カテゴリー別アーカイブ: 09 家族・私

兄と妹‐1052‐

 下の娘が、小学校に上がりました。

 昨日からが、ランドセルでの登校。

 長男が4年生なので、3年間は同じ学校です。

 お調子者の兄。同じくお調子者で、かつ甘えん坊の妹。

 入学式には、かろうじて桜が残っていました。

 桜舞い散る入学式は、日本の風情。これ以上、温暖化が進まぬよう……

 当然ですが、どこに行く時も一緒。

 トリックアートの太陽公園では、恐竜の舌を。


 ピアノを習っており、時々2人で合奏します。

 スキー、スノボも。

 仲のよい兄妹ですが、もちろん喧嘩もします。

 伴侶は自分で選べても、親、兄妹は選べません。

 互いに敬意を持ち合い、成長し合えるような家族とは。

 「お父さんは自分の人生を精一杯生きた」と言えるよう、毎日を真剣に生きるしかありません。

 互いに1人しかいない兄と妹。いつもでも仲良くあって欲しいと願いながら。

ロバにはロバの‐1044‐

 昨日の最高気温は15℃。急に春めいてきました。

 一桁台から、一気に世界が変わります。

 スイセンが咲き始めています。

 美少年ナルシスは、水面に映る自分の姿恋焦がれ、そのまま花になりました。

 スイセンをナルシスと呼ぶ由来ですが、古代人の想像力には感服するほかありません。

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 昨年の春、クライアントのお子さんが、浪人すると聞きました。再チャレンジの今年。見事、関西の国立大学に合格したのです。

 初期のクライアントだったので、打ち合わせ当時、彼は2、3才でした。
あれから16年。会う機会はめっきり減りましたが、立派な青年になったんだなあと、感慨深いものがあります。

 希望大学に合格し、心から喜んだという経験が、私にはありません。それに値する努力をしていなかったからです。

 感慨深いと書きましたが、そんな悠長なことを言える立場でもありません。エリートをサラブレッドと呼ぶなら、当事務所などロバ軍団です。ロバの説明にはこうありました。

 体は頑丈で粗食・労役に耐える。

 若い頃の努力が足りていない分、少々の労苦には耐える覚悟です。ロバ軍団は前に進むほかないのです。

 しかし、本当の春を迎えた方々には、心からお祝い申し上げます。そして、尊敬します。やるべき事を、やるべき時にやる人が、最も素晴らしいのですから。

子を育て、孫を育て、ひ孫を育て‐1026‐

 1月5日の朝、祖母が亡くなったと母から聞きました。

 1923年、大正13年生まれ。90年の生涯でした。4人とも元気で長生きだった祖父母は、ついに居なくなりました。

 7日(火)の朝。家族で香川へ向かいました。

 晴れ渡る空に、生駒山から日が昇ろうとする瞬間。こんな時、一日一日がかけがえのないものだと、改めて認識します。

 まんのう町は香川県の南西部に位置します。

 こんぴらさんで知られる金刀比羅宮は、日本一の石段が有名です。像頭山の中腹から、船の神様が見下ろすこの地で、祖母は生まれました。

 地主の家系で、二男三女の末っ子。

 女学校を出て結婚するまで、百十四銀行に勤めていました。9歳年上の同郷の祖父と結婚。

 祖父は東京の大学を卒業し、戦後は通産省に勤めていました。

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 24歳で長女となる母を出産。3年後、叔父が生まれました。しかし祖父が肺結核を患い、昭和28年に郷里へ戻ります。

 結局祖父は肺を1つ切除することになります。

 家族4人が暮らす為、その分も祖母が働いたのです。母は寝ている姿を見たことがないと言う程、働き詰めの人生でした。

 葬儀場で「目に入れても痛くない、孫の世話をすることが、何より生きがいでした」と言うナレーションに、目頭が熱くなりました。

 初孫の私が生まれた時、祖母は47歳。本当に元気でした。子育てを終えた後は、5人の孫の世話。

 孫育てが終われば今度はひ孫。趣味などもなく、只々人の世話をするのが生きがいだったのです。

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 叔父によると、深夜2時には変わりなく、朝起こしに行くと冷たくなっていたそうです。眠るように、静かに息を引き取る。それは一つの理想です。

 誰もがそうありたいと思いますが、懸命に生きた人だけが許される最期だという気がします。

 手編みのチョッキ、卵入りの納豆、もち米から炊く赤飯。何故か、思い出すの日常の物ばかりです。大好きだったおばあちゃん、安らかに。

 「財を残して下、事業を残して中、人を残して上」とは元東京市長、後藤新平の言葉です。

  最上、と言って貰えるよう昌紀は懸命に働きます。

キャリアハイ‐1024‐

 新年あけましておめでとうございます。

 2014年1月2日。白浜に来ています。

 風こそ強いですが、青い空に澄んだ海。

 円月島が映えています。


 風が強いぶん、凧揚げにはもってこい。しかし、何とも縁起のよい遊びです。
 
 今年の目標は、湯川秀樹博士の言葉としました。

 一日生きることは、一歩進むことでありたい

 スポーツ選手には「キャリアハイ」という言葉が良く使われます。選手時代に残した、ピークの成績を指すもの。

 40歳を過ぎ、厄年も終え、間違いなく人生の折り返し点にさしかかっています。生涯現役でいたいですが、仕事のオファーがなければ、評価をして貰うことさえ出来ません。

 先日、あるクライアントから「脂の乗り切った」という表現をしてもらいました。違う意味の脂は不要ですが、有難い言葉です。ただ、謙遜では済まされない年代に入ったのは確か。間違いなくキャリアハイを目指さなければなりません。

 そのためには、日々前進あるのみ。そして、天まで届けと行きたいものです。

 2014年も宜しくお願い致します。

通知票‐1022‐

 「自分がするより緊張するわ~」などと言い出したら、おばちゃん化が進んだ証拠。

 そんな時「そんなわけないやろ~」と大木こだま風に突っ込むのが、一般的な関西人です。あくまで心の中で、ですが。

 娘がピアノを習っており、初めての発表会がありました。

 大きなホールの舞台に、娘が一人で入場。

 家でたどたどしく弾く姿を、時々見ていました。

 それだけに、他の子供が「何故こんなに上手なんだろう」と思えてくるものです。

 うちの子は大丈夫なんだろうか、と。

 今もっている力は、完全に出し切れたようです。

 課題の2曲を弾き終え、お辞儀をした時、ホッとしました。

 私はピアノを弾けませんが、自分が弾くより緊張しました。

 小3の長男は、通知表を貰ってきました。

 長男は本を良く読み、頭の回転も早い方だと思っています。

 しかし、これまでの成績は至って普通。

 ところが今回、今までで一番よい評価を貰っていました。

 「おしらせしたいことがら」という、先生からのメッセージ欄に、こうありました。

 体育の準備や体操を率先してやりとげることができました。課題意識をもって学習に参加し、深く掘り下げて考える姿はすばらしいです。

 深く掘り下げて考える姿はすばらしいです、の言葉に感激しました。これは、私の思う彼の長所のイメージと完全に一致します。本当によく、見て貰っているんだな、と。

 先生は今年新任でやってきた30歳半ばの男性。長男曰く、こんな場面があったそうです。クラスの誰かが悪いことをして、黙りこんでしまいました。その時、先生はこう言いました。

 「黙っていても、必ず一人は見てる。それは自分や」と。

 素晴らしい先生、師に巡り会うことは、本当に幸せなこと。直接の機会はなかなかありませんが、心から感謝しています。 

 長女は運動会でアンカーを務め、一番に。長男は骨折もありましたが、最後にご褒美を貰った感じです。親の評価ですが「大変よくできました」としておきます。

 さて自分自身は。次回、今年最後に書いてみたいと思います。

代われるものなら‐1017‐

 大阪はイチョウの多い街です。

扇形の葉は、日を受けるとまさに黄金の輝き。

 イチョウには、寒い朝が似合います。

 10月末に骨折した長男ですが、結局手術をしました。

 初めに処置してくれた医師が、非常に丁寧な人でした。

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 前腕の先端には成長軟骨という、重要な部分がある。

 その部分がずれると、成長に影響が出る可能性がある。

 よって、肘の上までの固定となりました。

 「私は手の専門ではないので、専門医に診て貰った方がいい」というアドバイスで、後日他の病院へ行くことに。

 結局「ずれ」が見つかり、ピンで骨を固定する手術が必要になりました。

 長男は、家に帰ってからも落ち込んだまま。「僕の腕なんか曲がったままでいいんや」と泣いています。何を言っても「手術はいや」の一点貼り。

 小学3年とは言え、本当に拒否すれば、手に負えないんだという事が、まず分りました。

 何とか納得して先月上旬に手術。

 先週ピンを抜く手術を終え、1ヵ月振りに包帯のない手に戻ったのです。

 手術が決まった時、私も人の親。

 「代われるものなら、代わってあげたい」という気持ちになりました。

 しかし、どんな困難も代わってあげることは出来ません。同様に、私も代わって貰うことは出来ません。

 現実はいつも1つで、全てを引き受けるしか、前に進む方法はないのです。

 失敗しても、命までは取られない。スタッフに、自分にそう声を掛けます。

ひまは文化の第一歩‐1006‐

 昨晩は、遅くなったので東京泊。

 朝一番の新幹線で帰ってきました。

 昨晩、妻から「長男が骨折した」とメールが来ていました。聞くと、ウンテイの上から落ちたとのこと。

 休み時間、ウンテイや登り棒の上で、遊んでいると聞いていました。登り棒の高さを知っているので、あの高さから落ちたら大変だなと思っていました。

 子供に包丁の使い方を教える時、小さい時なら、小さな怪我で済みます。大きくなってから切った方が、傷は深くなるはず。出来れば怪我などして欲しくありませんが、早くに折れて良かったのかもしれせん。

 荷物を置きに一旦家へ戻ると、長男がいました。

 あまりにも痛いので、今日は学校を休んでいるとのこと。その割には読書三昧で、すでに4冊読んだそうです。

 週4回の水泳と、習字にサッカー。習い事だけでも、中々のスケジュールです。たまにはゆっくりするのも良いでしょう。

 「ひまは文化の第一歩」という話があります。

 生きる為、狩猟採集に追われた時代から、定住、農耕へと暮らしは変化して行きます。農具も鉄器へと進化し、労働以外の時間が生れました。ひまこそが、文化的な営みの第一歩と言う考え方です。よって、暇つぶしをするなどもっての他なのです。

 怪我をしてクラブの練習を休んだ時。台風で学校が休みになった時。何故あんなに得をした気分のなるのでしょう。

 しかし、それも目まぐるしい日常があってこそ。本当のぐうたらにならぬよう、やはり早く治して貰わねば。

カゴ付き自転車買う‐1004‐

 自転車を買いました。

 実に18年振りのことで、ややワクワクしています。

 自転車は、まずは近所へ買い物に行く手段。事務所を平野に移してからは、通勤の手段にもなりました。

 正直、それ以上でも、それ以下でもありませんでした。しかし、若者の車離れが進む中、自転車にこだわる人は増えているようです。

 クライアントの中にも、自転車好きの人が多くいました。また、当事務所のスタッフも、なかなか格好いい自転車に乗っています。

 スタッフにの1人に、天王寺のムーブメントというショップを紹介してもらいました。

 そもそも、どんなメーカーがあるのかさえ知らないのでこんなリクエストをしました。「カゴがあっても成立する自転車」

 で、勧められたのがschwinn(シュウイン)というメーカーの1台。1895年にシカゴで設立されたメーカーです。

 真の自転車好きには、邪道なのかもしれません。しかし、コルビュジエは「住宅は住むための機械である」と言いました。カバンを持って通勤する以上、カゴは必須と考えてたのです。

 簡単にメンテナンスの方法も教えて貰いました。

 油をさすのに、いったん油をクリーナーでとるそうです。

 そこまでしなけらばならないとは。

 何度もパンクし、チェーンも外れ、父に直してもらいながら、乗って来た無印良品の自転車。天王寺で事務所を設立した際に買いました。18年の苦楽を共にしてきた戦友でもあります。

 3年ほど前、携帯電話を見ながら自転車に乗っていた女の子が、こちらに突っ込んで来ました。避けきれずに後輪に衝突。

 その後も、だましだまし乗って来たのですが、フレームがいがんでいるようで、これが致命傷になりました。ろくにメンテナンスもしない中、よくもってくれました。

 モンゴルでは馬は風の生まれ変わりとなっています。草原で馬を駆る姿、とまでは行きませんが、初乗りはかなり爽快でした。ギアの切り替えが出来る自転車は小学生の時以来か。

 無印の自転車は2万円くらいでした。それを考えれば、長い付き合いになりそうです。

これから雨の日は、カバーを掛けておきます。

ズルズルとうどん県‐1003‐

母の郷里、香川へ帰っていました。

生憎の雨でしたが、祖父の13回忌だったのです。

7回忌から、あっと言う間に6年が経ちました。

最近の自治体は、自らの売り出しに熱心です。しかし、うどん県は想像以上にうどん県。

法事の前、住職、来訪者にまずうどんを出すのです。

皆でズルズルとやって、初めて法事が始まります。全くお茶を出す感覚。

長い読経のあと、線路沿いの墓地まで歩きました。とても真面目な祖父で、87歳まで生きました。

時々うどんを打ってくれたものです。

今月初め、鞆の浦へ行きました。その際、デイサービスからお年寄りが「ふるさと」を合唱するのが聞こえてきました。

生まれも育ちも大阪の私にとって、故郷とは。毎夏休みを過ごした、香川と岡山でしょうか。

志を果たして帰らん。水は清き故郷。

間もなく90歳になる祖母も、ズルズルと。うどん県はうどん県なのです。

走る、走る、俺たち、私たち ‐1001‐

 今日は体育の日。快晴が続いています。

 先週、今週と続けて運動会でした。

 先にあったのが長男の小学校。やはり運動会と言えば徒競走です。私の場合は3勝3敗くらいだったでしょうか。

 小学校は、遅い順に並び競うよう。最後から2組目のスタートは遅くはない証し。

 ギリギリではありますが、何とか1番になってくれました。だんだん生意気な口も聞くようになってきましたが、一生懸命はだれでもが素晴らしいものです。

 そして昨日は保育園の運動会。娘は年長組になり、保育園最後の運動会です。

 パレードという演技も、なかなか切れのある動きでした。2月生まれということもあり、身長は前から3番目です。

 しかし、意外にリーダータイプなのだそうです。

 そして運動会の最後は、クラス対抗リレー。

 娘は「初めは6番目に走って、最後にもう一回、たすきを掛けて走る」と言っていました。

 本番が始まるまで、アンカーと言うことが、もう一つ私達が分かっていなかったのです。

 1回目に走ったときは、バトンを落としてしまいました。しかし、拾ってからが早かった。

 短いスライドですが、その回転の速いこと。途中で靴が脱げ、それが中高く跳ね上げられました。そんなことは全くお構いなし。

 最下位から1人をぬきさりました。娘がこれほど速いとはつゆ知らず。ようやく、アンカーレベルだと確信したのです。

 最後に28番のゼッケンに付け替えているのが見えました。わずかにリードした一番の状態でバトンを受けます。

 運動場はこの日最大の声援に。

 「こけるな~!ぶっちぎれ~!はよいけ~いかんかい!」

 そこは大阪の下街。心温まる声援が飛び交います。その中を、小さいながら躍動感十分の走りで、1番でテープを切ったのです。

 2年間受け持ってくれた先生も、万歳!です。

 たかが地域の保育園の運動会。とは言え、誇らしい気持ちになります。また、自慢の一つもしたくなります。

 しかし本人は、いつも通り走っただけで、特別努力をした感もなく。

 「はやくご褒美袋の中を見たい」に興味は移っていました。

 大げさですが、娘を見て結果を出すアスリートのメンタリティーを見る思いがしました。

振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない ‐寺山 修司‐

 もう終わったこと。次の目標へシフトしなければなりません。しかい、もう1回くらいは、家族でビデオを見ようかと。

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3月19日(火)■大阪の住まい力アップ:第1回 リフォーム・リノベーションコンクール ■で「住之江の元長屋」が戸建部門、最優秀賞を受賞しました

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■1月6日(日)放送<「匠」が選ぶビフォーアフター大賞2012>
「住之江の元長屋」が空間アイデア部門2位に選ばれました
4月9日(火)リフォーム産業新聞「住之江の元長屋」掲載

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