可愛気と律儀‐1053‐

 先週土曜日は、滋賀の現場へ。

 敷地に隣合う「矢場」の桜が見事でした。

 家の敷地にこれだけ咲けば、花見に行く必要がありません。

 土塁にはゼンマイの芽も。

 クライアントが言うに「食べ頃はもう少し前」とのこと。

 中々食べ物としては見れていないのですが……

 話は変わりますが、新聞で文芸評論家、谷沢永一の名前を見かけました。

 谷沢永一は著書「人間通」でこんなことを書いています。

 彼奴には至らんところが多いけれど、なにしろ可愛気があるから大目に見てやれよ、と寛大に許される場合が殆どである。(中略)才能も智恵も努力も業績も身持ちも忠誠も、すべてを引っくるめたところで、ただ可愛気があるというだけの奴には叶わない。人は実績に基づいてではなく性格によって評価される。

(中略)

 可愛気の次に人から好まれる素質、それは、律気、である。秀吉は可愛気、家康は律気、それを以て天下の人心を収攬した。律気なら努めて達し得るであろう。律気を磨きあげれば殆ど可愛気に近づくのである。

 秀吉も、家康も、会ったことはありませんが、肖像画を見る限りそんな気がします。

 「自分は愛される人間か、否か」と問うたことがあります。これまでの人生で、先輩に可愛がって貰ったという経験が、ほとんどないのです。

 しかし、これを読んだとき大いに納得し、律儀なら何とかなるかもと考えるようになりました。

 面白みも何もないようですが、これでしか勝負できないなら、それを磨くしかないのです。

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