カテゴリー別アーカイブ: 11 日常

手紙‐1005‐

 今日は朝から、梅田の阪急ビルオフィスタワーにいます。

 向かいに建つのは富国生命ビル。設計者はフランス人建築家のドミニク・ペローです。

 快晴の秋空に濃い色のガラスが映えています。

 北を見れば、HEPナビオの赤い観覧車。ほとんど乗客はいませんが、時々一人で乗っている人も。

 土曜日、事務所に戻ると手紙が届いていました。一昨年の夏休み、オープンデスクに来ていた女の子からでした。

 住宅会社に就職し、設計をしている。オープンデスクの後も、この日記を欠かさず読んでいる。1000回目の記事を読んで、いてもたってもいられず、手紙を送ったと。

 そして「私も-カミングアウト(宣言)-させて頂きます」とあり、これからの夢が描かれていました。

 勝利者の条件は、その場に居ること、そして行動に移せること。「タイミングが合えば」や「出来るようになってから」では、機会はめぐってこないからです。思い立ったら筆をとり、行動に移した彼女に見習うことが沢山ありそうです。

 切手の下には「わらびを持つ少女」とありました。それで、若草色の封筒を選んでくれたのでしょうか。

 実際の仕事が始まると、社会の理不尽さに悩まされることもしばしばと綴られています。それも含めて仕事。是非乗り越え、次のステージに進んで欲しいと思います。

 経験で言えば「皆通る道だから」と言われるのが一番嫌でした。

 しかし、結論で言うと、自分が特別な存在でないと心底分かった時に、それらは全て過ぎ行くと思うのです。

ほぼでは駄目だ ‐998‐

 少し前から、タイトルの後ろに通し番号を入れています。

 今回が‐998‐ なので、あと2回で1000回。節目なので、何を書こうか少し前から考えています。

 2004年の3月から、この日記を書き始めました。その年の9月、webサイトリニューアルを機に、「ほぼゲツモク日記」としてリンクを貼りました。

 糸井重里の「ほぼ日」を知り、軽い気持ちで名前をつけたのです。

 しかし、縁もゆかりもない人に読んで貰おうと思うなら「ほぼ」では駄目だと思うようになってきました。約束のつもりで2005年の12月「ゲツモク日記」に改めたのです。

 以来、月木の更新を欠かさないようになりました。

 先月は、電車の移動が多い月でした。

 彼岸花も車窓から。

 水も澄みだす和歌山の海。

 そして雲を見下す富士。

 キャリアの出だしに「白馬の山小屋」という、長野県での改修の仕事を貰いました。

 設計料もかなり安かったので、現場へは夜行列車で通いました。

 しかし、仕事で様々な地域へ行ける魅力を、その時感じていたのだと思います。

 最近は、年に1件程度ですが、関東圏の仕事も増えて来ました。10年前、色々な地域で仕事がしたいと思っていた事が、少しずつではありますが、実現してきました。

 今度は海外で仕事がしてみたいと思うのです。

 現在計画中の滋賀の家。

 現場に行った際、自家製のゴーヤを頂きました。

 目標を達成したいなら、現在のクライアントに喜んで貰える仕事を、積み重ねる他ありません。

 現在と未来が、一直線に繋がれていない限り、達成できるはずがないのです。

 スタッフに自分に、夢を語ります。「ほぼ」では駄目だと。

性弱説、最強説 -992-

 今年の3月「大阪の住まい活性化フォーラム」主催のコンテストで、最優秀賞を貰いました。

 今回、第1回シンポジウムとして「ちゃんと住まい-自分軸で編集する住まい選び-」というイベントを開催するそうです。その同時イベントとして、オープンハウスをする事になりました。

■■■9月15日(日)1:00pm~5:00pm「住之江の元長屋」オープンハウス開催■■■
前日までに、お名前、お電話番号を明記の上、メールかfaxにてお申込み下さい。地図をお送り致します。
(小規模の住宅につき、先着定員20名とさせ頂きます)

 この写真は自分で撮ったもの。コンテストも含めて、本当に良く活躍してくれました。

 「住之江の元長屋」は、テレビ撮影の事もあり、写真家に依頼する時間が無かったのです。それで自分で撮ったのですが、実は廊下の照明が消えています。
 
 いくら悔やんでも、時間は遡れません。私の知る限り、プロはこういったミスはしません。よって、相応の撮影料をとれるのです。

 生活が始まってからのオープンハウスは、クライアントの理解があってこそ。私も常駐しているので良ければ申込下さい。

 9月1日は防災の日。それもあってか、南海トラフ大地震等の記事を良くみます。沿岸部の人が、もし高台まで避難できなければ、船に乗るのもNGでない、という記事を見た事があります。

 何とも微妙な表現ですが、ライフジャケットを常備しておくのはもっとも手軽で、価値のある事だと思います。

 子供用なら、釣り具屋やホームセンターで、2、3千円で売っています。船舶検査に対応している大人用でも、4、5千円で売っています。

 船に乗る時は勿論、海沿いの宿に泊まる時も、持って行くようにしています。

 性善説とか性悪説とかいう考え方があります。そのどちらでもなく「性弱説」が適切でないか、と言った人がいました。話には続きがあります。

 普段の暮らしの中でも、時々、逃げ出してしまいたいような事も起こります。しかし、まず人は弱いものだと受け入れ、その問題を直視した人の恐れが、最も小さくなるはずという考えです。
 
 泳ぎに自信のない人が、フェリーに乗った瞬間、ライフジャケットの保管場所を確認するかもしれません。もし船が沈んだら……
 
 性弱説、最強説。言葉遊びですが、あながち笑えないかもしれません。

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 昨日は滋賀へ行っていました。

 敷地調査だったのですが、こちらには堀と石垣があります。

 非常に恵まれた環境で、緑は青々と。気温も都心部より、2、3℃は低いでしょうか。

 素晴らしい環境ですが、実際の暮らしとなると、大変な点もあります。この季節、夏草は目で見えほど伸び、草刈に忙しいのです。

 「何かを得たければ、何かを捨てないといけない」という、開口健の言葉を思い出します。

 話は変わりますが、facebookに登録したのは2011年の3月頃です。

 いまだに解っていない部分もありますが、ひとまず「ゲツモク日記」と「現場日記」のリンクを貼っています。以下が私の感想です。

 【良い点】 思いもよらない旧友から申請がある。コメントが書きやすい。
 【悪い点】 「いいね」の数が気になる。

 「友達は何人いる」等、他にも気になることが無いではないですが、この「いいね」はやや気になります。

 それまでのブログなら、何人くらいの人が訪問してくれた、程度でした。しかし「いいね」その記事に対しての、大きな意味ので可否でもあります。例えば、芸術論は「いいね」が少なかったな……とか。

 私がブログを書き始めたのは2004年の3月。世の中の流れとしては、ブログ、mixi、ツイッター、facebookという感じでしょうか。2、3年毎に大きく変化していることが分ります。

 facebookの大きな違いは、友達検索機能と、自分の言葉でなくても、意思表示がしやすい点でしょうか。流石ハーバードの企業家は違います。

 元は「like」だったようです。それが転じて「いいね」。世の中にとって、私にとっていいねとなるのか。また、何を得、何を失ったのか。

 3年後に振り返ってみたいと思います。

ガリッとやってしまった時

 7月の海の日は、2家族で8名で白浜へ行っていました。

 私の車は7人乗りで、1人分席が足りず。

 それで弟の車を借りることにしました。マツダMPVは3列目に3人座れる8人乗り。

 とても乗りやすい車です。 

 アトリエmは弟の家の1階にあります。

 旅行前日、事務所から乗って帰り、2日間とっても助かりました。

 清掃も終わり、事務所へ向かい、いつもの位置に止めれば終わり。

 家の駐車場を出る時「ガリッ」とやってしまったのです。

 20数年、4WD車一辺倒。

 言い訳するなら、この障害物を気にしたことが無かったのです。

 「あと一回切りかえしておけば……」

 車を擦った時、ぶつけた時、何故こんなに後悔をするのか。

 私が免許を取ったのは、大学2年の時、宮崎の合宿にてでした。大阪に戻ったあくる日、早速合宿で仲良くなった知人の家へ車で向かいました。

 神戸へ向かう国道43号線。知らぬ間に右折レーンに入ってしまい、そこから出ようとした瞬間、トラックと左側面が接触。初めての事故でした。

 「悪い事は先に報告するように」

 父が言っていたことを思い出し、まず実家へ連絡を入れたのです。 

 「お金が解決できることなら、良しとしなければな」

 が、その返事でした。

 怒鳴られるのを覚悟していたので、予想外だった事を良く覚えています。 

 極めて申し訳ない気持ちで、まずは補修キットを買い、直してみました。

 弟が駄目と言えば、修理に出します。

 運転歴23年。事故3回、擦った回数約15回?

 「切りかえしは1回多めに」

 を固く心に誓うのです。

すぐにモノを大切に出来る方法

 今週月曜日は、滋賀のほうへ打合せへ行っていました。

 桜は散っていましたが、小ぶりな花が満開でした。何の樹かは分からなかったのですが。

 日曜日に居た長野では桜が丁度満開。中央道の高遠ICあたりは、両サイドを桜が埋めつくし、素晴らしい景色でした。
 
 日本は四季折々景気を、街ごとに持っている街だと感じます。

 当事務所の前にはいつも数台自転車が止まっています。これらはスタッフのもの。

 体の為、環境の為、経済の為……自転車は一石三鳥です。
 
 またこの時期の自転車は気持ち良いものです。

 自身の給料から交通費を払ってという選択もあるのですが、自分で事務所の近くまで引っ越して来たのです。

 建築家・安藤忠雄の事務所では、基本備品はないと聞きました。仕事道具は少ない給料の中から(想像ですが)悩んで買い、長く大切に使うもの、という考えなのです。

 私も出来るだけ事務所で準備してあげようという考えはやめました。それは、スタッフを思っているようで、結局自分がどう思われるかや、一般世間ではどうなっているかを気にしているのでは、と思ったからです。

 物を大切にして下さい、と言わずとも、自分のお金で、悩みに悩んで選んだシャーペンなら、大切にするに決まっています。それは、彼らのバイタリティーを育むことにもなります。

 また、大工の棟梁が、弟子に自分のカンナを貸すことはありません。大切にしなさい、と言っている状況に問題があるのでは、と思えてきたのです。

 私も自転車通勤です。17年前事務所設の際に買った無印良品の自転車です。

 大切に、といってもそろそろ新しい、人前に乗って行きたくなる自転車が欲しいのです……

ライト兄弟 その後

 三寒四温のこの季節。

 20℃近いと思ったら、急に2℃まで下がったり。花粉症かなと思っていると、風邪を引いていました。

 ハナミズキも、日当たりの良いところは、ぽつぽつと咲き始めていました。
 
 初めて飛行機を飛ばしたのは、ウィルバーとオーヴィルのライト兄弟です。

 この100年で建築はどのくらい進化したのだろうと調べていると、飛行機の発明から110年程だと解りました。

 更に調べてみると、彼らの人生は、想像と大きく違うものでした。

 1903年12月17日、ノースカロライナ州のキティホークで人類初の快挙を成し遂げたあと、世界中の喝采を浴びたのかと思いきや、向けられたのは懐疑の眼差しだったようです。

 Wikipediaから抜粋してみます。

 サイエンティフィック・アメリカン、ニューヨークチューンズ、ニューヨーク・ヘラルド、アメリカ合衆国陸軍、ジョン・ホプキンス大学の数学と天文学の教授サイモン・ニューカムなど各大学の教授、その他アメリカの科学者は新聞等でライト兄弟の試みに「機械が飛ぶことは科学的に不可能」という旨の記事やコメントを発表していた。

  逆に後年ヘリコプターの実用性が議論されるようになった時期、オーヴィルは1936年の書簡中で「ヘリコプターには根本的な問題がある」、「ヘリコプターの開発には資金がかかりすぎる上に商用性もおぼつかないので誰もとりかかられないだろう」と書いている。

 快挙を成し遂げた人が、みな聖人君主である必要はありませんが、このあたりは非常に面白くもあります。

 自転車屋を営みながら、一民間人この成功にたどり着いた彼らに対する、妬みは相当に酷いものだったようで、晩年オーヴィルは、飛行機を発明した事を悔いていると言う旨の手紙を、自動車王、ヘンリー・フォードに送っているのです。

 ♪ トランクひとつだけで、浪漫飛行へ In The Sky ♪

 モヤに掛かっていない青空を見ると、どこか遠くへ行ってみたい。そんな気分になります。

手土産のすすめ

 前回、後輩とそのフィアンセの事を書きました。

 すると、私の所に「お祝いを伝えて」というメールが届きました。新しい仲間が増える、良い事が起こるのは、やはりい良い事です。

 お祝いにシャンパンを持って行っていたのに、渡すのをすっかり忘れていました。すぐに送っておかないと……しかし、手土産というのは意外に難しいものです。


 少し前ですが、伊勢の地ビールを頂きました。

 飲みやすく、のど越しも軽く、とても美味しかったのです。本当に有難い事だなと思います。

 こういうことに手慣れた人は、さらっとそういう事ができ、ホスピタリティーに溢れている人が多いと思います。

 反対に、私が知人宅を訪問する時。妻に「お土産はどうする」と聞かれます。ほとんどの場合、何も考えていません。全く駄目なのですが、少し理由もあるのです。

 働き始めた時の給料は10万円位でした。仕事も出来ないので、十分有難いと思っていました。

 その2年後独立しますが、更に経済的な厳しさは増します。とりあえずお腹が一杯になれば良いという考えで、納豆ご飯をつくり、それをおかずに、白いご飯を食べる。そんなことをしていたのです。

 開高健はそんな暮らしを「手から口への生活」と言いました。それは30歳過ぎました。

 全く苦はありませんでしたが、誰かの家に呼ばれたとき、正直「何か買っていかないと」という考えは、浮かばなかったのです。


 そんな考えが、違っているなと思うきっかけになったのは「サロンのある家」のご夫妻と会ってからです。

 この夏も、久し振りに招待頂きました。

 この日もご馳走になった上、子供達には「レゴ」のプレゼントまで。

 その時間をどう楽しいものにするか、もてなすか。ご夫妻、お子さんも含めて、そういう心根になっているのです。
 
 今までにどんなストーリーがあったかは、もし良ければ2008年4月の話を。


 ビールを冷やすだけでも、違います。

 美味しそうなのです。

 先日扶桑社より発売された、『MY HOME100選 Vol.11』には「サロンのある家」が掲載されています。

 表紙に屋上でシャワーを浴びている写真があるのですが、それがご主人です。撮影は5月だったのですが、カメラマンのリクエストに快く、むしろ乗り気で応えてくれたのです。

 結局「どう思われるか」に拘っていて「何をしてあげたいか」とう考えが無かったのだと、夫妻をみて分りました。

 手土産初心者は中級レベルを目指します。
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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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一級建築士事務所 アトリエ m
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

仕事が速い

 7月8日(日)は、朝からイタウバハウスへ行っていました。

 大阪ガスの住宅情報誌「住まう」の取材だったのです。

 子供達がルーバーを登るところを撮りたいのは大人の都合。でも協力してくれました。

 カメラマンは、前回2010年の時も撮って貰った人。

 クライアントと私が取材を受けている間、撮影はどんどん進みます。発刊は秋です。外部の説明している際の事です。

 「この樹にもこだわりがありますか?」と私に質問するライター。

 「これはジューンベリーと言う三拍子揃った樹なんです。花、実、???……もう1つ何が楽しめるんでしたっけ?」とクライアントに聞く私。

 「紅葉です」とクライアント。

 恥ずかしい限りです。

 週明けに、樹の写真を送ってくれました。以下は「実を楽しむ」写真です。

 樹の名の通り、実がなるのは6月です。

 それを煮詰めてジャムに。

929

 実は結構甘いそうです。

 今までに、何度もこの樹を植えてきましたが、実際に実をとったり、ジャムにしたことはありません。

 こちらのクライアントはいつも行動が速いのです。

 ふと思いました。

 長男が朝、算数のプリントをしています。時間も測って、書く欄があるのです。

 1問やっては、あっち向き、1問やっては足をブラブラ、みたいな感じ。本気でやれば2分も掛からないのが、5分くらいすぐ経ってしまいます。

 私も「さっさとやったら、遊べるんだから」と長男に言うのですが、柳に風。横で見ていて思いました。1問に限って言えば、そのスピードは私と何ら変わりないのです。

 もちろん、引き算のスピードが同じだから、全てが7歳と同じとは言いません。しかし、普段の仕事の中で、掛け算、割り算はしますが、それほど難しい作業が沢山あるだろうかと考えます。

 17年働いてきて思うこと。

 もし能力を伸ばしたい、仕事を速くしたいと思うなら「考えている」と思っている、立ち止まっている時間を限りなくゼロに近づけること。もう一つは、能力を伸ばしたい、仕事を速くしたいと本気で思うこと。こんな単純な事です。

 現在事務所には、研修生1人、オープンデスク生1人。頑張れ若者。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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拾い読み12時間

 今日から3月ですが、未だ寒い日が続きます。

 昨日はサッカーのワールドカップ3次予選がありました。残念ながらウズベキスタンに敗れましたが、そのテストマッチが先週金曜日にあったのです。

 長居スタジアムでのアイスランド戦ですが、誕生日プレゼントを兼ねて、長男と行ってきました。1日は長男の誕生日なのです。

 チケットは前から3列目で7千円。

 初めて見るA代表戦の観客は4万人超。

 日本代表は結果を出してくれました。

 ただ、この日海外組がまだ帰国しておらず、香川、長友らのプレーが見たかった、というのが本音です。

 また機会を見つけて、真剣勝負を観に行ってみたいと思います。

 話は変わりますが、一昨日こんなメールが届きました。

 ごぶさたしてます。
 
  20年?ほどは年賀状のやりとりだけで、覚えてくれているかどうか不安ですが、メールさし上げます。自動車免許の合宿で一緒やった○○です。

 大学1年生の時、同級生と九州の都城へ、合宿で車の免許を取りに行きました。そこには、関西学院大、神戸大、電気通信技術大、近大等、関西の学生が集まっていました。

 その時一緒だった古い友人からのメールだったのですが、こう続いていました。

 妻が平野へ行く用があり「そういえば、古い友人がいる」という話になり、アトリエmのwebサイトを見つけた。日記を読んで見ると、年賀状の宛名を間違っているという記事があった。

 自分の事が書いてあり、改めて恥ずかしかったが、興味をもって読んでみると、家庭の事、仕事の事など共感できる事も多く、頑張っているんだなと感じ、嬉しくも思った。

 最後はこう結ばれていました。

 懐かしさのあまりに、おそらく仕事で使っているであろうアドレスにメールしてもうてスマン。またブログを読ませてもらいます。
 それでは……
 
 
 勿論嬉しいだけで、すぐに返事を返したのです。
 
 先日、初期相談にみえた方は「日記、全部目を通させて貰いました」と。「拾い読みですが、12時間掛かりましたよ」と笑っていました。

 お子さんが小さいので、重なるところもあり、長男が初めてスキーが出来るようになった記事では、思わず涙してしまったとも。

 2004年の3月末にこの日記を始めました。現在のようにほぼゲツモク更新にしたのが2004年の末あたり。2006年の初めからは、全ての月と木にUPしてきました。

 もし私が、初回から読み直したら、恥ずかしさのあまりすぐ削除したくなると思います。しかし、それも含めて、その時考えている事を真っ直ぐに、正直に書きたいと思います。

 継続は力なり

 昔、大手通信教育のテキスト裏に書いてありました。日本人なら誰でも知っている言葉ですが、私もそれを信じています。

 長男もこの4月から、その通信教育を始める事にしたそうです。私も頑張ったから頑張れ、と言いたいのですが、私は高校の途中で辞めています。1年ともたず。

 何もかも上手くは行かないのが人生。但し、無駄な事は一つもありません。もし挫折したら、いつかそれを糧にすれば良いだけです。

 続けないといけないと思うから続かない。続けたいと思えるかどうかが大事。

 そう分かったのは仕事を始めてからでした。