彼岸前

 昨日から、岡山、香川に来ています。

 彼岸前ですが、祖父母の墓参りに来ました。

 折角なので、皆で泊まろうという事になったのですが、寸前に探したのでどこも一杯。

 空きを見つけたのが、バンガロー。香川県まんのう町にある大川山キャンプ場は標高1,000mを超える山頂付近にあります。

 総勢11名。子供たちは修学旅行みたいなもので、テンションは上がりっぱなしです。

 誰かが頭打ったとか、口を切ったとか。何やかにや起こりますが……

 讃岐平野を一望に見下ろす景色は絶景です。

 気温も5度は低いでしょうか。気持ちの良いところでした。

 現在も元気な祖母は今年で87歳になりました。

 小学生の頃怒られていた元気はもうありませんが、愛おしく思います。

 いつまでも元気で……という言葉に、寂しさを覚えるのです。

知識は勇気を

 「営業マンは断ることを覚えなさい」という本が、ベストセラーになりました。

 発売は2003年となっているので、もう7、8年前のこと。その作者、石原明氏はこうも言っています。

 『知識は勇気を補完する』

 人はだれしも弱いもの。しかし知らないという事は、更に心を迷わせます。不安な状態で良い決断が出来ないのは当然です。

 鋼のような精神力を持っている人は別ですが、そうで無い人はどうすれば良いか。その答えが、前述したものだと思うのです。

 昨年、日本建築家協会に入会したのですが、住宅部会というワーキンググループにも入りました。

 部会員の2人が世話人となり、月に一回、例会を主催します。

 その世話人会は本町の綿業会館で開かれます。

 綿業会館は渡辺節の設計で、当時所員であった村野藤吾が担当していました。

 重要文化財に指定されている近代建築も、見ると使うでは全く愛着が変わってきます。

 先週土曜日の例会は、住宅の見学会でした。石井修設計の目神山の家1-回帰草庵-を見ることができたのです。

 4年前に85歳で亡くなられた、巨匠の自宅は西宮市の山手にあります。

 現在もご親族が住まれ、写真の掲載は控えますが、何度も住宅雑誌で見たその居間に入った光景は、やはり鮮烈でした。

 急な斜面にある敷地を友人と分け、ほぼ同時期に目神山の家1と2が建ったそうです。1の回帰草庵は低い方の敷地にあり、エントランスから、更に急な階段を下りていくと、まずRC造の棟があります。

 屋根に草が生えており、森の中に隠されるように建っているのですが、そこから内部に入ると、中庭を挟んで木造棟へ続く階段があり、下りて行くとそのリビングがあるのです。

 多くの開口がありますが、この時期の木々は鬱蒼としています。まず初めの印象は「暗い」でした。

 目が慣れくると、好んで使ったというキシラデコールのパリサンダで塗られた壁の赤みが、だんだんと浮かび上がってきます。正面には暖炉、天井からは直径2mはある、和紙の照明が吊り下げられています。

 簡素な山荘という趣にも関わらず、艶っぽい幽玄の世界が広がっているのです。

 出来上がって35年。ご子息が案内してくれましたが、RC造部より、木造部の方が改修箇所が少ないというのも印象に残りました。
 
 建築史に残る住宅を見たとき、まず浮かんだのが「本物」という言葉。敷地の変更を最小限にとどめ、自然の中で暮らすのを良しとした設計者、石井修の強い意思を感じます。

 深く考えられ、素材の魅力を引出し、洗練されたディティールによって建築、空間は成り立っているのですが、全く手が届かないものではないとも思えました。勿論それには、研鑽に継ぐ研鑽が必要なのですが、未知の次元ではないと感じたのです。

 知る、経験する、頭を打つ。自らの成長に繋がるなら、何にも代えがたい喜び。ちょっと立ち止まってしまった時、知識は勇気を補完すると唱えてみるのです。

あの温泉は今

 昨日は、早朝から日本海へ行っていました。

 カラッと晴れ、最高の天気です。遠くに見えるのは越前半島。

 敦賀半島の先端にある小さな浜で、ここに家を借りている知人がいます。

 毎年会うのを楽しみにしているのですが、この日は不在でした。

 風が強く出船出来ないので、早くに帰ったのかもしれません。

 9月に入ると、更に人も少なってきます。

 子供たちはライフジャケットを着て、一応シュノーケリングもするのです。

 昼が近づくにしたがって、予報通り風が強くなってきました。

 波止で釣りをしましたが、何故かサンバソウ(石鯛の幼魚)しか釣れず。

 空高く旋回するトンビを見て、もう少し先まで足を延ばすことにしたのです。

 敦賀から越前町までは40km程。1時間弱というところでしょうか。

 数年前にこのあたりを通った時「漁火(いさりび)」という、クアハウスのような建物がありました。

 もっとひなびた感じの温泉があったはずと、妻と話したのです。

 折角なのでもう一度確認に行くことにしました。

 行ってみるとやはり「漁火」はここしかなく、大きな施設の中に引越して来たようでした。

 昔のイメージがあるので、ここは辞めようということになり、途中で見えた露天風呂「日本海」へ。

 かれい崎荘という国民宿舎の大浴場です。

 こった造りではありませんが、簡素にして500円。

 景色は素晴らしく、お湯は透明ですがヌルヌルと肌に良さそうです。

 全く過不足ありません。

 建物が良くなる事に問題がある訳ではありませんが、土地には土地の風土があるはずです。

 影、ひび、汚れなんかを、人は何故か覚えているものなのです。

末裔

 朝夕は随分涼しくなって来ました。

 今朝の空を見て、今年初めて秋を意識しました。本当に気持ち良い気候になりました。

 先週末を思うと、自然と言うのはこうも違う顔をもっているのかと、納得もするのです。

 突然ですが、スケートの織田信成選手はあの織田信長の子孫です。教科書で見た絵にそっくりなので、疑う余地もありません。

 天下人、うつけもの、新しいもの好き……

 信長の子孫というのはどんな気分なのでしょうか。

 一昨年、日本建築家協会(JIA)に入会してから、同業者と話す機会が増えました。そこで、徳川家を最も苦しめたと言われる、真田家の末裔と知り合ったのです。

 聞けば戦国武将の雰囲気も。池波正太郎の「真田太平記」全12巻を読んだ私は、ちょっと興奮しました。

 真田家は信州上田市の豪族で、父昌幸と次男幸村は戦上手で知られました。中山道を通り関ヶ原の戦いに向かう家康の嫡男秀忠は、上田城の真田家に降伏を迫ります。

 それには従わず、わずかな手勢で秀忠軍を足止めし、参戦を遅らせた話と、大坂夏の陣で家康を追い詰めた話は有名なところ。

 武士は勇猛果敢。六文銭の旗印は三途の川の通行料。それさえも恐れないという意味なのです。

 真田幸村は、猿飛佐助をはじめ真田十勇士を従え徳川家を苦しめた講談が、江戸時代に大人気となり、戦国武将の英雄として語り継がれてきました。よって誇張されている部分も多いと言われます。

 そもそも小説とはフクションです。史実と重なったり、離れたりしながら展開して行く所こそが歴史小説の醍醐味と言えます。

 史実と史実の隙間を、いかに作家の仮説で繋ぐかが、作品の本質と言えるのです。

 未来は現在の”影”でしかないが、過去は現在を知る宝庫でもある。私は人の過去にふれてみたくなる。はるかに刺激的で魅惑的である”過去”という事件。
-山本隆司-

 過去こそロマンなのです。

運命という縦糸

 動きの遅い台風によって、大きな被害が出た近畿地方。

 十津川村、田辺市など、よく訪れていた場所で、その映像を見ると痛々しいばかり。明日からは晴れ空が戻りそうで、少しでも早い復旧を祈るばかりです。

 現在進行中の計画で、四柱推命に詳しいクライアントが居ます。

 詳しいと言うよりは、鑑定の依頼があったり、今も勉強会にも参加したりと、大変熱心な人で、専業ではありませんが専門家と言えます。

 言葉は聞けど、四柱推命が何を意味するか解っていませんでした。

 生れた、年、月、日、時という4つの柱をもとに、その人の運勢を推察するもので、中国に古来よりある、陰陽五行説が元になっているそうです。

 打合せの合間に、少し教えて貰っただけで、何が分かった訳ではありませんが、聞いていてとても気持ちが良いのです。

 その理由は至って簡単。
 
 時刻までは公開していませんが、生年月日はいたるところに公開しています。それを見て専門家が足を運んでくれたという事は、良い運命と判断してのことなのです。勿論それだけが理由ではないと言っていましたが……

 生年月日(時)は変えれませんから、気にしても仕方がありません。しかし、良いと言われれば嬉しい以外にないのです。

 その先の対策もいたってシンプルです。本来は何でも何真ん中辺りが一番良いそう。良い流れの時は調子に乗り過ぎず、良くない時はぐっと堪えるという考え。これらも体感的に納得できます。

 ある時「守谷さんはとてもいいんですが、この頃にちょっと大変な時期がありましたか」と聞かれました。独立して3年が過ぎ、我武者羅だけでは通用しないと感じていた頃で、自分なりにあがいていた時、ピタリでした。

 だから信じるという訳ではありませんが、自分でコントロール出来ない部分が有っても、人に何らかの傾向があっても、不思議ではないと思います。

 地球は一日一回、規則正しく回転しますし、一年で太陽を一周します。太陽は生命の源ですから、それらが影響を与えていていないほうが不思議かもしれません。

 但し、それが運命であっても、それだけで人生が決まるとも思っていません。

 「人生とは、運命と言う縦糸と、因果応報と言う横糸が紡ぎだすもの」と稲盛和夫氏は説いていました。

 因果応報とは、良い行いは良い結果を生み、悪い行いは悪い結果を生むという考え。30年等というスパンで見ればこれはもう明らかとも合わせて記されていました。

 少し話がそれましたが、こちらのクライアント、当然風水にもこだわっています。近いうちに現場日記にUP出来ると思います。

 どれがこの計画か……分かる人は専門家か、よほど勉強熱心な人のはずです。
 
守谷 昌紀 1970年7月28日 11:58am 生れ

丹後半島 間人近く

 今日から9月。小学校は2学期がスタートしました。

 8月28日(日)は夏休み最後と、丹後半島へ行っていました。

 竹野海水浴場までは、舞鶴若狭道と綾部宮津道路を乗り継いで3時間程。蟹で有名な間人(たいざ)のすぐ東です。随分近くなりました。
 
 この辺りは、東の丹後松島、西の夕日ヶ浦へ来た事がありますが、ここは初めて。知人がとてもいい所だと誘ってくれたのです。

早くについたので、辺りを散策しました。

 海沿いの国道から見下ろすと、小さな浜が僅かに見えます。

 期待はいやが上にも高まります。

 人も少なく、誰に気を遣うことなく遊べるのがこの時期の良いところ。

 子供達は飽きることなく海の中です。
 
 今回は父にも来て貰いました。

 昔、間人へ良く来ていたそうで、道が良くなった事に驚いていました。

 浜から少し歩くと、すぐ脇に磯があります。

 磯は本来危険なところですが、まるでプールのような、入江があるのです。

 図鑑好きの長男に、これがサザエで、あれがウミウシで、これがウニでと教えます。

 美しい海は、百科事典に劣らぬくらいカラフルで美しいものです。

 貝を獲ろうとすれば、張り付く力を感じます。これが生きる力。

 何かを感じるものがあるはずです。

 波で削られた洞窟がありました。

 何かいわくありげで、言い伝えの1つや2つはありそう。

 自然は語らないがゆえに、想像力を刺激するのでしょう。

 沈黙は神の本質、とはマックス・ピカートの言葉。

 昼食はタープを張って、海を見ながら。最高の天気になりました。

 浜を出るころには、更に人も少なくなり。

 青い空、澄み切った海、背後の緑に小さな港。

 この夏、もう1回は海へと思うのです。

GOOD DESIGN EXPO 2011 その2

 先週月曜日の夜、イタウバハウスのクライアントからメールが届きました。

守谷様

 お世話になっております。

 グッドデザイン賞の一次審査を通過したとお聞きしてから、グッドデザインエキスポを見に行きたいなあと思ってたのですが、今日のゲツモク日記の模型の写真を
拝見し、これは見に行くしかないなと思ったのです!

 あの会場に展示されている『イタウバハウス』と一緒に写真を撮りたいなあと!

 どうしたら行けるのか、頭の中で勝手に考えているところです。仕事の方はなんとかなりそうな気はしますが、妻がうんというのか、家族みんなで行くか、一人で行くか、
一人だと夜行バスが一番安く行けるかな?などなど・・・。

 もうすぐ、子供を寝かして妻が降りてくるので相談してみようと思います。

 行けるのか、行けないのかどちらか決まればまた連絡させて頂きます!

 ここまででも嬉しい話ですが、昨日現地からメールが届きました。

 会場の東京ビックサイトは、お台場あたり。

 GOOD DESIGNはあらゆるジャンルから応募があります。

 ブロックごとに区分けされているのです。

 今回は家族全員での東京行き。

 写真を見る限り、子供さんも楽しんでくれたようです。

 あつかましくも、①会場建物、②会場内の風景、③模型とご家族の写真、をお願いしていました。

 届いたメールには「家具までが忠実に再現されているのが感動しました。グッドデザイン賞受賞できるよう祈っています」と添えられていました。

 クライアント、私達、施工会社が一体となって、建築は出来上がっていくものです。

 イタウバハウスは文字通り、クライアント、更にご兄弟の手も借りて施工して貰いました。

 現場日記に載せきれなった写真がまだまだ沢山あります。

 結果が気にならないと言えば嘘になりますが、私達が出来る事はここまで。

 大切なのはその過程です。

 とは言え、自信がないではありません。

香港建築科学出版社

 昨年の11月、香港に出版社からメールが届きました。

 香港建築科学出版社という建築関係の出版社で、その編集者からだったのです。

 来年4月頃、商店建築、文化建築、劇場などの小型公共建築についての本を出版する予定。webサイトで作品を見たのですが、作品を掲載して貰えますか。ついては添付してある、英語の招待状をご確認下さい。

 招待状が英語だったので、アメリカに留学していた先輩に目を通して貰うと、別に怪しい感はないと。それではと、先方とのやり取りが始まったのです。

 希望の作品は?「加美の家」と言うので、趣旨と違いませんかと聞くと、大丈夫ですと。また、送られてきたサンプルのデータが、関西ならだれもが知っている建築家の作品。

 これはと事務所内で盛り上がり、データを英訳、写真を転送サービスで送り、一通りの作業を終えたのが12月初めでした。

 12月6日に編集者からのメールを開くと「残念ながら今回は掲載できません」とあります。

 条件の中に2008年以降の作品とあったのです。作品の指定があった事もあり、私が必要条件を読み飛ばしていました。

 再び香港建築科学出版社から連絡があったのが今年の4月。「当社のwebサイトにStar Weekというページがり、そこに掲載しないか?」というものでした。

 その時点で5人程の建築家が掲載されていましたが、そうそうたる顔ぶれです。本当にここへ載せてくれるのかなと半信半疑でしたが、すぐに資料を送ったのです。

 8月24日に、他の海外出版社から問い合わせがあったので、ふと思い出し見に行くと載っていました。私が。

 他の建築家をざっとピックアップすると、ドバイで世界一番高いビル「ブルジュ・ハリファ」を設計したエイドリアン・スミス。完成すれば世界一高いタワーになるサウジアラビアの

「キングダムタワー」のゴードン・ギル。

「香港上海銀行・香港本店ビル」で世界的に知られるノーマン・フォスターは、イギリスで男爵の称号を持ちます。

「テルアビブ美術館」のプレストン・スコット・コーエン、「メルセデス・ベンツ・ミュージアム」のベン・ファン・ベルケル……

 日本からは中国で活躍する迫慶一郎と保坂猛。最新で紹介されている建築家は、有機的な建築で圧倒的な存在感を示すフランク・O・ゲーリーです。

 日本には神戸にフィッシュ・ダンスがあります。

 フォスターも、ゲーリーも20代から作品集を持っている建築家です。このそうそうたるメンバーの中で、私はどう紹介されているか。かなり短いコメントですが。

In response to our Chinese reader’s request,this week editors recommend this japanese architect.

His designs is Sharp,colorful,dynamic.

 後ろの文の意味は分かりますが、前の文書はどういう意味なのか。

 翻訳サイトに入れてみると「中国人読者の要望に応え、編集として、今週はこの日本人建築家を推薦します」とでもなるのでしょうか。

 ページの作りが、他の建築家とちょっと違う感もありますが、嬉しいことです。『今週は』という事は今週いっぱいなのでしょうか。

 それでも良いのです。今度は中国で仕事するか!いや、出来ればイタリアがいいな、とか勝手なことを言いながら、夢は膨らむのです。良ければのぞいてみて下さい。

 ちょっと扱いにくいのですが、「Star Week」の右端の矢印をたたいていくと9番目です。

香港建築科学出版社 Hong Kong Architecture Science Press

 4年程前にも、イタリアの出版社から作品を掲載しないかという問い合わせがありました。

 調べると由緒ある住宅誌。しかし「どうやって写真を送るのとか、コメントは何語なのかとか、出版料は要るの」など、こと細かに聞いているうちに、話しは流れてしまったのです。

 その時感じたのが、スピードは説得力。座右の銘という程ではありませんせんが、常に心がけています。

GOOD DESIGN EXPO 2011

 お盆が明けた先週の木曜日。8月18日の夕方に宅急便の営業所に駆け込み、模型、パネルを郵送しました。

 GOOD DESIGN AWARDに応募しているのです。 

 Gマークで知られるGOOD DESIGNから、1次審査通過と連絡が来たのが7月20日。

 1次審査はweb上ですが、2次審査は現物審査。建築の場合はパネルが一般的です。

 イタウバハウスでチャレンジする私達は、合わせて1/25の模型も出すことにしました。

 7月8日に受賞したキッズデザインでは、Ohanaへの審査員コメントが発表されました。

『第5回キッズデザイン賞』フューチャープロダクツ部門
 
 写真スタジオと子ども視点という新たなフィールドに挑戦している試みに賛同した。自然光がふんだんに入る設計は写真を撮る際に威力を発揮してくれるだろう。撮影の際の子どもの緊張を和らげ自然な姿を撮ることができそうである。

 さらなる上位賞には届きませんでしたが、私達の挑戦を十分評価して貰ったと感じます。

 GOOD DESIGN の2次審査は、GOOD DESIGN EXPO 2011として今週末一般に公開されます。

会期
8月26日(金) 18:00 – 21:00
8月27日(土) 10:00 – 21:00
8月28日(日) 10:00 – 16:00

※各日とも入場は終了の30分前まで
会場東京ビッグサイト 東展示棟 東5、6ホール
入場料1,000円(3日間共通)/中学生以下無料

 他人の目を気にするなという価値観もあります。自分が正しいと信じたら、悔いのないようその道を行くべきだと思います。

 しかし、仕事の評価は自分たち以外、他者が下すものです。私達の仕事がどう評価されるのか、是非聞いてみたいのです。

 昨日は東京出張だったのですが、開催前で見に行けませんでした。

 例年は4万人以上の来場者があるようです。

 もし近くに行かれた方は是非のぞいてみて下さい。感想などあれば是非。
 
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【News】
■7月8日「Ohana」『第5回キッズデザイン賞』受賞
『関西56人の建築家と家をつくる』7月10日発売に
「加美の家」が掲載されました
『ハウジング』 6月21日発売に
「ドタバタ広場のある家」再掲載
■毎日放送『住人十色』4月23日「光庭の家」放映
【Events】
■7月2日(土)『読売新聞マイベストプロ大阪』のセミナーで
ローコスト住宅について講演しました
■8月1日~8月31日までハービスPLAZA(大阪)4階にて
「加美の家」のパネル、模型を展示しています
メディア掲載情報
一級建築士事務所 アトリエ m
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

フェリーで行く鹿児島

 8月12日から15日の夏休みは、鹿児島を巡ることにしていました。

【1日目】 8月12日(金)

 夕方6時に南港をでました。
 15時間の船旅は、沈む夕日を見ながら。

【2日目】 8月13日(土)

 朝デッキへでると快晴の下、南九州が見えてきました。

 9時に志布志港へ到着。そのまま西に向かい、高速道路に乗りました。

 鹿児島湾(錦江湾)を反時計まわりに走り、西側の薩摩半島を目指します。

 

 道中に見えた桜島には、残念ながら雲が。

 この時は、また帰りに見れるだろう等と思っていたのです。

 昼食は一気に薩摩半島南端まで移動して、かつおラーメン。枕崎はかつお節の産地で、量、質とも日本一。

 現地の人にも聞ましたが、あっさりして美味しいとのこと。実際は、期待を大きく上回るものでした。

 かつお出汁をたっぷり使ったスープに、かつおの刺身、てんぷらも乗っています。これが、さっぱりかつ風味があって素晴らしく美味しかったのです。

 鹿籠豚(かごぶた)のトンカツも合わせて、旅行誌にも載っていますが「だいとく」は強力にお勧めします。

 この日泊まるのは、丸木浜キャンプ場。枕崎の西にあります。妻がwebで見つけてきました。

 人も少なく緑と海が美しく、南国ムード満点の浜でした。

 枕崎で購入した、食材で料理の準備を始めます。テントを張り、食事を始めたのが6時頃。

 子供達は海で遊び、疲れ、夕食を終えるとすぐに寝てしまいました。波の音を聞きながらビールを飲み、横になったのが10時頃。

 気持ち良く寝ていると、ポタポタと水滴が……時計を見ると深夜1時。

 休みを取るのにバタバタしており、天気予報のチェックが出来ていませんでした。鹿児島地方はこの日の夜から、ずっと雨だったのです。しかも結構な。

 風も強く、テント、タープを張り直し、雨対策をし終わったのが午前3時。ようやく一段落と思っていたら、こんな時間から浜で花火を始め出す若者が。

 浜には3組しかキャンパーは居らず、子供も起きないので放っていました。小一時間程して帰って行った時、チラと見えた感じでは20歳くらいの男女4人。

 どうやら近くから、花火だけをしにやって来たようです。

 言いたい事が無いでは無いですが、自分たちの事しか考えられない若者を、悲哀の目で見てしまう自分も居ます。

 タイミング良くというか、花火が終わるとまた雨が降りだしました。夜が明け、子供たちに朝食を取らせ、カッパを着てキャンプ道具を片づける私。

 端から見ればそれこそ悲哀の目で見られそうですが、やりだしてしまえばいかに効率よく、片付けるかに燃え出すのです。

 トラブルこそ旅の本質。とても良い浜でした。

【3日目】 8月14日(日)

 全ての片づけを済ませ、丸木浜を立ったのが8時頃。そのまま内陸に入り知覧を目指します。

 朝一番で特攻平和会館へ行ったのですが、多くの人が訪れていました。

 先の戦争で、300万人の命が失われた事、多くの若者が特攻隊員として犠牲になった事、その事実の上に今があるという事。終戦記念日の前日、ただその冥福を祈るしか出来ません。

 再び海沿いに戻り、開聞岳回りを走ります。

 JR日本最南端の駅、西大山駅で記念写真です。後ろの開聞岳は別名薩摩富士。晴れていれば最高だったのですが、仕方ありません。

 この日もキャンプ場のつもりでしたが、時々降る雨あしも強く諦めました。

 指宿まで移動し、駅前の観光案内で宿を探すと、ウィークリーマンションの一室なら空いていると。何とか屋根付きの寝床を確保できたのです。

 昼からは第27代島津藩主が作ったという温泉、殿様の湯へ。

 180年前から藩主を癒して来た、二月田温泉。現在は銭湯のように使われており270円。人もおらず中も撮ってみました。

 このあたりの温泉は一様に熱いそうですが、ここもとびきりの熱さでした。

 その晩は清潔な布団にありつき、外は雷雨。当たり前の事がどれ程有難いか知ったのです。

【4日目】8月15日(月)

 翌朝、朝一番で指宿名物の砂むしへ。

 娘は嫌がりましたが、長男は喜び勇んで砂の中。彼はあまり汗をかかないのですが、ここでは大汗でした。

 その後、すぐに近くの山川港のフェリー乗り場へ向かいましたが、残念ながらいっぱい。

 それで鹿児島市のすぐ北にある鴨池港まで北上します。

 ここから対岸の垂水まで渡るフェリーは35分。

 桜島のすぐ北を通るのですが、この日も曇天で山頂は見えず。

 アキアカネにしては黄色く。何と言うトンボでしょうか。

 対岸に着くと、最終目的地、佐多岬を目指します。

 およそ80kmを1時間半で走り、ようやく到着したのが2時頃。岬までは更に徒歩20分かかるようです。

 娘を背負い、熱帯雨林の中のような景色をくぐり、ようやく着きました。

 北緯31度。本土最南端の岬です。

 「子供が地球の端を見たいと言ったから」というCMが、昔ありました。

 地球の端でもないし、子供に言われた訳でもないのですが、何故か来たかったのです。

 すごい風でしたが、スカッと晴れてくれました。ここが本土の端なら、今度は沖縄か……などと思ったり。

 再び志布志に戻り、夕方6時に九州を離れたのです。

【5日目】 8月16日(月)

 15日の朝、大阪の南港に戻ってきました。

 WTC、海の博物館が朝日を浴びて、美しいのですが空気、海は比べる由もありません。

 しかしここが私の住む街、仕事をする街です。

 旅は自分との対話、と安藤忠雄は言いました。

 家族旅行が、自分との対話かは別にしても、私にとって、家族にとって何かを考える時間にはなったと思います。

 鹿児島一周の旅。長々と書きましたがこれで終り。

 出来ればもう一度、快晴の桜島と開聞岳を見に行ってみたいものです。

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