カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

笑顔は人類共通だ‐1038‐

 国際機関の中で、カウンセリングをする日本人女性が居ました。

 言語も文化も異なる人たちへ、彼女が心掛けていたことは以下のようなことでした。

 全人種に共通すること、「人は幸せを求める」「いつか必ず死ぬ」などを見るようにしていた。

 記憶が少しあやふなのですが、こんな話を聞いたことがあります。湾岸戦争終結後、国連軍が治安維持部隊として現地に到着しました。

 つい先日までの戦争相手が「今日から平和維持のためにやって来た」といっても、現地の人は不安以外の何物でもありません。

 もし、排斥運動などがおこれば、再び死傷者が出るかもしれない。そんな時、指揮官は部下にこう指示しました。

 「笑え!笑顔は人類共通だ」

 笑顔と言えばOhana、Ohanaと言えば大爆笑です。

 昨年の11月、Ohanaの石井さんに家族写真を撮って貰いましたが、その時のメッセージ付きサービスカットがもう一枚ありました。

 2つの話は、共に当たり前のことで、誰でも知っていることです。しかし、それらを本当の意味で理解し、誰かのために活かせる人と、そうでない人が居るなら、どこに違いがあるのでしょう。

 カウンセラーの所には、本当に困った人が集まってくるはずです。戦争後の治安維持は、自分の命さえ危うい場面があるかもしれません。

 そんな真剣勝負の場に身を置き続け、現実と向かい合う覚悟があるのか。その一点に尽きるだと思います。

 「逃げるな!向き合え!」

 叱っても、怒っても、怒鳴っても仕事ができるようにはならない。分かってはいるが……

「人を残して上」とは、元東京市長、後藤新平の言葉。亡き祖母に誓った、最上級レベルの荒行に違いありません。

海賊と呼ばれた男‐1032‐

 2013年本屋大賞「海賊と呼ばれた男」。

 帯にはこうあります。

 こんなリーダーに仕えてみたい  人生を変えるかもしれない一冊

 出光興産の創業者、出光佐三の立身出世物語と言ってよいでしょう。

 作中では国岡鐵造となっています。彼が生きた明治、大正、戦前、戦中、戦後。

 通り一遍のサクセスストーリーではありませんでした。

 逆境に次ぐ逆境……

 海賊というモチーフは、物語の前半に出てきます。

 明治の終わり、これから石油の時代がくると感じた鐵造は、故郷近くの門司で独立。商売を始めます。

 消費者の為に、安価で質の良いものを届けたい。更なる販路拡大を模索していた鐵造は、対岸の下関にある大手水産会社に船の燃料を販売しようと考えます。

 しかし、国岡商店は門司での販売権をもっておらず、既得権益を持つライバル会社と戦うため、門司側の海上で売ることを考えつきます。

 朝早くから手漕ぎの船(伝馬船)で、軽油を売りまくる姿をみて、同業者は海賊と恐れたのです。

 物語のクライマックスは、日章丸事件。1953年、イラン政府は、油田の国有化を宣言します。

 油田を開発したのは、イギリス資本の大手石油会社、アングロ・イラニアン社でした。怒ったイギリス政府はイランを経済封鎖します。

 それまでの経緯を調査した国岡商店は、困窮するイラン国民を救うため、イギリスの軍事封鎖を突破し、自社のタンカー、日章丸でアマダンまで向かい、石油を積んで日本に戻ってくるのです。

 戦後、国際資本の大手石油会社(メジャー)が、利権をコントロールしようとする中、彼は日本の為に戦い続けました。

 正しいことを貫けば、真っ直ぐに、ぐんぐん成長して行ければ、これほど素晴らしいことはありません。しかし、現実はそう単純ではありません。

 蓮は泥の中にしか生きられないが、泥水に染まらない

 ある門前に掲げられていた言葉です。

 どんな困難やトラブルがあっても、また、仮に世の中が荒んだとしても、見事な成果を出す人は、必ずいるのです。

「永遠のゼロ」の項でも書きましたが、百田尚樹が描きたいのは常に人間讃歌だと思うのです。

 国岡家には、3つの柱がありました。

 「一生懸命働くこと」 「質素であること」 「人のために尽くすこと」

 帯にあったようなリーダーになる為には、辛酸をなめつくすしかないのだと思います。

 「勤勉」 「質素」 「人のために尽くす」 を、我が家の家訓に加えました。

得意は好きの近くに‐1030‐

■■■「遠里小野の家」オープンハウス開催■■■
1月26日(日)10:00am~4:00pm

 先月のことですが、滋賀県の大津プリンスホテルへ行っていました。

 すぐ前は琵琶湖。北に望む比良山はうっすらと雪が積もっていました。

 そんな中で釣りをする若者がひとり。

 釣りが趣味でない人なら「こんな寒い中……」となりますが、惚れて通えば千里も一里。

 本人は、ワクワクしながら家を出てきたはず。(想像ですが)それを見た私も、釣りをしたいなあ、と思うのです。

 中々釣れない寒い冬。ボート派の私は、春からのハイシーズンに備え、湖底を調査していました。

 魚群探知機は、湖底の硬さに呼応し、色が変わります。その画像を見ながら「底は石だな」とか「柔らかい、複雑なもの……オダか沈潜が沈んでいるな」と想像します。

 オダとは木の枝をまとめて沈めたもの、沈潜は古い木造船を沈めたもの。共に、漁師が魚の産卵場所にと沈めたものです。ここには当然魚が集まり、コンディションの良い魚が釣れるのです。

 得意は好きの近くにある

 誰に教えて貰ったのか忘れましたが、今まで何度も口にしてきました。得意かと聞かれれば口ごもりますが、好きかは即答できます。これを子供に、スタッフに繰り返し伝えます。

 頑張れば更に結果が出て、より好きになる。成長のスパイラルに突入すれば、もう誰にも止められないのです……となれば最高なのですが、現実は少しだけ複雑です。

 その複雑さの正体とは。理論を骨格とするなら、現実は様々な事象が肉付けされています。その骨格が見れるかだと思っているのです。

必ず言おう‐1028‐

 昨日は「銀座ギャラリー」の打合せでした。
1日かけて芝公園、銀座とまわり、その足で丸の内へ。

 

 バカラショップが経営するバーがなかなかいいと聞いていたのです。

 流石は丸の内。洗練されたオフィス街です。

 通りのライトアップは、色が使われておらず、かえって新鮮さを感じます。

 「星の王子さま」の作者、サン・テグジュペリはこう言っています。
『完全』とは、すべてを脱ぎ去り、ありのままの姿に戻ったとき、つまり、加えるべきものがなくなったときにではなく、取り去るものがなくなったときに達成されるのである。

 デザインとは飾るものではない。痛感する場面がよくあります。

 B barで軽く一杯やって、そのまま新宿へ。金額のほうもなかなかでしたが、それに値する空間ではあると思います。


 昨晩は、高校の同級生が集まっての新年会でした。

 関東での暮らしが長いという友人がほとんど。

 2件目は、初めてゴールデン街へ行きました。

 このドヤ街感がたまりません。


フラッと入ったのは、B級ホラーをテーマにしている店。

 これも同級生だからこそ。

 好きなことを言い合い、遅くまで飲んでいたのです。

 クライアントへも、出来る限り気を使わず、何でも言って欲しいと伝えています。

 今度、オープンハウスをする「遠里小野の家」のクライアントから、以下のようなメールを貰いました。

この度は御愁傷さまです。

 介護や医療で携わっている人間としての考えかもしれませんが、医学の発展により人間が楽には死ねない時代に突入している中で眠る様に息を引き取ることは凄く幸せなことだと感じています。

 守谷様の祖母が亡くなったのに幸せと表現するのは不適切かもしれませんが、大半の高齢者の方々が望んでいても眠る様に息を引き取ることができる人は一握りだと経験上そう感じています。

 人生の最後に家族の不安を募らすことなく旅立たれたのは守谷様の祖母の優しさなのかなと痛感しております。

 いつも思ったことを、率直に伝えてくれる人ですが、有難いと思うと同時に、我がことのように嬉しく思います。

 他にも、元気が出たというメッセージもいくつか貰いました。そのメッセージを見て、今度は自分が元気になります。

 折角思ったこと、感じたことは、必ず言おうと思います。それが、プラスのスパイラルを生むのだと感じるのです。

諸君!‐1027‐

 水溜りに氷が張っていると、嬉しくなるのは何故でしょう。

 寒いのが好き、という訳ではないのですが、どうせなら冬は寒いほうがシャキッとします。

 

 「遠里小野の家」へ向かう際、阿倍野で乗り換えます。
ハルカスを背に、1両のチンチン電車が颯爽と登場。ホームは60cmあるなしでしょうか。
 
 強風にあおられれば、電車に接触しないかと、不安になるほど。
下手なアトラクションより、よほど迫力があります。


 途中、住吉大社を通過。
 日本一辛いおみくじを、毎年楽しみにしていました。
 今年は祖母が亡くなったのでお預けですが。


 大学時代の先輩宅で、新年会がありました。

 お酒も入り、好きなことを言い合い、なかなかに盛り上がりました。

 さて、そんな仲間が、どれほどいるのだろうと考えます。

 今日は成人式。

 金曜日、産経新聞夕刊に、山口瞳のエッセイが紹介されていました。

 山口瞳と言えば、開高健、柳原良平と続く寿屋(現・サントリー)広告宣伝部の系譜を引き継いだ、由緒正しき作家です。エッセイの他、小説「血族」も傑作でした。

 以下が、1978年から毎年掲載された新聞『広告』と聞けば、痛快以外の言葉が見当たりません。
今日から酒が飲めるようになったと思ったら大間違いだ。諸君は、今日から酒を飲むことについて勉強する資格を得ただけなのだ。仮免許なのだ。

 本当に酒の味がわかるのは、苦しみつつ、なお働いた人たちだけなんだ。

 そして。

 諸君!この人生大変なんだ

 「諸君」は一時代前の言葉です。しかし、人事ではない愛情も感じます。また、新聞の1面にエッセイを書く記者の、見聞の広さ、引用の多様さに、只々感心するのですが。

 最後は私のセレクトです。敬愛する、の開高健の言葉から。

 ええか、男はナ、自分の財布で飲むんヤ。それでなければ身につかへんのヤ。男になりたければ、そうするんやデ。上を見て生き、下を見て暮らさないかん。そういうこっちゃ。

苦しみが十分でない‐1025‐

 今日の大阪は快晴。

 隣の工場からはサンダーで何かを削る音が響いてきます。

 こんな音の中で暮らしてきましたが、これからもずっとそうなのだろと思います。

 本日が仕事始めです。

 年始は白浜で過ごしました。

 気温的には3、4度ですが、景色も含めて南国気分ではあります。そんな中、義妹から、甥っ子が骨折したと電話がありました。

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 昨日は、弟家族と実家に集まりました。

 長男に続いてですが、骨はいずれくっつきます。可哀そうではありますが、すべては今後の糧になるはず。頑張れ甥っ子。

 年末、撮っていたイチローの番組を観ました。

 僕の数字で言えば、4000という数字ではなく、8000と向き合ってきたという事実はある

 4000本安打を達成したあとのコメントですが、「8000」とは凡打に終わった打席の数のことです。その失敗と、誰よりも向き合ってきた、と彼は言いきりました。

 「はっきりと言えるのは、打つことに最終形はないということ。ぼんやりとした理想形があるだけ」

 「いつ辞めるのかと考えると、苦しみが十分でない。まだ苦しめる」

 そう言ってイチローは笑っていました。

 言葉がまっすぐで、野球を通し、人はここまで成長できるのかと感じます。喜びは、苦しみがあってこそ。その場に立っていなければ、味わえないものです。

 昨日、母方の祖母が亡くなったと連絡がありました。これで、4人の祖父母は全員亡くなりました。

 香川へ向かい、最も世話になった祖母の人生と向き合ってきます。

ゼロ‐1021‐

 グランフロントには、建築関係のショールームが集まっています。

 数年前までは本町に集中していたのが、あっと言う間に各社が移動してきました。

 土曜日、クライアントと訪れていたのですが、相変わらず凄い人出です。

 大階段には、922人のサンタクロースが並んでいました。

 明日はクリスマス・イブ。

 「言うこと聞けないと、サンタさんはやって来ないよ!」

 親子の攻防は寸前まで続きます。

 「海賊と呼ばれた男」は2013年の本屋大賞。

 映画化された「永遠のゼロ」はデビュー作にして380万部の売り上げ。21世紀の最高部数を記録した文庫本だそうです。

 作者、百田尚樹のデビューは50歳で、現在も探偵ナイトスクープの放送作家。

 発売すれば全てがヒット作。凄まじいと言ってよい活躍です。

 乗り遅れた感もあったのですが、ようやく読んでみました。

 「永遠のゼロ」のあらすじは以下のようなもの。

 フリーターの佐伯健太郎と駆け出しのライターである姉・慶子は、祖母が亡くなったあと、残された祖父から、自分は2人目の夫であると知らされる。

 姉弟の母は、1人目の夫、宮部久蔵の子で、彼はゼロ戦の搭乗員だった。終戦間際、特攻で戦死したことを知る。

 姉が終戦60周年記念のプロジェクトに協力することになり、残り少なくなった、祖父を知る人を訪ねるという企画を考え、取材を始めた。

 それらの人を訪ね歩くうち、祖父・宮部久蔵の実像が、徐々に浮かび上がってくる。最後に宮部久蔵と関わりのあった人が、自分たちの良く知る……

 証言者が変わる度に場面が変わり、全く飽きさせません。祖父の像が浮かび上がる度に、こちらもどんどん知りたくなって来ます。

 弟、姉も真実を知る度に(フィクションですが)、成長して行きます。また、多くの若者の人生が、この戦争によって断たれたという事実が、読者の胸に突きつけられるのです。

 今年の夏頃、筆者はこのように語っていました。

 父は市の職員で、水道管が破裂していないか、日がな街中を歩き回り、見付けては補修するという仕事だった。地味な仕事だったがそれを全うした。

 今、仕事がない、仕事がないと言うが、工場では外国人の労働者が働き、国へ送金をしている。どこに仕事がないのか、と。

 彼は、常に人間の素晴らしさを書きたいと言います。それを、父の背中から学んだのですが、本来はそれは当たり前の姿とも言えます。

 父として、リーダーとして、何ができているのか。自ずと力がはいります。

がっくりも憂鬱もまたよし‐1018‐

 昨日は現地調査へ行っていました。

 リノベーションは調査がすべて。何かを提案するには、建物を把握するところから始まります。

 遠くに臨むのはあべのハルカス。

 都心部であっても、ドラマティックな眺望はあるものです。

 ここは物干しとして使われている塔屋部。

 木が上へ伸びるように、密集地では建物も上、上へと光を求めることになります。

 折角手に入れた光と景色を、物干しにだけ使うのはもったいないので、何らかの仕掛けを考えたいと思っているのです。

 昨日、このようなメルマガが届きました。

 成長の姿に「憂鬱」があることを知ってますか?

 素晴らしい話を聞いた後に「よし!やるぞ!」と勇気が湧いてくるというのでなく、どちらかと言うと、「がっくりした」「憂鬱」になったという姿です。

 私は、こちらのほうが「成長する」ということにおいて本物のような気がします。

 なぜ、「憂鬱」になるのか、私にもよく分かりません・・・・きっと、本気でやろうと思っている人が、本気でやるということの凄さを実感して、立ちすくむようなものではないでしょうか?

 まあまあ、やってたつもりが、全然出来ていないことが話を聞いて明確になり、嫌になってしまうようなものではないでしょうか?

 これから自分が進むべき道を想像し「えらいこっちゃ!」という思いが、自分でも気が付かない心の底から湧きあがってくるようなものではないでしょうか?

 もし、あなたが本当に成長をすると決め、真剣に歩んでいるとするならばきっとこの「がっくり」「憂鬱」体験をしているはずです。

 「がっくり」「憂鬱」体験は、悪いことではありません。

 あなたが本当に成長することを裏付けてくれているのです。

始道塾 塾長 恩田多賀雄

 この日記もそうですが、意識的にネガティブな単語は避けきました。憂や鬱はその代表格。

 しかし、恩田さんの言葉は、すっと心に入ってきます。「がっくり」も「憂鬱」もまたよしです。
 
 悪いイメージに引っ張られる事と、ウェイークポイントを認識することは全く違うもの。しかし、紙一重の存在とも言えそうです。

サービス精神だけは忘れずに‐1015‐

 11月の中旬、「Ohana」へ家族写真を撮りに行きました。

 この時期のスタジオは、七五三の撮影もあり繁忙期もピークを迎えています。事情は分かっているので、出来れば年末までに貰えれば、と伝えていました。

 カメラマンの石井さんから連絡があり「会があるので、久し振りに食事でもどうですか」と。私は打合せがあるので「もし遅くまで続いていたら寄せて貰います」と返しました。

 「絶対来るなら、写真を何とか仕上げて行きますが」と。思わず笑ってしまいましたが「じゃあ、伺います」と返信しました。

 写真を持って帰ると、子供達は大喜びし、大爆笑していました。

 サービスカットが入っていたのです。

 カメラマンが映っている写真はなかなか。これは、勿論石井さんがシャッターを切っていません。

 そのチームワークも含めて、お見事です。

 ダウンタウンの松本人志は「仕事というのは、サービス精神を忘れたらおしまい」と言っていました。
 
 彼がそう言うなら、私達はサービス精神の塊で、丁度良いくらいでしょうか。

 ついに師走にはいりました。今年一年の総決算です。

 どんな時でもそうですが、事務所としも正念場。

「今日という1日が、人生の全てを決める」とスタッフを、私自身を、鼓舞します。悔いのないよう、全身全霊を込めてあらゆる判断をしたいと思います。

 そして、サービス精神だけは忘れずに。

人の為とかいて‐1008‐

 先週の金曜日、滋賀の現場へ行っていました。

 既存建物の解体も終盤。間もなく工事が始まります。

 敷地は緑豊かで、環境には非常に恵まれています。

 「イノシシが出るくらいなので恵まれすぎ」とはクライアントの弁。


敷地内に、皮が剥がされた樹がありました。

 「伊勢神宮へ奉納するために、使わせて貰えないか」と相談があったそうです。

 で、伐採も含めて、OKしたという事でした。

 伊勢神宮は、20年に一度の式年遷宮。

 この春に参ってきました

 同じく出雲大社も遷宮の年にあたるそう。
 
 こちらは約60年に一度で、同じ年にというのは、相当に稀なようです。

 島根在住の経験がある人に、出雲の国だけは10月が「神在月(かみありつき)」になると教えて貰いました。

 旧暦10月。全国の八百万(やおよろず)の神々が出雲の国に集まる月。他の土地では神様が留守になるので神無月といいますが、ここ出雲では神在月と呼びます。

 神々が集う出雲の各神社では「神迎祭(かみむかえさい)」に始まり、「神在祭(かみありさい)」そして、全国に神々をお見送りする「神等去出祭(からさでさい)」が行われます。

 -出雲観光協会のwebサイトより-

 出るわ出るわの偽装問題。神も仏もありゃしない、という感もあります。

 旧暦なら今が神無月。来週、出雲へ行くので、本当に神様はいるのか探してきます。

 人の為と書いて、いつわりと読むんだねえ -相田みつお-

 全ては自らのため。本当の意味で、偽りを分るのは自分だけです。