タグ別アーカイブ: 建築家

ジーニアス‐1248‐

 昨日は、「KISHIWADA House」の現場へ行っていました。

 現場は、南海電鉄の駅から5分程です。

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 南海電車は、難波と和歌山を結ぶ私鉄。

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 関空特急のラピートが有名ですが、基本は青の鉄人28号バージョンです。

 プロダクトデザイナー・建築家の若林広幸の作品で、彼は京都の老舗漬物メーカー、西利本社も設計しています。

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 昨年の夏、LCCのピーチとタイアップした、白バージョンをみました。

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 昨日、新今宮駅で見た銀河系ラピート。

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 スターウォーズとタイアップした、黒バージョンです。

 ラピートは、「レトロフューチャー」がデザインコンセプトとありますが、どのカラーも本当にかっこいい。時代に耐えうるデザインです。

 2月12日(金)の新聞は『重力波 初観測』の記事が一面を飾りました。

 100年前に、アインシュタインが存在を予言していたとあります。

重力波 = 重力の周りの空間をゆがめている物体が動くことで、ゆがみが波紋のように周囲に広がっていく現象。全ての物質を光速で通過し、減衰しないとされる。人が腕を回しても発生するが振幅が小さすぎて検出できない。非常に重い中性子星同士の合体やブラックホールの誕生、超新星爆発など大規模な劇的な現象によるものは観測可能とされる。重力波による空間のゆがみをとらえる装置は、太陽と地球の距離(約1.5億キロ)が水素原子1個分伸び縮みする僅かな変化を完治できるほどの高感度を求められる。

 初めの「重力の周りの空間をゆがめている物体」という言葉だけで、もう分からなくなってしまいます。

 測定できないものを理論上で解明し、100年後に観測されるなど、天才と言うか、もう神の領域です。

 「進化論」のチャールズ・ダーウィンも時代を変えた天才の一人。1858年『種の起源』の中で発表しました。157年前の事です。

 若い頃のダーウィンは、ビーグル号に乗って世界一周をする機会を得ました。そして、南海の孤島、ガラパゴス諸島で、それぞれの島に固有の種が居ることから、進化論を着想した。という事になっています。

 2014年、NHKの「スーパープレゼンテーション」で、作家・スティーブ ・ジョンソンの回。こんな話がありました。

 ダーウィンは自伝の中で「自然淘汰」のアイデアが「ひらめいた」瞬間を書いている。1838年10月に人口に関するマルサスの著書を読んでいる時とあるが、10年か20年程前に、ハワード・グルーバーという学者がその時代の彼のノートを調べてみた。彼はどんな些細な事もノートにとっており、その何カ月も前から、自然淘汰の理論は出来上がっていたことが分かった。

 完全に確立出来ていたかは別にして、新しいアイデアは長期に渡って練られ、それがネットワークのようにつながったとき、イノベーション(革新)が生まれるというのが、彼の主張でした。

 相手が天才であっても、過程は鵜呑みにしてはならないのかもしれません。しかし、興味を持ち続けることが、天才の必要条件ではありそうです。

 天才=ジーニアスは「守護霊」や「守護神」を 意味するゲニウスが語源とあります。

 日々の仕事の歩みは、三歩進んでは二歩下がり。本当に遅々としたものです。

 神でも天才でないなら、せめて諦めないクレイジーで居なければと思うのです。

鳥井も松下も早川も草葉の陰から見ているぞ‐1246‐ 

 昨日は、住吉区へ現地調査へ行っていました。
 
 阿倍野区、住吉区は帝塚山で知られる通り、閑静な住宅街。このエリアで、5件程仕事をしました。

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 中央部にある万代池は、都心部は憩いの場。住所は「バンダイ」ですが、地元の人は「マンダイイケ」と呼ぶそうです。

 調査に行った先で、この辺りは空襲を逃れたのだと教えて貰いました。

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 よって、築70年以上と思われる長屋が沢山残っています。

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 ヨーロッパの街並みのように、日本の街にも秩序があった時代です。

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 阿倍野区にあるシャープ本社は1912年創業。平野から住吉に向かう途中にあります。

 経営悪化から、台湾企業「鴻海(ほんはい)」傘下に入る可能性が濃厚なよう。

 パナソニックは大阪を代表する企業ですが、シャープは阿倍野に本社がある通り、南大阪に沢山の工場があります。

 近所にも社宅が沢山あったり、同級生の親が社員だったりと、私にとっては身近な企業でした。

 関西を代表する企業、サントリー(寿屋)は1899年、鳥井信治朗によって創業されました。戦後、GHQにウィスキーを売るなどして、逞しく会社を成長させて行きました。

 一方1916年の創業している松下電機は、戦時中、飛行機などの部品を作っていた為、GHQに睨まれます。戦後すぐに大変な苦境に立たされるのです。

 そんな時、松下幸之助は旧知の鳥井に「鳥井はん、あつかましい話やけど2、3万円貸してくれへんやろか」と言いました。

 鳥井は「なに水くさいこというてはんねん」と10万円渡したそうです。今の額に置き換えると7000万円相当。それがなければ、現在の大松下は無かったかもしれません。

 7000万円と7000億は正に桁違いの額です。産業革新機構が日本だから良いのかも分かりません。しかし、他国から日本の企業はどう見えるのか。

 「やってみなはれ」 鳥井信治朗

 「この世に起こることは全て必然、必要、そしてベストのタイミングで起こる」 松下幸之助

 「人に真似される商品をつくれ」 早川徳次

 シャープペンシルを発明、国産第一号のテレビ、そしてアクオス、ヘルシオと、正に革新的な商品を生み出し、また真似されています。

 いずれも、戦火をかいくぐり発展してきた偉大な企業です。

 4年ほど前だったか、シャープに勤めるご家族から、フルリノベーション依頼がありました。

 企画も気に入って貰い、さあ計画スタートと行った時、会社の経営不振が顕著になってきます。

 転勤の可能性も高くなり、依願退職も募りだし、不安を感じた家族は、その計画はストップすることにしました。

 大企業は、多くの真面目な、愛社精神を持った家族の生活を背負っているのです。

 大手建材メーカーにの問い合わせをした時、明らかに「御社だけがお客様ではありませんので」という、応対をされたことが何度かあります。

 私たちが設計する建物は、年に10件ほど。大手ハウスメーカーに比べれば、ほんの僅かなものです。それ故、知名度を上げるためやっきになってやってきたのですが。

 すべての電話、全ての応対がこれで良かったのか。大企業病に陥ってはいないのか。僅かなところに差がでるのです。

 シャープ再建の鍵が、何かは全く知りません。

 しかし、鳥居も、松下も、早川もいつも、草葉の陰で睨みをきかせているはずです。

アスリート vs 経営者‐1245‐

 立春が過ぎ、僅かに寒さも和らいだでしょうか。

 現場にとって、厳しい時期には変わりはありませんが。

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 「KISHIWADA HOUSE」は基礎工事が終わったところ。

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 まだ吹きさらしの状態での水仕事は大変です。

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 暑いから、寒いからと、金額が変わる訳ではありません。

 勤勉な職人の手によって、日本の建築現場は支えられているのです。

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 現在は、基礎のベースコンクリートを打設したところ。

 「羽曳野の家」はリノベーション。 吹きさらしよりは、少しはましです。

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 それでも、暖を取る為の電気ストーブがおいてあります。

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 「長田の家」は外壁まで出来上りました。

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 随分ましになったと、監督も言っていました。

 三軒三様。過程を見て、現場の苦労と、家の有り難さがよく分かります。

 この一週間、清原の名前が記事に上がらない日はありません。

 野球選手とタニマチの関係は、野村克也の著書「野村ノート」にもありました。ここでは、阪神の選手ですが、彼ほどの知名度があれば、状況は同じでしょう。

 名経営者、京セラ名誉会長・稲盛和夫さんは、こんな話をしてくれたことがあります。京セラ所属の選手が、女子マラソンでオリンピックへ出場した時のことです。

 稲盛さんは「必ず前半からトップグループについて行くように」と彼女にアドバイスしていたそうです。

 コーチから「会長はマラソンの事はご存じないので」と、口を挟まぬよう言われました。しかし「マラソンのことは分からなくても、仕事の事は分かる。初めから全力疾走していなければ、今の京セラはなかった」と言いました。

 その選手は、確か目標通り5位前後に入賞したのですが、稲盛さんは、「可能性があったのだから、一番、せめてメダルを目指すべきだった。死にもの狂いで、トップ集団に付いていくべきだった」と言ったのです。

 経営(仕事)は、毎日毎日が真剣勝負。社員の生活を預かって、一日一日を命懸けで働いている。たった4年くらい、全力で努力が出来なくてどうする。私達は、オリンピックのメダリストより、大変な事をしていると言っても言い過ぎではないと。

 人の体は年老いて行きます。その自然の摂理を受け入れた人だけが、アスリートとして生きて行けます。その分儚く、それ故、放つ光が美しいのです。

 48歳の大人なので、全て自分の責任です。裸の王様に聞く耳はなかったのしょうか……

 寒空の中「KISHIWADA HOUSE」で、モルタル詰めをする職人が、はつらつと働く様を見て、これが仕事じゃないかと思います。

 主役以外の仕事に敬意を払えない世の中になって行っているのでは。そんな事を危惧するのです。

天才の勤勉と孤独‐1244‐ 

 現在、グランフロントで「ダ・ヴィンチ展」が開催中です。

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 芸術家、科学者、技術者としてもすぐれた、言わずと知れたルネサンスの天才。

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 彼の手稿(メモ書きのようなもの)が精巧に復元され、多数展示されています。

 自画像のデッサンを見ると、異次元なのだと理解できます。

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 展覧会のwebサイトに、彼の言葉が載っています。

 「簡単でいいのでメモを取る。その為に、小さなメモ帳をいつも持ち歩く」

 同じレベルでは描けないまでも、これはすぐに真似出来ます。早速、小さなメモを買いました。

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 彼の考えたヘリコプター等、多くの模型が展示されていますが、メインはやはりアンドロイド。

 目の動きなど、今まで見たなかで、最も精巧でした。

 現実に働く、人型ロボットが生まれる日が、確実に近づいていることを実感します。

 それが人類の幸せに貢献するものであることを祈るのみです。

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 レオナルド・ダ・ヴィンチ=ヴィンチ村のレオナルド。

 言わば「村の天才」という意味です。生家の写真がありましたが、なかなかに恰好のいい建物でした。

 彼はここで庶子として生まれ、祖父の元で育てられました。

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 ヴィンチ村はフィレンツェ近郊の村です。

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 15世紀中頃、フィレンツェは隆盛を極めていました。

 この街でヴェロッキオに師事し、芸術家としてのスタートを切ります。

 しかし、横暴な政治を行っていたメディチ家を、ダ・ヴィンチは嫌っていたようで、活動の拠点をミラノに移します。

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 花の都には劣るもの、繊維産業や兵器産業が盛んなミラノで、画家として、技術者として、徐々に仕事を得て行ったのです。

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 2012年に訪れた際、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラッツィェで「最後の晩餐」を観ました。

 完成まで3年の時間を要しています。

 彼は完璧主義の為、作品として残したのは十数点にすぎません。その意味でもこの大作は貴重だと言えます。

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 1995年、24歳の時にルーブルで「モナ・リザ」をみました。

 感激で心震えた、と言えれば良いのですが、第一印象は「意外に小さいんだな」というもの。

 しかし、当時も天才の本物を観たいと思っていたのです。

 ダ・ヴィンチは、溢れる才能と、繊細な神経ゆえ、人に心を悟られるのを嫌い、鏡文字を書いたそうです。

 こんな言葉を残しています。

 「独りでいる時、人は完全に自分自身になれる。ところが、たった一人でも連れがいれば、自分の半分になる。連れの言動が思慮に欠けるものであれば、それにより、さらに自分は減るかもしれない」

 この展示会では触れられていませんが、後年、彼の回りには、常に若い男が居たことや、男色の容疑を掛けられたことがあることから、ホモセクシャルだったのではと言われています。

 独りを愛し、鏡文字を書く天才。孤高という言葉がしっくり来ます。

「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」

 太宰治が引用したフランスの詩人、ポール・ヴェルレーヌの一節ですが、少し分かると言えば、失礼でしょうか。

「美」の構造‐1243‐ 

 「行く・逃げる・去る」の通り、1月はあっと言う間に行きました。

 今日から2月。逃げられないよう、しっかり捕まえておかなければ。

 先月のことですが、豊中へ行っていました。

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 千里中央駅まで移動し、電車に乗ったのですが、駅向こうに見える景色に驚きました。

 阪急・千里中央店の外観がとてもダイナミック。

 力の流れを、そのままデザインに持ちこんでいるのだと想像しますが、最外のフレームは耐震補強の為か。

 いずれにしてもかなりの迫力。「連続の美」と言えそうです。

 先週、この阪急で働いていたという人と話す機会がありました。

 「凄い百貨店ですね」と熱っぽく語ると、「本店の次に出店したはずですが、内部のほうは……」といった感じ。

 70年代に完成したようですが、設計者を調べてみましたが分からずじまい。もしかすると天井高が低いのかもしれません。今度は中ものぞいてみます。

 「美」はそれぞれが感じるものなので、様々な答えがあります。

 しかし、カテゴリー分けすることは可能でしょうか。

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 朝靄の立つ湖。

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 凪の海。

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 水平線に沈む夕日。

 人も自然ですから、自然の美しさは無条件に受け入れられます。

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 強さに裏付けされた肉体なども、美の一つでしょうか。

 美というよりは、本能に近いのかもしれません。異性に求める美もこの一種か。

 「モナ・リザ」の美しさは、ダ・ヴィンチという人が表現したものですが、描いている対象は人。これも自然界の美が基本にあります。

 一方、ミロやモンドリアン等の抽象画、建築等は、「人が作った美」。自ずと、好き嫌いが分かれます。

 「空間なんて好みじゃない」と時々言われます。

 しかし全体のストーリーを整理し、その人らしい秩序を成立させるのが、私の仕事なのだと考えています。

 着物の上に、有名ブランドのジャケットを羽織り、革のブーツを履いている紳士が居たとします。それぞれの物は高級品。

 しかし、それを素敵だと言う人は居ません。服なら誰もが分かるのですが、空間は、このあたりが分かり難いのです。

 川の水がヘドロのように真っ黒で、無臭・無害だとします。機能的に問題が無くとも、気分が良い人はいません。

 「機能を満足する」の先にある「美しい」。それは、人にとって大切なものだという信念があります。

 建築を例にしましたが、物創りをする者にとって「美しい」を追求するのは、義務と言って良いと思います。

 次の機会には、なぜ私が「美しい」を求めるかを書いてみます。 

株式会社‐1242‐ 

 先週は概ね天気が悪く、金曜日だけ晴れ間がのぞきました。

 「宝塚 RC打放しの家」は、昨年中にほぼ工事が終わっていましたが、この日が引渡し。

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 晴れるならと、急遽、第一弾の撮影をしてきました。

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 まだ、本格的な生活は始まっていませんが、家具があると、スケール感が伝わるでしょうか。

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 RC打放しは、壁に光が当たるだけでも絵になります。

 これらは、また現場日記にUPしたいと思います。

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 撮影を終え、帰りは阪神高速・空港線通ります。

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 この日は3人で現場へ行っていました。

 普段、ゆっくり話す時間もなく、移動も貴重な打合せ時間。

 しかし、こんな景色をみるとつい話題はそちらに。皆で外に出るのはやはり良いものです。

 20代の頃、一人で変な汗をかきながら撮影していた事を思い出し、チームの有り難さを痛感するのです。

 社会派小説、経済小説というジャンルを確立した作家・城山三郎。

 「官僚たちの夏」、「総会屋錦城 」「価格破壊」など、いずれも面白く、読み応えがありました。

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 「雄気堂々」は、幕末、明治初期に、薩長土肥いずれの藩閥にも属さない埼玉県の農夫、渋沢栄一が、実業家として成功していく物語です。

 日本初の商業銀行、第一国立銀行(後のみずほ銀行)の初代頭取、東京商法会議所、理化学研究所の設立。 多くの企業等の創設に関わり、合体組織(株式会社)を日本に根づかせました。

 日本初の株式会社は、坂本龍馬のつくった「亀山社中」という解釈もありますが、フランスで資本主義を学んだ彼が、実際の功労者と言えそうです。

 渋沢栄一は実在の人物なので、登場人物もキラ星のごとく。西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通、徳川慶喜、大隈重信、山形有朋、伊藤博文、岩崎弥太郎……

 しかし、近代国家は個々の才能に頼るだけでなく、知恵、お金を持ち寄り、協力しなければならないという哲学を持つようになりました。こんな下りがあります。

 書くためには、筆と墨と硯が要る。それぞれの役割や動きも違えば、寿命も異なる。硯は何年経っても寿命が来ないが、墨は数カ月のうちに影も形もなくなってしまう。筆に至っては、もっと寿命が短く、激しく使えば。数日ですりきれてしまう。受け身で動かぬ硯が寿命が長く、最も動く筆の寿命が短い。これは人間社会にもあてはまる。

 正直に言えば、自分一人の圧倒的な能力で、成功したいと思っていました。

 しかし、一人はやはり一人。多くのキャストで演じられるような、よりダイナミックな舞台をつくり上げることはできませんでした。

 しかし一方で、栄一はこうも言っています。

 好んで争うこともないが、人生、衝突を避けるわけには行かない。人間には、まるくとも、どこかに角がなければならぬ。まるいだけだと、ころびやすい。正しいことは、ゆずってはならぬ。

 角と、ゆずらぬは大丈夫のはず。後は、栄一の言う、合体組織の本質、特性を伸ばして行かなければなりません。

 本来の意味での株式会社の特性を活かせているかは疑問です。

 ただ、私個人の為にこの会社が存在しているのではなく、物創りを通して、クライアント、社員、家族、社会、そして人類の役に立てる存在でありたいと思うのです。

 一つ分かったと思ったらまた振り出し。実業は本当に奥が深いのです。

タレントにおける射幸心‐1240‐

 今日は大寒。本当に寒い日が続きます。

 天気の良かった先週末、南港へ行っていました。

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 ATC前にはサンフラワーが停泊中。行先は、別府鹿児島か。

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 こう寒いと、おんせん県へ出掛けて行きたくなります。

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 この日の目的はLIXILショールーム行き。

 2時間程かけて、クライアントと仕様の確認をしました。

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 すぐ近くの敷地に、「温泉掘削中」の看板が揚がっていました。

 「おんせん島」になるのか、泡沫の楼閣になってしまうのか……

 どのくらいの費用なのか分かりませんが、いずれにしてもギャンブル的要素が強そうです。

 少し前ですが、あるパチンコ店の経営者の経営理念を聞く機会がありました。

 「お客様の健全なシャコウシンを満足させる為に、我が社は存在している」

 その時は、漢字が分からず、「シャコウシン」とは、少ない努力で大きな結果を得る、怠惰なこと等に関係する言葉かなと、想像していました。

 「シャコウシン」=「射幸心」

 読んで字のごとく幸せを願う気持ちです。

 日本でギャンブルが禁じられているのは、以下のような条文が根拠になっていると知りました。

 「国民の射幸心をあおるのは勤労によって財産を得ようとするという健全な経済的風俗を害する」

 「安易な射幸心」としたほうがしっくりきます。

 ここの所、SMAPが分裂、独立するか否かが、大きな話題になっています。

 テレビはあまり見ないので、分からない事ばかりですし、意見も求められていませんが、自由にさせてあげたらと思います。

 偉大なグループだと思いますが、ビートルズも解散しましたし、後年復活するケースも多々あります。

 皆が見たいからとか、こっちが幸せだよね、と周りが誘導しても、悔いばかりが残るのではないかと思います。

 10代半ばからアイドルとして頑張ってきて、生き残る確率などほんの一握り。色々な事を我慢し、努力してきたのだと思います。

 国民的俳優、高倉健が東映を独立したのも40歳頃でした。このあたりからは、自分の幸せ、周りの幸せ、そしてファンの幸せの順で、良いのではと思います。

 国民的アイドルとは言え、一人の人間。幸せを求める心はなんら変わりません。

 動くもよし、動かぬも良し。ただ、動くと必ずブレーキを掛けたがる人が出てくるのは事実です。

ゲイは身をたすく‐1239‐ 

 土曜日の夜は、大学時代の集まりがありました。

 店は西天満にある「エクウス」

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 古い一軒家を改修してあるのですが、マスターの世界観が独特でした。

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 トイレの中がかなり良かったのですが、ちょっと、ここには上げにくものばかり。

 猥雑、混沌、ダダイズム。

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 先日亡くなった、柳原良平のアンクルトリスも。

 押さえるべきところは押さえてあります。

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 料理は本格的です。

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 この石焼ごはんも名物のよう。味、演出とも繊細でした。

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 最後まで見送ってくれたマスターは、明るく、中性的な感じの人。

 こういった仕事には、そんな感性がストロングポイントになるのだと思います。

 お勧めの店です。

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 二次会は、東通り商店街まで戻り、裏路地へ。

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 「ドン」はゲイバーです。

 強調しておくのですが、私がこういった店が、特に好きな訳ではありません。(別に好きでも全然良いのですが)

 この集まりは、二次会ここに来る事が多いのです。

 初めて連れて来て貰ったのは25歳の頃だったか。

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 もう20年になりますが、会員制だったとは知りませんでした。

 長いと言っても、私が来たのは10回位ですが。

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 右は、正真正銘のママ。

 「あらア~、久し振りじゃなア~い」

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 「本当に覚えてるの」とからかうと

 「あったり前じゃなア~い。この人でしょう」

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 タバコの煙でか、変色していましたが、「白馬の山小屋」のポストカードです。

 1999年の年賀状に使いました。当時は少しでも自分の事を知って貰いたく、持ち歩いていたのです。 

 「俺は必ず安藤を超える」とか言って手渡ししたのだと思います。

 ざっと見渡しても、貼られているポストカードはこれ一枚だけ。まず、感激しました。

 そして、この20年、精一杯生きてきたのだろうかと自問してしまいます。

 「ドン」は今年で30年だそう。

 この場末のゲイバーが30年続き、仕事の顔とは言え、楽しく働き、そして暮らしているという事実。

 世界的には同性婚も認められていく流れです。

 しかし、彼らがマイノリティーであるには変わりはありません。少数派であるが故に分かる、人の心の機微。

 更にそれを芸として生き抜く逞しさ。

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 皆と別れたのは2時頃でした。何となくそのまま帰る気分でなく、北新地の友人の店をのぞいてみまいた。

 店じまいの準備をしていましたが、結局朝方まで話をしていました。朝まで飲んだのは何年振りか。

 自分のストロングポイントとは。強くありたい、しかし、心の機微の分かる人間でいたい。

 楽しく、そして、少し苦いキタの夜だったのです。

建築の敵‐1238‐

 今年の冬は暖かいと思っていたら、急に寒くなってきました。

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 それでも、関西のスキー場には厳しい状況が続きますが、標高のあるびわ湖バレイだけが健闘中のようです。

「滋賀の家」へ向かう東岸から、頂上付近、わずかに雪が見えていました。

 先週の取材の際、撮り忘れていたアングルを何枚か撮りました。主には吹抜けに面したセカンドリビングからのカットです。

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 吹抜けのハイサイドから、丁度、土塁上のヒノキが目に入ります。ここからの景色がとても良いと、クライアント、監督から感想を貰っていました。

 敷地が大きいので、建物の奥行きが薄く、どこからでも自然が目に入ってくるのです。

 建築の役割は、人間に自然のよい影響を全て与える装置として働くことであり、またそれは、人間を自然と建物が作り出す環境に現れる全ての悪い影響から保護することである。

 1898年、フィランド生まれの建築家、 アルヴァー・アアルトの言葉です。

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 1953年に完成した「夏の家」は彼の別荘。

 実験住宅「コエタロ」とも呼ばれるように、色々な実験がなされた面白い住宅です。

 今も好きですが、若い頃は、今以上に影響を受けていました。

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 1998年に完成した私とっての3作目。「Spoon Cafe」は、アアルトの空間を意識してデザインしました。

 特別な仕掛けがある訳ではないが、来訪者が主役だという気持ちは、強くもっていました。

 アアルトのエッセイ集はなかなか面白いのです。

 『不動産投資家』は建築の敵No.1だと言います。更に、手ごわい敵は、『建築経済性の理論』であり、普通「どんな形の家が最も経済的か?」と語れていると言っています。

 もし5階あるいは8階建の家を建てたとすると、その質問は「建物の奥行はどのくらい?長さは?持家を持ちたいと望んでいる人々に一番安く建ててやる方法は何か?」というようなものだ。

 もちろん、これを科学と呼ぶことができるかもしれない。しかしそうではないのだ。

 答えは全く簡単だ。一番奥行の深い建物ほど安い。それは明らかなことだ。さらにいえば、非人間的な家ほど安い。

 つまり、われわれのもっている一番高価な光は日光で、それを全部捨て去ればずっと安い家ができるというこいとである。

 すべての中で一番高価ものは新鮮な空気である。なぜなら、それは空調だけでなく都市計画の問題だからである。人間のための新鮮な空気は何ヘクタールもの土地、良い庭、森や草原や道路に値する。

 光と風=新鮮な空気と位置づけ、最重要視して設計をしてきましたが、新鮮な空気こそが最も価値があるとは、アアルトの視点は、かなり高いところにあります。

 しかし、建築の敵とは思い切った表現ですが、これに賛同したことで、私に投資家かからの仕事はこないかもしれません。

 真意が分かって貰えればそれで良いのですが「誰のため」「何のため」がぼやけてしまう原因に、経済性という言葉がちらつくケースは本当に多いと思います。

 勿論、経済性を無視するという意味では全くないのですが。

 真の建築は、その小さな人間が中心に立った所にだけ存在する。

 何とも表現しにくいが、なぜか良い。私にとってアルヴァー・アアルトはそんな建築家ですし、目指すところでもあります。

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主役は君だ‐1237‐

 今日、成人の日は良い天気に恵まれました。

 例年、紙面を賑わす式典ですが、今年は穏やかに行われたのでしょうか。

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 昨日は「滋賀の家」の取材に立ち会っていました。

 「住まいの設計」は老舗住宅誌。3月21日発売号は「ペットと暮らす家」という特集があり、その中で取り上げて貰います。

 この日も、絶好の取材日和。

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 撮影には、ご家族も4人で参加して貰いました。

 お兄ちゃんは就職が決まり、弟さんは大学に合格。何とも縁起のよい新春です。

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 しかし、今回の主役は4歳のトイプードル。女の子です。

 これだけ本気で撮って貰えたら、出来上がりが本当に楽しみ。

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 誌面を構成する編集、記事を書くライター、写真を撮るカメラマンと3名で東京から来て貰いました。

 写真を撮ると言っても、本当に色々なアイデアがあるものです。

 約4時間の撮影が終わり、取材チームはそのまま西宮へ移動。翌日も撮影とのことでした。

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 私とスタッフの田辺はそのまま残りました。

 「新年会しましょうと」行って貰っていたのです。

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 今回は、おでんとネギ焼きを用意して貰いました。

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 美味しい料理とお酒、楽しい(苦労した)思い出話があれば、6時間等あっと言う間。

 夕方4時頃スタートし、気が付けば10時前でした。

考えてみれば、何度最終の新快速で大阪に戻ったのか。
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 この取材の為に、テラス用のイスは新調して貰ったとのこと。本当に嬉しいことです。

 しかし、今回はもしペットがいなければ成立しない取材でした。故に、主役は完全に彼女でした。

 インターネット全盛の時代、紙媒体の縮小は顕著です。実際、廃刊になった住宅誌もあります。

 編集、ライター、カメラマンと、それぞれのプロが関わり、そのを商品として売るというスタイルが私は好きですし、重要な発表の場だと思っています。

 人の知識と技が無料なら、人自体の価値がない事になると思うのです。

 買って貰えるかは別ですが、 3月下旬にまた告知したいと思います。

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