窓から

 6月も2週目に入り、梅雨入りの声も聞こえてきました。

 初夏の僅かな期間は、一年で最も窓が開けたくなる時です。

 四季のおかげで、多様な景色、豊かな食文化が日本には有りますが、居心地が良いのは人だけではありません。「虫」にとっても同じ。

 蚊を好きな人などいませんが、概ね女性は虫が嫌いなものです。反対に子供は、前庭のダンゴ虫で延々と遊んでいたりします。建築に係わるものとして、これは大きな課題です。

 ヨーロッパの住宅には、網戸はほぼありません。各国調べた訳ではありませんが、それだけ虫が少ないのです。

 ちなみに、日本語の「まど」は、「ま(目)と(門)」や「ま(間)と(門)」が語源とされ、のぞき穴のようなものを指しました。英語の「window」は、風(wind)を入れる目(穴)から成っています。

 住宅の第一回目の打合せの時のこと。

 「バルコニーに面する窓は、全部開けれるようにして、一体の空間にしたいんです」

 「それ気持ち良さそうですね!」という感じで計画は進んで行きました。

 大きな開口は気持ち良い。しかし、蚊を防ぐとなると大変です。

 「雑誌に載っているような住宅で、大開口に網戸って付いてるんですか?」

 「付いていない……ところも結構あると思います」

 以前は、網戸と言えば引違いが主流でした。

 現在は、開戸タイプ、折戸タイプ、ロール状に収納出来るタイプ。様々な種類があります。プリーツ網戸と呼ばれるものは、最大2mまで対応出来るものもありました。

 今回はこれらの組み合わせで、チャンレンジです。

 夢を実現するためにチャレンジ。新しいことを達成するには、、この構図以外にありません。

真っ赤に流れる

 5月31日の新聞に、アンパンマンの作者、やなせたかしさんの記事が載っていました。

 1919年(大正8年)東京生まれ。4歳から両親の郷里、高知で暮らします。現千葉大学工学部を卒業、兵役を経て三越の宣伝部にデザイナーとして入社しました。

 1953年(昭和28年)に退社。その後、漫画、舞台美術、作詞など多くの仕事を経験します。昭和48年に「詩とメルヘン」を創刊。30年間編集長を務めました。

 「正義はすぐにひっくり返るが、パンをあげる行いはいつも正しい」

 1973年(昭和48年)、54歳の時に初めてアンパンマンを発表。63年にアニメ化され、人気漫画家になったのです。現在91歳で現役。引退しようかなと思った頃に受けたのがアンパンマンの仕事です。今はこれが天職だと思うとありました。

 「なんのために生まれて、なーにをして生きるのか」

 テーマソングもやなせさんの作詞ですが、テーマは非常に重いものです。

 そこに至るまでの道のりは平坦でなかったようです。退社後は漫画の仕事がなく、何でも引き受けたとありました。その中の一つが「手のひらを太陽に」の作詞。

 「あれは漫画の仕事がほとんどなくて辛い時代に、夜、懐中電灯で手のひらを透かしてみたら血管が浮き上がって見えたことからできたんです。自分は元気がなくても血は赤いんだなあって。懐中電灯ではさまにならいから、太陽にしたんですが、まさかあんなに売れるなんて思ってもみなかったですよ」

 気分に関係なく、いつも真っ赤な血が流れているのです。

ドーナツ

 今日は朝から現場へ。暑いくらいの日差しでしたが、良い季節になってきました。

 昨日はクライントと、本町にあるキッチンのショールームへ。

 本町は御堂筋を難波から心斎橋へ向かい更に北にあります。

 ご夫妻が見えたので軽く会釈すると、手に大きな袋が。

 「荷物になるかもしれませんが、もし良ければ……」と。

 袋の中身はドーナツでした。聞くと朝の6時から、1時間並んだとのこと。

 頭中にハテナマークがいくつも浮かびました。朝の6時?並ぶ?ドーナツ?

 クリスピー・クリーム・ドーナツはアメリカのドーナツチェーンで、今年の4月終わり、関西に初出店されました。

 揚げたての時には看板が点灯し、街行く人に知らせるそうです。その名もホットライト。

 関東圏以外では、名古屋に1店舗あるだけです。箱を開けるだけで、幸せ感が漂うのです。

 帰りに心斎橋店の近くを通ると、御堂筋にまで伸びた行列が30~40人は続いていたでしょうか。凄い人気なのです。

 帰りに実家へ持って行きました。

 弟家族もいたので、皆の前に出すと、歓声があがりました。

 誰かの為に、早朝から並ぶ。最近そんなことあったかな、と考えました。

 今日、webサイトに池を望む家をUPしました。全てはクライアントが許容してくれたから。

 本気のクライアントに教えられ、鍛えられ、少しずつ積み上げてきたと実感できるのです。

その話を聞いた女の子は

 妻が電車に乗っていると、女子高生2人の、こんな会話が聞こえてきたそうです。

 「このあいだテレビで、北島康介がスランプを脱出して、世界記録を出す為に、目標設定をのし方を教えた脳科学者の話がやってて……」と話していたそうです。

  この話は、私も以前書いてみました

  最後に女の子は「大学受験で成功するには、ゴールの先に目標を持たないといけないの。ゴールが見えると脳は急激ブレーキをかけるから。合格してどんな学生生活を送りたいかとか、どんな職業につきたいかとかをイメージしておかないと、ダメみたい」と。

  妻に「で、その話を聞いていた相手の子の反応はどうやった」と聞くと、「そうなんや~、っていう感じやった」と。

  そうなんです。大体はそうなんです。話していた女の子は、かなり感激して伝えていたはずです。私が読んだ時もそうでしたから。

  感動したことは、その日のうちに、5人に伝えなさいと聞いたことがあります。3人目位になってやっと、話の順序が整いだすくらいなので、名言だと思います。

  この女の子は一人目とみました。初めが一番共感を得れないのですが、めげずに続ければもう少し違う反応があると思います。ちょっと上からの言い方ですが。

  しかし、もしこの話を北島康介から直接聞いたとしたら、どんな反応になるのでしょう。一緒なのか、違うのか。

身近な建築家

 本日、モダンリビンングの別冊『身近な建築家70』という本が発売されました。

 5月24日発売となっていますが、先週末からアマゾンではすでに発売されていました。

 アマゾンの紹介文は以下の通りです。
  
内容紹介
「ML+VIEW」は、モダンリビングの別冊。その第1弾「身近な建築家70」では、雑誌未掲載分を含め、全国70人の建築家が手がけた住宅を一挙に公開します。テイスト別にカテゴライズし、地域別インデックス、70人全員の詳細建築家プロフィール、さらに家づくりのノウハウを解説した「初めての家づくりBOOK」付きで、webだけではわからない、建築家情報が得られる、保存版!の一冊です。

 70人の建築家が取り上げられているので、その中の一人です。文字通り、One of them です。

 大勢の中の一人で居たい事はありませんが、他の建築家と比べて貰うのは、とても嬉しいことです。

 現在事務所の体制では、コンペには挑戦できていません。今後の課題です。しかし、家を建てたい人が何人か建築家と合い、それぞれにプランを出して貰うことになったら、これこそ本当のコンペだと思っているのです。真剣勝負。

 「相談料を」とか「企画の提案料を」とは言いません。コンペですから。

 実現することだけをイメージしています。その案が支持されなかったら、こちらの力量不足、情熱不足だと思っていますから。

 「初めから負けるつもりで勝負するヤツがいるか!バチン(ビンタ)」アントニオ猪木

 例えはもうひとつですが、そんな気分です。ちょっとカッコ付けすぎですか?

ダーウィン

 随分前に録っていた番組を見ました。

 ダーウィンの「進化論」発表までを、ドラマ仕立てにしたものです。

 チャールズ・ダーウィンは1809年生まれ。地質学者だった彼は、大陸から隔離された環境のガラパゴス諸島を訪れ、進化論の着想を得ます。

 生物は同じ種であっても、性質には個体に差が有り、一部は親から伝えられる。生物は絶えず変異し、存続するための努力を繰り返す。しかし、実際に生き残れる自然界のキャパシティーは、繁殖力よりも常に小さい。よって、生存に有利な形態をもったものがより多くの子を残す。

 解釈が大丈夫か、若干不安は残りますがこれが概容です。

 生物の進化を、全くの無から解き明かした天才学者だと思っていたのですが(そうでもあるのですが)、彼が他の学者と決定的に違ったのは、その部分ではありませんでした。

 19世紀のイギリスは、キリスト教の信仰が篤く、彼の進化論は、創造主である神を冒涜するものと捉えられかねないものでした。

 神は、自分の姿に似せて人を創造したとなっていますが、進化論によると、人も一生物に過ぎません。今では当然のことですが、信仰を根底から覆しかねない説だったのです。

 また進化論はダーウィンだけが考えていたものではありませんでした。

 同時代の生物学者、アルフレッド・ウォレスからの手紙に、同じような考えが書かれていたのです。彼らは共同で、自然選択による進化理論を発表します。その後ダーウィンが出版した本が「種の起源」です。

 先んじて自身の説を発表したい。また、世間からバッシングを受けるのでは、家族を不幸にするのでは等など、葛藤の中で生まれたものなのです。

 彼が突出していたのは、真理を追求したいという情熱と行動力だったように思います。

 ドラマ仕立ての番組だったので、作り手の解釈が入っていると思いますが、髭面の天才から、随分イメージが変わりました。

活気

 昨日は、朝から生駒山のフィールドアスレチックへ行っていました。

 森の中は変化に富んでいます。

 以外に明るかったり、うっそうとしていたり。風が通っていたり、通らなかったり。

 原始の暮らしでは、自分が心地よいところへ、思うように移動すれば良かったのだな、とか思っていました。

 沢の方から、せせらぎが聞こえてきました。

 下りてみると、山頂付近にしては結構な水量。どこかの源流でしょうか。

 昼前になったのでどこかで食べようとなりました。

 長男に聞くと、餃子!いつも即答です。

 帰り道で餃子が食べられるところ……王将となりました。長男は初体験だと思います。

 餃子は一人前が210円。ラーメンとご飯のセットにして860円。2人で分けて食べました。

 この不況の中、売り上げ好調のようです。この東大阪の長田店も、12時前で待ち客が10人ほど。

 好調の原因は、バラエティー番組に取り上げられたからとも、熱血カリスマ社長のおかげとも。

 チェーン店ですが、店によってメニューも味も違うそうです。この店は、明るい店内に若い女の子のアルバイトも多くいました。学生時代に入っていたのとは随分違う印象です。

 新人なのか、責任者らしき人に「何故、勝手に順番入れ替えたんや。絶対、順番優先だろ!」と怒られていました。

 席割りを考え、機転をきかせたのを、叱責されていたのです。可愛そうな気もしますが、店長の意見に賛同します。どんな理由があるにせよ、お腹の減っている人は、理性で制御できないものですから。

 しかし最近は、こういう姿をあまり見ないだけに、ストレートで好感が持てました。

 社長の哲学は「炎のないところに活気は生まれない」です。その哲学は、社員にも届いているとみました。

 こってりラーメンの天下一品もそうだと思いますが、ともに京都発。中華料理チェーン店が多いのは何故でしょうか。

雨、横浜

 一昨日は、横浜へ行っていました。

 企業のオフィス拡大に伴う内装計画の相談で、JRの桜木町へ。10:00amから2時間ほど打合せです。

 その後、付近を歩いてみました。

 生憎の雨でしたが、知らない街を歩くなら全く苦になりません。

 知らないと書きましたが、横浜はここ数年で3回目。多いとは言えませんが、何か縁でもあるのかな等と思いながら。

 まずは赤レンガ倉庫。

 後ろに見えるのは、ランドマークタワーとインターコンチネンタルホテルです。

 そこから海沿いを、東へ歩きます。

 カフェでしょうか、ライブハウスでしょうか。思い切った色使いです。

 

 

 

 

 山下公園までは約1km。海には、日本郵船の氷川丸が見えます。

 雨でなければ、多くの恋人たちが愛を語っていたのでしょうか。
ちょっと残念な気もします。

 そこから街のほうに戻りました。先に見える、Yの文字の照明は横浜スタジアムです。

みなとみらい線の日本大通駅から大阪へ戻りました。

古くからの港町は、平地が狭く、街がコンパクトです。神戸、函館などがその例。

 埋め立てが出来るようになってから、港は人為的に作れますが、本来は急深が理想。

 自ずと急峻な山が近く、平地が狭くなります。見る山があってこそ、夜景も見れるのです。

 その中で、長崎や横浜は広いほうですが、観光地として巡るには丁度よいスケール感です。

 企画の提案はこれから。近いうちにまた来れるかは、それ次第です。

雑誌取材 「サロンのある家」

 昨日は「サロンのある家」へ行っていました。竣工写真の撮影から、丁度1年ぶりです。

 雑誌の取材があったのですが、編集長、ライター、写真家の3人は東京からの来阪です。

 竣工が2006年で、4年の時間が経ちまた。その間に、ご家族も増え、植物も育ち、いっそう「らしい」家になっていました。
 
 とは言え、竣工から、これだけ時間が空いて撮影をしたのは始めてで、片付けが大変だったと思います。

 更に、小さなお子さんを見ながら、料理をしていただいたり。

 朝からの撮影が終わったのは夕方4時。

 最後に撮影があった屋上で、ビールまで頂きました。もう感謝以外ありません。

 クライアントのご夫妻からは、色々なことを学びました。

 ホスピタリティー、駆け引きしない、問題が起こった時には段階を踏んで論理的に等など。設計当時を思い出します。

 撮影ですが、今はデジカメなので、その場で見せて貰いました。とても良い感じです。

 発売は7月21日の予定。楽しみです。近付いたら、またここで紹介します。

熊野古道

 5月3日から5日まで、南紀へ出掛けました。まずは中辺路(なかへち)町へ。

 中辺路は、2004年に世界遺産へ登録された熊野古道のひとつです。

 平安時代に、皇族、貴族が、極楽浄土へ憧れ、熊野三山へ参拝したのが始まりとされます。

 江戸時代には庶民もこぞって訪れ、「蟻の熊野詣」として知られました。

 熊野大社と繋がる参道は、伊勢路、高野山からの小辺路、吉野への大峰奥駆道、海岸線を通る大辺路などがあります。

 京都、大阪、紀伊田辺へ抜け、険しい山間部を抜ける、中辺路は最も好まれたと言います。

 道中が厳しいほど、ご利益が大きいと考えたからで、非常に日本らしいものと感じました。

 道中には王子(おうじ)と呼ばれる、小さな分社が多く点在します。

 近露(ちかつゆ)王子のすぐ手前にあるのが箸折峠。花山法皇が御経を埋めたと伝えられます。

 花山法皇が食事の為、箸に使おうと附近のカヤを折りました。

 軸の赤い部分に露が伝うのを見て「これは血か露か」と言ったのが、地名の由来と言います。

 その地に残る牛馬童子像は、本人の姿とも。

 峠を下りると、近露王子。そこから「なかへち美術館」は100mほどです。

 美術館の案内に小さな宝石箱とありました。

 展示スペースは小さく、回廊で囲まれています。

 一部がパブリックスペースになっていました。

 緩やかな曲線とガラスに囲まれ、洗練された空間でした。

 小さな窓からは、日置川を望む景色が切り取られていました。

 旅行の前半は私の為、後半は子供中心のスケジュールにしました。

 公園、磯遊び、動物園へ。

 1歳くらいの子供を連れて遊ぶ、若い夫婦がいました。

 我が家に置き換えても、つい数年前のことです。しかし随分前のようにも感じます。

 子供の成長は早く、家族で旅行に行く機会など、僅かな期間かもしれません。

 時間が許す限り、一緒に出掛けようと思うのです。

建築家がゲツモクに綴るブログ、動画。人、建築、街、自然・・・・・・ぜひご覧ください