カテゴリー別アーカイブ: 11 日常

カメラレンズ

今日から12月がスタート。今年も1ヶ月を残すのみとなりました。

慌ただしいのが年末ですが、いらぬ用事が増えていました。先月のアメリカ行の際、カメラのレンズを1つ壊してしまったのです。

普段はコンパクトデジカメ、ペンタックスのOptio P70を持ち歩いています。

このサイズにしては27.5mmの広角レンズである事、黄や緑の発色が自然な所が気に入っています。

広角とは簡単に言えば広い範囲が映るという事です。

建築写真では、更に広い範囲が映る超広角というレンズが必要になってきます。迂闊にもそれを道路に落としてしまったのです。

落としてしまったレンズは、シグマの14mm。これで撮ったタイムズ・スクエアです。

この時はすでに落とした後で制御がきかず、若干ピンボケですが、画角が広く、奥行き感がでます。

同じようなアングルから、レンズを変えて撮りました。

タムロンの 28-300mm は様々なアングルをカバーできる便利なレンズ。全く画角が違うのが良く分かります。

ニューヨークについて2日目。

シーグラムとレバーハウスを撮った後、完全に浮かれていました。

そこから、グッゲンハイム美術館へ移動する途中に落としてしまいました。

レバーハウスと、グッゲンハイムの外観を比べると、急に迫力がなくなっているのは、その為なのです。

新たに買った超広角は、キャノンのTS-E 17mm。あおり補正のついた優れものです。

今週初めにようやく届きました。

キャノンの5D MarkⅡに付けるとこんな感じ。横にあるのがタムロンです。

これをペンタックスで撮ったのがこの写真で、 反対に、1枚目のペンタックスはキャノンTS-E 17mmで撮りました。

レンズ、メーカー、機種で写真は全く違うものになるのが良く分かります。

当事務所のwebサイトで、撮影者のクレジットが無いカットは私が撮影したもの。良ければ見比べて下さい。

道具だけでなく、撮影者によっても写真は全く違ったものになります。

カメラは本当に奥が深いのです。

それは自らの手で

 昨日は、子供達が妻の実家へ行っていました。

 それもあって、朝一番から3つ現場を回ってきました。

「東田辺の家」は掘方が始まりました。

 日曜の朝は道も空いており、車で移動。

 街路樹も色づいてきました。

 「あちこちでお茶できる家」は、屋根、金物関係の中間検査を間もなく迎えます。

 「サンルームと吹抜のある家」は引越しが済んだにも関わらず、少し工事が残っています。

 クライアントには迷惑を掛けていますが、これには良い結果で報いる他ありません。

 現場には発破をかけてきました。

 夕方には投票へも行ってきました。

 昨日の大阪はW選挙と言われ、市長選は60%を超える高い投票率。結果は市長が橋下徹氏、府知事が松井一郎氏でした。

 誰に投票したかは差し控えますが、2人には身を粉にして頑張って頂きたいと思います。はっきり言えば、政治家というのは、市民、府民の下僕だと思える人の事だと思っています。

 以前作家の五木寛之氏の話に、大変共感できたので、政治に対するスタンスを書いてみます。

 5年程前だったでしょうか、イタリアを題材に多くの作品を多く書いている、塩野七生さんと対談がテレビで流れていたました。

 五木氏が「塩野さん、新聞って読んでます?」と。「読んでますよ」と塩野氏。

 「僕は読むのをやめたんでよ。ニュースを読んでも暗くなる話ばかりだし。で、どう出来る訳でもないでしょう。読む必要ってあるんですかね」
 と言うような会話でした。

 新聞を読んでいる私が言うのも何ですが、この意見を聞いたとき「そうだな」と思ったのです。

 社会の流れや、風潮を知るのは大切な事です。例えば、株価の上昇、下降などが分かっていなかったりすると、経営者の集まりの中で、トンチンカンな事を言ってしまったりします。

 海外からの輸入や輸出に関わる人や、株を持っている人にとっては、最重要事項だと思います。

 しかし私にとって、知ったところで、円高を止める事も出来ないし、それらによる損失を補う事もできない。目を背けたくなるような悲しいニュースを、真正面から読んでみても、私には何も出来ないのです。

 それらが他人事と思っている訳ではありません。全ての情報において、ネガティブな想像をする事に、全く意味がないのではと思ったのです。

 建築家ル・コルビュジエは、ヒューマンスケールを提唱しました。身長を基準とし、黄金比で割って行く、普遍的な尺度「モジュロール」という考えを発表したのです。

 また、宮崎駿は「半径3m以内に大切なものはぜんぶある」というメッセージを発しています。 

 政治に期待をし、興味を持つことは重要な事です。しかし、それぞれが目の前にある事に精一杯打ち込む事のほうが、何十倍も大切に決まっています。

 大阪を、日本を、世界を良くするのは、自らの手に掛かっているのです。

社会見学 in コマツ

 近頃は大人の社会見学が流行っているようです。

 情報誌にも、お菓子、ビール、インスタントラーメンなど、見学可能なところが色々と取り上げられていました。

 大人になってからのほうが感じることが多いかも、コマツの大阪工場「わくわくケンキフェスティバル」というのに行って来ました。

 地下鉄、天満橋で京阪に乗り換えます。

 少し時間があったので、大川の川べりに出ました。

 桜の葉も色づきはじめ。丁度、水陸両用車が通過して行きました。

 コマツ大阪工場は、京阪枚方市駅からバスで15分程の所にあります。

 門をくぐると、初代ブルドーザーが置いてありました。

 重機の運転体験、フリーマーケット、製造ラインの見学などのイベントがあります。

 仮面ライダーショーなどもあり、人出はかなりのもの。

 ピザハット、ケンタッキー、王将などの屋台もあり、特別メニユーで金額は抑え目になっていました。

 一番楽しみにしていたのが、工場見学。

 何か機会がないと来る事がありません。

 ブルドーザー、クレーン車のラインが平行してあり、組み立てて行く順に見て歩けます。

 通常業務の際にも見学できるようで、非常に整理整頓されていました。

 もし見れるなら、通常営業をしている時のほうが面白いかもしれません。

 最後は、クレーンのアームでトンネルが作られていました。

 なかなか粋な演出です。

 お祭りのような屋台が並び、くじ引きがありました。

 そのはずれ商品が、犬の足にコマがついているおもちゃ。

 下の娘が、あれが欲しいと言いだし、昼ごはんは食べず、泣いて泣いて座り込んで抗議するのです。

 そんな事では買わないと突っぱねていたのですが、長男まで買ってやってくれと泣きだし……

 結局はずれ狙いで(滅多に当りなど出ませんが)射止めました。

 この後、梅田に出たのですが、かなり気に入っている様子で、ずっと犬の散歩を満喫していました。おかげで、ほぼ抱っこせずにすんだのです。

 完成一歩手前のクレーンに伝票が貼ってありした。

 納品先がはアメリカ、ロシア、ニュージーランド等々。

 鉄の塊なので、相当な重量があると思います。

 運賃も納期も掛かるでしょうが、ここから輸出されて行くのです。

 物づくりの国、日本の誇りと言っても大げさではないでしょう。

 このイベントには多くの社員が出勤して交通整理、掃除などをしていました。地域の人、取引先、株主に対してのお礼というのが目的ですが、それだけではないと感じました。

 工場の中を歩く大人にしろ、子供にしろ何度も「凄いなあ!」と驚嘆の声を上げます。

 日曜出勤は大変だと思いますが、この声を聞きだけでもこの会社に務めて良かったと思うのではないかと感じたのです。

 大切なのの安楽でなく充足。そう思うのです。

深夜ラジオと学生

 春先からオープンデスクに来ていた学生は、先週金曜日が最終日でした。

 20日間ワンクールですが、飛び飛びだった事もありこの時期になったのです。ある日、彼女が打合せ室で色紙をみつけました。

 「○○○さんって、あの○○○さんですか!」と。

 中学生のころ、深夜ラジオの熱心なリスナーだったそうで、クライアントはそのパーソナリティーを長く務めていました。

 1度だけ葉書を送り、合格祈願ステッカーなるものを貰ったそうなのです。
 
 「まさか名前までは覚えてくれていないですよね?」と学生。

 「機会を見つけて聞いてみるわ」と、ペンネームをメモしたのです。

 クライアントにメールした際に、この内容も添えてみました。すると、先々週の誕生日にお祝いの電話を頂いたのです。
 この話題にも触れてみました。

 「まさか覚えていないですよね」と聞くと「覚えているような気もするし……、違っているかもしれないし……」

 それはそうです。毎週沢山の葉書、メールが届くはずですから。

 私も中学、高校、大学になっても深夜ラジオが好きでした。

 「MBS!ヤーングタウン!」は明石家さんま、谷村新司、島田紳助 。オールナイトニッポンはビートたけし、とんねるず、同年代のナインティナインまで。

 たけしのオールナイトニッポンに至っては葉書職人を夢見て、投函したことさえあります。聴き過ぎで、どう考えても勉強していません。

 クライアントがパーソナリティーをつとめていた番組は、その頃、ヤングタウンをしのぐ人気番組と知ったのは、随分あとのことでした。

 自分に置き換えるなら、大学3会回生の時、ビートたけしの家の模型と、すぐ横に置いてあるサインを見つけた事になります。普段はクールにも見える女子学生も、これはテンションが上がります。

 ラジオというメディア、特に深夜ラジオは若者に合っていると思います。受験勉強の為、自室にいる時間が長くなります。不安も多くなるでしょう。

 核家族が進み、世代の違う人の話を聞く機会はかなり少なくなります。初めて大人の世界を垣間見る、考え方を聞くのがが深夜ラジオと言えるかもしれません。とても刺激的なのです。

 「最近は、リスナーだったんです、という方とお仕事する機会も増えました」とクライアントは言っていました。

 打合せ室の色紙には「素敵なお家をありがとうです」とあります。

 色々な経験をさせて貰い、こちらが有難うございますと言いたい心境です。学生へ自慢げに言いました。「一所懸命働いてたら良い事もあるやろ」と。
 
 仕事は人を成長させます。さあ頑張れ未来を背負う若者達。早く実社会に出て来なさい。

 そして、日本をつまらないと言わせるな!です。

現場力

 先週の前半。午前中に1本の電話が掛かってきました。

 初めにスタッフの女性が出ました。

 彼女の最後の質問は

「失礼ですが、お名前をお聞きして宜しいでしょうか?」

 でした。建築相談と聞き代わると

 「プランは無料で作成して貰えるのですか?」

 という内容でした。

 それに対して私の返答は

 「求めて頂ける可能性があると感じたら、無料でさせて頂きます。よければ、また事務所に遊びに来て下さい」

 完全に駄目です。大きくは、2つの間違いがありました。

 1つ目は、webサイトに無料でプランすると書いてあるので、聞かれたなら「無料でします」と答えるべきです。嘘はありませんが、注釈は無用です。

 計画は、いつも多くの建築家と比べられるコンペだと思っています。報酬を担保するより、全力でプランを全考える方が、よほど事務所の為になると思っています。もちろん、選んで貰えないというイメージは一切持っていません。

 2つ目はスタッフが名前を聞いた事。

 普段から、問い合わせの際には、名前、連絡先は聞かなくて良いと言ってあります。

 例えば服を買いに行ったとき、名前を言えと言われたら、すぐに店を出るはずです。関係が出来上がるまでは、匿名性も大事だと思うのです。

 

 一昨年に竣工した写真スタジオOhanaの石井さんに、撮影の前はどんな準備をするんですか、と聞きました。

 「何もしませんよ。その時のひらめきが大事ですから」と。

 それが「現場力です」とも。
 
 知らない設計事務所に、電話するだけでも勇気が要ったはずです。その対応がこれでは。

 全ての仕事は、一本の電話から。

 スケジュールが立て込んでおり、皆にちょっとした慢心があったのかもしれません。

 その時、その現場で、どんな仕事が出来るかにかかっているのです。

一級建築士事務所 アトリエ m
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

センター試験にまつわるエトセトラ

 今朝の新聞で、センター試験の平均点が発表されていました。

 共通一次、センター試験、合わせて3回受けた私としては、少々心がざわつく時期です。

 私が通っていた高校は6年一貫の私立で、進学校でした。しかし大して勉強もしておらず、270人中267番とかそんな調子。高校3年の時は一校も受からず、勿論浪人です。

 予備校時代は精一杯頑張りましたが、何とか受かったのが近畿大学の建築学科だけ。私は相当にしつこい性格で、もう一年仮面浪人することにしました。バブル景気が終焉に向かう1990年のことです。

 大学の友人に協力してもらい、最低限の単位を取り、近くの下宿に帰っては一生懸命受験勉強しました。回りの飲み会にも目をくれず。明けて1991年の1月、3回目の受験が始まりました。

 まずセンター試験で8割以上の点数をとり、2次試験の比率が低い大学を抑える計画を立てました。2次試験の比率が2割だった、広島大学建築学科の前期日程を保険にして、後期日程で目
指す大学にチャレンジしようと考えたのです。

 2次試験の日程が、近大の学末試験と重なり、受験する事は留年する事だったからです。

 20歳で迎えた3度目のセンター試験。会場は大阪府大だったと思います。配点は、英語、数学、国語が200点満点。世界史、物理が100点満点のトータル800点満点。8割の640点が広島大
学の合格ラインです。出だしは順調でした。

 苦手だった英語を137点で乗り切り、国語は上出来の161点。物理は狙い通りの100点満点、世界史は71点だったと思います。この4教科の合計は469点。数学で8割5分の171点とれば、640点に届きます。20年前のことですが、たぶん点数もあっているはずです。

 数学の点数は……100点程。200点満点の半分でした。

 理系の私にとって、数学は点を取りやすい科目です。ところが、序盤の数一で単純なミスを連発し、慌て、無残な結果に終わったのです。ここで私の大学受験は終わりました。

 クライアントのお子さんが受験と聞き、つい思い出しました。

 今思うと、大学生と受験生の2足のわらじでは、たかがしれていたと思います。受けるならスパッと大学を辞めるべきだったのです。

 それからこの失敗を教訓にしました。中途半端な決断は、悔いばかり残る。今後、そんなことだけは辞めようと。

 未だに、新聞にセンター試験の問題が載っていると、ちょっと解いてみたりするのです。

一級建築士事務所 アトリエm
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

サンタは見える

 今日は天皇誕生日で祝日。冬至の翌日でもあります。

 日が長くなって行く一日目。ともても前向きな日と言えます。しかも明日はクリスマスイブ。子供は散々盛り上がっているのです。

 昨日はOhanaへ。一年点検でした。

 つい最近まで七五三の撮影があったそうで、忙しいのは何よりです。

 壁の隙間が開いたところなどの補修点を、工務店の人と順にチェックして回りました。大きな問題はなし。

 店内はすっかりクリスマスの飾り付けになっていました。

 店の前には、メッセージボードが新設されています。

 奥さんと娘さんの合作だそうで「大人にもサンタさん来てほしいなぁ……」は、ちょっと笑えます。

 長男は保育園の年長ですが、すでに「あれはお母さんが、買って置いてんねんで」という子もいるそうです。

 その理由が、プレゼントの自転車に、近所のショップシールが貼ってあったからとか。

 子供に非は無いのですが、そこまで見なくてもという気もします。
 
 サンタはいるのと聞かれた時、あるクライアントはこう答えると言っていました。

 「大人にはもう見えないけど、信じている子供には見えるらしいよ」

 これはもう完璧な答えと、ちょっと感激したのです。

 この答え、仮にサンタを夢に置き換えたとすれば、あながち子供用の答えとは言えない気もします。

役員

 と言っても会社役員ではありません。妻が保育園の役員をしているのです。

 後援会の役員は、運動会、お遊戯会などのイベントで、先生の手伝いをするものです。妻が引き受けたと聞いた時「そんな余裕あるのか」と思わず聞き返してしまいました。

 長男は年長組。長女は年少組であと3年保育園に通います。ともに1歳から通っているので、都合9年お世話になります。

 頼まれたのが、2回目ということもあり、引き受けることになったようです。日曜日はその初仕事。私が子供を連れて保育園へ。

 今回は、お楽しみ会というイベントで、お祭りの出店の手伝い。

 狭い保育園の園庭はごった返し、汗が噴きだします。

 全て先生と役員の手作りで、商品などは年長組の役員が買いに行くのです。

 保育園にはノウハウがあるのでしょうが、買出しに行く人は、責任重大です。

 園児全員が500円で一通りのチケットを買います。何百人もの来場があると考えると、結構なイベントです。本来なら的屋が仕切る類のものですから。

 スーパーボールすくい。

 これは松屋町に行けば、かなりの数を安く買えます。

 金魚なんかは、どうするのか。

 見る角度で、興味も変わります。

 商品は、やむ得ず、安く、かさばるものになります。

 言ってしまえば子供だまし。それでも喜んでいるのですから、結果オーライ。

 妻に灼熱の1日を終えた役員の感想を聞くと……ぐったりしていました。
 
 究極の幸せとは「愛されること」「褒められること」「人の役にたつこと」「人の必要とされること」。

 これは日本理化学工業の大山社長の言葉。チョークを作る会社で、知的障者と仕事の関係を考え続ける経営者です。

 普段の暮らしの中では「人の役にたつこと」が一番大切でしょうか。役に立てば、必要とされ、褒められ、感謝されます。

 どの役員もぐったりはしているでしょうが、いい気分で日曜の夕食を迎えたのでは。全て損得勘定だけではないはずですから。

デジカメ

 今日は午前中から、大阪市東成区にある溶接所へ行っていました。

 溶接といえば、スチールが一般的ですが、ここではアルミやステンレスの溶接が可能です。親子2人で働く仕事場は、町工場の古き良きたたずまいを残しており、とても雰囲気がありました。

 建築で外部に金属を使う場合、サビの事を考える必要があります。その点でアルミは秀でているのですが、鉄より柔らかいので、色々な制限も受けます。溶接所の人の話を聞いていると、更なる可能性を感じる事ができました。やはり迷ったら動け、です。

 その後2つ現場を回り、事務所に向かう途中、カメラがない事に気付いたのです。最後の現場まで戻り、道中も探したのですが見つられませんでした。
 
 先代のカメラは2009年5月10日に海に落としたので、今回は1年3ヶ月の付き合いでした。

 PENTAXの「OPTIO P70 シルバー」

 小さい、シャープ、広角27.5mm、色が自然等の理由でとても気に入っていました。大事な物を無くした時の気分は、初めて車をぶつけた時の気持ちと同じです。

 「もし~していなければ、こうはならなかったのに」
 現実に「もし」はありません。悔いても、元には戻らないのも同じです。
 次のカメラは、更なる愛情をもって2年以上を目指します。

ブラックボックス

 昨日の新聞に、日航機墜落事故から25年が経ち、残された家族の談話が載っていました。何とも言いようのない、非常に厳しい現実が綴られていました。

 25年前の今日はとても暑い日で、私は中学3年生。帰省先の岡山で一報を聞いたと思います。そんな事を思っていると、ふと先月読んだ記事を思い出しました。

 『2010年7月19日 航空機のフライトデータレコーダー発明者、85歳で死去』

 内容は「1956年に初のフライトデータレコーダー(いわゆるブラックボックス)を発明した、オーストラリア人のデビッド・ウォーレン博士が亡くなった」というものです。続きを読み、なんとも言えない気持ちになりました。
 
 同氏は9歳のときに父親を航空機事故で亡くしている。父親から最後にもらったプレゼントは鉱石ラジオセットで、それが電子工学に関心を持つきっかけになったという。現在フライトデータレコーダーは世界中の旅客機に採用されており、「ウォーレン博士のフライトデータレコーダーは世界の航空安全に計り知れない貢献をした」とオーストラリア国防省は述べている。
 
 「怒りや憎しみを、行動の動機にしてはいけない」と考えます。

 しかし、ウォーレン少年は、父親を奪った航空機事故、もしくはその航空会社を憎まなかったとは考え難いと思うのです。その少年が、フライトデータレコーダーの発明に至るまで、どのような心の変遷があったのでしょうか。

 憎しみつくし、悲しみつくし、最後は今生きていることに感謝し、いつしか「人類の安全の為に、何か出来ないか」そんな動機に変わり、研究へ……全てはあくまで想像ですが。

 お盆は、故人が戻ってくる期間。今の生に感謝し、祖父、祖母を含めた全ての故人へ、の冥福を祈ります。彼らがいてこそ、今の私達があるのですから。