、無事成功。

 世が戦国時代なら、今から修行すればいい忍者になったと思います。若干贔屓目は入っていますが。

 この施設が1月3日の11:00am頃、関西テレビで放映されるそうです。

 その話を聞き「1月6日に、もしかすると僕の仕事も少しくらいならテレビに映るかも」と伝えました。

 「ビフォーアフター」のファンで、私の担当回も観ましたと、若い忍者君が言ってくれたのです。

 修行が終わると、オーナーの女性も番組のファンなんだと出てきてくれました。

 四方山話の中で、茅葺については色々と教えて貰いました。これは稲を刈ったあとの藁(ワラ)です。

 こちらはススキを刈った茅(カヤ)。

 本来は茅が一番良いのですが、材の確保が難しいのです。よって、藁と混ぜて使うそう。

 近江八幡のほうでは、琵琶湖に生える葦(よし)を使ったりと、地域性もあるとの事でした。

 茅葺職人は減る一方で、勿論行政からの補助もない。仮に職人に依頼出来たとしても、1棟1千万掛かるそうです。

 昔はイロリでいぶされていたので、虫食いなども少なかったが、今は5年に一度くらいは葺き替えが必要。それで、結局自分達で葺き替えていると言うのです。

 日影が出来きると屋根の持ちが良くないと聞き、早速建物近くの樹を切ったそう。確かにその陰のあったエリアに苔が生えているのです。

 全ては試行錯誤ですと。しかし、1千万円の日曜大工とは。

 何故、そこまでして残したいと思えるのですかと聞きました。

 「だってトタンだと風情がないでしょう」と。おみそれしました。

 忍者は戦国時代を最後に、その必要性を失って行きます。子孫は薬草などの知識を活かして生計を立てていきまいた。

 更に、この地域からは近江商人として成功した人が沢山いるとのことでした。ワコールの塚本氏、西武グループの堤氏などがその代表です。

 何故この地域から、多くの成功者が出たんでしょうね、と聞くと「みな勤勉だからだと思いますよ」と。

 それを聞き、色々な事が納得できました。甲賀衆おそるべし、です。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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東京駅と浅草、辰野金吾と隈研吾

 日曜日の昼ころ岩国から戻り、月曜日は千葉へ。

 途中、復元工事を終えたばかりの東京駅を見て来ました。

 丸の内駅舎は1914年の完成。設計は近代建築の基礎を築いた辰野金吾です。

 戦争によって消失していた部分も、今回復元されました。

 辰野金吾と言えば、関西でも大阪市中央公会堂、日本銀行大阪支店、奈良ホテルなどの作品があります。

 復元されたホールは、日本の玄関に相応しい格を備えていると言って良いのでは。

 学生の頃、奈良ホテルのティーラウンジへ行きました。

 見学を兼ねてでしたが、皇族も泊まるというその品格に緊張したことを思い出します。コーヒーの値段にも驚きましたが。

 全景も撮ってみました。

 今度は晴れ空で撮りたいものですが、何とか雨は免れました。

 千葉への移動だったので、浅草にも寄って来ました。

 前回浅草に来たのは、2011年の3月7日

 その時には、雷門の向いにこんな建物が出現するとは想像もしていませんでした。

 浅草文化観光センターは今年の春のオープン。設計は隈研吾です。

 彼は「負ける建築」という言葉に象徴されるよう、土地と対話し、環境に従属するような建築を、というコンセプトを打ち出しているのです。

 この建物は、木造切妻屋根の平屋を積層させるというデザイン。

 そのヴォリュームにして、この場に在っておかしくない建築を実現しています。その力量が遺憾なく発揮されていると言えるでしょう。

 隈研吾は日本を代表する建築家です。しかしデビュー作は厳しい評価でした。

 マツダのショールームとして計画されたM2ビルは1991年の作品で、学生時代に雑誌で見ました。
 
 ギリシャ神殿の柱をモチーフとし、その対比として退廃を表したデザインが物議をかもしたのです。 

 その後、ある仕事を通して、これらのコンセプトを掲げ、現在のステージにまで上り詰めて来たのです。

 これ程作風が変わった建築家も稀だと思います。

 辰野金吾との共通点は東大建築学科卒。

 辰野は、指導者として来日したイギリス人建築家ジョサイア・コンドルに師事しました。隈は留学を経ていますが、活躍の舞台を世界へと広げています。共にエリート中のエリートですが、これも時代の移り変わりと言えるでしょう。

 一昨年から今年にかけて、関東圏で2つの仕事をさせて貰いました。来年にかけても、千葉で仕事が出来そうです。色々な土地で仕事が出来る。それは仕事人としての純粋な喜びです。

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古美る、イタウバ

 7月に、大阪ガスの住宅情報誌「住まう」の撮影がありました。

 この号の発刊は9月20日となっていますが、知りませんでした。あるメーカーの人から「載っていましたね」と聞き知った次第です。

 普通、家の記事というのはクライアントが主役です。しかしこの2ページのコーナーは「大阪ガスは建築家を応援します」のコピー通り、創り手側が大写しになっています。

 気恥ずかしいところもありますが、良ければ手に取ってみて下さい。大阪ガスのショールーム、ディリパなどに無料で置いてあるはずです。

 撮影のあった「イタウバハウス」は、テーマの中に「白ける」がありました。

 正面ルーバーに使われている樹は、イタウバという堅木です。堅木につき雨風に強いのですが、紫外線にされされていると、どうしても表面が白っぽくなります。これを「白ける」と言うのです。

 その変化が目立たないよう、塗装するのが一般的です。しかし、その経年変化を隠さず、そうなった時に最も美しい外観を目指すそうとなったのです。

 2011年3月

 2012年7月

 その試みが成功したかどうかは、見た人の判断によります。

 建築家・出江寛は「古美る」という表現を使います。古いものは美しいと言う思想です。千利休の師、武野紹鴎の、侘びとは「正直で慎み深く奢らぬ様」という言葉も引用し、正直に古美ていく様が、日本精神の神髄にある「侘び」へとつながっていくと、説いているのです。
  
 この考えは、瓦メーカーのサイトに分かり易く書かれています。

 仕事を始めた、当初の2年間は勤めていました。初めの1年は出江寛の弟子の建築家の設計事務所。よって、彼の孫弟子と言えなくもありません。

 直接の接点は無いのですが、無いからこそ、その哲学に影響を受けていると思います。

 建築に使われる素材は、どうしても変化の少ない、メンテナンスフリーな物へと移行して行きます。時代と共に、全てを否定することは出来ないのですが、受け継がれて来た精神は持ち続けたいと思うのです。

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社会見学 遠州 ヤマハ編

 昨日は、JIA(日本建築家協会)の例会でした。

 朝7:30amの新幹線で浜松へ。

 総勢20人がバスに乗り換え、まずは天竜市の秋野不矩美術館へ。

 女性画家、秋野不矩(あきのふく)の出身地に建つこの館は、藤森照信の設計です。

 子供が絵に描いたような独特の建物。

 インドなどを描いた柔らかいタッチの画を、プリミティブな空間が優しく内包しています。

 氏の建築は、非常に許容範囲が広いということが、ここでも証明されています。

 昼食は浜松に戻り「新角」という店へ。

 流石は鰻の街です。

 さくっと焼き上がった鰻に甘めのタレがしっかり掛かり。

 噛みごたえもしっかりしており、素晴らしい味でした。

 鰻の入ったしゅうまいも名物のようで、さっぱりとした食感で、とても美味しかったです。

 昼からはヤマハの工場で、キッチンの制作過程を見学します。

 残念ながら工場内は撮影禁止でした。

 しかし、国内で初めに人工大理石を用いただけあり、その拘りが伝わってきました。

 特に350℃までのフライパンを置いてもOKという点においては、唯一無二のレベルと言って良いと思います。

 その秘密は、熱に強い材を使うのではなく、素早くその熱を拡散できるような素材が混合されているという事でした。

 材料化学の世界では必然の発想なのかもしれませんが、問題を解決する際にはこういった考え方が必要なんですよ、と教えらるようでした。

 ヤマハと言えばやはりピアノ。

 ピアノ塗装と言われるその技術は、工芸品の域と言ってよいものです。

 扉のカラーバリエーションは114色。

 全て自社で出来る技術があるからこそのラインナップと言えます。

 最後は、人工大理石のコースター造りの体験コーナーへ。

 これらは、一般の社会見学コースにあるのか、私達専門職の人だけのものなのかは、確認し忘れました。

 最後は、ヤマハの関連施設「葛城北の丸」へ。

 北陸の古民家を再生した宿泊施設なのですが、2002年日韓共催ワールドカップに際に、トルシエジャパンが宿とした事で知られます。

 館内にも中田英寿らがサインしたユニフォームが飾られていました。

 トルシエがここを拠点としたいきさつは、どのようなものだったのでしょうか。

 日本人にはこの場所が最も合っていると感じたのか、もしくは通訳を務めていた彼が勧めたのか、もしくは本当に青い目のサムライだったのか……

 2時間ほどかけて、先輩建築家と食事を共にし、帰途についたのです。

 秋野不矩美術館のすぐそばには、本田宗一郎の生家があるそうです。

 個人で行っていたなら、是非見て見たかったのですが、それは叶いませんでした。

 日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである。

 やろうと思えば人間はたいていのことができると私は思っている。

 当時、一生懸命がやたらと尊ばれた。たんなる一生懸命には何ら価値がないことを為政者は教えなかった。

 だから国民は一生懸命が価値を持つためには、正しい理論に基づくことが前提条件だということを悟らなかった。

 ヤマハ、河合楽器、トヨタの創業者が静岡の出身です。物創りに欠かせない何かが、この地には受け継がれているのか。

 なかなか訪れる機会のない遠州。いずれゆっくりと回ってみたいと思います。

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